平成30年3月30日~4月1日
日本平~五兵衛小屋~中の又山~毛無山
今年は3月だというのに気温が25度近くまで上がり、大雪が降ったにもかかわらずようやく山に訪れた春の装いは加速する一方となっております。
大谷ダムから先、まだ積雪の多いところは1mほどもある冬期閉鎖の国道を、暑い陽射しに汗を拭き拭き歩いていると、時折五十嵐川に沿って吹いてくる風が心地よく感じられます。
雪代で灰色に濁った五十嵐川を眼下に見下ろしながらせっせとカワクルミ沢目指して歩を進め、足首まで埋まる雪に辟易しながら2時間近くもかかってカワクルミ沢手前の雨量観測所へと到着しました。
左側上部に設置されている雨量観測所の建物は普通に歩いていると見つけることができません。
この雨量観測所の脇から本来はカワクルミ沢に沿って道が確認できるのですが、さすがに3月では雪に埋もれて道はまったく見えません。
川から離れすぎない程度に何となく尾根上を進んでいると右側に急斜面が現れますが、斜面は登らず右側から小沢が現れるのでその小沢に沿って進んで、ほどなく小沢を渡るとカワクルミ沢に下降する場所へと辿り着きます。
カワクルミ沢も雪代でかなりの水量となっておりましたが、何とか渡り切ってからすぐ正面の斜面を登ります。
この辺りにも道が付いているのですが非常に分かりにくく、本来であれば渡渉した後に目の前の尾根を乗り越えてしばらくカワクルミ沢に沿って上流に向かう道が付いているのですが、以前に歩いた時はあまり良いルートとは思えないと感じました。
そこで今回は渡渉後、すぐに目の前の斜面を登り、しばらくしてから適当に歩いやすいところを左にトラバースし、小さな沢を越えて日本平に向かう尾根に取付きました。
おそらく初めての人はここまでは非常に分かりにくいだろうと思います、できれば国道が木の芽橋まで開通したのを見計らってから入山した方が良さそうに思います。
日本平までそれほど距離はないのですが、思ったようになかなか進めません。
尾根にはしっかりと踏み跡があるのですが、結構うるさい藪と化しておりました。
やがて広い平原に出ますが、ここからもしばらく登り続け疲れを感じ始めた頃にようやく日本平山頂へと着くことができました。
日本平から遥か先に目指す五兵衛小屋から中の又山が見え、左には毛無山が矢筈岳の前に立ちはだかるように屹立しているのが見え、そのあまりの遠さに気も遠くなってしまいます。
まずは最初の五兵衛小屋を目指しますが、日本平から先は痩せ尾根の連続で上り下りを繰り返します。
以前に使われていた鉱山道が比較的明瞭な踏み跡として残っているので、本来のところそれほど苦労することはないのですが、今回の山行では雪の状態が非常に悪く、中途半端に残った残雪が雪庇やクレバス、痩せ尾根の上にナイフリッジを築いているようなところが多く有り、恐々と進まなければなりませんでした。
やがて870m峰の右側をまいて通過するとようやく少しだけ尾根が開け、雪堤を拾って歩けるようになりました。
そして最後は急斜面を登り切って、五兵衛小屋という変な名前の山頂へと出ることができました。
ここは以前に只見と笠堀を往来するための峠道があって小屋が建てられていたとのことですが、この細長い山頂のどこに小屋が建てられていたのでしょうか?
陽射しが暑くて日焼け止めをここで塗ります、ついでに唇も乾燥するのでリップクリームを出そうとザックの奥に手を入れると印鑑が出てきました。
最近、慣れ合いになるに従い山行の準備が疎かになり忘れ物もしがちになってしまっています。
今回はパッキングするときに暗いところでやっていたので形が似ているリップクリームと印鑑を間違って持ってきていたようでしたが、印鑑は山であまり役にたたないような気がします。
気を取り直して中の又山に向かうと、しばらくの区間は雪原を歩くことができますが上り下りを繰り返すのみで高度はさっぱり上がりません。
やがて岩場が現れ、ここから岩場に付いた不安定な雪のおかげでしばらくの区間、大変に苦労して通過させられました。
そして右から尾根が合流するあたりから悠々雪原歩きとなり、長い斜面を登りきると中の又山の丸い山頂へと辿り着きました。
ガキガキと細く折れ曲がった尾根と急峻な谷に囲まれた川内の山々の中で、丸くどっしりとした山容は異彩を放っております。
中の又山は蒲生川と叶津川を分ける山として名付けられた山名だそうですが、越後の山旅の中では平凡な山名として記載されております。
また、この中の又山は川筋ばかりでなく、只見と川内の山々の分岐点に聳えている山であろうかと思います。
今日は少し早いが明日に備えて行動を切り上げ、ここで幕営することにしました。
日中は暖かいのですがさすがにまだ3月の山は日没とともに冷え込みが激しくなります。
夜中は寒さで目が覚め、テントから顔を出すと月明かりに照らし出された川内の峰々が星空の下で煌々と輝いており、夜中だというのにヘッデンが不要なほどでした。
翌朝はテントの中で水筒の水が凍っており、どうりで寒かったわけです。
寒さでよく眠れなかったものの何とか起床して外に出ると、夜明け前の空は星が輝き、雲一つない晴天に気がはやります。
今日はいよいよ毛無山を往復する日です、早朝から準備を始め、明るくなると同時に歩き始めました。
歩き始めると朝日が昇り、左手に荒々しく聳える光明山が照らし出されております。
朝日のあたる光明山は木食上人が修行をした御来光信仰の山だとされております。
尾根は複雑に入り組んでいて、この先の様子を見てとることが困難です。
中の又山付近では広かった尾根はすぐに細くなり1040m峰で右に折れたあたりから難所が続くようになりました。
裏の山といったこれまた非常に平凡すぎる名前の山との分岐まで難所は続き、踏み跡もかなり薄くなっておりました。
分岐を過ぎるとようやく雪堤を拾えるようになり、毛無山がどんどん近づいてくるようになります。
やがて最後の急登にさしかかると、踏み跡はいくらか明瞭になりましたが何しろ岩場の急登の連続で、山頂直下まで来ているというのになかなか毛無山に辿り着くことができません。
ようやく山頂というところまで来ても、最後はオーバーハングした大きな雪庇が邪魔をして乗り越えることができず山頂に出ることができません。
急な斜面を灌木にしがみつきながら左方向にしばらくへつると雪庇が低くなり、ピッケルでステップを刻んでようやく乗り越えることができ、そして乗り越えたと同時に山頂に立つことができました。
丸くて広い山頂は木が無く、360度の大展望となっております。
目の前には川内の盟主、矢筈岳が近くに聳え、その傍らに青里岳の姿も近くに望めます。
そして御神楽岳と春の霞の奥には飯豊連峰が白く聳えております。
北に目を向けると粟ヶ岳と三条市街地、西は守門岳と浅草岳が立派な雄姿を見せ、番屋山の急峻な岩壁と異様な形で聳える烏帽子山の姿も確認できます。
この毛無山は秘境といわれる川内の山々の中では裏の山と並んで最奥に位置する山だと思います。
川内の盟主が矢筈岳とすれば、この毛無山はもっとも訪れることが困難な秘境中の秘境に聳える山であると思いました。
それにしても毛無山といった山名はなんて素敵な名前なのでしょう。
毛無という名の付く山は山名辞典を見ると日本全国に36座もありましたが、毛無と言っても実際には木の無い「木無」というのが本当のところでしょう。
世界山岳百科辞典によると「立木の無い禿山をケナシというのは禿頭を連想したばかりではなく、樹木が大地の毛であるという観念から出ている。」と書かれております。
この川内に聳える毛無山は、山頂が丸みを帯びており、頂稜部は雪を湛えて白く光っております。
そして周囲は灌木に覆われており、まるで本当に人の禿頭のように見えます。
前頭葉と頭頂部が雪に覆われた部分、側頭葉と後頭部が灌木帯といった次第です。
雪で白く輝く山頂はワックスで磨かれた禿頭を連想してしまいますが、できることならそこに黄砂でも降り注ぎ、雪が肌色にでもなると見事に人と同じになると思います。
私自身、果たしてこの山を訪れて良かったものか?
やはり私にとって毛無山は縁起の悪い山なのかもしれません。
その証拠に、あれほど何度も日焼け止めを塗ったにもかかわらず、それがまったく効かなかったようで頭の部分が日焼けして皮が剥け、下山後に鏡を見ると益々禿が進み、毛無の部分が多くなったように感じた次第です。
そういえば上越には大毛無山というワンランク上の山名の山があります、残念ながら大毛無山はロッテアライリゾートスキー場として開発されているところなので、登山として私がそこを訪れることはないと思いますが、仮にもし私がそこに行ったらどうなるのだろう?
そんなことを考えながら中の又山まで戻り、まだ昼前ということもあってテントを回収し、五兵衛小屋手前でもう一泊して、下山してきました。
コースタイム
1日目 大谷ダム 1時間50分 カワクルミ沢 2時間30分 日本平 2時間 五兵衛小屋 3時間 中の又山
2日目 中の又山 3時間10分 毛無山 3時間 中の又山 2時間30分 五兵衛小屋手前ピーク
3日目 五兵衛小屋手前ピーク 4時間 カワクルミ沢 1時間45分 大谷ダム