3度目の正月朝日連峰

 

平成29年12月31日~平成30年1月1日

 

 

 

遠く、山間から幽かにゴーっという音が響いて、その音が徐々に近づいてくる。

 

やがてそれは近づくにつれ徐々に轟音へと変わり、爆風を伴なったその轟音は近くの木々を大きく揺らし始めると同時にテントを凄まじい勢いでバタバタと煽り、私は慌ててテントを押さえつける。

 

テントは大きくゆがんで今にも壊れるのではないかと思うほどだ。

 

それがひっきりなしに一晩中続き、いつやむことか知れない嵐に心は休まることがありません。

 

テントの周囲には防風壁を築いて備えるも、厳冬期の飯豊や朝日の前では小さな抵抗にしかすぎません。

 

 

 

さらに、それに加えて叩きつける大粒の雪は、ものの数分でテントを埋め尽くしてしまいます。

 

テントが雪で押し潰されないように酷い時は嵐の中へ30分おきに外に出てテント周りの除雪をしなければなりません。

 

私自身、3日3晩一睡もせずに爆風に怯え、大きくきしむテントを必死で押さえつけ、そして延々と続く除雪にあけくれたこともありました。

 

 

 

あの風と雪はほとんど止むことなく数日間続き、ようやく止んだと思ってもせいぜい半日程度、すぐにまた冬の嵐にみまわれるようになります。

 

そんな僅かな嵐の止み間を見計らって、登頂アタックをするといったことが冬の飯豊、朝日の登り方になると思います。

 

荒れ狂う嵐の中でのテント生活は心身ともに疲弊するなどといった生易しいものではなく、明らかに遭難という二文字が目の前にチラつき、いよいよ極限状態にまで達してしまうことも珍しくありません。

 

「俺、生きて帰れるのかな?」なんて思ったことは今までに何度もありました。

 

 

 

今回の山行は結果を先に言ってしまえば、今年も途中敗退ということになってしまいましたが、今回の敗退原因は天候などといった自然現象からくるものではなく、明らかに私自身の気持ちにありました。

 

 

 

正月に一人で山に向かい、深い雪と強風、吹き荒れる嵐の中で過ごしたことは私に高い経験値を与えてくれたばかりではなく、逆にそれが仇となって強い恐怖心までも植え付ける結果となっていたようです。

 

「無理をしない」と言えば聞こえはいいが、私の場合は精神的におよび腰となり、軟弱登山の方向に進んでしまっておりました。

 

 

 

例年、正月山行が近づくにつれ苦悩と恐怖に支配されるようになります。

 

今年の場合は正月期間の天気予報も最悪となり、それが苦悩と恐怖に拍車をかけます。

 

天気は最悪の流れの中、無理はできず、早期敗退ありきで臨むことしか考えられなくなると、希望までもが打ち砕かれた中で始まった山行は精彩を欠いたことになることは最初から分かり切っていたことでした。

 

 

 

12月31日

 

今年は例年の2倍から3倍の積雪とのこと、2mにまで達した雪の壁にため息をつきながら根子集落を出発。

 

今年もまたゆきみの会の佐藤さんが初日だけラッセルの応援に来てくれました。

 

佐藤さんも降り積もった大井沢の雪を見て驚いていたようです。

 

案の定、深いラッセルは佐藤さんを疲弊させます、申し訳ないので私もラッセルに加わりますが、何しろ重くてまとわりつく深雪に体力はどんどん奪われていきます。

 

それでも12時頃に日暮沢小屋に到着、佐藤さんとはここでお別れとなりました。

 

この日は珍しく時折青空が見えるほど穏やかであり、私は荷物を日暮沢小屋に置いて、空身で行けるところまで行ってみることにしました。

 

明日の行動を有利にするために今日のうちにトレースをつけておこうという目論見でした。

 

身軽になった私ですが、相変わらず続く深雪には辟易させられます。

 

木々の間から時折稜線が見え隠れし、目指す大朝日岳までもが見えるようになります。

 

振り向けば月山も雲が切れて見え始めております。

 

朝日連峰や月山がこんな良い天気なのは珍しい、初日にこれでは先が思い遣られる。

 

一日晴天が続けば数日は悪天が続く、を繰り返すのは冬の北国では普通でのことです。

 

正月に飯豊や朝日に登るようになってから十数年経ちましたが、統計上二日続けて晴れた日は一度もありません、明日からしばらく悪天が続くことは明らかでした。

 

 

 

長い急登が終わり、斜面がいくらか緩み始めると徐々にラッセルは浅くなってきます、なんだかんだ言いながらもうすぐハナヌキ峰というところまで到達しております。

 

風が強いのかそれまでの深雪は無くなり、ラッセルが足首程度になったのを見計らって日暮沢小屋へと戻ることにしました。

 

あれほどの深雪にもかかわらず初日にハナヌキ峰まで来れたということは突破口が少々見えてきたように感じます。

 

ここで、ひとつだけ不安に感じたことは、去年は膝が痛くて途中敗退でしたが、今年も膝に痛みがありました。

 

酷くならないうちにと思い、またラッセルも浅くなったこともあって日暮沢小屋に戻るということにしたわけです。

 

夜は風もなく小屋ということもあってとても静かでした。

 

今日のトレースはこのまま明日使える、そう思って寝床につきました。

 

 

 

ここで余談ですが、私の寝袋はナンガというメーカーの撥水ダウンが使われている物を使用していますし、ダウンジャケットもミレーの撥水ダウンの物を使っています。

 

以前の正月山行時のテント生活で度重なる除雪で風雪と汗により、それからテント内の湿気で寝袋、ダウンジャケット、テントシューズまでもがぐちゃぐちゃになり、保温が効かなくなったことがありました。

 

そのことが教訓となってそれからは撥水ダウンを使用するようになったわけですが、ナンガの寝袋は少しでも軽量化しようとしているのか、細身で寝心地が非常に良く無いものです。

 

疲れているのでもちろん眠ることはできますが、寝心地の悪さに夜中に何度も目が覚めてしまいます。

 

爆風と豪雪の中でのテント生活に比べれば小屋に泊まることは天国の様なものですが、それにしても直立不動の出で立ちで眠り続けることは困難で、どうしても夜中に目が覚めてしまうことは確かです。

 

 

 

この日も日暮沢小屋では何度も目が覚めました。

 

辺りは珍しく静寂に包まれております、こんな時に思うのが稲川淳二の恐怖夜話です。

 

私は2階に寝ていたのですが3階からはみしっみしっといった音が時々聞こえてきます。

 

さらに便所にも行きたくなりますが怖いので寝袋から出たくありません。

 

稲川淳二の怖い話を思い出し、3階から聞こえる変な音、さらに我慢の限界が近づきつつあるおしっこ。

 

せっかく静かな山小屋の夜なのに、結局ロクに眠れないまま朝を迎えることとなりました。

 

 

 

ちなみにコールマンというメーカーにウルトラマンの様な柄の寝袋があり、それを着るとウルトラマンように強くなれたような気がして嬉しくなります、しかも化繊なので湿気にも強いと思うので、ナンガの寝袋の寝心地の悪さを勘案し、次回からはその寝袋にしようか検討してみたいと思っています。

 

ただし化繊なので大変に重い割に真冬には使えない寝袋なので、厳冬期に使える高品質の暖かい寝袋とウルトラマン寝袋をふたつ持っていき、2重で寝袋を着用しなければならないというのが欠点です。

 

 

 

1月1日

 

今日は行けるところまで行くつもりですが、最低でも古寺山くらいまでは行けるだろう、もしかすると小朝日岳くらいまで行けるのではないかと気合十分で準備を始めました。

 

そして意気揚々とスノーシューを履き外に出てみてビックリ!

 

いつから降り始めたのだろう、黙々と静かに降り積もった雪は、辺り一面に深々と覆いかぶさり、昨日のトレースも消されております。

 

そして景色はどこまでも白く、降りしきる雪は視界を鎖ざし、盲目となった私に今回の正月山行の終わりを促そうとしているようです。

 

この先、晴れる日はもう見込まれない、僅かではありましたがトレースが埋まりきる前に長い林道を戻るということを選択せざるを得ませんでした。

 

悔しいけれど、また来年。

 

それでも今年はほんの少しですが先に進んだように思います、僅かですが勝機も見つけられたような気がして大井沢をあとにしました。

 

 

 

 

 

正月の朝日から下山後、しばらく山に登りませんでしたが、足慣らしを兼ねて3週間ぶりに谷川岳の西黒尾根に登ってきました。

 

多くの人はロープウェイを使って天神尾根を登るのでしょうけれど、いくら足慣らしとは言え、それではあまりにも観光登山になってしまうので、さすがにそれは避けました。

 

その日の西黒尾根はおそらく10人程度の人が登っていたものと思いますが、久しぶりの山行に運動不足となっていたようで結構疲れました。

 

西黒尾根から天神尾根を眺めると長蛇の列ができております。

 

山頂は人で賑わっていて、あの人ゴミに嫌気がさしたのはもちろんでしたが、とにかく天神尾根を使わなくて良かったと思いました。

 

西黒尾根を登ったほとんどの人は天神尾根を下山するようですが、あの人でごった返した尾根を下るのはとても気が引けるので、私は下山も西黒尾根を使いました。

 

この日はおそらく往復で西黒尾根を使ったのは私も含めて3人だけだったと思います。

 

 

 

後日、何気に谷川岳登山をネットで調べてみると、ヤマレコなるSNSで数名の人が天神尾根の山行記録を投稿されているのが目に入りました。

 

その時見た、私と同じ日に登った投稿数は13件ありましたが、あのロープウェイから数珠つなぎの人を考えると300人くらいいたのではないかと思うほどだったので13件は意外に少ないと感じました。

 

どの投稿を見ても同じようなことが書かれており、同じような写真が載っております。

 

天気が良くて楽しかったといった内容のことばかりでしたが、いずれにしても皆さん楽しまれているようです。

 

 

 

ヤマレコといった類のSNSは興味がないので、特に見ることはないのですし、そもそも私の行きたい山の投稿はほぼ無いようです。

 

最近はネットで山関連のことを検索するとよく目にするSNSなので、何気なく見てしまうこともあるのですが、内容によっては明らかに人に褒められたいために山に登って投稿し、コメントをもらって喜んでいるような投稿者も散見されるわけで、そんな山の登り方は果たしてどうなのだろうと疑問に思うことがあります。

 

そんな人は純粋に山を楽しんでいないのではないでしょうか。

 

山はゆっくり登ってたくさんの景色と山そのものを楽しめる人が最も優秀な登山者であると私的には思うのですが、いかがでしょう?

 

とにかくどうあれ自己満足の世界であろうと思いますので、結果それぞれ個人が楽しければそれはそれで良いものなのでしょう。

 

 

 

それに私自身もこうしてホームページを立ち上げているわけですから人のことを言えたものではありません。

 

ただ、そのようなSNSの投稿文に比べたら私の場合はちっとも楽しくありません。

 

本当は嫌なのですが、わざわざ敗退記録など書くのはまったく面白くないものであり、来年登頂するために仕方がないという気持ちで書いております。

 

しかし来年のためと思って書こうにも、反省点としては精神性のことが多いので具体的にくことは難しいです。

 

自然状況は刻一刻と変わります、そんな自然相手に翻弄されず、強い気持ちで臨めたらいいなと思う反面、それが無謀登山へとつながる可能性もある訳です。

 

どうあがいても自然に勝つことはできないので、悪条件を上手く回避しながら無事に登頂できるようしたらいいのですが、そんなこと簡単にできたら苦労しないわけですし・・・。

 

ましてや朝日の場合は飯豊よりも気象条件が悪く、その判断は非常に困難です。

 

まったく本当に正月の朝日は難しいです。

 

でもいつか必ず登頂して、誰よりも一番楽しい山行文を書いてみたいと思っています。