地図
桧岩屋山から袖朝日岳(左)、大朝日岳(右)
巣戸々山双耳峰の一方の山頂からの写真
巣戸々山山頂からの写真
巣戸々山
平成26年5月
年をとってくると若い頃とても恥ずかしくて言えなかったことが平気で言えるようになります。
例えば、ちょっと美人だなと思う女性を見ると「貴方は凄く美人だね」とか「貴方の様な美人はいままで見たことがない」なんてことを簡単に口に出して言ってしまいます。
これは別に口説いているというわけでなく、何気なく口からそんな言葉が普通に出るようになります。
ところがここ近年は何とも思っていない女性にまでも、同じように言ってしまうようになっていて、言い方は冗談めかして言っているので大抵の人には相手にされませんし、そもそもこちらも本気で言ってない場合がほとんどで、要するにちょっとした挨拶代りみたいなものでしょうか。
しかし何だかこれじゃあまるでチャラ男のようなので気を付けなければと思っておりました。
私自身もそんな自覚症状があり、高桑信一さんの著書「山小屋からの贈り物」で飯豊のジゴロと書かれたことも納得せざるを得ないなと、自分でも思っているところであります。
また、そんな風に平気で言えるようになったことは精神的な面で老化現象が進んでいるのだと思っております。
心配なのは、精神的に老化が始まり、毛髪は大昔から老化が激しく進んでおりますが、肉体の老化は大丈夫なのだろうか?体力はガタガタと衰えてきているのでないだろうか?ちょっと心配しております。
体力的な面も心配ですが、とりあえず性格的な面を気を付けようと思うので、今年の年頭に硬派でいこうと誓いました。
さてさて、話は山行記録に入りますが、今回はタイトルを巣戸々山としました。5月は徹底して五味沢から朝日連峰を目指した訳ですが、五味沢からの入山は非常に難しいもので、硬派に変わった私にはちょうど良いところでもあります。
そんな五味沢からの難ルートをいくつか行ってきて、結果は残念に終わったものから成功したもの、様々です。
今回の山行文はそれらの五味沢からの紀行の顛末を綴ってみることにしました。
話は今年のゴールデンウィークまでさかのぼりますが、今年の連休は飯豊ではなく朝日に行こうと考えておりました。
飯豊と違い、朝日のバリエーションルートは馴染みが薄く、特に残雪期にアプローチの悪い新潟県側からの入山はほぼ不可能と思われます。
比較的容易な山形県側から目指すか、難易度は上がりますが小国町の五味沢から入山するか、どちらかを考えておりました。
いろいろ考えてみましたが結局2泊3日の予定で、5月3日に五味沢から巣戸々山に登りそのまま袖朝日を経由して稜線に至るといった計画を立てました。
5月3日
巣戸々山に登るには二つの大河を渡渉しなければなりません。
まずは最初の大河である荒川の渡渉を試みましたが雪代で濁っていてかなり増水しており下半身水浸しになりながらも、流芯に到達する以前に何度も流されそうになったので渡渉は諦めることにしました。
荒川に関しては下流の一本吊り橋を渡るか上流へまわり、針生平から大きく迂回すれば対岸に出ることできるので、結局針生平をまわって対岸の尾根に取り付きました。
この尾根は非常に歩きにくい藪の中の急登で、とにかう必死に我慢して登りきると県境尾根に出ますが、この尾根には踏み跡があります、五味沢在住の方で飯豊の梅花皮小屋管理人も務められている関さんによると、地元の山菜採りの人たちによるものであるということです。
ここからすぐに末沢川に向かって急降下が始まり、この急降下するところも踏み跡は有るのですが、長く急な下りに嫌気がします。
そしてようやく末沢川の畔へと辿り着くのですが、この末沢川が問題でした。
当然、荒川と同様に雪代は最盛期となっており、一目見てとても渡る気になれませんでした。
ここには10mmワイヤーだけの一本吊り橋がかかっておりますが、こんな吊り橋はとても渡れません「いったい誰がここを渡るのだろう?」落ちれば激流に流され命の保証はできなさそうです。
仕方がなく今下ってきたところを戻り、再び踏み跡のある県境尾根へと戻ってきました。
このまま県境尾根を辿ると桧岩屋山を経由して袖朝日に出ることができるのですが、ここにきて雨が降り始め、強風と雷まで鳴る始末。
あえなく撤退し、そのまますごすご家へと帰ってしまうという結末で、今年のゴールデンウィークはあっけなく幕を閉じてしまうこことなりました。
よく考えてみると、いつも見ている近くの加治川や胎内川などは今年の場合、春先の急激な気温上昇によりこの時期としては例年よりも雪代が多くなっていて、濁り水でかなり増水していたのを確認しておりました。
それを知っておきながら…、私の判断ミスでした。
年に数回しかない大型連休をこんな形で失うとは残念で仕方がありませんでした。
そして、それから失ったゴールデンウィークを取り戻すため、私の五味沢通いが始まりました。
5月7日
末沢川の渡渉はしばらく難しいので、別ルートから袖朝日岳を目指そうと、桧岩屋山経由で行く計画を立て、連休最終日のこの日は偵察日としました。
この日は予め目星をつけておいた尾根を行けるところまで行こうと考えて五味沢から入山、桧岩屋山の少し手前くらいまで行くことができました。
尾根には踏み跡と鉈目があり、藪も薄いものでしたが予測していた通り桧岩屋山手前付近から鉈目はあるもののすっかり藪化していて、森林限界間近ということもあって陽当りが良く、すくすく育ったブナの灌木は大変な密藪となって立ちはだかっていました。
それでも桧岩屋山まで至れば雪原歩きに変わるだろうと判断し、勝機を見出して五味沢へと下山してきました。
休日と天気を見計らって本番に臨もうと待っておりましたが寒気などが入ったりしてなかなか晴天日が続きません、そうこしているうちにどんどんと日々は過ぎ、ようやく5月19日に五味沢から桧岩屋山を経由して袖朝日岳に登る日を迎えることになりました。
5月19日~20日
このルートは渡渉といったものはなく、途中まで辿る登山道の吊り橋もとりあえず掛っているので特に障害物はありません。
ただ、登山道を外れた先からはうんざりするほどの藪が延々と続く以外は…。
先日歩いたと同じように藪化した尾根を辿り、桧岩屋山まで我慢と思いながら最後は大藪に辟易しながらようやく桧岩屋山へと辿り着きました。
桧岩屋山からは尾根が広がり、そこにはなだらかな雪原が広がっておりました。
その雪原の先には連なる朝日連峰の峰々が見え、この時期としては珍しく新雪を被った大朝日岳が立派に聳え、手前に大きく稜線から張り出す様に袖朝日岳が聳えていました。
このまま雪原を辿れば簡単に袖朝日岳へと至ることが出来そうで、その光景を見た私は小躍りして喜びました。
いままでの大藪が嘘のように天国のような雪原を悠々進み、やがて1370m峰まで到達。
しかし袖朝日岳までの道のりはここで暗転、1370m峰に阻まれて見えなかった先の尾根は人間の背丈ほどの灌木と笹が黒々と支配しておりました。
人の入り込む余地などないほどおびただしく伸びているブナの灌木は体の自由を奪い、足元に伸びる笹薮は足腰の自由を奪い去り、もがいてももがいても前に進むことができません。
とにかく行けるところまで行こうと思いましたが、あまりの密藪に時間がかかり、袖朝日岳ひとつ手前の小脇峰という山頂で時間切れ、ここで断念せざるを得ませんでした。
これで私の第1回目のゴールデンウィーク敵討ち山行は潰えてしまうことになり、これで2回連続の敗退となりました。
あと一週間早ければ、残雪を辿って行けただろうに…、またしても判断ミスでありました。
この日は桧岩屋山付近まで戻り、広い雪原でテントを張って一晩過ごしました。
素晴らしい星、風もなく静かな夜は登頂できなかった悔しさを和らげるどころか、この静かなテントの夜を袖朝日山頂で味わいたかったと、悔しさは増徴するばかりでした。
翌日、朝日連峰へ五味沢から入山するのはやはり非常に難しいと実感して下山してきました。
5月24日~25日
気温が上昇し日に日に山は緑が増していく中、なかなか増水はおさまらず相変わらず川は濁りの入った雪代が流れておりました。
2回目のゴールデンウィーク敵討ち山行は巣戸々山を目指す予定でおりました。
しかしこのままだと、また川を渡渉することができず返り討ちにあってしまうかもしれません。
雪代が収まってからではすでに勢いづいた藪を到底打ち破ることなどまったくもって無理な話です。
もしかすると秋まで待たなければならない、いやひょっとすると来春になるかも…。
とりあえずダメもとで向かうことにしました。
気温が上がった午後以降は川は増水すると思うので、午前中できるだけ早い時間に渡渉するようにしなければなりません。
まずは荒川の渡渉ですが、開通した林道の荒川渡渉点近くに車を止め、朝一番すぐに渡渉を終えました。
そして急な尾根を登り、再び末沢川渡渉点に向かって急降下。
辿り着いた末沢川はゴールデンウィークの時と比べると、水位は明らかに落ちています。
今なら渡渉可能、すぐに渡り終え最大の難所を通過することが出来ました。
しかし帰りを考えると、明日の朝できるだけ早い時間にここまで戻り末沢川を再び渡渉しなければなりません、もし渡渉できなければ帰ることができなくなります。
時間を考えながら巣戸々山山頂へと向かって歩きはじめました。
ここの尾根は、しばらく鉈目や踏み跡はでてきませんでしたが、標高が低いので藪は薄く、それほど歩きにくくはありませんでした。
標高700m付近から鉈目が見られるようになり、踏み跡も明瞭になってきます。
ところが900mを過ぎたあたりから日当たりが良くなったおかげで、背の低い灌木帯となってきました。
標高1000mを越えたあたりからは完全に踏み跡は無くなり、厳しい藪の中を彷徨することになりました。
しかし高度差からいけばあとたったの250mで念願の巣戸々山頂に辿り着きます、今日中に山頂まで行き、どこかに泊まって明日早くに末沢川に戻って渡渉を終えてしまわなければなりません。
自然と足が急ぎ足になるものの、木々が密生する尾根上を宙に浮いた状態でなかなか進むことができません。
それでも疲れ果てましたがなんとか双耳峰である巣戸々山頂の中間部へと出ることができました。
ここからまずは本峰を目指しますが、とんでもない痩せ尾根に灌木と蔓がからんで大変です。
最後に岩の上に出ると、そこが最高点のようでした、その先の一段低いところに三角点を確認して、もうひとつの山頂に向かいますが、途中は雪原となっており水を取ることもできるのでテント場には最適と思い、今日は双耳峰の鞍部にテントを張ることにしました。
テント設営後、二つ目の山頂に出ると朝日連峰が間近に見え、圧倒されます。
巣戸々山頂からは遠く奥三面ダムの湖水が見える以外、下界は見えませんでした。
夜になると日本海の船の灯りでしょうか?遠くに点々といくつかの灯りが見えます。
登頂が難しいと言われ、ほとんど人が訪れることなどないが故に、密かに人気のあるこの幻の巣戸々山頂で静かな夜を楽しみました。
そして翌日は追われるように末沢川へと下り、少々増水はしていたものの無事に渡渉して帰ることが出来ました。
ただ午後近くになって渡渉する荒川が案の定渡れず、大きな遠回りを余儀なくされてしまい、この遠回りが一番疲れた様に感じました。
今回、訪れた五味沢からの山々は人里からは馴染みが薄く、人が訪れることは滅多にない山々が連なっておりますが、山名に関しても面白いものでした。
その面白い山名のひとつ、桧岩屋山は山頂手前に雨宿りが出来そうなほど大きな岩があります、山全体が岩肌になっていて桧は自生してなく、ブナの灌木で覆われていました。
おそらく桧のような針葉樹も生えることのできないほど岩肌の山で、そこに大きな岩屋があるということなのだと思いますが、これはこじ付けでしょうか?
巣戸々山もこれまた妙な山名ですが、巣とは州のことで川に囲まれた土地のことを言います。戸は渡が転化したもので小国からだと荒川と末沢川を二度渡らなければ行くことができないので、そこから名付けられたのではないかと思います。
おそらくこれはこじ付けではないと思いますが、どうでしょう?
桧岩屋山にしても巣戸々山にしてもおそらく小国の人たちによって名付けられた山名のように思います。
巣戸々山や袖朝日岳は奥三面流域の山々になります、奥三面には相模様という道祖神のような神様が崇められていたそうです。
道祖神とは旅人の安全を祈願する神様だそうですが、おそらく相模様は奥三面の人たちが猟の安全を祈願した神様だと思います。
かつて奥三面では「相模様より奥に行ってはいけない」というしきたりがあってどんなに獲物がいようと猟師は相模様が祀られている相模山より先へ行くことはありませんでした。
今回は五味沢から何度も相模様を犯して奥へ入ろうとしてそのたびに敗退させられました。
何度も挑戦し、そしてようやく最後に巣戸々山に登ることができ、相模様がやっと許してくれたのだと思いました。
日本の大半の山は残雪を利用すれば登れると言われております。
しかしそれは7割程度であり、3割くらいは残雪を辿っても登頂不可能と思われます。
私は残雪期に入山するような山は簡単だと感じています。
例えば私がここ近年足繁く通っている女川山塊などは残雪期だと痩せ尾根に雪が付いていて危険極まりなく、ある程度雪が落ちて藪になってからでなければ行くことができません。
この巣戸々山や袖朝日岳のある奥三面の山々も川で縦横無尽に囲まれており、危険な痩せ尾根もあって残雪期の入山はとても不可能であります。
これらの山々は安易に残雪期に入山できず、登頂は非常に難しいところでありますから、一生懸命考えて、突破口を見つけて登頂するといった楽しみがあります。
そして藪をいかに回避し、踏み跡や歴史ある道等を見つけながら登頂をめざすところに登山道の無い山々を目指す面白味があると思っています。
私は山に関しては妥協せず硬派を貫いてきたつもりです。
精神面や毛髪面では老化が進んでいるようですが、今回の五味沢からかなり厳しい山行を連続で実施することができ、腰は少々痛いのですが体力的にはまだまだ老化は進んでないということが確認できました。
そして私は誓い通り、今年からは精神的にも硬派を貫いております。
あの高桑さんの本に書かれたような私は今どこにもいません、今の私はまるで見違ったような別人となっています。
身も心も硬派になってしまいました、今年の私は一味も二味も違いますよ。
その証拠にこの前、人が大勢いる山に行ったときのこと…。
若い単独の女性が歩いておりました、追い越し際に声を掛けられたのですが、そっけなく挨拶のみでやり過ごすという快挙を達成しました。
去年までの私なら「こんにちは、あんたどこから来なすった?」なんてこと言って声を掛けてしまうのですが、今回は挨拶のみで一切お声掛けすることなく追い越して行きます。
それからも何人かの単独の女性を追い越しましたが、すべて挨拶しかしませんでした。
しかし山頂付近で出会った女性は美人だったので「あら、お綺麗な方が御一人で登山ですか?」「今日はお疲れでしょ、あんたどっから来なすったんだね?」と言って声を掛けました。
私は美人にだけしか声を掛けなくなるという、とても硬派なスタイルへと変貌していたのです。