平成29年3月25日

 

土地倉山~金凍山

 

 

 

3月も最後の土日となりましたが、今年は一向に暖かくなりません。

 

例年であれば雪は落ち着いて徐々に締まり始め、いわゆる凍み渡りといった残雪歩きができるようになるのですが、今年はこの時期になっても山には新雪が積もり、いつまでもワカンやスノーシューを手放すことが出来ません。

 

 

 

そんな気候が災いし、巷では雪崩遭難などの事故が発生し、山岳の専門家、評論家はやれビーコンを持っていなかっただの、なぜ中止にしなかっただの様々な物議を醸している姿をテレビや新聞で見かけます。

 

まあ専門家の方たちはそうおっしゃいますが、何しろ自然が相手なものですからねえ・・・、分からないことがたくさんあってその場での判断はなかなか難しいものではないかと思うのですが・・・、いかがでしょうかね。

 

装備にしても「備えあれば憂いなし」ですが備えすぎもまた考えものです、いずれにしても登山はリスクの非常に高い遊びなので、とにかく他人に迷惑を掛けるわけに行きません、それなりの準備や計画を行ない、十分に気を付けて臨まなければならないことは極当たり前のことであります。

 

 

 

そんなことで前述したように今年は天候が安定せず、残雪も落ち着かないことから大きな山行の計画を立てるものの、そこに向かうことが出来ず、天気が安定するまで延期せざるを得ない状況となっております。

 

 

 

そこでこのところ比較的手軽に向かうことが出来そうな福島県境に近い東部の山々へ足を踏み入れる機会が増えるかたちとなっております。

 

それにしても東蒲原は山の数が多く、高峰や秘境の雰囲気はないものの楽しめそうなところがたくさんあります。

 

今回もいつか登ろうと思っていた東蒲原の金凍山に登って、途中から派生する土地倉山にも寄り道をしてきました。

 

 

 

金凍とは会津や東蒲原では“つらら”のことを言うのだそうです。

 

また、この付近は以前越後国ではあったものの会津領に置かれていたそうです。

 

その後、明治19年に新潟県に編入されたという歴史があるそうですが、近くには国土山や談合峰といった土地にまつわる紛争を思わせるような峰々が立ち並んでおります。

 

この土地倉山について、よく地名では栃という字が使われるところが多い中、ここは土地という字が使われているので、やはりここも県境紛争等が少なからずあったのではないかと思わせるような山名となっております。

 

“とち”とは古語ですっぽん地形ということが地名の語源という本に書いてありましたが、このすっぽん地形とは何なんでしょう?かえって分からなくなってしまいましたが、よくよく調べてみるとどうやら動物のすっぽんではなく、トイレが詰った時に使うあのゴムに柄が付いた道具のことを言うようです。

 

土地倉山に関しては栃の木が特に多いようではなさそうですし、すっぽん地形と言われればそのようでもあり、そのようでもないような、どうも判然としません。

 

ここはやはり過去に土地の紛争といった歴史があった場所だったところからきているように思います。

 

 

 

 

 

入山は柴倉集落の趣のある家の脇から沼越峠に向かう林道を進んでいきます、しかし柴倉集落の積雪は凄い、東蒲原は三面など新潟県北部よりも雪が少ないように思うのですがここは別のようです、それに昨日からの積雪は30センチくらいあったと思われます。

 

林道は雪崩の巣窟であり、特に大倉山の岸壁付近にさしかかると林道は新雪雪崩とブロック雪崩がミックス状態となって埋もれておりました、

 

「こんなところで雪崩に遭って新聞沙汰になどなろうものなら、何を言われるか分からない」、危なそうな大倉山岸壁から早々に立ち去りました。

 

 

 

林道途中から尾根に取付きますが、それこそこの時期はちょっと難しそうな尾根だと雪崩の危険があるので事前に地図を良く眺めて一番安全そうな場所から、まずは土地倉山に向かって斜面を登り始めました。

 

土地倉山と金凍山分岐までは結構きつい単調な登りが続きます。

 

ここは静かなブナの樹林帯となっていて東蒲原にしては豪雪地帯の山といった雰囲気があります。

 

分岐まで来ると土地倉山山頂までは一旦緩やかに下って、そして緩やかに登り山頂に至ります。

 

土地倉山山頂付近は杉とブナの混成林となっていて北は木々の隙間から飯豊方面が少しだけ見えます。

 

南の方角は金凍山が手に取るように見え、その奥に沼越峠や談合峰、国土山などが聳える県境尾根と只見や南会津の峰々が遮るものなく望むことが出来ます。

 

 

 

再び分岐まで戻って金凍山を目指しますが、大きな雪庇は踏み抜きに注意しなければならず、一部の尾根は痩せていて、それほど難しいというほどでもありませんが何が起きるか分かりません、常に緊張感を持って先に進みます。

 

やがて尾根は広い登りとなってそこを登りきると金凍山山頂に到着しました。

 

山頂からは土地倉山から見えた県境尾根がぐっと近くなり、尾根続きの夜鷹山にはこのまますんなり行けるのではないかと思うくらい間近にその山頂を望め、福島の名峰である磐梯山や安達太良山、吾妻連峰まで見えるようになりました。

 

飯豊方面は相変わらず木々が邪魔をして隙間からしか望ことはできませんが大日岳が真っ白な姿で輝いているのが見えました。

 

この金凍山は実のところ標高はすぐ近くに聳える土地倉山や大倉山よりも少々低いのですが、見晴らしは土地倉山より良かったです。

 

 

 

金凍山はつららのように尖った鋭鋒なのではないかと思っていましたが、意外にもなだらかで丸みのある山頂でした。

 

金凍の山名はもしかしたらつららからではなく金属など鉱物資源があり、そこから山名がきているようにも思えます。

 

そういえば県境の紛争になる理由として鉱物資源や山菜が争点になる場合が多々あるようです。

 

それに柴倉集落から沼越峠と只見を結ぶ峠道は山菜の宝庫で、今でもシーズンになると山菜採りの人が多く出入りしているということですし・・・。

 

そんなことから金凍という山名は鉱物資源から、土地倉という山名は鉱物や山菜を巡っての県境紛争からきている可能性もあると考えましたが、どうでしょう?

 

 

 

そんなことをいろいろと考えながら、張出した雪庇からにょきにょき伸びているおびただしいつららを横目に見て、ようやく長い林道を歩き終え、無事に柴倉集落へと戻ることが出来ました。

 

 

 

コースタイム

 

柴倉集落 1時間 尾根取付きヶ所 1時間 土地倉山分岐 10分 土地倉山 10分 土地倉山分岐 1時間10分 金凍山 1時間30分 尾根取付きヶ所 1時間 柴倉集落