大縦走(鳩待峠~平ヶ岳~大水上山~丹後山~巻機山~朝日岳~土合)

 

平成29年5月3日~7日

 

 

 

残雪期に天気さえよければ特に難しいわけでなく、それほど苦労しないで行ってくることが出来る山。

 

こんなことを言ってしまえば日本国内の8割から9割もの山が当てはまってしまうことになり、これでは身もふたもない話になってしまいますが、今回訪れてきた鳩待峠から平ヶ岳を経て大水上山から丹後山を越えて巻機山をかすめて谷川連峰の朝日岳に至る、長大ないわゆる利根川源流域の峰々は新潟県と群馬県の県境尾根として大きな壁を形成しているところであり、大きな尾根が故に、痩せて険悪な岩尾根のような箇所はほとんど見られず、また細々と派生したり分岐しているようなところもなく、非常に分かりやすい尾根となっていて、確かに特に難しいところとは言い難いように思えます。

 

 

 

越後三山近くにどっしりと聳えて壁を形成している峰々は大部分において登山道が整備されていないのに秀逸な山々が聳えている、おそらく登山が趣味の人が越後三山付近の地図を見た時に、その傍らに聳えるこれら山域は、非常に目につくところなのではないでしょうか?

 

そんなこともあり、また関東圏からも比較的近いということもあって残雪期には多くの入山者がいるようですし、記録も多く見ることができます。

 

 

 

私自身もいつか行きたいと思っていたこの尾根でしたが、あまりにも長大で数年に別けなければ行くことができないと思っており、また入山者が多いうえあまり難しさもないということから、ずっと後回しになっていたところでありました。

 

 

 

ところが今年のゴールデンウィークは珍しく5連休が取れそうです。

 

おそらくこの先5連休となるゴールデンウィークはもうないと思われます、もしあったとしても年寄りになってしまったあとであろうと思います。

 

滅多にないチャンス、天気次第ではありますが、ここは思い切ってその長大な尾根を踏破しようという計画を立て、じっと天気を窺っておりました。

 

 

 

5月3日

 

鳩待峠~ススヶ峰~平ヶ岳~白沢山~釼ヶ倉峰~滝ヶ倉山手前幕営

 

 

 

鳩待峠は大雪のため夜間の開放はしておらず、朝6時に解放ということで駐車場手前の坂道で仮眠をとり、ゲートが開くのを待ちました。

 

朝寝坊の私はいつも予定時刻よりも30分は遅れて出発するのですが、今日も実は6時出発の予定でしたので、早速初日から自動的に30分遅れの出発となってしまいました。

 

実はそれとは裏腹に、5連休とはいえ連休明けの仕事のことを考えるとできることなら3泊4日で下山したいと考えていたので本当のところ少しでも早く出発したいと思っていたところでもありました。

 

 

 

鳩待峠から平ヶ岳の区間は数年前に一度歩いています。

 

とにかくここは広い尾根がどこまでも続き、いかにも尾瀬といった感じのするところです。

 

尾根が広ければいつまでも残雪が残り、藪が出るわけでもなくただただ体力勝負のところでしかありません。

 

ただしガスられればこれほど厄介になるところも他にはそうそうないでしょう。

 

 

 

鳩待峠の駐車場はビックリするほどの人が行列をなして歩いてきます「私もこのまま行列に紛れて山の鼻まで行かなければならないのだろうか?これでは大変な時間のロスになってしまう。」

 

私は大勢の人が鳩待山荘前でガヤガヤとたむろしているうちに、チャンスとばかりさっさと山の鼻に向かって歩き始めました。

 

下りの部分ではアイゼンを着用しようか迷うほど雪は固く締まっており、滑らないように注意しながらも山の鼻まではスタスタと歩くことが出来ました。

 

山の鼻から尾瀬ヶ原へと向かう道から分かれて川沿いを歩いていると前方に単独の男性の姿が見えます。

 

おそらく彼もあの群衆に恐れをなして早々に歩き始めた一人なのではないでしょうか。

 

ここを行くということは大方の人が目指す平ヶ岳を狙っているのだろうとそう思い、追いついて声を掛けてみると、それはとんでもない人でした。

 

名前は聞かなかったが「等高線の狭間から」というホームページの作者であり、相当な藪山を歩いている方だということがわかりました。

 

朝日や飯豊、新潟県北部の山を中心に歩いてきた私にとって群馬県在住という彼とはホームグラウンドにしている山域はまったく異なるものでしたが、話をすれば同志などど言うとおこがましいのですが、相通じるものを感じ取ることは簡単に出来ます。

 

私はあくまで単独行者であり、山では挨拶程度こそするものの、人と多く話をすることなどそうありません。

 

そんな私ですが、自然と話が弾みながら赤倉岳方面に向かう彼とはススヶ峰手前まで同行させていただきました。

 

 

 

大きな、まるでグランドの様な広さのある山頂のススヶ峰を過ぎ、平ヶ岳に向かって進みますが、尾根は相変わらず広く、その尾根上にうねうねとした雪庇が形成されていて、その雪庇の隙間を縫って進みながら平ヶ岳と大白沢山分岐に到着しました。

 

どこまでも白く広がりを見せる尾根上には針葉樹が点在し、まるで日本庭園の中を歩いているような感覚です。

 

そんな自然が造り上げた日本庭園は平ヶ岳まで続いておりました。

 

 

 

平ヶ岳山頂に着くとこれから目指す大水上山が遠く小さく見えます。

 

平ヶ岳は銀山平の奥まったところに位置しており、長年人知れず聳えていた山だったそうで、戦後にようやく発見された山なのだそうです。

 

いよいよここから先は私にとって未知の世界、いくら多くの人たちに歩かれているところとはいえ気持ちは不安と期待でいっぱいです。

 

 

 

そして平ヶ岳を過ぎるとすぐに尾瀬様式の日本庭園の尾根は終わりを告げ、釼ヶ倉山の登りではナイフエッジの尾根に雪庇、そこに岩場と藪がミックスした緊張感のある尾根へと一気に変貌してしまいました。

 

不安定なナイフエッジ状の雪庇を恐る恐る通過し、岩場に降り立つときにアイゼンを着用したままジャンプをすると思いっきり足首を捻ってしまい、痛みでしばらく動くことができませんでした。

 

痛む足で残りのナイフエッジと笹薮を通過し、何とか釼ヶ倉山山頂に立つと左側から大水上山方面へと向かうトレースがありました。

 

それにしてもこの釼ヶ倉山は名前が示す通り鋭鋒で、岩場まであったことはまったくの予想外でした。

 

 

 

釼ヶ倉山からこれから辿る尾根を眺めると結構藪が出ていて、特に、滝ヶ倉山とにせ藤原山にかけては苦労しそうです。

 

幕営地としては滝ヶ倉山から先はしばらく適地がなさそうなので、藪が出るぎりぎりまで行って、そこで幕営しようと決め、進みました。

 

釼ヶ倉山を下りきったあたりでテントが一張りあり、山頂にあったトレースの主のもののようでありました。

 

私は挨拶も早々にそこを通過し、予定していた滝ヶ倉山手前で幕営、本日の行動を終了しました。

 

テントを張り、落ち着くと釼ヶ倉山の岩場で捻挫した足首が腫れて熱を持っています。

 

少々痛みますが何とかなるだろうと思いました。

 

それから左足の踵が靴擦れを起こしていてヒリヒリと痛みます。

 

今回、着用した登山靴は私を二度も厳冬期の北俣岳に連れて行ってくれた最高に足に馴染んでいる、言わば勝負用の登山靴です。

 

私の足が変わったのか、登山靴が変わったのか、この先靴擦れが悪化しないことを祈りながら、寝袋へと潜りこみました。

 

夜は静かで暖かく、ひと時の安息の時間を過ごすことができました。

 

 

 

5月4日

 

滝ヶ倉山手前幕営地~滝ヶ倉山~にせ藤原山~藤原山~大水上山~丹後山~越後沢山~本谷山

 

 

 

朝は4時起床と決めていましたが、目を覚ますと4時45分。

 

今日はいつもの寝坊癖からのスタートとなりました。

 

とにかくできる限り遠くへ進みたい、そう思って急いで朝食を済ませますが、やはりテント泊だとどうしても出発まで2時間近くかかるものです。

 

6時30分過ぎに何とか出発をし、滝ヶ倉山手前から始まる藪に身を投じました。

 

笹薮の中に時折灌木が現れ、行く手を阻みますが概ね薄い踏み跡があって大藪というわけではなかったです。

 

そしてまったく難しくない岩場を通過して滝ヶ倉山山頂に到着しました。

 

山頂は小広く気持ちの良いところで、急いでいるもののついつい休憩をしてしまいました。

 

それからも藪と雪原歩きを交互に交えながら黒々としたにせ藤原山を越え、それとは対象的に白く光る藤原山へと着きました。

 

なんの変哲もない丸い山頂は雪で覆われており、ここから先はしばらく雪原歩きとなりそうに見えました。

 

ところが大水上山の登り手前から再び藪歩きが混じるようになり、いやらしい岩場や滑る急な笹の坂道を越えて、結構苦労しながら大水上山へと到着しました。

 

大水上山は利根川の源流ということからから群馬県側では大利根岳と呼ばれていたそうです。

 

また中之俣山とも称したらしく、これは上岩越三国境の峰であったというところからきているそうですし、三国川もここが水源と言う意味で命名されたとのことです。

 

そしてここから僅かな区間登山道の有る尾根を歩いて丹後山に向かいますが、登山道はところどころ露出しているものの、半分以上は雪で埋まっておりました。

 

丹後山は平坦な高い山と言う意味だそうで、坦高山が丹後山になったという説があります。

 

そして丹後山を過ぎると、いよいよこの山行の核心部へと入っていきます。

 

目の前には大きな越後沢山が聳え、その先に本谷山、下津川山と小沢岳が見事な山容で堂々と聳え立っております。

 

丹後山から巻機山までの区間はこの山域で最も登り応えがあり、そして見応えのあるところであろうと思います、こんな晴天に恵まれながらここを通過できるのは登山者冥利に尽き、幸せいっぱいの気分でまずは最初の難敵、越後沢山へと向かいました。

 

丹後山の広い尾根は越後沢山山頂まで続き、雪原歩きのまま登頂となりましたが最後の登りは長大で、なかなか簡単に登頂させてはくれませんでした。

 

私は夏に丹後山から越後沢山を目指したことがありますが、背丈まである笹薮に灌木と蔦が混り、とても歩けたものではありませんでした。

 

結局、その時は途中で敗退したのですが、今日はたっぷりと雪が付いていて助かりました。

 

越後沢山のどっしりとした山容は見事であり、その山頂からの眺めも秀逸で、登山道が無い山ではありますが名山と言わざるを得ない山だと思います。

 

山名は越後沢という名がついているものの、これは群馬県側の沢筋から取られた山名となっております。

 

 

 

山頂から先は急な斜面を下りますが、越後沢山の本谷山側は急峻な岩場を形成しており、こちら側からも無積雪期に訪れることはとても困難なように思いました。

 

 

 

次なるピーク、本谷山へも比較的安心できる雪野原となっておりますが、上り下りは激しく体力的には結構消耗する所でありました。

 

 

 

本谷山に着く頃には時刻は4時30分をまわっていて、そろそろ幕営地を探さなければなりません。

 

広い幕営適地はあるにはあるのですが、今日は珍しく南風が強くてどこでもテントが設営できるというわけにはいきませんでした。

 

本谷山山頂からしばらく下ったところに猫の額くらいの狭いところが笹に囲まれていて風が当たらず、そこを整地して幕営しました。

 

テン場から少し離れると強風が吹いているようでしたが、ここはなかなか快適で、これまたゆっくりと休むことできました。

 

ただ捻挫した足首は相変わらず痛み、靴擦れの左足はかなり悪化していて、激しく痛むようになっておりました。

 

さらに右足の踵まで靴擦れが生じており、明日以降は痛む足を騙し騙し進んでいくしか術はないと思っておりました。

 

 

 

5月5日

 

本谷山~下津川山~小沢岳~三ツ石山~巻機山手間1834.6m峰

 

 

できれば今日は巻機山まで抜けたい、そうでなければ3泊で帰れない。

 

気持ちは逸るものの目の前には、今回の最大の山場である下津川山が立ちはだかり、その神々しい鋭鋒を眺めていると憧れと尊厳の念が沸々と心の中で湧き上がってきます。

 

確かに私は下津川山へは秋に本谷山から一度登頂を果たしています、しかしそれにもかかわらず私の心はまるで初めて訪れるような大きな期待と不安に駆られておりました。

 

それだけ私の中で下津川山はこの山域でメインの山なのであったことと思います。

 

 

 

本谷山からはほとんど雪が解け落ちていて秋に歩いた時と変わらないくらい尾根は藪となっており、これでは残雪期に来ても秋にきても変わりないと思いながら進みました。

 

非常に苦労してボロボロに疲れながら登頂し、日没に間に合わずやっとの思いで生還した秋の日の山行を思い出します。

 

そして今日もあの時とまったく変わらず、再びボロボロになって下津川山の山頂へ立つことが出来ました。

 

下津川山は新潟県側の三国側の支流の沢筋からきた山名となっており、津とは船着き場のことを言うのだそうで、下津川流域には木材等を運び出すための船着き場があったものなのではないかと思われます。

 

 

 

この一番のメインである山の頂に立った喜びをじっくりと味わいたかったのですが、何しろ今日は巻機山まで行くことが目標です、ゆっくりしていることができず早々に山頂をあとにし、下津川山よりもさらに大きく聳える小沢岳へと歩を進めました。

 

 

 

苦労して藪を越えてやっと登頂した下津川山でしたが、その裏側がもっと悪かった。

 

とんでもない痩せ尾根に針葉樹林の灌木藪が酷く「これじゃあ今日中に巻機山に着かない」と泣きながら小沢岳を目指しました。

 

下津川山から小沢岳間は、距離は短いのですが一番苦労させられたように思います、特に中間にある小突起の通過は大変でした。

 

それでも山頂手前の鞍部まで来るとようやく雪原歩きとなって長い登りではありましたが、下津川山より空に向かってほんの少しだけ飛び出しているその山頂に立ちました。

 

 

 

新日本山嶽誌で小沢岳は植生に乏しく面白くない山頂とされていますが、そんなことはまったくなく下津川山にまったく見劣りすることのない素晴らしい山容と景観は、下津川山と並んでこのルート最大の見どころ、登りどころの山であると思いました。

 

 

 

越後沢山、本谷山、下津川山、小沢岳と続くこの四つの峰はそれぞれが強烈な個性を放っており、この奥利根源流域に神秘的に聳える名峰と言っても過言ではないように思います。

 

ただひとつだけ本谷山に登山道が整備されてしまったことが残念でなりません。

 

できるものなら秘境といった佇まいを留めておいてほしいところでありました。

 

 

 

小沢岳からは大きく下り、藪と雪原を交互に歩きながら三ツ石岳へと至ります。

 

三ツ石岳は標高が低いうえいくつかある突起のひとつでしかなく、あまり目立った山ではありません。

 

振り返ると大きな小沢岳や下津川山が聳え、向かう先は巻機山の峰々が大きなうねりを見せています。

 

これらおおきな壁を眺めていると「これがなければ季節風は関東に抜け、新潟県は大雪にならずに済むのになあ」と恨めしくさえ思えてきます。

 

「お前らのせいで新潟県民は大雪で苦しんでいるんだ!」、疲れてくると文句のひとつふたつ、ついつい口から出てきてしまいます。

 

今まで尊厳の念を持って登らせてもらい、楽しませてもらった山に対して文句を言ってしまうのは、その時の私は随分と疲れていたようです。

 

 

 

さてそんな大雪被害をもたらす悪辣な峰々のうちのひとつ、巻機山が徐々に近づき「何とか今日中に辿り着けるかもしれない」そんな期待が高まってきました。

 

ところがです、目の前には黒々とした藪の急登、どうやって越えるか迷うようなナイフエッジが見え隠れし、三ツ石岳鞍部から巻機山山頂にかけては下津川山から小沢岳の区間と並んでこのルート中一番の難所となってしまいました。

 

あの穏やかで優しい山容の巻機山からは想像ができないほどの厳しい登りに今日は巻機山山頂を諦め、手前の1834.6m峰が幕営適地だったので時間的にも午後5時近くになっていたということもあり、今日はそこでテントを張ることにしました。

 

 

 

目標としていた巻機山へ辿り着くことが出来ず、また目の前には巻機山山頂に至る厳しい藪尾根が広がり、ボーッと地図を眺めながら少し放心状態になっておりました。

 

身体は疲れ果て、靴に擦れた足と捻挫の足首もかなり痛みが激しくなっています。

 

さらに追い打ちをかけるように、明日から天候は崩れるといった予報です。

 

巻機山に着くまで天候はもってほしいと願いながら、時々テントから顔を出して空を眺めながら夜を迎えました。

 

 

 

5月6日

 

1834.6m峰~巻機山牛ヶ岳~米子頭山~柄沢山~檜倉山~大烏帽子山

 

 

 

気になる空模様は大丈夫のようです、このまま降らないでくれればいいのだが・・・。

 

「とりあえず晴れているうちに巻機山まで行ってしまおう」朝が苦手の私でしたが泣く泣く早めに起床して早々に出発、大藪の登りも薄く踏み跡があり、高度感のある長いナイフエッジもトレースがあるので多少の緊張感はありましたが、結局テン場から1時間半ほどで牛ヶ岳へと到着することができました。

 

曇ってはいるものの景色を見渡すことが出来、朝日岳へと続く峰々も姿を露わにしています。

 

天気が悪ければ清水へ下山し、交通機関を利用して土合駅へ行くといったエスケープも可能ですが現時点で雨は降ってなく、視界も良好ということでこのまま朝日岳へと向かうことにしました。

 

巻機山と朝日岳の区間はそれほど厳しくないという情報は前々から入手しておりましたし、今回の山行中にすれ違った登山者からもそんな話を聞いておりました。

 

望みは薄いのですが、できれば今日は朝日岳を通過し日没に間に合わなくてもヘッデンを点けて下山してしまおうという目論みでおりました。

 

 

 

巻機山から朝日岳方面を見ると最初のピーク米子頭山の付近が少々痩せ気味で雪が付いてないように見えます。

 

今までの尾根と比べると藪と言い、高低差と言い、確かにかなり歩きやすくなっているような感じがします。

 

巻機山から一度大きく下り、それほど急では無いものの米子頭山まで長い登りが続きます。

 

やはり体は疲れ切っているのか思うような歩きが出来ず、山頂が遠く感じます。

 

時々、パラパラと雨が落ちてきますが雨具を着るほどではありません。

 

焦らずにゆっくりと米子頭山に着きましたが、山頂は三つあり、巻機山から見た景色と同じようにやはり尾根は痩せていて、そこには灌木の藪歩きが待っていました。

 

巻機山までは比較的に笹薮が中心でしたが、巻機山を過ぎると植生が変わり、ハイ松やブナといった灌木藪になるようです。

 

「これでは今日中の下山は難しくなってしまうなあ」そんなことを考えながらも希望は捨てずにおりました。

 

国土地理院発行の地形図には掲載されておりませんが、米子頭山の三つのピークにはそれぞれ名前が付けられているようで巻機山側から順に米子山、深沢山、井頭山とすべてが新潟県側の沢から山名がきているとのことです。

 

ちなみに米子とは清水集落の言葉でコゴメという山菜が多く自生しているというところから名付けられたのではないかとのことです。

 

 

 

米子頭山から柄沢山へ向けてまずは下ります、下りきったあたりを越後越路といい、おそらく清水と藤原を結ぶ道があったのではないかと思われます。

 

この最低鞍部付近は小池が点在し夏になると池の周りはニッコウキスゲで埋め尽くされると言います。

 

 

 

柄沢山までも緩いのですが長い登りが続きます、しかし柄沢山一帯はどこまでも雪原を歩くことが出来、短時間で距離を稼ぐことが出来る場所でした。

 

柄沢山は涸沢山が転化されたということは明らかで、中里集落より東方に入る沢は伏流水となって平素水が流れていないというところの源流の山と言うことで名付けられたとのことです。

 

巻機山と朝日岳のほぼ中央に鎮座する柄沢山ですが、残念なことに山頂に着く前あたりからガスに覆われ、視界が10m程度と登山道の無い山歩きには非常に不利な条件となってしまいました。

 

要するに先が見えないということはコース取りが非常に難しくなってしまいます、できる限り雪堤を歩きたいのですが先が見えず、どこまで進めばいいものか見当がつかなくなってしまい、また一度藪に入ってしまうと、再び雪堤に降り立つ場所が分からなくなってしまい、いつまでも藪の中を彷徨い続け、結果的に非常に効率の悪いコース取りとなってしまいます。

 

もちろんこれは地図やGPSでは分かろうはずがありません。

 

 

 

また広い尾根に出くわした場合は方向が分からなくなってしまうので非常に危険です、雪上には薄いトレースが付いているもののよく注意をしないと分からなくなってしまう程度のものです、もちろん藪に入ればトレースはありません。

 

コンパスを多用して進むほどですと時間ばかりがかかってしまいますし・・・。

 

 

 

そんな濃いガスの中、藪と雪堤を交互に繰り返しながら盲目の行進は続きました。

 

特に檜倉山の手前鞍部は痩せ尾根となり、灌木の藪漕ぎが長く続きました。

 

この鞍部は檜倉越路と言われているところで、以前は熊狩り道があったとのことです。

 

 

 

檜倉山山頂手前から藪は終わって尾根は広がるようになり、濃いガスのせいで方向が分からなくなってしまいそうになりました。

 

檜倉山頂は広く草原状を成していると思われますが、今回は雪で埋め尽くされています。

 

草原の中にある檜倉の大池も雪で埋まり見ることはできませんでしたが、夏になると大烏帽子岳と朝日岳の姿を湖面に写し、池の周りは花で囲まれるオアシスになるとのことです。

 

檜倉とは山頂西側に岸壁があり、そこに檜の巨樹があるところから名付けられたそうです。

 

 

 

そして檜倉山山頂を過ぎるとまたすぐに藪となり、それが大烏帽子山の鞍部まで続きました。

 

檜倉山は山頂付近だけ広くて、前後は最悪の藪となっており、今日中に下山したいといった私の微かな願いも、この檜倉山前後の藪によってすべてが打ち砕かれた格好になってしまいました。

 

 

 

大烏帽子山へ登る頃からようやくガスが切れ始め、時々でしたが景色も見えるようになってきました。

 

今日中の下山は諦めざるを得なくなってしまいましたが、せめて朝日岳に行っておきたいと考えながら大烏帽子山に向かって登るのですが、疲れ果てた身体と限界に近い足の痛みは私の心を萎えさせます。

 

背負っている荷物は食料と共に日に日に軽くなっていくのとは逆に、どんどん重さを感じるようになっていきます。

 

喘ぎながら大烏帽子山山頂に着くと、ガスの切れ間から朝日岳が大きく目の前に現れました。

 

大烏帽子山は元々は群馬県側の呼び名だったそうで、国土地理院の5万分の一地形図に間違ってここを朝日岳と印刷され大変に問題なったことがあるのだそうです、新潟県側は以前ここを越後朝日岳、あるいは朝日の一本松と呼んでいたそうで、それが間違いの原因だったのかもしれません。

 

結局、小暮理太郎氏によってここを群馬県側の呼称である大烏帽子山とする案が出され、岳会に承認され事なきを得たとのことでした。

 

 

 

息も絶え絶えようやく大烏帽子山の長い登りを終えた私でしたが、この時点で疲れと足の痛みは限界に達しており、動きたくなくなってしまっておりました。

 

大烏帽子山の山頂は岩峰となっていて随分と狭いところでしたが群馬県側に斜めではありましたが雪原があり、もうこれ以上先に進みたくなかったのであまり良い幕営地とは言えませんが無理してここを整地し、何とかテントを張りました。

 

「あと一晩過ごせばそれでいい」どんな形でもいいからとにかくただただ今日の夜を無事にやり過ごそうといった気持ちで夜を迎えました。

 

夜は強い風が吹きましたが、意外にもよく休むことが出来た様に思います。

 

それから天気が回復傾向にあったことで心に少しだけ余裕ができたようにも思います。

 

もしこれが明日も悪天模様だったら精神的に厳しかったかもしれません。

 

 

 

5月7日

 

大烏帽子山~朝日岳~土合

 

 

 

目が覚めてすぐにテントから顔を出すと、昨日とは打って変わってどこまでも見える山並み、今まで歩いてきた山々が朝日で赤く色づいており、朝日岳はその名の通り朝日に輝いてその重厚な姿に圧倒されます。

 

朝日岳の山名も群馬県側の呼称だったらしく、群馬県側から見るとこの山に最初に朝日が当たるところから名付けられた山名とのことです。

 

 

 

風は相変わらず強いものの素晴らしい景色に「昨日、泊まらなければこの景色は見れなかった、泊まって良かった」とつくづく思いました。

 

疲れ果て、昨日の下山を切望していた私でしたが、我ながらやはり山が好きなんですね、神々しく光り輝く峰々を見て帰りたくなくなり、疲れも緩和されていきました。

 

 

 

さて今日はこれから朝日岳まで登ったら、あとは一般登山道を下るだけです。

 

泣いても笑っても今日が最後、テントを撤収しながら道具ひとつひとつに感謝しました。

 

今回持参した登山道具のお蔭でここまで来ることが出来たわけで、すべてが命の恩人です。

 

気になっていた足の痛みも靴を履くときに激痛が走りましたが、何とか今日一日もちそうです。

 

苦しい時もありましたが楽しかった長い山旅、山を下りるとまたいつもの生活が待っています。

 

長い山行が終わろうとするときに人間社会に戻りたくなくなるのはいつものことです

 

しかしこのままいつまでも山に留まっているわけにはいきません、ゆっくり景色を眺めながら大烏帽子山を後にし、登山道並みに付いている踏み跡と雪原を歩いて、最後は朝日岳の長い登りに苦労しながら、ジャンクションピークの登山道と合流し、そして朝日岳の山頂へ。

 

雲の隙間から谷川連峰に「完登おめでとう」と声を掛けられながら無事に土合へと下山することが出来ました。

 

  

 

下山後に鏡を見ると確かに日焼けして黒くなった顔がそこにはありましたが、自然の不思議と言うか、あるいは脅威とでも言えばいいものか、なんと普段は禿げあがった私の前頭葉に僅かではありますが毛髪が生えているではありませんか!

 

これは以前にも経験し、このHPでも書いたことがありますが、長期間山に入っていると何故だか髪の毛が生えてきます、やがて髪の毛は異常に増えジャーニーズ系のような髪型にしたり、時にはミュージシャンのように長髪にすることもできるといった夢のような出来事が山では起こってしまいます。

 

しかし残念なことに下山を始めると共に髪の毛は抜け落ち、登山口に着く頃にはすっかり元通りになってしまいます。

 

この不思議な現象はおそらく自然界の中にいると直射日光などから頭部を守るために体のなかにある自衛意識が目覚め、そのようなことになるのではないかと思っております。

 

しかし今回は下山後に鏡を見たのにもかかかわらず毛髪が生えていたということは、もしかするとこのまま増毛していくのではないかと期待している次第であります。

 

また、このことは世の中のハゲた方には朗報であり、ハゲの皆さんも是非そんな増毛を促進する登山にトライしてみたらいいのではないかと思いました。

 

 

 

それから関係があるのかどうかは不明ですが、私は今回の山行でずっとパンダ柄の手ぬぐいを頭に巻いておりました。

 

しかし強く照りつける日差しはパンダ柄を私の頭頂部に写し込んで日焼け跡を作るはずです。

 

下山後は翌日からすぐに仕事ですので、さすがに頭頂部にパンダ模様をつけて出勤するのは恥ずかしい限りとなってしまうので、途中から手ぬぐいを外して歩くように心がけました。

 

ちょうど手ぬぐいを外している時に背丈まである笹薮を漕いで進んだ区間がありましたが、笹の葉には猿らしき動物の糞が落ちており、一応避けながら歩いたので大丈夫だと思ったのですが、もしかするとその時に頭に猿の糞が付いてしまい、それが肥料となって頭皮に栄養を与え、下山してからも少しではありましたが頭髪の絶滅を防いだのかもしれません。

 

 

 

さて今回歩いた利根川源流の峰々は、巻機山以外は山岳信仰などの歴史は見当たらず、山名もほとんどが沢からきております。

 

それだけ麓の住民にとって遠くに聳え、目立たない峰々であろうと思われますが、何と言ってもここは奥利根源流の峰々として、関東圏に水をもたらす水源として重要な役割を果たしている山域であろうと思いますし、ほとんどの山名が沢からきていることを考えても、それを窺い知ることが出来ます。

 

水なしでは人が生きていくことはできません、関東圏をはじめとした生活用水を山麓の人たちにもたらしてくれるこの峰々は、ある意味山岳信仰などで崇められている山以上に、人々にとっては重要な命の山なのではないかと考えながら、今回は歩いてみました。

 

 

 

それから尾根の全体の様子として、今年は残雪が多く歩きやすいのではないかと思われましたが、連休直前頃から急激に高温の日が続き、おそらく尾根の痩せた箇所は一気に雪が解け落ちたものと思われます。

 

結果的に広い尾根に関しては例年より多くの残雪が残っていたのでしょうけれど、痩せ尾根の部分は藪が多く出ていて、意外と悪条件となっており、踏破には思った以上に時間がかかってしまったように思います。

 

ただ当初は3泊で予定していたこの山行は結果的に4泊となりましたが、本来は4泊でも強行日程であり、しっかりとした計画を立てるのであれば5泊で予定すべきであり、もし天候等が許すことなら5泊してゆっくりと景色を見ながら歩くべきところであると、すべてを歩き通して感じました。

 

 

 

冒頭で書いた残雪を利用すれば特段難しくなく天気さえよければ簡単に歩けるところ、といった懸念に関してですが、確かに登山道の無いところにもかかわらず比較的入山者は多いと思います。

 

入山者が多いということはそれだけデーターが集まりやすく、トレースなどもあって歩きやすくなりがちであります。

 

 

 

私の経験上、小さな山の方が尾根も小さくなり痩せ細り、藪も出やすくなり、尾根の派生分岐が複雑かつ細々としていてルートが分かりにくい傾向にあるものと感じております。

 

また小さな山ほど無名になりがちで、そうなると当然記録もなくなり、不安感と言ったことも高まり、精神的にも疲れるものであろうと思います。

 

そんなことからも私自身、今回は随分と気楽に入山しましたし、ほぼ不安無く踏破をすることが出来ました。

 

ただし、足のトラブルについては計算外でしたが・・・。

 

 

 

確かに今回訪れたところは、未知なる峰々に強い不安や恐怖を覚えながら苦労して踏破した時に比べたら達成感は小さいような気がします。

 

しかし延々と続く2千メートル前後の峰々を数日間にわたって歩き通したわけであり、高峰の雰囲気やダイナミックな景観などといった満足感は小さな山の比ではないと思いました。

 

それになんといってもあの長大さは半端ではなく、しかも要所要所に名山の通過があり、これほどの峰々を歩ける機会にはなかなか恵まれないものであると思います。

 

いつか歩きたいと思っていたこのコース、まともなら数年かかるところですが、今回歩き通すことができたことで長年の思いが叶えられ、私自身「これで気が済んだ」という思いが込み上げてきた山行となりました。

 

 

 

それともうひとつ、そもそも連休中は山に居ることができたということで余計なお金を使わずに済んで非常に良かったです。

 

 

 

コースタイム

 

5月3日

 

鳩待峠 6時間15分 平ヶ岳 4時間 滝ヶ倉山手前幕営地

 

 

 

5月4日

 

幕営地 5時間30分 大水上山 1時間 丹後山 2時間30分 越後沢山 2時間 本谷山

 

 

 

5月5日 

 

本谷山 3時間 下津川山 2時間 小沢岳 2時間30分 三ツ石岳 2時間30分 1834.6m峰

 

 

 

5月6日

 

1834.6m峰 2時間 牛ヶ岳 8時間 大烏帽子岳

 

 

 

5月7日

 

大烏帽子山 1時間30分 朝日岳 4時間 土合