飯豊山小屋修繕その4

812日~13

大日杉~御西小屋

825日~27

丸森尾根~門内小屋と頼母木小屋

 

今年の梅雨は非常に長かったうえに休むことなく毎日ひたすら雨が降り続けました。

こんな長く降り続いたことは記憶にありません。

この期間中、登山をする皆さんはどうされていたものでしょう?

雨予報でなく曇り空の日でも飯豊の様なその山域の高峰にあたるようなところは雲が集まりやすく常に雨が降っていたことでしょうし、ましてや日帰りでは困難なところなので入山しにくいものだと思われます。

晴れると信じて雨に逆らって入山するかでもしないと、とても登ることはできないようなそんな梅雨空が延々と続きました。

飯豊のような高峰が無理なら、近くの低山に登られる方も多く居られたことでしょう。

私は近くの低山に好きな山はありませんので、普通なら晴耕雨読を貫くのですが、あまりに続く長雨に運動不足となり、とうとう我慢できず午前と午後にひとつずつ低山を登ったりして運動不足の解消に努めておりました。

 

どうせ登るなら俗界から少し離れた山が良いと思い、人気のないところを選んで登っていた次第です。

 

そうこうするうちにやがて季節はお盆になり、ようやく梅雨が去っていったようで二か月ぶりに晴れ間が戻ってきました。

私はもう一度、御西小屋の最後の工事の締めをしたくて晴れる日を待ち続けており、そしてやっとその機会が巡ってきました。

 

812日~13日 御西小屋

飯豊連峰の奥深くに位置する御西小屋へ至るには今年の場合は大雨による土砂崩れがおきていたり橋が流されたりしていて限られてしまっております。

今回は無難に被害がほとんどなかった大日杉コースを辿って行くことにしました。

 

それにしても久しぶりの大日杉はやはり急です、それに梅雨明け直後なので暑くて仕方がありません。

今年は仕事で訪れる機会が多くヘリに乗って楽をしてばかりだったので長く厳しい飯豊の登りは怠けた身体にはこたえます、暑いということもあってとにかくゆっくり登ることにしました。

 

私自身この大日杉コースは数えきれないほど登っておりますが、今回は久しぶりで、多分3年ぶりくらいになると思います。

しかし何度訪れてもこのルートは辛いですね、私個人的には川入ルートが一番好きですし、御西小屋に行くのなら御幣松尾根は急ですが距離がやや短めなので勝負が早くていくらか楽に行けるように思います。

 

大日杉コースはいろいろなところで紹介されているでしょうからここでは詳しく書きませんが、ルート全体を要約して書いておきます。

登り始めるとすぐに懺悔坂という高度差30m近くある長い鎖場を通過します、その後、大きな御神木がある御田を通過し、長之助清水を越えてから延々と続く苦しい急坂を登り終えると地蔵岳に至ります。

地蔵岳からは何度も登り下りを繰り返しなかなか高度が上がりません、右側には手に取るように飯豊本山が近くに見えます。

私はこの登り下りを繰り返す区間が嫌いです、ダイグラ尾根の鋸状尾根はあそこまで酷いと逆に諦めがつきますが、どうもここは無駄な区間に思えて仕方ありません、いつも「勘弁してほしい」と思いながら歩くところです。

またこの区間は飯豊連峰中随一のヒメサユリが咲くところで6月半ば頃から7月半ば頃にかけてはヒメサユリロードになるようなところでもあります。

そんな区間の最後に風通りがよく岳樺の木々が木陰を作る気持ちのいい場所で庭と言う意味の御坪を過ぎるとようやく切合わせ小屋の登りにとりかかり、ハクサンコザクラ咲く水場を通過して切合わせ小屋となります。

尚、この水場は二つの沢からなりますが、奥の方の小さい沢水の方が格段に冷たくて美味しい水を得ることができます。

切合わせ小屋にも水場はありますが、ぬるいので私はいつもここで補給していきます。

 

切合わせ小屋で標高はすでに1700mを越えておりますが、ここでようやく森林限界を迎えるようです。

ちなみに飯豊連峰の北部では森林限界が1400mから1500m程度だと思われますので、やはり南部と北部では気候が違うせいなのか、植生もそれなりに違っているように思います。

 

切合わせ小屋から草履塚の登りは急になります、結構長くて苦しい坂を登りきると登拝者がここで草履を履きかえたといわれる草履塚山頂に出ます。

せっかく長い坂を登り切ったのに…、それなのにまた随分と長い坂を下って石仏のある姥権現に着きます。これは旧熱塩加納村の小松マエさんという女性が女人禁制を破って登り、神の怒りにふれてしまい石にされてしまったというところです。ところで誰が作ったものかこの石仏はとても巨乳です、男性登山者の心を癒す意気な計らいに感謝です!

 

そしてすぐに御秘所といわれる岩場に出ますが、旧熱塩加納村の男子が小学校5年生になると飯豊に登拝する風習があったそうですが、この御秘所を通過できない子供は根性なしというふうに村ではあつかわれたそうです。

 

そして最後の難所である御前坂を登りきれば飯豊本山と言うことになり、あとは広くなだらかな天国のような稜線を小一時間ほど歩けば御西小屋に至ります。

この大日杉コースも川入や弥平四郎と同様に通過点の随所に現れる名称からもわかるように当時は重要な登拝路だったということが考えられます。

 

天気は上々、私は2か月ぶりに晴れたという飯豊の稜線を悠々楽しみながら、管理人の羽田さんの待つ御西小屋へとたどり着きました。

御西小屋では少々の作業があり、到着するなり早々に作業に取り掛かったところでNHKが「にっぽん百名山」という番組収録のためにやってきました。

 

ディレクターが「小屋に入るところを撮影しますので、管理人さんは入り口付近で挨拶しているところを撮影させて下さい」と言いました。

本来は羽田さんが管理人ですがやはりテレビに映るなら私しかいないということで私が入り口付近で管理人よろしく、挨拶をさせて頂きました。

「こんなことなら髭を剃って綺麗になって来るんだった」とか「いつ何時なにがあるかわからないからやはり山へ来るときはスーツだな」とか「増毛してくるんだった!」とか反省の弁はつきません。

今回の山行ではいろいろな失敗と反省点が明るみになりました。

「まあいつも人は失敗を繰り返しながら成功に繋げるのですから、この次から頑張りましょう!」と自分に言い聞かせました。

「それにしてもカットされなければいいですがねー…」これは1021日にBSで放送されるそうです。

 

この日は一通り作業を終わらせ、管理人の羽田さんと酒を酌み交わしながら夜を迎えました。

今晩は何とかという流星群がピークだったそうで、確かに外でおしっこを出しながら星空を見上げると大きな粒ぞろいの星がびっしりと夜空を埋め尽くし、時々は流れて消えていく光の帯に私は願い事を言います。

「冬の荒れた日本海、厳寒の海で荒波にもまれながらたくましく岩にへばりついているあの岩海苔のように私はなりたい、いや私というよりもそんな髪の毛が私はほしい、頭部にびっしりと岩海苔のごとくこびり付き、やがて黒くなりどんどん成長を遂げてほしいと私は願います…。」酔っぱらっているので口がうまく回らずとても苦労しましたがどうにか私は星に祈りを捧げることができました、御利益はあるのでしょうか?今後が楽しみです。

 

825日~27日 門内小屋と頼母木小屋

数年前から頼母木小屋の雨漏りが方々で指摘されておりましたが、アベノミクスの影響からなのかようやく修理する方向で話が定まりました。

さらに飯豊連峰内でも最も老朽化が著しい門内小屋で、おそらく凍結と融解が数年にわたって繰り返されてきたのが原因だと思われますが、2階の屋根裏の壁部分がボロボロと崩れてきていて危険な状態にあるということで、そこも修理をし、さらにその門内小屋周囲では地盤が沈下している部分があって、それが原因で小屋が傾いてきているので入口のドア開閉に影響が出てきています。

厳冬期の飯豊稜線は風で雪が飛ばされカチンカチンの氷の世界になりますが門内岳周辺は雪が吹き溜まるところで、ここだけ3mほど雪が積もるようです、その影響を受けているのだと思いますが、いわゆる雪害が原因ということは明らかなようです。

それらの修理と、さらに御西小屋が部分的に雨漏りをするヶ所があるということでそれぞれの修理方法や必要な資材機材を計画するために頼母木小屋と門内小屋を視察と言うかたちで訪れることになりました。

御西小屋についてはお盆に訪れているので今回は行きません。

門内小屋には高桑さんが管理人として常駐しているのでその期間に一度は訪れたいと思っていたので、ちょうど良かったです。

でもそれ以上に大変に好都合なことがありまして、頼母木小屋には女性の管理人さんが入っているので、これはさらにちょうど良かったなと思いました。

そんなことで高桑さんに下界からのお土産を少々、頼母木小屋の女性管理人さんにはいっぱいお土産を持って訪れることにしました。

 

実は今年の春先に飯豊胎内の会管理人組合の会議が開かれ、その時から女性の管理人さんが頼母木小屋に入ることは決まっていました。

私は事務局である亀山さんに「頼母木小屋の女性管理人さんはいつ入るのですか?」と聞くと「行くのか?」と聞かれたので「もちろん!当たり前です!」と答えると「お前にだけは絶対に教えられない」と断られました。

私は「今度おごりますから」とか「これからは真面目になります、だからお願いです」とか、とりあえず適当なことを言って何度も食い下がりましが、亀山さんは頑として教えてくれませんでした。

 

ところがある日のこと、管理人常駐の日程表が送られて来て、そこには管理人さんの日程が明確の記載されているではありませんか!

おそらく飯豊胎内の会会員の皆さんに管理人の日程を周知してもらおうと配布されたのではないでしょうか。

まんまと日程を知った私は当然のことながら頼母木小屋と門内小屋の視察日程をその期間に照準を合わせました。

 

門内小屋と頼母木小屋へ行くにあたって比較的最適なルートとしては足の松尾根、梶川尾根、丸森尾根といった選択肢があろうかと思いますが、小屋の中間付近稜線に出る丸森尾根を使うことにしました。

丸森尾根はあまりにも急登の連続ということで嫌う人も多くいるようで入山者は隣の梶川尾根の方が多いようです。

しかし急な分、登りに要する時間は短くて済みます、しかし下りに関しては急すぎてトントン拍子とはいかないので、私個人的にはよく登りに丸森尾根、下りに梶川尾根を利用しております。

今回は頼母木小屋と門内小屋を行ったり来たりすることになるので尚更のこと小屋の中間付近に出る丸森尾根を利用することとなったのです。

 

まずは多くのお土産を持って頼母木小屋を目指します。

頼母木小屋へお土産持って行き、視察後に高桑さんが待つ門内小屋へと向かう予定でおりました。

結構な量のお土産だったので荷物もやや重くなり、苦労しながら地神北峰直下辺りまで来ると、そこには高桑さんの姿がありました。

久々の晴天に頼母木小屋へ残暑見舞いに行くそうで、丸森尾根の合流点付近で私のことを待っていてくれたそうです。

地神北峰からは高桑さんと二人で頼母木小屋へと向かいました、実は高桑さんとは前々から一緒に歩かせてもらいと思っておりました。

私は単独行がほとんどなのでたまに他の人と歩いた時、特に山のエキスパートと歩くと一人では分からなかったようなことに気が付くことがあります。

飲む機会は何度もありましたが一緒に山を歩くのはこれが初めてです。

ほんの些細なことでありますがやはり話を聞くよりも、具体的にはうまく言えませんが、はるかに気が付くことが多くあると思いました。

たかが地神北峰から頼母木小屋までというほんの僅かな区間でしたが、飲むこと以外のことができて良かったです、ただもっと長い距離を歩いてみたいと思いますが…、そのうちチャンスがあるでしょう。

 

頼母木小屋に着くと中条の中村さんが管理人さん支援のために来ておられました。

私が頼母木小屋を視察しているうちに女性管理人さんと中村さんが昼食を作ってくれたので御馳走になりました。

皆で昼食を食べていると雨が降ってきたので止むまでしばらく休憩することにしましたが、門内小屋の管理人である高桑さんは早めに戻らなければなりません、高桑さんに「一緒に行くか?」と聞かれ、高桑さんとまた一緒に歩けると思ったのでしたが頼母木小屋は女性管理人さんなのでそれどころの話ではありません、私は「しばらく休んでから行きます」と答えて女性管理人さんとの管理人業務や会話を楽しむことにしました。

やがて雨はすっかり止み時刻は夕刻に近づいてきたので「明日また来ますね」そう答えると足早に門内小屋へと向かいました。

そして門内小屋ではすでに高桑さんと藪山の大先輩である武田さんが酒を酌み交わしておられました。

私もすぐに輪の中に入り山の話でも聞こうかと思うと何故だかまた女性の口説き方の話で私の独壇場になり、武田さんまで巻き込んで夜はおごそかに更けていくのでした。

 

翌日、宿泊していた人が出かけたのを見計らい、視察作業にとりかかりました、そうこうするうちに昨日頼母木小屋に泊まっていた中村さんがやってきて、建てつけの悪くなっているようなところを簡易的に修理するということで私も手伝いました。

その後、武田さんはエブリ差岳へ向かい、中村さんは下山するということで、私は素晴らしい秋晴れの下、北俣岳方面まで散歩に出かけたりしてのんびりと過ごしておりました。

門内小屋へ戻り高桑さんと昼から一杯やり始めながら夕方頃でも頼母木へ行こうかなと考えていると、山と渓谷という雑誌の方が取材のためにやってこられました。

本来の管理人さんは高桑さんなのですが、私が管理人として取材に応じ、写真を何枚も撮られてしまいました。

その取材の方は私の写真を撮るとどういうわけか逆行になると言っておられました、露出の補正をしながら苦労して私のことを撮影していたみたいです。

ひとこと言ってくれれば、帽子でも被ったのに…。

 

夕方になって頼母木小屋へと向かうつもりでしたが、山と渓谷の取材の方は女性ということもあり、結局なんだかんだ言いながらも、もう一泊門内小屋に泊まることになりました。

しかしさすがに女性が一人いるということで夜は女性の口説き方の話題は出ませんでした、やはり気が付ないうちに自粛してしまうようです、いやもしかしたら自分でも知らず知らずのうちに真面目になったのかもしれません。

そんなことで飲みながらの会話は普通の内容でしたが、なんだか初めて高桑さんと普通の会話をしたような気がしました。

 

朝方、大きな雷と猛烈な雨が飯豊を襲いましたが、夜明け頃に雨は止み宿泊者は次から次へと出かけて行きました。

私も今日の昼ころまでに下山して会社へ戻らなければなりません、稜線上はまだガスに包まれておりましたが仕方がない、私はやや早めに門内小屋を発ち頼母木小屋へ再び視察のために立ち寄って簡単な作業をしてから下山、今回の視察登山を無事に終えることができました。

 

悪条件のところに建設されている山小屋は老朽化も手伝って頻繁に修理箇所が見つかります。

こんな状況ですと来年あるいは再来年の作業が今後もまだまだ発生しそうです。

趣味と仕事が一緒で羨ましいと皆さん思われるかもしれませんが、これはこれで結構大変なものですよ。

できれば仕事のことなどすっかり忘れて山を訪れたいものです。

 

ああ、それから97日~8日は門内小屋に管理人として入ります。

御西小屋で偽管理人としてNHKのテレビカメラに収まり、門内小屋でも偽管理人として山と渓谷のカメラに収まりましたが、ようやく本物の管理人として入ります「でも本物の時こそ取材は来ないのだろうなー、天気悪そうだし…。」

それにその日は飯豊保全事業の日だから皆さんはそちらに行くことでしょうしね。

それから98日まで私の所属する下越山岳会の80周年を記念して新発田市のいきいき館というところで写真展をやっています。

私も控えめに小さな写真を二点ほど出展提供させてもらいました、そちらにもぜひ足を運んでもらいたいと思うのですが…、でももし良かったら保全事業に参加しない人で天気悪くても大丈夫で写真展は下山後に行こうと思う人、門内小屋に遊びにきてくださいね、ビールくらいおごりますよ。