平成29年10月1日

 

雨飾山~金山

 

 

 

ホームページのタイトルが「静かな山へ」としている都合上、何でもかんでもやたらめったら山に行ったら文章を書いて掲載するということは去年あたりからやめ、本当に静かだった山のことだけを書くように心がけました。

 

 

 

今年は残雪期が過ぎても道の無い山に登り続けました。

 

結果的に静かな山を多く訪れることができたわけでありますが、今度は「そんなにいちいち山に行くたびに文章にして報告をしなくてもいいだろう」といった考えが湧いてきて、結果的にホームページを更新することが非常に少なくなってしまいました。

 

ホームページをやめようと思っているわけではなく、ただ単に掲載数を意識的に減らしてきているだけでありまして、細々とではありますが更新をしていくつもりでございます。

 

 

 

それから掲載はしていないものの、実は自分自身の記録として登山道の無いような珍しい山に登った時はすべて文章に残しております。

 

そんな未公表の山行記録は、興味を持たれた方にそっとお教えできればといった形で陽の目を見ることができれば幸いであろうと今は考えている次第であります。

 

 

 

まあそんなわけで今回は先日歩いてきた雨飾山~金山の山行を久しぶりに掲載したいと思います。

 

皆さん御存知であろうかと思いますが、この区間は普通に道があります。

 

昭文社の登山地図では破線になっているようですが、歩く人が少なくて踏まれていないといった程度で、いわゆる普通の登山道と変わらず、特に荒れているようなところはありません。

 

それなのに雨飾山の喧騒を過ぎると、まったく人がいなくなり、大変に静かな趣のある自然の中での山歩きを楽しむことができるところです。

 

景色もそれなりで、金山の手前あたりの区間では展望の無いようなところも一部ありましたが、全体的には十分に素晴らしい景色を望むことができたように思います。

 

 

 

雨飾山の登山口には前日の夜12時に着きましたが駐車場はすでに満杯に近く、2~3台程度しか空きがありませんでした。

 

近年の山行の特徴として、百名山に選出された山を訪れる時は登山の心配をする前に駐車場やテント場確保の心配をしなければなりません。

 

うまく言えませんが、百名山というブランドを訪れる人たちを見ていると山を楽しむといった目的が何か違うような方向に向かっていて、結果的に間違った登り方をされる登山者が多くもたらされてしまっているように思え、大挙して押し寄せる登山者全員がそんな人たちに見えてしまい、しかも派手な服装で可愛いカラーリングの出で立ちで歩く登山者を見ると無性に嫌気がさし、その場を離れたい衝動に駆られてしまうのは私だけでしょうか?

 

まあ、そんな私も最近は登山道具をリラックマグッズで揃えるようにしておりますが・・・。

 

 

 

いずれにしても、このような状況になってしまうと、ただ単に山を登って展望を楽しむとか景色を楽しむことしか山歩きの面白さを実感することができず、私が求めている自然そのものを楽しむことは皆無だという現状を嘆き悲しみながら、鈴の音を響かせながらぞろぞろと列を作る登山者の間を縫うように今回の山行は幕を開けました。

 

 

 

私自身、雨飾山は何度も訪れております、過去に一番思い出深かった山行は確か平成2年の春のことだったと思います。

 

残雪に覆われた小谷の山々は瑞々しく、青空に映えるまぶしい新緑をまとった雨飾山は晴天の日曜日にもかかわらず登山ブームが訪れる以前ということもあって、登山口には私以外に人の姿は見えません。

 

今の様な整備された大駐車場は無く、もちろんトイレや登山口を示す標柱類も一切ありません。

 

登山道は残雪に覆われ、山頂方向を示す看板類が無いところで当時の登山歴が2年程度だった私は闇雲に山頂に向かって進み、途中でスノーブリッジを踏み抜いて川に流されそうになりながらも何とか這い上がり、濡れた身体のまま山頂を目指すも雨飾山名物のフトン菱にぶちあたり、山頂の一歩手前で引き返すといった顛末の山行でありました。

 

(この話は前回の平標山~谷川岳の項の後半で、山で体験した不思議話のところでも触れております。)

 

 

 

雨飾山まではまるで消化作業をするかのごとく一目散に山頂へと進みました。

 

山頂はふたつに分かれていてどちらの山頂にも神様が祀ってあります。

 

そんなところから山名は以前に新潟県側では両飾山、長野県側では両粧山(どちらも“ふたつかざりやま”と読む)と言われていたのをどこで間違ったのか両という漢字が雨という漢字で表記されるようになり現在の雨飾山になったという説が有力のようです。

 

 

 

以前に雨飾山の山頂に十三の仏を祀ろうとして石仏を担ぎ上げる人を募集したところ80人以上の人が集まり、そこに山頂で祈祷する僧侶を入れると総勢90名にもなり、全員で無事に担ぎ上げたと古文書の記述に書かれているそうですが、今では山頂にそれらの石仏は見当たりません。

 

担ぎ上げた日が文政5年6月23日で、携わった90人の名簿まで残されているということで、山頂に十三の仏を祀ったのは間違いないであろうとのことですが、それら石仏がどこにどう消えたのかは分からないとのことです。

 

現在もいくつかの仏様が祀られておりますが、それは十三仏とは全く無関係のものだそうです。

 

 

 

そんな歴史のある雨飾山の山頂ですが、多くの人が集う雨飾山山頂には長くとどまりたくなかったので、早々に笹平まで戻って足早に金山へと向かうルートへと足を踏み入れました。

 

さてここからは悠々自適に山を楽しむことが出来ます。

 

あまり人が入っていないため道は草生しておりますが気になるほどのものではありません。

 

頚城山塊の中で雨飾山は標高が低いので東方面の山は金山と焼山くらいしか見えず、その奥の火打山や妙高山が見えないのが残念ですが、西に目をやると近くの白馬岳をはじめとした北アルプスの峰々を望むことが出来ます。

 

笹平から長い急勾配の下りを延々と下り、下りきったあたりで海谷駒ケ岳方面へと続く道へと分かれます。

 

地図上に掲載されていませんが、ここには水量が少なくない沢が流れていて水を汲むことが出来ます。

 

 

 

ここから大きくはないものの、何度も登り下りを繰り返しながら高度を1500m程度まで下げたところが最低鞍部になると思われます。

 

最低鞍部からも尾根は上り下りを繰り返し、茂倉峰の付近からようやく金山への本格的な登りとなります。

 

尾根は樹林帯や草原帯といった景観に要所要所では上信越の峰々が映え、やがてあまり広くない金山山頂へと至ります。

 

 

 

金山は郷土史などの書物にはほとんど書かれておりません。

 

おそらく信仰といった形跡が無く、山麓民との関わりは浅かったものと思われます。

 

また周辺には妙高山といった日本国内でも有名な山々が聳えていて、そちらのことばかり大きく書かれていて金山はまったく見向きもされない不遇の山のようであります。

 

おそらく山名は金鉱脈でも発見されたのか、あるいは採掘でもされたことがあったのか、いずれにしても鉱物資源から山名がきているものと思われます。

 

 

 

そんな不遇の山、金山山頂には11時30分に着きましたが、長岡から来たという一人の人としか会いませんでした。

 

この山は本当に相変わらず静かです、まるで登山ブームに逆行するように静かに聳える緑豊かな草原の山といった風情で、この百名山連なる頚城山塊の陰で一際大きな異彩を放っているように感じました。

 

金山は本当に山好きの人が訪れるようなところ、そう思いながら山頂を後にしました。

 

 

 

雨飾山小谷温泉登山口 1時間40分 雨飾山山頂 10分 笹平 3時間 金山 2時間30分 金山登山口 1時間50分 雨飾山小谷温泉登山口