飯豊山小屋修繕事情その3

6月20日~21日

6月23日~27日

7月1日~2日

御西小屋トイレ建替、頼母木小屋倉庫ドアと窓修理

 

富士山が世界遺産の登録されることになって以来、テレビでは頻繁に富士山関連の番組が放映されております。

時には富士山の厳冬期登山の映像が流され、強風でもみくちゃになりながらも必死に耐えながら登っている様子が映し出されると、私は飯豊厳冬期のあの凄まじい強風下での登山をリアルに思い起こされてしまいます。

飯豊に比べれば富士山は標高が高い分き、気温は低いでしょうし、風の強さもしかりでしょう。

しかし日本海気候の影響をもろに受ける飯豊は天気があまりにも悪すぎますし、雪の量など半端ではありません。

富士山の厳冬期の映像には登山者の姿が結構多く見られるようですが、飯豊には正月に僅かな人が入山するくらいで、それ以外はまず入山者はいません。

富士山は厳冬期といえどもある程度は人が入山できる領域なのだろうと推測することができます。

 

夏季ともなれば観光地と化し、登山客ばかりでなく観光客の姿も多くなり、そんな入山者が少しでも快適に過ごせるよう多くの施設や宿が点在しています。

それが世界遺産に登録となると、益々訪れる人が増加し、宿や山麓にある観光地も大きく潤うことになります。

日本国内では数年おきに世界遺産に登録されるところがあるようですが、最初のうちは多くの観光客で賑わうものの数年後にはある程度もとに戻るそうです。

人はどうしても新しいものに目が移るでしょうし、飽きるということもあります。

富士山は信仰という観点から自然遺産ではなく文化遺産登録ということですが、実際のところ人が造り上げた建物ではなく、自然の構築物です。

この先しばらくは多くの人が訪れてさらにごったがえすことになるのでしょうけれど、人が多く入山すると山は必ず荒れてしまうようです。

世界遺産に登録されることにより富士山という大きな自然に傷をつけてしまうことになるのではないでしょうか?

 

さてさて飯豊の話に移りますが、その世界遺産については飯豊も人ごとではないようです。

誰が最初にそんな余計なことを言いだしたのか分かりませんが、とにかく勘弁してほしいものです。

福島県の喜多方市などは世界遺産登録に向け一生懸命取り組んでいるようですが、反対意見が多くあり、簡単にはいかないようです。

私は「飯豊を世界遺産にするなら日本アルプスを世界遺産にしたらいいのになあ」って思います。

向こうは特に北アルプスなどは営業小屋が多く有るので潤う人も多いでしょう、それに山麓には観光地が多いので経済効果も見込まれます。

飯豊なんか世界遺産に登録されたって得する人は少ないですからねー。

それにあの辺の山小屋は営業小屋で設備が整っていてとても綺麗ですし、どこでも標識類が立派で道迷いの心配が少なくてすみますし、もともと人が多い山域なので万が一の遭難対策も飯豊あたりに比べれば充実していることでしょう。

さらにホテルや売店が点在しており、お金さえあれば快適登山をすることができ、登山初心者でも安心して入山することができます。

いやー、それに比べたら飯豊はなんと不便なところでしょう!世界遺産の候補なんてやめた方がいいと思うのですがねえ。

 

とまあ、そんな不便な飯豊でありますが、仕事とはいえ少しでも登山者が快適に過ごせるよう私は工事をしております。

仕事内容からすれば過酷でまったく採算が合わず、好きでなければとてもやってられません。

今年は今のところ趣味で山に登ることよりも仕事で山に登る機会が多くなり、これで3回連続で飯豊山小屋修繕日記ということになりました。

 

今回の目的は以前から問題視されてきた御西小屋のトイレを良くしようということで行ってきました。

御西小屋の内部トイレは以前から使えない状態にあり、古くから使われ続けてきた外付けトイレもあまりにも傷みが激しくなり、そろそろ倒壊するのではないかといったことが数年前から囁かれ続けておりました。

倒壊してから対処していたのではまずいので、いよいよ建て替えることが決定し、去年の時点で私に設計の依頼がきておりましたが、予算不足のため快適なトイレになるまでは至らず、便槽と基礎はそのまま残して、とにかく今にも倒壊しそうな上屋のみを建て替えるだけの簡易的な修繕の設計を余儀なくされました。

とにかく予算に見合った物を設計して欲しいということで、トイレのドアは交換することができず、既存の物をそのまま利用することになりました。しかしそのドアは鍵が壊れていて施錠することができません、使用中にノックもせずにドアを開けられてしまうことがあるかもしれません。

そこで使用中だということが一目で分かるように思い切って四方の壁は透明なポリカーボネート板を使用することを考えました。

ポリカーボネート板は丈夫なうえに一枚仕上げにするこtにより経費が節減でき、さらにクリアな仕上がりは遠目でも人がしゃがんでいるところが良く見えるので、使用中だということが簡単に分かって便利です。

これなら間違って使用中にドアを開けられて恥ずかしい思いをせずにすみます。

それから二連のトイレの中仕切りの壁も無くしてみようと考えました。

入口は別々ですが中に入ると二人仲良く並んで用を足すことができます。これは特に紙が無くなった時など隣の人からもらえるなどといった大きなメリットがうまれます。

等々、そんな斬新なアイデアを考案のもとで設計を試みました、しかしそんな素晴らしい提案でしたが惜しくも却下され、とても残念ですが平凡な木造トイレに建て替えるだけの設計になってしまいました。

 

6月20日~21日

資材はヘリで運びます、しかしヘリは少しでも山にガスがかかっていると飛ぶことができません、御西小屋のある付近は西に飯豊本山が、東に最高峰の大日岳といった高峰に囲まれており、連峰中一番ガスがかかりやすいところであると思われます。

あまり梅雨時期に強行したくはありませんでしたが、この日は毎年恒例となっている飯豊のそれぞれの山小屋に管理人さんの食料や資材等をヘリで運ぶ日であり、私の都合では決められず、主体となっている胎内市の管理運営する頼母木小屋と門内小屋の資材荷上げに便乗して実施されたものでした。

 

各山小屋の物資が次々と運ばれる中、我々の最初のフライトはまず先に私と職人さんが御西小屋までヘリで行き、その後に資材を4回に別けて運んでもらう予定でした。

まず我々が無事に運ばれ、資材が運ばれているときに不穏なガスがかかりはじめました、そして2回目の資材が運ばれた直後からヘリの運航がガスによりストップしてしまい、残り2回の資材輸送は翌日に持ち越されてしまいました。

資材が来ないと作業ができません、しかし幸いなことに食料と水は運搬されておりました、明日にでも荷物が来ることを祈りながら我々は既存のトイレを壊すといった作業を実施し、あとは天命をまつことにしました。

しかし翌日、小屋の周辺は無情にも濃い霧に包まれ、ここでヘリ運航もタイムオーバーとなってしまいました。

この先、物資がいつ来るか分からないままここにいるわけにはいきません、職人さんと私は下山を決意し、下山には一番手ごろな大日杉を行くことにしました。

 

6月23日~27日

壊しっぱなしで退散してきた御西小屋避難小屋トイレ再建のために我々は再びヘリへと乗り込み、御西小屋に向け飛び立ちます。

それにしてもヘリは何回乗っても怖いものです、私は万が一墜落しても大丈夫なようにシートベルトとヘルメットを着用します、さらに頭上の手すりをしっかりと握り万全を期しております。

 

北股岳付近の洗濯沢にはいつも熊の姿を見ることができます。そこを縄張りにしているのでしょうか?あるいは餌でも豊富なのでしょうか?同じ場所にいつも熊がいるようです。

 

そして無事に我々と物資の輸送が終わり、職人さんははれて作業に取り掛かることができるようになりました、天気もしばらく晴天が続きそうで、作業もはかどりそうです。

御西岳と言えば飯豊連峰屈指の名勝地であります、東に目をやれば最高峰の大日岳が大きく聳えてとても雄大な景色です。

北は烏帽子岳と梅花皮岳を従えて北俣岳が奥に見え、小屋から少し西へ向かうと大草原の先に飯豊本山の優しくて美しい姿を間近に見ることができます。

 

職人さんは毎朝4時に起床し5時前には作業にかかります、夕方は7時まで作業をやめません、やはり1日でも早く帰りたいのでしょう。

職人さんは山好きでありますが、やはりいくら山好きと言っても一日でも早く作業を終えて下山したいものです、それにほかにすることもないですしね…。

私はちょっと時間があると作業は職人さんに任せて飯豊本山や大日岳に遊びに行きます、晴天が続いて天国のような御西岳ではありますが、それでもやはり下界が恋しかったです。

 

夜は職人さんのイビキがうるさくてよく眠ることができず、しかも必ず夜中に用を足しに外へ出るようです。

いつもヘッデンをどこかに置き忘れて眠る職人さんは、暗闇の中でガスコンロを蹴ってしまったり、コッヘル踏んづけて水をこぼしたり、土間に下りる時脛をぶつけてみたり、さらに頭を柱にぶつけて怒りながら、とても賑やかに用を足しに行きます。

学習能力が無いのかいつも夜中に同じことを繰り返しているようです。

ある意味命がけで用を足しに行っているようなものですが、とにかくうるさくてしかたがありません、これには私もとても悩まされ寝不足の毎日となりました。

 

作業期間は5日か6日を見込んでおりましたが、職人さんの頑張りで作業は4日で終了し、御西小屋をあとにすることができました。

しかし下山はまだ許されません、次に向かうは頼母木小屋。

26日はこの期間唯一の雨天で、その雨模様の中、午前中に片付けをして、午後から頼母木小屋に向けて移動を開始しました。

雨の中、見えない景色に職人さんはとても残念がっておりましたが、その代り黙々と歩き続け5時間少々で頼母木小屋に到着することができました。

そして、翌27日に頼母木小屋の作業も無事に終わり、足の松尾根を下山しました。

下山後、会社に顔を出すと、大量の仕事が待ち構えており私はいきなり現実へと引き戻されてしまいました。

山に居る時はとても不便で「早く帰りたい」と思い続けていたのに、4日間御西小屋に滞在したことはとても幸せな時間だったということに下山して初めて気が付きました。

 

7月1日~2日

御西小屋のトイレ工事が終わり今度は物資類を荷下げしなければなりません。

この2日間の作業内容は御西小屋からヘリで物資を下げ、次回工事予定の二王子岳へそのままヘリで使って資材を荷上げするのが目的でした。

すべてヘリコプターでの作業なので1日もあれば終えることは可能でしたが、先日の御西小屋から頼母木小屋へ移動するときは悪天に見舞われたので、今度は晴天時に再び御西小屋から頼母木小屋間を歩きたいと思って強引に一泊二日での計画としました。

私自身この区間は数えきれないほど何度も歩いておりますが、どれほど歩いても歩き足りることはありません。

歩くたび見たことがない新たな景色が眼前に広がります。

それに、そもそも北股岳から御西岳間というのは周回縦走するには非常に便が悪いところで、長者ケ原からあの厳しいダイグラ尾根を使うしかないところで、石転びから日帰りでこの区間を歩こうと思えば結構な強行となってしまいます。

そんな理由で今回の作業を一泊二日で計画し、それなら下山は車を止めてある足の松尾根にするということで決めました。

 

7月1日はガスに阻まれなかなかヘリが飛んでくれませんでしたが、それでもなんとか夕刻にはすべての作業を終えることができ、御西小屋管理人の羽田さんと一杯飲みながら夜は更けていくのでした。

 

翌日、早朝から羽田さんに見送られ御西小屋をあとにします。

辺りは薄い霧に包まれておりますが、それが幻想的な雰囲気を醸し出しております、「今日もいい天気だ!」、徐々に晴れゆくガスの中を意気揚々まずは北股岳を目指して出発です。

残雪多い縦走路、先日歩いた時にたくさん咲いていたハクサンイチゲなどの春の花々は終わりを告げ、代わって初夏の花々が顔を出しております。

「どうせハクサンイチゲは街の公園に行けばクローバーの中に咲いているひのつめくさと同じような花だ、どこにでもあるから別にいいや」なんて思い、代わりに多く咲いていたのが最近新聞を賑わせている毒草のコバイケイソウでした。

今年はコバイケイソウが多く咲きそうな雰囲気ですが、これはオオバギボウシという名前のいわゆる一般的にウルイと称される山菜と勘違いして誤食する人が絶えないそうです。

 

登山道沿いには高山植物に混じってウドが出ています、他にも食べられる山野草は意外に稜線上には出ているもので、結構楽しみながら歩くことができます。

食べられないうえに、時には毒草まである花々と違って、食べられる山菜は可愛らしく可憐な妖精のようで、我々登山者は見つけると心が和み、目の保養にもなるようです。

 

やがて北俣岳を越え、さらに門内小屋も通過して頼母木山付近にさしかかると、そこには下越山岳会の太田さんが休憩しているではありませんか、太田さんは写真好きでいつもカメラを私に自慢します。

私は「カメラそんなにあるなら1台くださいよ」と毎回のようにせがみますが、いただいたことは一度もありません。

太田さんは3台もカメラを持ってきておりましたが、やはり今回もくれませんでした「1台くらいくれたっていいのになー」。

 

頼母木小屋に着いてから少しだけやり残していた作業を終え、昼食を食べていると急に雨が降ってきました。

そこに太田さんがやってきて雨具を着こんでおります。私は太田さんが雨具着れば雨は止むと踏んでおりました。

太田さんの雨具着用を静かに見守る私、そして急速に止む雨。これで安心だ!

もしあのとき太田さんが私に1台でもカメラをくれていたらこんなことにはならなかっただろうに…。

 

私は雨が止むのを見計らってから頼母木小屋を出発しましたが、完全に止むまでにはしばらく時間がかかり、お蔭で少し濡れてしまいましたが無事に下山して、会社へ行くと、大量の仕事を目の当たりにし、再び現実へと引き戻されて、今回の作業登山は終わりました。

 

私のホームグラウンドである飯豊にはもう数えきれないほど何度も訪れております。趣味ではもちろん、仕事でも何度も訪れました。

いろいろな季節にいろいろなルートを歩いておりますが、いつ来ても何もない飯豊、そこにあるのは自然の姿だけです。

無責任なことを言うようで甚だ恐縮でさりますが、何もないということは登山者にとっては不便であり、小屋等を管理されている方々は随分と御苦労されることかと思います、でもそれが本来山の姿であり、それでいいものだと私は思います。

不便はある意味贅沢であり、山ではこれ以上のことを求めてはいけないと思います。

毎回、小屋等を修理しながらこれ以上の人工物はいらない、作ってはならないと感じている次第であります。

それがまして世界遺産候補に挙げられているなんて、残念に思えて仕方がありません。

 

飯豊はとても不便な山です、標識類などほぼ無いと言っていいでしょう。営業小屋ももちろんありません、避難小屋があるにはありますが盛期に二月程度管理人さんが常駐するのみの無人の山小屋です。

こんな大きな美しい山なのに人の手はほとんど及んでおりません、この先いつまでもずっと自然の姿を残したままであってほしいものです。

だから飯豊は不便なままであってほしいと私は願います。