高坪山 

 

国道290号沿線 小長谷集落から

 

1月30日 

 

 

 

先日、知り合いが葡萄山に登ってきたという話を聞きました。

 

詳しくは聞いていないが、おそらくルートは葡萄スキー場からだと思われます。

 

葡萄山はスキー場から登ると簡単で手っ取り早いのですが、スキーのついでに行くのならまだしも、あまりにも距離が短すぎるうえ、冬期間にスキー場から登るのもなんだなと思い、私も「今度、別ルートから登ってみよう」なんてことを考えておりました。

 

 

 

「さて、羽田さんや亀山さんは葡萄山をどこから登っているのだろう?」彼らの本を読んで調べているうちに今度は亀山さんの高坪山の山行記録が気になりはじめました。

 

 

 

高坪山は私の勤務する会社の裏山にあたる山で、近くには登山口があり国道7号線側や113号線側から登山道が切り開かれています。

 

この高坪山は蔵王山塊の最高峰であるにもかかわらず主峰は蔵王権現様が祀られている蔵王山となっているようで、麓民の信仰心が偲ばれる山塊であります。

 

当時の農業や医療などは未発達で、天災や飢饉、病気といったものを回避する手段としては神様に祈ることがとても大切だった時代であろうと思います。

 

御利益を授かろうと麓の人たちは必至で登拝して豊作、無病息災、家内安全、増毛をお祈りしたものだと思われます。

 

 

 

そんな国道7号線側の蔵王集落から登る登山道はおそらく元々は登拝路だったものと思われますが、国道290号線側からもかつては登拝路があったのではないかと思い、いつか290号沿線の集落から登ってみようと考えておりました。

 

そんな折、ちょうど亀山さんの山行記録が目に入った、という次第でした。

 

 

 

亀山さんの本には一番登りやすそうで有力な下荒沢集落からの登山記録が書かれておられましたし、さらに鍬江集落からの記録も書いておられるようでした。

 

しかしそこにはもうひとつ私が目に付けていた小長谷集落からの記録がなく、亀山さんのことですから、小長谷集落からも登っておられることでしょうけれど、おそらく他の人のことも考えて一つだけ残しておいてくれたものと思われます、やはり亀山さんはさすがです。

 

 

 

そこで小長谷集落から登ってみるということにしましたが、休日はいつも悪天になり、なかなか登ることができないでおりました。

 

私自身そんな中、正月明けから大詰めとなっていた大仕事が終わり、少し時間に余裕ができたので平日の登山日和に仕事をさぼって登ることにしました。

 

 

 

少し話が変わりますが一番登りやすく有力だと思われる下荒沢集落からのルートについてですが、実は3年ほど前に集中豪雨で集落から奥に入った山中の一部に大規模な土砂崩れが発生し、災害復旧の工事設計を私の方でさせていただいておりました。

 

そしてこの冬にようやく工事が着手され、私の勤務する会社で工事を受注し、現在のところは工事中の状態であり、もちろん私の勤務する会社の作業員の皆様が毎日そこでせっせと働いているわけにてございます。

 

 

 

そんなことで本来なら亀山さんが残してくれた小長谷集落から登って、下山は一番歩きやすそうな下荒沢集落ルートにしたかったのですが、平日に下荒沢集落の辺りをうろちょうろするのは大変にまずいことですので、仕方がないから小長谷集落から往路下山をすることにしました。

 

それにしてもそんな事情を知ってか知らずか、小長谷集落からのルートを残しておいてくれた亀山さんにはつくづく助けていただきました。

 

 

 

登山当日の朝は何食わぬ顔で会社に出勤します、登山道具はすでに会社の車の中に備え付けてあります。

 

朝一番で下荒沢集落の災害復旧工事現場に寄って、作業員の皆様に「今日は用事があって忙しい、あとでまた来るけどよろしく頼む」と言って小長谷集落に向かいました。

 

 

 

集落の最奥に車を止めて林道を歩き始めると、先ほどの工事現場の作業員から早速電話がかかってきた。

 

今しがた「よろしく頼む」と言って出てきたばかりなのに何の用かと思って電話に出てみると「現場近くの木に自生しているキノコを見つけた、食べられるものなのかあとで見に来てほしい」といった内容のものでした。

 

「作業中にキノコを採取しようなんてまったくけしからん!」。

 

確かにこの付近はナラなどの広葉樹林帯であり、この時期はヒラタケなどが採取できそうです、ということで私も木々をよく観察しながら歩くことにしました。

 

 

 

この辺は例年だと積雪は2m以上になるような下越地方の中では最も豪雪の地帯であります、本来のところ林道を進むには深いラッセルを強いられるところでしょうけれど、今年に限って積雪は50cmほどしかなく、硬く締まった雪上を楽に歩行することができました。

 

 

 

林道をしばらく進むと鉄塔のある小高い台地状の広場に出て、そこから尾根に取り付きます、地図上では2か所ほどの難所があり、最初の登りが第一の難所でした。

 

しかしここは少し急な斜面ですが、それほどのものでもなく簡単に登りきることができました。

 

ここを登りきってしまうといくらかなだらかになり、尾根もちょうど良く痩せてきて一直線に進むようになります。

 

やがて稜線手前までくると第二の難所にかかりますが、ここも急な登りではありましたが地図で見るほどではなく、労せず国道113号線からくる登山道と合流しました。

 

ここからは日本海が見えるようになって、広い尾根に心休まるブナの木々が立ち並び、それが高坪山山頂まで続きました。

 

平日と言うこともあったのでしょうけれど人の気配はまったく無く、静かで落ち着いた山を楽しむことができました。

 

ここはおそらく休日でも人の出入りはそれほどないところだと思います。

 

 

 

 

 

高坪山の坪とは古語で庭のことをいうのだそうで、例えば飯豊の大日杉登山道には御坪という地名がありますし、朝日連峰の以東岳手前にもオツボ峰というところがあります。

 

麓からは良く目立つ高坪山は高いところにある庭という意味なのかもしれませんし、あるいは高頭(たかつむり)が(たかつぼ)に転じたのではという説もあるようです。

 

 

 

かつてこの付近一帯は原油が採掘されていたようで、黒い水が出るというところから黒川村と名付けられたというように、高坪山周辺にも多くの油壺が点在していたということです。

 

確かに会社のすぐ前の田んぼの中にも未だに油壺が存在していて、その大きさは巾10m、奥行きは5m、深さ3m程度の大穴です。

 

この油壺から時々近所の爺様が原油を汲み上げている姿を目にします。

 

なんでも原油を買ってくれるところがあるのだそうですが、昔と違って安くなり今となっては小遣にもならなくなったと言っておりました。

 

それから勤務する会社の社長から聞いた話ですが、これは社長が地元の消防団に在籍中に起きた出来事だそうで、地元の下館集落の人が裏山へ山菜取りに出かけたそうですが夜になっても帰ってこなくて消防団が探しに行ったところ、藪の中から深さ20mもある油壺が見つかり、そこに転落して亡くなっていたということがあったのだそうです。

 

 

 

以前は原油採掘が盛んだったということで、私は高坪山の坪はこの油壺からきているのではないかと思うのですが、どうでしょうか?

 

 

 

無事に下山後、工事現場へ行って作業員が見つけたキノコを確認するとやはりそれはヒラタケでした。

 

私は作業員に「勤務中にキノコ採りなどしてはいけません!」と注意しました。

 

でも実はその時、私の車には下山時に採取したヒラタケが登山道具と共にそっと隠されておりました。

 

 

 

工事現場はあと数日で完成し、作業員の方たちもそこから姿を消すことになります、そうしたら是非また今度は小長谷コースと下荒沢コースを周回するために訪れてみたいと思います、でも油壺に落ちないよう注意しながら歩かなければなりません。

 

 

 

コースタイム

 

小長谷集落 30分 鉄塔台地 1時間30分 高坪山山頂 55分 鉄塔台地 30分 小長谷集落

 

 

 

追記

 

前回の日記のなかで日記を自粛するようなことを書きましたが、早速また書いてしまいました。

 

それは今回のルートが国道290号沿線の集落から登ったということと、雪に鎖ざされた高坪山はとても静寂なところだったから書いてみました。

 

 

 

もうひとつ追記 後日談

 

その後、2月2日の日曜日に再び今度は下荒沢集落から高坪山を訪れてきました。

 

下荒沢集落から登って小長谷集落へ下りる周回ルートをとりましたが、そのまま小長谷集落まで行くと国道290号線を2km近く歩くことになり、それが嫌だったので無理やり沢を渡渉して下荒沢集落へと下りました。

 

下荒沢からのルートは地図通り終始なだらかで小長谷からのルート以上に歩きやすい尾根でした。

 

この日も人と会うことはありませんでしたが、登山道と合流すると雪上には複数の足跡があり、おそらく天気が良かった昨日のものと思われ、天気の良い休日には数名程度の登山者が入山していることが分かります。

 

ただ少々驚いたのは下荒沢集落からの登りでは昨日歩いたと思われるワカンの足跡があり、小長谷集落の下山ルートでもやはり昨日の物と思われるスノーシューの足跡が確認され、ここを歩くマニアな人がいるということを思い知らされました。