12月のエブリ差岳
12月4日
「あー、また今日もだ・・・」飯豊のどこかでヘリの飛ぶ音が聞こえるたびにため息をつく。
近年、特に去年あたりから山岳事故が激増し飯豊でも遭難者がヘリで搬送されるなんてことを頻繁に目撃するようになりました。
今年などは7月から8月にかけて毎日のようにヘリが飛んでいたように思います。
遭難事故など昔は遠い別世界のことだと思っていたのに・・・。
私は今年、管理人としての他に工事人としても数日間門内小屋に常駐しました、それからちょっとした修理があったので御西小屋にも少々常駐し、管理人さんの手伝いをさせていただく機会が数日ほどありました。
そんな管理人業務中には多くの登山客と話をすることになるわけですが、遠方から来られた登山客の中に何も調べずに来られたような人が非常に多く見受けられました。
登山者の増加に伴い、登山者の質も明らかに以前と違ってきているようで、特に盛期になるとほとんどが新潟、山形、福島以外のいわゆる県外からの登山客が大半を占めるようになってきているわけであります。
遠くの山へ遠征する時の心得として、同じ登山をするにも地域によって勝手が随分と違うものですし、気象などもまったくといっていいほど違っているので、最低限でもその山のことを良く調べてから行かなければならないと思います。
そんな中で特に目立ったのは「飯豊は標識がない山だ、お蔭で道迷いをしたよ」という苦情でした。
その場合、私は必ず「地図を見ないのですか?」と聞きます。
そして「山に入るのであれば地図を見ることは最低限必要なことですよ」さらに「登山は自己責任です、標識に頼って歩くのではなく自分で山を見て、地図を見て良く考えて歩くことが本来の登山ではないのですか」と付け加えます。
このようなやりとりを訪れる登山者と毎日のようにしていたような気がします。
確かに飯豊や朝日は標識類が非常に少ないのかもしれませんが、自然の中に入るのですからそれは当たり前のことであって標識があってはかえって不自然だと、あくまで持論ですが私はそう思います
さて、いきなり冒頭から苦言のようなことを書いてしまいました。
今年は忙しさのあまりしばらく登山日記を書けずにいて、恒例の門内小屋の管理人日記も書けずじまいでありました。
おそらく今年最後になるであろう登山日記の中で管理人をしたときに気が付いたことを書こうと思ったらついつい苦言を呈するようなことばかりとなってしまいました。
ひとまずその話題から離れ、本題である12月のエブリ差岳山行日記に移ります。
今年はカメムシが多いと山沿い集落に住む人たちは口々に言います。
確かに今年は早くから寒い日が続いておりますが、12月に入っても晴れる日があれば何とかまだ飯豊クラスの高峰に登れそうな感じです。
この時期は登山道の無い山へ冒険に向かうにも非常に良い季節であり、そんな冒険登山はとても楽しいのですが、トレーニングといった観点からすると登山道の有る歩きやすいルートを馬鹿みたいに必死で登った方が足腰の鍛錬としてはそちらの方が良いようです。
私は正月に朝日連峰へ向かう予定にしているので、そのことで今は頭がいっぱいの状態になっており、あの凄まじいラッセルを克服するには体力を付けなければならずこの時期はトレーニング登山をしなければなりません。
ここ数年、毎年のことなのですが正月山行を前にして一夜漬け紛れの付け焼刃といった装飾を今年もまた施そうとしている次第です。
常日頃から努力していればこんなことにならないのでしょうけれど、年齢と共にどうしても楽な方へ楽な方へと向かうようになります。
以前と違い普段の登山では無駄に荷物を重くしなくなったし、必要以上にがむしゃらに歩くようなこともしなくなったことは自分でも十分にわかっておりました。
結果的に直前になってあわててトレーニングをすることになって、この時期の大好きな冒険登山もお預けとなっております。
12月の第1日曜日、天気予報は晴れのち曇り。
晴れる日などそうそうない新潟の冬もこの日は珍しく小春日和となりそうです。
こんな日は冒険登山にでも行きたいのですが、おそらく高峰に登れるのもこの日が今年最後になるのではないかということもあってトレーニング登山をするためにエブリ差岳に登って、そして今年最後の飯豊を見納めようと向かいました。
足の松尾根取付きは予想していた通り人っ子一人いなくて、雑誌やテレビなどで頻繁に紹介され年々高まる飯豊熱がまるで嘘だったかのように静まり返っております。
静かな山を楽しめるということで「この時期入山しやすい西俣ルートにしなくて正解だった」なんてことを考えながら雪の無い尾根を登り始めました。
見上げると上部はすっかり白くなっていて、高度が上がればどこかで雪上歩きになるということは覚悟の上でしたし、それに今日はトレーニングに来ているのですからラッセルは望むところです。
案の定、滝見場に着くとそれまで登山道上に無かった雪が急にここから白く登山道を覆い尽くしました。
そして水場手前あたりからは脛まで潜るようになり、たまらずここでワカンを装着しました。
水場からイチジ峰までのラッセルは大変でした、脛から膝にかけて潜り、今年初のラッセル歩行ということもあって大変に苦労をしてしまいました。
イチジ峰を過ぎるといくらか雪は締まるようになりラッセルは緩和され、西の峰からは再びツボ足歩行となりました。
そしてここから景色は激変し、厳しさと美しさが同居するあの冬の飯豊の景観をまざまざと見せつけられました。
乾いた風は冷たく頬を打ち、手はかじかんで痛いほどですが、それらを忘れてしまうほど自然が造り上げたあの凄まじい景観に私は見入っておりました。
確かに厳冬期に比べれば迫力はまだまだ小さなものですし、死の世界の美しさを連想するまでも至りません。
それでもあの景色には圧倒されました、あんなに寒くて冷たかったのにこのままこの美しい自然の中にずっと留まっていたいとさえ思いました。
厳冬期なら早く稜線を離れなければいつ自然の猛威に直面するか分かりません、しかし今はまだ死の世界を連想しなかったからなのか、おそらく安心感もあって留まりたい欲求に駆られたのであろうと思います。
稜線上は時折潜りながらワカンを着けようか迷い、あるいは時折クラストした地面にアイゼンを着けようか迷い、そうこうするうちに結局ツボ足のままエブリ差岳へと到着しました。
無積雪期であればここまで3時間もかからないで来ることができますが、今日は4時間半もかかりました。
決して早く登ることが優秀だとは思いません、いかに景色を楽しみ山を楽しむかが大事であり、時間など関係ありません、多くの楽しみを得ることができた人が優秀であると私は思います。
ただ今回はトレーニングの一環で登ったので楽しみより少し時間も気にしながら登ってみました。
今回の山行で確かにいくらか足腰は疲れましたが、それほどでもありません。
前述した付け焼刃といった虚飾も少しは効果があるようで、どうにかこうにか体裁を保つことができるようになりました。
ただ、たかだかこの程度の雪でエブリ差岳に登るのなら、本来であればまったく疲れずに登れるくらいにならなければなりません、まあもう少しのようですね。
正月山行はもっともっと厳しさが増すわけでありますから、このまま手薬煉を緩めることなくトレーニングに励み、万全の態勢で臨みたいと思います。
さてここから再び山小屋の話題に移ります。
先ほどは訪れる登山者について書きました、今度は管理人さんについて書きます。
10月に入るとそれぞれの山小屋は一斉に小屋仕舞を始めます。
私も門内小屋と頼母木小屋の小屋仕舞作業に参加してきましたが、厳しい飯豊の冬を無事に越えられるよう補強と戸締りを入念に行い、また傷んだ箇所の補修や小屋周辺の整理整頓、来年のための水場の整備など、実に皆さん良く働くものです。
一緒に作業をしていて、これからも気持ちよく山小屋を使えるよう管理人さんたちの気遣いがひしひしと伝わり、あの熱心さには頭が下がる一方でした。
そして小屋仕舞が終わると山もシーズンオフへと入り、管理人さんたちも一息つく時期となります。
11月には管理人さんたちの納会が実施され、数十名も集まった管理人さんたちと酒の席を共にし、そこでいろいろな話を聞かせていただきました。
それにしても彼らの飯豊に対する愛着は凄いものです。
山小屋の管理期間のうち7月と8月は常駐するということもあって管理人をしているほとんどの人は仕事を退職した年配の人ばかりなのですが、そんな彼らは若いころから飯豊に登り続け、飯豊の変遷を見続けてきた大ベテランばかりで、いわゆる飯豊の主のような方たちです。
山小屋や登山道を整備し、訪れる登山者が快適に過ごせるよう配慮するあの姿を見ていると「どうしてそこまでするのだろうか?」と思わされます。
「山は自然の中にあるのだから不便が当たり前」と思う私に彼らの至れり尽くせりの精神は到底理解することができないでおりました。
もちろん彼らにしても私と同様に飯豊は整備しすぎてはいけないといったような考えがあるようなのに・・・。
そりゃ確かに自分の庭先で遭難事故が起きるなんてことは気分の良いものではありませんが・・・。
ところがそんな理解できずにいたことも皆さんの仲間にいれて頂き、また納会でいろいろな話を聞いて彼らのことを良く知って、そこで何となく理解できたような気がしました。
私の様な若僧で不届き者が理解できたなどと言うと大変に生意気であると思いますが、敢えて言わせてもらうと、要するに彼らは本当に飯豊が大好きだということ、それがすべてであろうと思いました。
故郷に飯豊といった素晴らしい山があり、その懐に抱かれながら育ち、飯豊で多くのことを学び多くの楽しみを与えてもらった。
そしてそんな彼らも年を重ね、今はその多くの恩恵を与えてくれた飯豊に対して恩返しをしているのではないか。
そしてまた山小屋や登山道を整備し登山者を暖かく迎えることが彼らにとっても生き甲斐となっているのではないか、私はそのように感じました。
今回登った12月のエブリ差岳は厳しくも美しい飯豊の冬を垣間見ることが出来ました。
あの素晴らしい稜線を歩きながら「飯豊は私の故郷の山、いつか私も彼らのようになりたい」そう考えながら、おそらく今年は訪れるのがこれで最後になるであろう、美しい飯豊の風景をしっかりと目に焼き付けてエブリ差岳をあとにしてきました。
追記 来年の門内小屋について
今年の春先に門内小屋の屋根が風で飛ばされていて、急遽予定していなかった工事を実施致しました。
予算の都合上、工事内容は簡易な応急処置程度のもので留めざるを得なかったのですが、来年は正規に修繕改修工事をする見込みです。
工事期間中は小屋の屋根を全部剥ぎ取ることになるので宿泊はもちろん休憩ですらできなくなります。
工事時期はまだ未定ですができるだけ山開き前に終えたいと考えております。
もし来年、門内小屋を利用、あるいは通過する予定などがおありでしたら情報等が胎内市HPや新潟県HPなどからあるものと思いますので御注視願えればと思います。
またこのHPでもできるだけ逐一お知らせしたいと思っている次第です。