飯豊連峰 変則環状縦走 

水晶尾根~大日岳~烏帽子山~蒜場山

54日~6

 

会社帰りにちょっと寄り道をして山道へと入って行く。

辺りはもう薄暗くなってきており、急いで目的の所へと向かおうとするが道路は雪で閉ざされていた。

「ああ、まだダメだな」そう呟き、諦めて家路に戻る。

今年はいつまでも寒く、道路の雪が消えなくて何回かそんなことを繰り返しました。

こんな気候に親が体調を崩してしまい、好きな山菜でも採って食べさせてあげようと山に向かうのですが、山菜はまだのようです。

春の香りを感じられればそれで十分、たくさんはいらないのですがなかなか今年の初物に出会うことができません。

せっかく私としては珍しく親孝行を思いついたのに…。

母親はいつも私の顔を見るたびに「山ばっか行ってんじゃねえ、遭難したらどうすんだ!」と怒鳴り、うるさくて仕方がありません。

実のところたまに親孝行をすると怒鳴る回数が減るので、そんな下心も少々あったわけです。

 

 

去年のゴールデンウィーク前半に朝日連峰北部のバリエーションルートを歩きました。

そして連休の後半は飯豊の水晶尾根に向かう予定でしたが悪天に見舞われてしまい断念を余儀なくされ、その時点から来年こそは水晶尾根と思っておりました。

しかし先ほども申し上げましたように、今年の春は例年にも増して異常気象で、5月に入っても山の雪は減るどころか季節外れの寒波のおかげで新たに積雪が増える一方でした。

天気には非常にやきもきさせられましたが、53日は寒気の影響が大きいようなので回避し、何とか54日あたりから徐々に寒気が抜けて回復傾向になるようなので、あまり良い条件ではないにしろどうにか行けそうなので、いろいろなエスケープルートを考えたうえで水晶尾根の末端、実川集落へと向かいました。

 

水晶尾根といえばダイコンオロシ、おろし金のようなざらざらした岩場が名物ですが、岩場の通過というよりも藪の急な登りが通過に困難を極めるところであり、それ以外はあまり特徴のないような尾根であります。

ダイコンオロシだけがあまりにも強烈な印象があるので、水晶尾根を登りたいと思うよりはダイコンオロシに登ってみたいと思う人も多いようです。

このダイコンオロシがあるおかげで飯豊のバリエーションルートの中ではおそらく蒜場~大日あるいは二王子~門内についで入山者が多いルートなのではないでしょうか。

 

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車は期待してなかった実川集落まで入ることができ、これには非常に助かりました。

登り口は山神社の看板と東北電力の鉄塔巡視路の小さな黄色い看板があるところから入ります。

ここから鉄塔に沿って巡視路を登りますが、しばらくは登山道並みの道です。

いくつかの鉄塔を越えると巡視路は尾根からはずれ、右の谷に大きく下って行くので、左へ向かうことはすぐに気が付きます。

薄い藪をしばらく進むと、遠くに急な山の斜面が見えるようになり、それがダイコンオロシだということは簡単に分かります。

やがてダイコンオロシが近づくにつれ徐々に濃くなっていく藪、そして視線の先には要塞のごとく切り立つおろし金状の岩場。

気が付くといつの間にかダイコンオロシは私の目の前に立ちふさがっていて、恐怖のあまりオシッコがちびりそうになります。

いやいやオシッコならまだしも大きいのまで漏らしそうです。

しかし躊躇などしていられません、意を決して灌木に掴まりながら岩場を登り始めました。

下部の岩場を通過すると今度はかなり急で非常に密度の濃い藪が待っております。

この藪が鳴く子も黙るダイコンオロシの核心部であり、暫しの区間は足で登るというよりも手で登るような感覚で進みました。

喘ぎながらも斜面の上部に出るが藪は相変わらず続き、水晶峰まで濃い藪は続くのでした。

そして水晶峰で一息、それにしてもダイコンオロシで8割方体力を使い切ってしまいました。

 

水晶峰は広くなだらかな雪原となっており、休憩にちょうどいいところなので、ここで昼食タイムです。

水晶の付く山名は各地にあり、北アルプスの水晶岳などは水晶を産出したところからきているとのことですが、この水晶峰はいつまでも残雪が残り、水晶のように眩しく輝いて見えるといったところからきていると推測しますが、どうでしょう?

 

昼食も終わり、水晶峰を下りきると再び藪の中に突入しなければなりません、一時よりは薄くなったもののもがきながらの前進は続きました。

笠掛峰手前まで来るとやがてようやく雪原歩きとなり、今度は足首まで埋まりながら、安定しない雪面に苦労しながら少しずつ高度を上げていきました。

この笠掛峰は名前の通り、菅笠を被ったような形からきているとのことです。

 

曇りがちだった天気も青空の比率が増し、遠く烏帽子山はすっかり姿を現しています。向かう大日岳方面にはまだ雲があるようですが、晴れるのは時間の問題。

ただ高度を上げるにつれ風が強まってきます、下手に上まで行ってしまうとテント設営が大変だ、セオリー通り今日は森林限界手前で幕営することにしました。

鞍部は風の通り道、この時期のテントは鞍部よりピークの方が良い。

時間は16時すぎ、まだ早いですがダイコンオロシ通過で疲れていることですし、ちょっと小広くなった標高1550m付近の疎らになった木々の間で幕営することに決めました。

 

夜は風の音は賑やかでしたが、周囲の木々に風は遮られテントは揺すられることなく夜は深まっていきました。

一人、静かな山の夜。テントから顔を出すと星が輝き眼下には西会津の夜景が見えます、とても贅沢な夜を惜しみながら眠りにつきました。

 

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強風下でテントを撤収し早々に大日岳に向かいます。今日は下越山岳会御一行様が大環状で大日岳を通過します、私も大日岳で御一行様と合流しようと目論んでおりました。

もし彼らが私より先に大日岳を通過してしまうと合流はどうなるか分かりません。

何とか彼らより先に大日岳に到着し、待っていようという魂胆でおりました。

そんなこともあって急ぎ足でまずは1680m峰に向かいます。

国土地理院25千分の一地形図では1680mとだけ表記されているこの峰は昭文社の登山地図にオコナイ峰という名前で掲載されています。日本山名辞典にもこのオコナイ峰は掲載されており、国土地理院地形図に掲載されていないのに山名辞典に記載されているというのは珍しいケースです。

山名については何だかアイヌの言葉を連想させますし、あるいは地元鹿瀬の方言から来ている可能性もあり、由来についてはまったく分かりません。

 

オコナイ峰まで来ると大日岳は近くに見え、ガスってはいませんが強風が吹き荒れているのがここからでもよく分かります。

岩場の櫛ガ峰を過ぎると早川のつきあげというところに出て、ここから登山道と合流しますが、猛烈な雪庇が登山道側に突き出ていて、これじゃあとても下からは登って来られないでしょう。

辺り一面は真冬の様相を呈しており、末恐ろしさすら覚えます。

牛首山に到着したところでちょっと休憩、牛首という地名や山名は各地にあり、牛頭大王を祀ったとされているところもあるそうですが、ほとんどは地形が牛の首から肩にかけての形に似ているところからきているのだそうです。

このことは日本山名辞典ではなく世界山名辞典に書いてありました。

 

牛首山の岩の陰で風を凌いで一息つきながら携帯電話を確認すると、下越山岳会御一行様は30分ほど前に御西小屋を出たというメールが入っております。

「こりゃあまずい!このままじゃ先に彼らが大日岳を通過してしまう。」慌てて牛首山を出発、小走りで大日岳に向かいますが、山頂最後の急登が非常に大変です。

それでもじたばたしながら何とか急坂を登り終え、山頂手前まで来ました。

大日岳山頂から大勢の登山者がぞろぞろとこちらに向かって下りて来るのが見えます、それが新潟山岳会御一行様の団体だとすれ違った時にようやく気が付きました。

ほとんど山岳会同士の交流会などの行事に参加しない私はこんなところでもないと会うことはありません。

久しぶりに会った彼らとは少々の言葉を交わし、早々に目前に迫った大日岳の山頂を踏み、下越御一行様の姿を探しました。

山頂は強い風が吹いているのみで人の姿はありません、西大日岳方向を見ても人の姿は確認できません。

おかしいなと思いながらちょっと飯豊本山側に下るとようやくそこに三人の雄姿を発見することができました。

私は走り寄り固い握手を交わし、そしてここから合流。珍道中が幕開けする運びとなりました。

 

ここからは私も久しぶりに複数の人たちと歩くことになります、ちゃんとついていけるものか、休憩パターンやペースなどは大丈夫か少々の不安がありました。

歩くのが遅くて迷惑をかけてはいけないと思い、一生懸命歩きました。

すると後ろから「早すぎるよ!」と声が飛んできます、「うーん、加減が難しい」、それに私の場合は最低でも2時間は休憩せずに歩きますが、短時間の休憩が頻繁にあり、比較的楽にすんなりと一緒に歩くことができました。

 

この蒜場山に続く尾根は飯豊でも屈指の美しい尾根だと思います。

全体的に広く大らかで素晴らしい景観はバリエーションルートでも随一と言ってもよさそうです。

蒜場山から飯豊最高峰の大日岳に突き上げ、途中には秘境中の秘境である烏帽子山を擁しているなど、この尾根の魅力はつきることがありません。

そんなこともあってここ数年に入山者は激増しているようです。

 

尾根の途中には秘峰の烏帽子山の他に実川山、キンカ穴峰、マグソ穴峰、高立山などの峰々や丸子カル、稲葉の平などといったところを通過していきます。

それにしてもキンカ穴峰、マグソ穴峰とはいったい何なのだろう?

キンカとは赤い剥げ頭のことを言うそうで、今回は雪に覆われておりましたが、確かにキンカ穴峰は木々が生えてない岩場で形成された峰です。ただ岩肌が赤かったかは覚えていません。

私はここを通過するとき頭が日焼けして自分がキンカ穴峰になってしまわないよう、いつもしっかりと帽子を被るようにしております。

次のマグソ穴峰は何なのでしょう?馬糞ではなく熊糞の間違いじゃないですかね?いずれにしても臭そうなのでいつも早々に立ち去るように通過しております。

そして今日はこれらの峰々を越えて烏帽子山に登りました。

久しぶりに訪れた烏帽子山で今日の行程は終了です、北峰と本峰の間にはテントがいくつか張れる台地があります。

以前からここで幕営したいと思っていて、ようやく念願が叶うことになりました。

烏帽子の鞍部で下越御一行様テントと私の一人用テントを張り、私は御一行様テントへ遊びに行き、いろいろ語り合いました。

残念ながら酒が無くなってしまっていたのでコーヒーを飲みながらでしたが、これまた久しぶりに一人ではない夜に、たまには賑やかな夜もいいもんだと思いました。

 

明日は4時起床ということで、眠るとき私は自分の家に帰りましたが床に就いてからしばらくすると、何やら御一行様テントが賑やかになっています。

やがてガスを炊き始めたようで何やら食事を始めるような音が聞こえてきました。

「あれ、もう朝か。起きなくっちゃ」時計をみると夜中の1230分。

「時計が壊れてしまったようだ、下山したら新しいの買わなくっちゃ」ウトウトしながらそんなことを考えていると、御一行様テントは静かになり、再び寝息が聞こえ始めました。

私もいつの間にか寝てしまったようで、次は夜明け前の淡い日差しに目が覚めました、時計は4時ちょうど。

御一行様テントも目覚めているようで再びガスと食事の音が聞こえてきます。

「確かに昨晩は食事をしていたようだが、あれは空耳だったのか?私が寝ぼけていたのか、あるいは彼らは夢遊病者なのだろうか?」

まあそんなことよりも、とにかく遅くなって迷惑をかけることだけは避けたいので、急いで朝食を食べ、早々にテントを撤収しました。

皆さんとはほぼ同時に撤収とパッキングが終わり、これから最後の一日が始まります。

出発前に昨日の夜中のことを聞いてみると、なんと夜食を食べたということでした、食欲旺盛だなあ!

でも時計が壊れていたわけではなかったので良かったです。

 

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朝は冷え込んだようで雪面は固く、歩きやすくなっておりますが、今日の陽射しでは足が埋まり始めるのも時間の問題、そう思って一生懸命歩きますが丸子カルあたりではすでにシャーベット歩きになっておりました。

丸子カルはいくつかのピークがありますが、一番大きなピークの手前の小さなチビ丸子ちゃんで少々の休憩をとると、ちょうど朝日が烏帽子山から登るのが見えました。

 

丸子カルもまた何故に丸子カルなのか?近くに安兵衛カルというところがあり、安兵衛と同様に丸子は人名なのかもしれません。カルは小広い台地という意味だと思われます。

丸子カルから稲葉の平までは一投足で着きます。稲作地を思わせる湿地帯の稲葉の平は例年ですと美味しい水がとれるのですが、今回は水場が雪に覆われていて水をとることができませんでした。

 

気温はどんどん上がり、体力の消耗は激しさを増していきます、雪面はシャーベット状で歩きにくくて仕方がありません。

稲葉の平から蒜場山までは登り中心の歩きとなりますが、ここにきて長い登りはとても辛いものでした。

最後の急な登りの手前で迎えの方たちに無線連絡をすると佐久間さんが応答してくれ「蒜場山頂に着いた、ビールを冷やしておくよ」との返事です。

そして遥か上方から「おーい」と声が聞こえてくるではありませんか。

長い長い山旅ももうすぐ終わりを迎えます。あと少し、我々4人は最後の力を振り絞って蒜場山へと向かいました。

そして大勢の迎えの方たちとビールが待っている蒜場山頂に到着、私も大環状御一行様と同じように温かく迎えいれていただきました。

 

 

大環状の皆さんは悪天候の中、完歩したことは大変に素晴らしいことだと思います。人ごとでありますが、なんだか私まで嬉しくなりました。

自分自身も今回は何環状と言えばいいものか、変則環状縦走を無事に完歩できましたが、自分の山行を忘れてしまうくらい嬉しく感じます。

 

それから下越山岳会の別働隊が入り平尾根を登ったそうで、私の山行を含めるとこの連休中に下越山岳会の方たちは飯豊でそれぞれ三つのバリエーションルートを歩いていたことになりますね、さすが下越山岳会です。

 

私が憧れていた下越山岳会は皆さん力も知識も経験も十分に持ち合わせている人たちばかりなのに最近は大きな山行が無いようで、ちょっとガッカリしていたところだったのでいっそう嬉しく感じてしまったのでありました。

ほんの少しだけですが見直してさしあげましょう。(なーんてね…、すいません)

 

 

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無事に下山を果たし、疲れた体を引きずりながら翌日すぐに会社に出勤、仕事で山奥の集落へ向かった。

車から降りると私の足元には蕨が群生しています。

「ああ、ようやく山菜が出はじめたな」私は採りたい衝動に駆られております、しかし集落にはいたる所に山菜採取禁止の立札が…。

 

そんな時、近くにいた婆様が「おめさん、蕨採っていぎなせ。」(通訳:そこの若くて美しいお兄さん、蕨採っていっていいよ)と私に声を掛けてくれました。

「いいんですか!」と言いながらも私の手はすでに数本の蕨を握りしめておりました。

その日の夜、さっそく蕨を親に食わせようと久しぶりに実家へ行くと、ちょっと暖かくなったせいか親は元気になっていて「山に行って蕨採ってきたよ、おめえも食うか?」と言われました。

私は思わず「山なんか行ってんじゃねえ、遭難したらどうすんだ!」と言いました。

 

 

コースタイム

実川集落6:10 最後の鉄塔7:55 ダイコンオロシ下11:30 水晶峰12:25~13:00 笠掛峰15:30 1550m峰(幕営地16:20)

 

幕営地6:20 櫛ガ峰7:40 牛首山8:30 大日岳10:00 烏帽子北峰15:20 烏帽子岳~鞍部(幕営地)16:00

 

鞍部6:00 丸子カル7:25~7:45 稲葉ノ平8:05 蒜場山11:45~12:45 治水ダム16:10