米ヶ岳


鰈山


2月 蒲萄山塊 米ヶ山

 

3月 鰈山

 

 

 

去年の秋頃のこと、仕事の打ち合わせをするために取引先の会社へ出向いて応接室で先方が来るのを待っている時、ふと応接テーブルの片隅に目をやると趣のある小さな一輪挿にさりげなく花が生けられているのが目に入りました。

 

応接室の片隅に添えられた小さな花瓶と花、なかなか風情があって良いものだなあと感じ、次の日さっそく私も家の奥にしまってあった九谷焼の人間国宝で徳田八十吉の一輪挿しを引っ張り出し、会社の応接室へブタクサを生けて飾ってみました。

 

 

 

世間はアベノミクスといった華々しい言葉とは裏腹に冷たいが風が吹き荒れていて各企業は生き残りをかけて必死な状況であります。

 

この応接室で交わす打合せも厳しいものとなっている折、せめてと思い置かれた花は僅かでありますが心を和ませてくれます。

 

私は時々応接セットに座ってそれを眺め、我ながら「良いじゃないか」と自画自賛しておりました。

 

 

 

そうこうするうちに2月も後半にさしかかり徐々に春の兆しが見え隠れする季節となってきました。

 

女川といった厳しい山々にもそろそろ向かう準備をしなければなりません、しかし気持ちは逸りますがあの山域に行くにはまだ少し早いようです。

 

そんなことでもう少し蒲萄山塊にはお世話にならなければなりませんが、蒲萄山塊もそれはそれでなかなか面白いところです。

 

そこで今回は山塊の北部に位置する米ヶ山へと行ってきました。

 

 

 

米ヶ山は大須戸除雪ステーションからのルートが近くて登りやすいようですが、私は蒲萄トンネルを過ぎたあたりから非常に分かりやすい尾根が派生しているので、そこを登ってみることにしました。

 

 

 

尾根の出だしは地図では分からない非常に嫌らしい痩せ尾根となっていてスノーシューで来たことを後悔しながら登りました。

 

しばらく進むと痩せ尾根はようやく解消となり程良い広さの斜面に、そしてこの山域特有の立派なブナの木々が乱立するようになりました。

 

登るにつれブナは大きさを増していき、時折巨木も見られるようになります。

 

稜線に出る頃、ブナの木々には霧氷が纏わりついてとても美しい。

 

稜線上は米ヶ山に向かう途中一時的に痩せ尾根になりますが、広い米ヶ山の山頂は360度の大展望となります。

 

遠くには日本海とそこに浮かぶ粟島、そして一際大きい盟主蒲萄山、広い雪原となった尾根の向こうには最高峰の新保岳が間近に望まれます。

 

広がる雪面には日が射しこんでブナ木々の陰影が映り込み、青い空と輝く霧氷、そして見事な展望はとても登山道のない無名な山とは思えないところでした。

 

 

 

米ヶ山は国土地理院の地形図には掲載されておりますが、日本山名辞典には掲載されておりません。

 

この山の歴史や風習などはまったく資料がなく、調べることができませんでした。

 

似た山名で上越に米山がありますが、伝説の物語が山名由来になっているということと山頂には米山薬師が祀られているといった話は有名ですが、この米ヶ山とはまったく無縁の話のようです。

 

また隣に聳える蒲萄山のような山岳信仰の歴史もないようです。

 

米山と言った地名について、山名はもちろんですが普通の平地においても日本全国どこにでもあるようでして、それもそれぞれ各地いろいろな理由でそれらの地名が付けられているようで、参考になるものを見つけることができませんでした。

 

また日本国内の米山は「よねやま」ではなく「こめやま」と発音される山名の方が多いようですが、山上には田んぼもないのに不思議な山名だと思います。

 

 

 

さて、米ヶ山に登ってきてから一週間が過ぎ、季節は寒暖を繰り返しています。

 

中途半端な時期に厳しい山行は禁物です、まだまだ女川流域の山々に足を踏み込むのは早計のように感じます、そこでせっかく日曜日は天気が良いようなのでいろいろ思案した結果、大沢集落から鰈山にでも行こうと考えておりました。

 

鰈山は、本来は一応の登山道が有って短時間で登ることができますが雪に鎖されたこの時期は林道歩行が非常に長距離となり簡単に訪れることができません。

 

そこで今回は大沢集落から訪れてみようと考えたわけです。

 

鰈山は国道をはさんで蒲萄山塊と対峙するように聳えておりますが、その山容は山というより高原と言った感じで、それはまるで海底で餌を待つ鰈の姿のようにも見えます。

 

 

 

大沢集落からは松尾芭蕉が歩いたとされる出羽海道が今でも大事に保存されており、この石畳の道は大沢集落の有志によって整備されていて、蒲萄峠まで丁重に保存されているようです。

 

いろいろな古い記録によると蒲萄峠は出羽海道で一番の難所だとされておりますが、松尾芭蕉は北へ向かう途中に蒲萄峠の入り口で矢作神社に手を合わせ、必死で峠を越えて大沢集落に至ってようやく一息つくことができたのではないでしょうか。

 

道路の発展と共に消えゆく古の道は当時の面影を残し、ここを辿ればまるでタイムスリップをしたかように古人の思いを偲ぶことができます。

 

 

 

鰈山には沢筋に付けられた松尾芭蕉の道から尾根へと逸れて辿っていきます。

 

大沢集落から高度差は僅か450m程度ですが、距離は結構あります

 

終始広い尾根に綺麗なブナ林をルンルン気分で歩くことができ、自然と口からは歌が出てきます。

 

「それ行け新潟フォーティエイッ、私たちに会いに来てねー♪」

 

 

 

山頂は運動場のように広くなっておりますが、魚沼の平ヶ岳のような丸くて底の浅いお椀をさかさまにしたような形ではなく、長方形の中に少し窪みがあったり出っ張りがあるような地形をしていて、確かに鰈を連想させる山頂台地となっています。

 

言わば下越の苗場山といったところか・・・。

 

山頂からは下界が見えないのですが、林業関連の人たちが出入りしている形跡が多く見られ、山麓の人たちにとっては精通された山であることが分かります。

 

山頂は360度の展望とまではいきませんが、朝日連峰が一望でき、広い山頂を移動することで広範囲での展望を望むことができます。

 

 

 

鰈とは見かけが枯れた葉を連想させる魚で、その平べったい形はエイのようでもあるので枯れエイという言葉が語源ではないかとされております。

 

他にもカレイと名付けられた山は日本山名辞典でもう1座ありましたが、その山名はカタカナ表記となっており、これは地形的に水の枯れる山というところからカレイ山と名付けられたという説のようです。

 

しかしこの鰈山は漢字表記であるということもあり、やはり魚の鰈を思わせる山容からきているような気がします。

 

登山道は一応つけられているようですが、これはおそらく林業の作業道であろうかと思われます。

 

登山者はほとんど訪れる人がいないようで整備されておらず、おそらく藪化しているものではないかと思います。

 

 

 

今回はふたつの山行をまとめて書きました。

 

どちらも静かな山旅を楽しむことが出来ました。

 

 

 

ところで冒頭で書いた一輪挿しですが、実はあれから事務員が掃除中に床に落として割ってしまいました。

 

家にしまっておけば割られることなどなかったのに、飾られて人目にさらされるということはこういった末路もあり得るということです。

 

怒ったってしょうがない、私は笑いながら「いいよ、いいよ」と言いながら心の中は大泣きに泣いていました。

 

それにどうせうちの事務員は一言でも文句を言おうものなら何倍にもなって返ってくるのだから、怖くて何も言えません。

 

 

 

古来、日本には侘び寂びといった言葉があります。

 

侘びとは簡素な趣のある様子、あるいは寂しい様子をいい質素な生活を宗とし、不便の中に美を追求する思想です。

 

寂びとは物が自然に朽ちていく様子をいい、その自然の造形に美を見出すといった思想をいいます。

 

徳田八十吉の九谷焼の花瓶も、事務員に割られたことはこれも自然の流れなのか、淡くも儚い運命であり、これも寂びの精神なのだろうと思いました。

 

 

 

そして私は再び、今度は備前焼の一輪挿しを懲りもせず応接室に備え付けました。

 

備前焼は割れにくい陶器製でできている上、万が一割られてもいいように500円の安価な物を飾りました

 

 

 

備前焼の花瓶はさびれた渋さがあり、侘び寂びの精神が感じられます。

 

私の様な愚かな若輩者が侘び寂びの精神などまったく分かろうはずもなく生意気なことを書いてしまいますが、静かにひっそりと聳える不遇の山々を訪れた時に何故かしら侘び寂びの心を連想してしまいます。

 

それはまるで今回登った二つの山のように、華やかさといった言葉がまったく当てはまらないどころか、米ヶ山にいたっては日本山名辞典にでさえ掲載されないほどであります。

 

故に静かでどこか寂しさがあり、まるで水墨画の様な景色の中にホッと一息つくブナ林の景観。

 

ブナの木は自然環境の良い南国にはほとんど見られず、住みにくい北国の豪雪地帯に追いやられた樹木です、不便な気候の中で自然の厳しさに耐えて大きく力強く自生しているブナの木々はそこに生息する動物達のみならず私の様な稀に訪れる人間に対しても大きな安心感を与えてくれます。

 

奇しくも松尾芭蕉が歩いたとされる出羽街道沿いの山々、これらの山を訪れて感じた無名な山々の儚さに私は侘び寂びの精神を感じずにはいられませんでした。