平成26年6月
飯豊山小屋修理工事日記
県職員の担当に「飯豊、来年はないよ」と言われながらも毎年のように実施される山小屋修繕工事。
厳しい気象条件にさらされながらも多くの登山者に親しまれ、命を守り続けてきた飯豊の山小屋もかなり老朽化が進んでおります。
飯豊稜線上に建てられた新潟県管轄の山小屋は4棟あり、厳しい冬を乗り越えたあとにいくつかが必ず決まったようにどこかが破損しており、さらに老朽化による破損も伴って、毎年のように手を掛けなければならないような状況になっております。
山小屋修繕工事ができるということは嬉しい反面、大変なことでもあります。
通勤することはまず不可能であり、電気、ガス、水道などといったライフラインが一切完備されていない状況の中で、気象に大きく作用される作業と山小屋生活、絶対に忘れ物は許されず、限られた資材と機材、多くの面で大変な不自由を強いられながらも職人さんたちは働かなければなりません。
そんな悪条件での作業に励んでくれる職人さんはそうそういません。
知り合いの職人さんがやってくれるので今のところなんとかなっておりますが、彼らも高齢化してきていて、この先の職人さん確保に一抹の不安があります。
いろいろな山岳会などにも声をかけて職人さんを探すのですが、なかなかそういった方はおられません。
下越山岳会には唯一、新井田さんが塗装職人なのでそれにはとても助かっております。
今回は頼母木小屋と門内小屋を修繕しに行きました。
両小屋とも飯豊界隈の山小屋では一番古い部類に入る山小屋で、老朽化が進んでいる山小屋です。
山小屋の建て替えは法規上不可能となっており、今建っている山小屋を修繕しながら大切にして使っていくしかありません。
今回は一般的に山小屋の延命措置と言われる修繕工事を頼母木小屋、門内小屋で実施してまいりました。
6月10日 晴れのち曇り
いよいよ出発の日です。
出発と言っても資材と共に人も皆ヘリで山に行きます。
歩いていけば職人さんが疲れてしまい作業がはかどりません、まして徒歩で作業となると引き受けてくれる職人さんもいなくなるでしょう。
この日は予期せぬ晴天に恵まれ、順調に資材も人も山の上に降り立つことが出来ました。
山に着くや否や、職人さんは早々に作業に移ります。
早く帰りたい一心で脇目も振らず一心不乱に作業をするので、一緒にいるととても疲れます。
最初の数日間は頼母木小屋で作業をする予定ですが、門内小屋に上げた資材を片付けに行かなければならず、私一人だけ午後から門内小屋へと片付けに行ってきました。
夕方は19時まで作業の手を止めることなく働いた職人さん、さっさと晩御飯を済ませ、寝袋に入ってすぐに寝始めます。
職人さんが寝ると大変に賑やかになり、私は寝ることができません。
大きないびきが小屋中に響き渡り、そしていびきが止んだと思ったら今度はトイレに起きます。
暗闇の中、トイレに行くとき脇に置いてあったガスコンロを蹴ったり、足元に置いてあった工具類を踏んだりして「痛てっ!」と言って、踏んだ工具を怒りながらトイレに行きます。
そんなことが毎晩続くので、とても寝不足になってしまいます。
6月11日 晴れのち曇り
職人さんは朝4時にムクッと起きるといきなり作業に取り掛かります。
私だけ寝ているわけにはいかないので嫌々付き合いますが、眠い。
この日は下越山岳会の唯一の職人さんである新井田さんが塗装工事のため門内小屋に登ってきます。
新井田さんとの打合せがあるため、再び頼母木小屋から門内小屋へと移動。
天気もまずまずだったので景色を眺め、写真を撮りながら頼母木小屋と門内小屋の間を往復しました。
頼母木小屋では職人さんは相変わらず19時まで手を止めることはありませんでした。
6月12日 雨と強風
この日は強い風と横殴りの雨に悩まされ、作業がはかどりませんでした。
そしてとうとう午後3時にはあまりの強風により作業が止まってしまいます。
今後も天候は荒れ模様で、このままだといつ終わるとも分からない状況に皆さん焦りが感じられました。
じたばたしていてもしょうがない、気温も10度を下回るほどの寒さに寝袋に入ったまま待機しておりました。
そして午後6時、強風が収まり雨も止みました。
するとふて寝していた皆さんが一斉に寝袋から飛び出し、作業を始めました。
辺りは夜の闇が訪れようとしております、しかしそんなことは関係ない、黙々と作業は進みます。
夜8時に「いい加減やめようよ!」私の声に渋々手を止めた職人さん。
放っておいたら何時までやっていたのだろうか?
少々、遅い晩御飯を済ませ、今晩もいつものように賑やかな夜となりました。
6月13日 暴風雨
まるで台風かそれ以上の強風が吹き荒れ、今日はとても作業ができる状態ではありません。
門内小屋なら小屋内部での作業なので、頼母木小屋の作業は諦め全員で門内小屋まで移動することになりました。
必要な工具類をザックに詰め込むと相当な重量になり、さらに大工さんから「門内小屋でベンチを作るので材木類を持っていってくれ」と言われその材料もザックに詰めるとかなりの重量になった。
その重荷を背負い、強風荒れ狂う中いざ門内小屋へと向かいました。
しかし正月の飯豊を思わせるほどの異常な強風でまともに歩くことができず、随分苦労して皆で門内小屋まで辿り着きました。
職人さんは小屋に着くなり作業を始めます。
猛烈なスピードで作業をこなし、夕方にはほぼ完成しておりました。
実際のところこの作業は二日間程かかると思うのですが、鬼気迫る職人さんの勢いに負け、門内小屋の天井修繕作業はいとも簡単に完成してしまうのでした。
夜、門内小屋内の気温は5度。
風も夜半には強さを増し、小屋に叩きつけられる風と雨の音、そして寒さでとても寝付くことができませんでした。
6月14日
朝、起きても強風は相変わらずの状態。
門内小屋の作業は終了しているので、再び頼母木小屋に戻って残りの作業を進めたいところでしたが、この強風では移動は無理。
しばらく様子を見ていると、心なしか風が弱まっているように感じます。
意を決して全員で頼母木小屋に移動しました。
やはりいくらか風が弱まっていて、それほど苦労せず頼母木小屋へと戻りました。
早々に残り作業を終え、頼母木小屋もほぼ完成。
跡片付を残すのみとなったころ、この悪天候にもめげず次から次へと訪れる登山者たち。
知り合いも多く来られ、私自身あまり人前に顔を出さないのですが、ホームページのせいなのか私を知っている方も多く居られて、ちょっと恥ずかしかったです。
あまりにも多く訪れる登山客に私は急遽、頼母木小屋の管理人になりました。
あるときは普通の登山者、あるときは工事業者、あるときは管理人、私はその場に応じて臨機応変に変わらなければなりません。
登山客の皆さんには二階に詰めてもらい、職人さんや私は一階で過ごすことになりました。
登山者で賑わう二階では宴が繰り広げられているようですが、職人さんに今回の工事で雨漏りしていないか「ちょっと見てきてくれ」と言われ、仕方なく二階に登ると中条山の会の高橋さんと連れの方々から飲み物とつまみを御馳走になり、さらに豊栄山岳会の外山さんと連れの方々からも同様に飲み物やつまみを御馳走になりました。
私は雨漏りのことなどすっかり忘れ、宴たけなわで一階に戻ると「おい、雨漏りはどうだった」と職人さんに聞かれ、私は再び二階へ行って雨漏りの確認をしようにも、再び宴会の輪の中へ…、皆さんとわいわい仲良く過ごしながら夜は更けていくのでした。
6月15日
今日の作業は跡片付を残すのみです。
そんなこともあってか職人さんも朝はゆっくりと起きました。
塗装職人の新井田さんは今日下山するということですが、相変わらず山はガスの中で視界が悪く、風もまだ結構強いままです。
今回の作業山行では残念ながら景色を楽しむことはできないようです。
昨日の登山客の皆さんも続々と出発する中、職人さんたちの最後の作業が始まりました。
数時間後、すっかり作業が終わり職人さんも下山の支度をはじめております。
そして午後になると作業終了を歓迎するかのように飯豊が久しぶりに姿を現しはじめました。
私は待っていたとばかりエブリ差岳へ散策を始めました。
ハクサンイチゲ前線はすでに南下し、頼母木山以北はすでに通り過ぎてしまっておりましたが、久しぶりの飯豊の絶景を心に刻んで頼母木小屋へと戻りました。
このまま頼母木小屋の管理棟で最後の夜を迎えました、空には見事な星空と眼下には新発田の夜景が明日の下山を惜しむかのように輝いています。
久しぶりに訪れた静かな夜は仕事を終えて疲れ切った私に安らぎを与えてくれました。
6月16日
今日はいよいよ下山の日です。
作業中はあれほど早く終わらせて帰りたいと懇願していた気持ちが、下山日が近づくにつれ山での生活が名残惜しくなり、最後はもっと居たいと思ってしまいます。
山小屋作業生活最終日、僅かにやり残した仕事終え、あとは下山するだけでしたが、ようやく晴れ間が広がり気持ちの良いポカポカ陽気に私の足は北俣岳へと向かっておりました。
爽やかな清々しい朝の空気の中、雨上がりの飯豊は見事な景色を見せてくれます。
南下するにつれ、花々が競い合うように咲き乱れていて、ハクサンイチゲ前線は今ギルダ原の辺りを通過中のようです。
北股岳の長坂を登り切り、さらに梅花皮岳まで足を延ばして、お花畑を楽しんで戻りました。
頼母木山まで戻り、草原に寝転がって目をつむるとすぐにでも眠ってしまいそうになります。
帰るのが面倒になり、このままずっと俗世から離れてここに留まっていたい。
飯豊の広い草原に横たわれば辛かったことはすべて忘れ、いつまでもここに居たいと思う気持ちしかありませんでした。
山の魅力とは本当に不思議なものです、この時はただただ帰りたくないという思いでいっぱいでした。
すべてのライフラインが絶たれ不便この上ない生活、暴風暴雨で身動きがとれず、トイレに行くことさえ困難な状況にさらされ続けた日々。
そんな状況から早く脱出したい、帰る日をあれほど強く夢見ていたのに…。
作業が一通り終わって、仕事という責任から解き放たれた今、私は再び一人の山好きへと戻っておりました。
そして初夏の飯豊に吹く一陣の風と共に私は何度も振り返りながら楽園飯豊をあとにしました。
追記(余談話)
長い期間山に籠っていると寒さに自然と体が反応しるしてくるようで髪の毛がふさふさと生えてきます。
我ながら環境に順応していく身体の防衛本能には驚かされました。
長期の山籠りによって私の髪はどんどん増え続け、見かけも10歳くらい若返り、女性にもてるようになります。
幸い頼母木小屋管理棟には鏡があり、毎朝整髪に時間をかけました。
ある日はジャニーズ系のような髪型に、またある日はアフロヘア―にしてみたりと、髪型を変幻自在に変えて作業に従事しておりました。
しかし若かりし頃に戻っての山作業も、下山とともに毛髪は抜け落ちて登山口に着く頃にはまた元の形へと戻ります。
下山しながら抜け落ちていく髪の毛をじっと見つめ、淡く切なく儚い命の毛髪に溢れる涙をこらえながら別れを惜しみます。
山で作業をするということは、そんな夢と現実の狭間を行ったり来たりするものです。