平成29年4月22日~23日

 

川内山塊 中の又山

 

 

 

川内山塊と言えば知る人ぞ知る秘境地帯であり、矢筈岳を中心としたその山域は日本全国から多くの登山者に興味を惹かれ、憧れられ、そして訪れられているところです。

 

秘境と銘打たれて一躍有名になった川内山塊ですが、近年は入山者で溢れかえっており、私としてはどことなく遠ざかってしまっておりました。

 

なんだか残雪期に矢筈岳を訪れることはもはやミーハーな登山者のように思えて仕方ないように感じてしまっていたからのように思えます。

 

 

 

川内山塊と言えば秘境と云われるだけあって、本来は簡単に登山者を寄せつけなかったところだったように思います。

 

辿る尾根も痩せた岩尾根が連続し、息をつく暇もないほど緊張を強いられ続けながらようやく目的地へ辿り着く、そんなイメージが私にはあったのですが・・・。

 

それも今となってはもはや秘境と云う名のもとにおけるかくれたメジャーな山域へと変貌を遂げてしまったといったイメージへと私の中では変わってしまっておりました。

 

 

 

さてそんな川内山塊ですが久しぶりに訪れる気になったのは、私は今まで新潟県の北部の山々ばかり登っていましたが、少しずつ年齢からくる体力の衰えを感じるようになり、厳しい山行はあと何年できるのか分からないと考えるようになりました。

 

そこで今のうちにいろいろな方面の山に登っておきたいと思うようになり、いくらメジャーになったとはいえ山の厳しさ、難しさは健在であろうと考え、今回はその川内の山に訪れることにしました。

 

川内山塊のシンボル的存在である矢筈岳は何度か登っているので、いわゆる大通りから少し外れたところにある中の又山へと足を運んでみることにしました。

 

この中の又山は日本山岳会越後支部初代会長の藤島玄氏の著書である越後の山旅にも紹介されていて、特に越後の山旅を愛読されている方たちには興味を持たれているようで、結構人気のある山のようです。

 

ただ残念なことにこの越後の山旅は、現在は絶版になっていて手に入れることが非常に難しくなっております。

 

内容的には新潟県の名だたる山々が網羅されていて、山行の紀行以外にも山にまつわる興味深いことが多く書かれていて、私も非常に面白く読ませてもらっています。

 

まだ読んだことのない方のためにも是非とも増刷出版してほしいものです。

 

 

車道は道路が開通してもカワクルミ沢の橋までしか行けないのですが、今年は雪解けが遅れていて4月後半だというのに大谷ダムまでしか開通していませんでした。

 

今にも降り出しそうな空模様の中、車道脇のまるまる太ったおびただしい蕗の薹を横目に見ながら延々と続く車道を覚悟を決めて歩き始めるとすぐにポツポツと雨が落ちてきました。

 

今晩はかなり冷え込みが予想され、テント泊なので濡れるとやっかいなことになってしまいます。

 

雨で濡らすのは非常にもったいないのですが、ここは高価な雨具を着用せざるを得ませんでした。

 

長い車道歩きに辟易する頃、ようやくカワクルミ沢に到着。

 

左側上部にコンクリートの建物が見え、そこからカワクルミ沢沿いにつけられた踏み跡を辿って行きます。

 

積雪があるので踏み跡は注意しなければ見失ってしまいます、ところどころ赤布がぶら下がっていましたが、色盲の私にとってはまったくの無意味な物です。

 

何となく道と思えるところを進んでいくと15分ほどでカワクルミ沢本流の渡渉点へと辿り着きました。

 

そこからまた注意深くあたりを見回すと尾根上に向かってルートが見えてきます、踏み跡はその尾根を越えてカワクルミ沢上流に延びているようでした。

 

このまま踏み跡を辿るか迷いましたが、いちいち踏み跡を探って進むのも面倒と思い、そのまま雪渓を伝って最初のピークである日本平に向かって上へ上へと適当に登って行きました。

 

概ね踏み跡が付けられている尾根は見当がつきます、いずれその尾根に合流すればいいわけですから、ここは歩きやすいと思うところを登って適当な箇所からトラバースをしたりしながら踏み跡があると思われる尾根上へと辿り着くと、思った通り日本平手前あたりから登山道並みの道が現れました。

 

この道は鉱山道として切り開かれたそうで、中の又山手前まで付けられているそうです。

 

 

 

そして尾根は急に平坦になって日本平に着きます、雨もその頃には止んでいましたが景色は良く見えません。

 

ガスの中、方向を間違えないよう一応コンパスで確認してから五兵衛小屋と言う変な名前の山に向かって歩を進めました。

 

日本平からいよいよ川内の山域らしい岩尾根の急な登り下りが始まります。

 

ところどころ少々藪化はしているものの、はっきりとした踏み跡に導かれながら痩せた岩稜の尾根を慎重に辿り820m峰に到着、ここから先は川内の荒々しさは成りを潜め、雪渓を拾いながらの歩きやすい尾根になって、ほどなく細長い山頂の五兵衛小屋へ到着しました。

 

それにしても五兵衛小屋とは何なんだろうか?

 

この付近一帯は古い地図を見るとよく分かりますが、幾条もの踏み跡が地形図上に散見することができます。

 

五兵衛小屋にもかつては沢筋を伝って只見と笠堀を結ぶ峠道が通っていたそうです。

 

その頃にあたるのでしょうか?ここに五兵衛小屋という建物があったそうで、その小屋の名前がそのまま山頂になっているという珍しい名前のところです。

 

小屋の用途は何だったのでしょうか?ここは峠道以外にも鉱山道も通っていたわけですから峠の茶屋あるいは休憩所などが考えられますし、もしかしたらゼンマイ小屋だったのかもしれません。

 

詳しい資料は見つかりませんでしたが、いずれにしても五兵衛という名前の人の小屋だったことは間違いないようです。

 

 

 

五兵衛小屋からもそれほど通過に困難な場所はありませんでしたが、一ヶ所だけ垂直な岩場の通過があり、右側を巻いて何とか通ることが出来ました。

 

中の又山手前からは広く大きな尾根に変わり、まるで飯豊のバリエーションルートを歩いているようです。

 

時刻は午後2時を回ったあたりからようやく青空が見え始め、目の前には黒々とした鋭鋒の毛無山、その先に盟主矢筈岳や青里岳、そして川内の名山として名高い粟ヶ岳、背後には守門岳までもが見えるようになってきました。

 

川内山塊らしくない大きく広い山体の中の又山に到着し、そして振り返ると自分の歩いてきた足跡がどこまでも豆粒のように続いています。

 

自分一人だけしかいないこの秘境の中に身を置けば、ただただ幸せの時間だけが過ぎて行きます。

 

 

 

よく北俣とか西俣とか川筋が分岐するところにある山頂には“また”という名前が付けられていますが、この中の又は只見の蒲生川と叶津川を分ける山として名付けられたとのことで、越後の山旅の中では平凡な名前として紹介されています。

 

また、川筋ばかりでなく尾根も只見の県境と川内の核心部へと向かう三叉路に聳えている山で、川筋から見ても尾根筋から見ても分岐点の山のようであります。

 

 

 

時間はまだまだ早く、このまま毛無山まで行くつもりでしたが、束の間の青空も一転し、辺り一面はガスに覆われはじめてきました。

 

ちょっと時間は早かったのですが、無理はせず毛無山は次回のお楽しみにし、このまま中の又山山頂にテントを張って一夜を過ごすこととしました。

 

それにそもそも毛無山は私にとって非常に縁起の悪い山名の山でありますし・・・。

 

 

 

夜中にはテント周りの除雪を心配しなければならいほど強く雪がテントを叩きつけ、マイナス7度対応の寝袋も寒さを感じるほどの冷え込みで熟睡することはできませんでした。

 

朝方6時には雪は止んでいましたが辺りは濃いガスに覆われ、視界30mほどの中をゆっくりと下山を始めました。

 

10時を過ぎた頃から再び青空が広がり始め、今しがた歩いたばかりの雪上の熊の足跡を追いながら、下山は踏み跡を忠実に辿って無事にカワクルミ沢の橋へと戻りました。

 

 

 

そういえば以前、NHKスペシャルという番組で北海道の熊打ち猟師の放送を見たのを思い出しました。

 

その番組の中で猟師は「山では異質であってはならない、山と同化しなければならない」ということを話していたことが強く印象に残っています。

 

それは猟をするために獲物に気づかれないようにするためだけではなく、人が山に入るということは野生動物の領域に入るのだから「入らせてもらう」といった気持ちで入らなければならないと言っているように感じました。

 

 

 

私はここで改めて秘境と云われる川内の山々には気軽な登山気分で入山してはいけない、野生の領域に入らせてもらって、そして楽しませてもらう、下山後は無事を感謝して山行を締めくくらなければならない、いつも山に入る時は畏敬の念を持って接するようにしなければならないと思いました。

 

秘境で真新しい熊の足跡を見たお蔭で、そんな気持ちにさせられた山行となりました。

 

 

 

4月22日

 

大谷ダム駐車場 50分 木の根沢橋 50分 カワクルミ沢 2時間 日本平 1時間50分 五兵衛小屋 2時間40分 中の又山

 

4月23日

 

中の又山 2時間20分 五兵衛小屋 1時間45分 日本平 10分 日本平山頂 10分 日本平 1時間25分 カワクルミ沢 45分 木の根沢橋 50分 大谷ダム