自作のどらヘル

荷上げ時にエブリ差岳遠望

荷上げ品


11月8日荷上げ品確認時の頼母木山からの景色


正月の飯豊に向け、荷上げ山行

 

平成26年10月12日、11月8日

 

 

 

 

 

ここ数年、夏期になると飯豊の山小屋作業が慌ただしくなり、沢へでも行きたいと思うですが、なかなか時間を作ることができませんでした。

 

今年も夏は過ぎ、沢の季節ももう終わりというところで毎年恒例の豊栄山岳会との交流観月会が開かれ、翌日は二王子岳の沢に登るといった行事が開かれます。

 

今年の6月に飯豊の頼母木小屋の作業中に豊栄山岳会の方々が訪れて、その時に酒を酌み交わしながら「観月会で会いましょう」と再会を誓っていたことを私は思い出しており、そこに参加するつもりでおりました。

 

そこで今回の沢用にと思い、ヘルメットを作ることにしました。

 

 

 

まずは素材のヘルメットを購入しなければなりません。

 

作業用品店に行ってヘルメットを選び、私は加藤綾子アナウンサーによく似た大美人の店員さんがいるレジに並びます。

 

レジは混んでいましたがお姉さんが綺麗なので我慢して待ちます。

 

ところが、あと一人で自分の番というところで、もう一つのレジに別の年配の女性が来て「こちらどうぞ」と言いながら購入しようとしたヘルメットを勝手に隣のレジへと持って行ってしまった。

 

「まったく余計なことを・・・」

 

 

 

とにもかくにも素材のヘルメットを購入した私はすぐさまドラえもんの絵を書き始め、二日ほどでドラえもんヘルメットが出来上がりました。

 

なかなか素晴らしい出来栄えでしたので、次の日会社で被っていると、他の人たちに「額に直接ドラえもんの絵を書けばいいのに」と言われてしまいました。

 

 

 

そんな平和な日々が続く中、刻一刻と正月が近づいてきております。

 

とてつもなく重く暗い何かが私の心の中には常に立ち込め、心の片隅に潜んでいたその何かがやがて苦悩と恐怖とともに徐々に噴出し始めております。

 

 

 

例年、10月に入ると正月に向けてぼちぼち準備を始めます。

 

本来ならドラえもんのヘルメットなど作っている余裕などなく、まずは荷上げをしなければなりません。

 

何度となく実行している荷上げはすっかり慣れておりますが、この慣れが大敵であり、荷作りは去年のリスト表を参考にして慎重に実施しました。

 

食料品、乾物類、ガス、乾電池、酒類などなど。

 

 

 

10月12日

 

荷上げの日は毎年10月の第3週に行こうと決めているのですが、それでは観月会と重なってしまうので、今年に限って10月第2週に素晴らしい秋の晴れ晩秋の中、木々の葉が赤や黄に染まっている西俣尾根へと向かいました。

 

そしていつもと同じ木に同じように登り、紐でしっかりと荷物を固定し、いつものようにキノコを採りながらの荷上げとなりました。

 

 

 

今回の西俣尾根は珍しく多くの方々と会いました。

 

まずは十文字池付近で荷上げ作業をしているとエブリ差岳を目指している新潟悠峰山岳会の方々が通り過ぎて行きました。

 

それにしても男性陣顔負けでさっそうと歩く後藤さんの姿は相変わらずで、とても格好良い女性だと思いました。

 

何度となく山でお会いしていつの間にか仲良くさせていただくようになった方ですが、いい意味で山ガールなんて言葉は微塵も感じさせず、服装だけが格好良い山ガールとは対照的に感じます。

 

 

 

そしてその後、私の所属する山岳会の女性二人が新発田と中条の長谷川さん二人を伴って枯松峰附近ですれ違いました。

 

しげ子さんと二瓶さんも後藤さんと同様で、とても素晴らしい女性の登山家であり、私が尊敬する会の先輩方であります。

 

やはりその登山スタイルはとても素朴であり、うわべだけの格好良さはではなく行動や歩き方、山に対する姿勢とか考え方などが凄く格好良いと思う方たちです。

 

 

 

例年ですと一人孤独に耐え、木の上で木枯らしに震えながらかじかんだ手で苦労して荷を括り付けるのですが、今年はポカポカ陽気の晴天の下で多くの方々に会い、励ましの言葉を頂いて心まで温かくなって、無事に荷上げ山行を終えることができました。

 

 

 

11月8日

 

前回の荷上げが完了した直後に台風が日本列島を縦断して行きました。

 

いつも新潟県などは被害がほとんどなく、今回の台風もあまり気にするほどのものではありませんでした。

 

しかし山では随分と強風が吹き荒れた模様です。

 

多分、大丈夫だと思いましたが、念のため荷上げ品を確認しようと私は西俣尾根に向かっておりました。

 

荷上げを終えてから3週間が過ぎており、あれから木々はすっかり葉を落とし飯豊の山々には冬の気配が漂っていました。

 

私は荷上げ品の無事を確認すると、そのまま頼母木山頂へと足を運びました。

 

数日前まで鮮やかだった色彩は翳り、季節はモノクロームへと移ろい始めています。

 

まるで潮が引くように数枚の散りそびれた葉と微かな彩の残響とともに足早に、そして確実に山々は冬へと向かっているのでした。

 

 

 

いつも正月の飯豊に挑戦するたびに、自然の驚異を思い知らされ、そして自分の力の無さに打ちひしがれて、ただただ自分の命を守ることだけが精一杯で戻ってくることを繰り返しております。

 

そんな厳しい現状でありながらも、ただ一度だけですが私は幸いにも厳冬期の北俣岳の頂に立つことができております。

 

だから諦めてはいけないのです、強い気持ちで臨めばまた必ず思いは通じるものだと信じております。

 

 

 

単独で正月の飯豊に向かうということは、とてつもなく辛く怖いことでありますが、自然の驚異に直面することによって大いに己を高めることができ、そしてまた謙虚な気持ちで山に登れるものだと思っております。

 

無理して取り返しのつかなくなることがないように十分に気を付けて今年も正月の飯豊に臨んできます。