餓鬼山

 

2月28日

 

 

 

わざわざせっかくの休日に朝早くから重い荷物を背負って山に登る、そんなことを長年続けているといい加減に飽き飽きしてきます。

 

毎度毎度同じように急坂を登りながら「俺は何をやっているのだろう?」と考え、自分のやっていることが非常にバカらしく思えてくる。

 

すっかり整備され類似化された登山道を登っていると、どこの山に行ってもどこもかしこも同じように思えてきて「いったいどうして山に登っているのだろうか?」息を切らし大粒の汗をかきながら自問自答を始める。

 

 

 

そもそも私が山へ行くようになったのは綺麗な景色を眺めて色とりどりの高山植物に心癒されて至福の時を楽しもう・・・、なんてそんな理由で山に登っているわけではありません。

 

いつも山や地図などを眺めながら「あの山頂はどんなところなのだろう?」、「あの山は変な名前が付いているがなんでだろう?登ってみれば分かるだろうか?」と言ったことを考え、そしてそんな好奇心から山へと足を踏み込んでいるわけであります。 

 

そうなれば普通に登山道が整備されているような山などとても行く気になれず、私の足は自然と登山道の無い山へと向かうわけなのであります。

 

 

 

 

 

最初は川内山塊の矢筈岳や朝日連峰の化穴山、あるいは魚沼の毛猛山など登山道の無い山でも超メジャー級の山々に憧れ、好んでそれらの山々に向かいました。 

 

しかしそれらの山々は確かに名山であると思いますが、あまりにも有名になりすぎて秘境と言うのは名ばかりで少なからず人の往来があり、入山口やルートも固定され始めてきているようで面白さが随分と薄れてきてしまっているように感じます。 

 

そうなるともっとマイナーな山を模索するようになり、どんどん深みへとはまってしまうようになります。

 

そんな山々には好奇心から向かうのですから、ただ単に登ればいいということではないのです。

 

自分で考え選んだところを登りながら古い鉈目や僅かな踏み跡などを見つけ、そこに残された微かな山麓の人たちの風習や生活などを思い偲んでいると、長い歴史の中に埋もれてきた山と人との深い関わり合いや山麓民の生活誌などをまるで玉ねぎの皮を一枚一枚むいていくように紐を解いていくと現代の登山では忘れかけていた山の有難さや尊さを思いだし、人として山とどのように接すれば良いものかほんの少しでも理解できたかのように思えてきます。

 

またそれはそれらの山々に付けられた摩訶不思議な山名につながっていくことが多く、そこに秘められた謎もぼんやりと解ってくるような気がします。

 

 

 

さて今回訪れた餓鬼山に関してですが、去年のちょうど今頃、鷹ノ巣山に訪れた時に入折戸集落を挟んですぐ正面に見える端正なピラミッド型の山が少し気になりました。 

 

鷹ノ巣山から見るその山の周囲は非常に急峻で険悪な細い尾根が張りめぐらされており、登るには苦労しそうに感じます。

 

その名は餓鬼山というピラミッド型の山容と痩せ細った尾根には相応しいとても不名誉な山名が付けられております。

 

 

 

餓鬼と言う言葉を調べてみると、妖怪関連の書物には「山中や道端で突然空腹になり動けなくなるときがある。それは餓鬼にとり付かれたのである。物を食べればすぐに餓鬼は離れていき回復する。餓鬼とは物乞いや旅人が餓死してその怨念が妖怪になったもの」とされています。

 

 

 

仏教においては生前に強欲だった人が死後に餓鬼道というところに落ちてそこで餓鬼になるといった餓鬼道の餓鬼ということなのだそうです。

 

餓鬼道は地獄に続いて苦しみの多い世界だとされていて、ひとたび餓鬼道に落ちた者はずいぶん長い年月の間、責め苦を受けるのだそうです

 

喉が細くて食べ物を満足に食べることができずにいつもやせ細っている餓えた鬼で、大別すると3種類に分かれるそうです。

 

1.無財餓鬼 

 

いつも腹が空いてガツガツと食べるのだが、食べた物が腹の中で炎となり内臓を焼き尽くしてしまい、延々とそれを繰り返す。

 

.少財餓鬼

 

口にできる物は糞尿や屍など限られている。

 

3.多財餓鬼

 

ある程度の物は食べることができる、比較的富裕な餓鬼。 

 

 

 

また有名なお寺の行事に施餓鬼というものがあるそうですが、その由来はというと、

 

お釈迦様の弟子のなかで神通力が得意な目連さんが亡き母に会いたいと思い神通力を使ってあの世をのぞいてみると、母親はあろうことか餓鬼道に落ちていて食べ物に不自由し痩せこけた姿になっていたそうです。

 

目連さんは母親に食事を届けますが、それを食べた母親の腹の中で食べ物が炎となって燃え母親は大火傷をおったのだそうです。

 

お釈迦様にこのことを相談し助けを求めたところ「あなたには優しい母親であったのだが、我が子可愛さのあまり知らず知らずのうちに重ねた貧欲の報いで餓鬼の世界に落ちてしまったのです。あなたはお母さんだけを救おうとしている。7月15日に修行を終えて清浄になった僧たちが帰ってくる。その僧たちに百味の飲食を供えて供養しなさい。また餓鬼道に落ちたすべての人たちにも施しをしなさい。その功徳により餓鬼道で苦しむ人々とともにあなたのお母さんも救われるでしょう」と教えられました。

 

目連さんはその通りにするとお母さんのもとに食べ物が届き救われたのです。

 

目連さんは嬉しさのあまり施餓鬼壇の周りを踊りまわったそうで、それが盆踊りの始まりだということです。

 

また餓鬼に食べ物を施す施餓鬼の法要を毎年実施しているお寺も多くあるそうです。

 

 

 

通常、山には神様や仏様が祀られ信仰に因んだ山名が付けられている場合がほとんどです。

 

よく道祖神とか道陸神といった旅人の安全を見守る神様が峠道などに祀られておりますが。

 

それなのにこの山に関してはそれらとは真逆の旅人を襲う妖怪、あるいは餓鬼道の餓鬼いわゆる地獄の死者の名前が付けられたとても不遇な山名の山であります。

 

 

 

私が今回この山に登ろうと思ったのは先ほど書いたとおり鷹ノ巣山から眺めて気になったということのほかに、ここしばらくの間休日は山にも登らず家でだらだら過ごしていたためちょっと腹が出てきたので餓鬼山にでも登れば痩せるかなと思って行ってみました。 

 

ルートは県境尾根を辿れば簡単ですが、2キロから3キロ程度の林道歩きがあるのでわざわざそこまで歩いていくのなら手前の尾根を辿っても大差ないと思い、折戸集落と入折戸集落の間から派生している尾根を歩いてみました。

 

 

 

歩き始めは広い尾根の登り下りを繰り返しますがある一定のところから急激に尾根が狭まり非常に歩きにくい痩せ尾根となります。

 

この辺りは鷹ノ巣山と良く似ているような感じです。

 

しかしいかんせん標高が750mほどしかないので嫌らしい痩せ尾根はそれほど長く続かず、最後に短い凍った壁にステップを刻みながら登りきればほどなく尾根が再び広がってしばらく悠々と歩きながらなだらかな山頂に至りました。

 

山頂は女川の最高峰、頭布山に似た印象です。

 

生憎、雪が降る悪天候の中の登頂でしたので景色を見ることはできませんでしたが、積雪期ということもあって展望は360度得られそうです。

 

天気が良ければ女川の山々や関川と小国県境の山々と奥三面の山々、あるいは祝瓶山などが間近に見え、奥には朝日連峰の峰々が遠望できるものと思われます。 

 

この付近は豪雪地帯であり、積雪が多いのは仕方がないとして、それにしてもどういった訳なのか雪が割れてクレバスがやたらいたる所に隠れており、しかも深いものばかりなので非常に歩きにくかったです。

 

他の山域に比べると雪が割れやすいのでしょうか?なんでもないような普通であればクレバスなど気にしなくて歩けるところでも気を使って歩かなければなりませんでした。 

 

この山の山頂手前はどこから見ても急な崖のようになっているようです。

 

崖が餓鬼に転化したか、あるいは山頂付近の痩せた容姿から餓鬼といった名前が付いたということも考えられます。

 

この餓鬼山はそんな特徴のある形をしているので五味沢方面から良く目立つ山であります。どんな名前でもいずれにせよ山麓民から名前を付けられたということはいつも仰ぎ見られ親しまれていたのではないか、あるいはもしかしたら恐れられていた可能性もあります。

 

 

 

そういえば2年ほど前に仕事のため夕方から二王子岳に登って夜に下山したことがありました。

 

暗い登山道を下っていると夜の静寂の中から遠く渓流のせせらぐ音が聞こえてまいります。

 

サラサラと水が流れる音に混じって「小豆洗おうか人捕って食おうかシャキシャキシャキ」と歌声が聞こえてきました。

 

これは妖怪小豆洗いの歌声で、私は怖くなって真っ暗な登山道を一目散に駆け下り、逃げてきたということがありました。

 

妖怪小豆洗いは高齢のお爺さんの妖怪で、岡山県や新潟県の魚沼や糸魚川のあたりに生息している妖怪だと私の持っている妖怪図鑑には書いてありました。

 

魚沼といえば越後三山周辺ということになると思います、それが何故二王子岳にいるのか分かりませんが、おそらく交配によって徐々にその個体数を増やし二王子岳や飯豊連峰付近にまで生息地域を拡大させているのではないかと思われます。 

 

もしかしたらこの餓鬼山には妖怪餓鬼がどこかに潜んでいるのかもしれません。

 

そして小豆洗い同様に個体数を増やし、朝日連峰にまで生息地域を拡大させているかもしれません。

 

 

 

私は下山後にあらためて餓鬼山を眺めながらそんなことを考えたりしておりました。