飯豊山小屋修繕記その2

528

二王子岳山頂避難小屋視察

65日~6

丸森尾根~頼母木小屋修理~御西小屋視察~大日杉

 

登山好きの方なら日本百名山の生みの親である深田久弥さんの名前を知らない人はまずいないでしょう。

百名山は深田さんが個人的に選んだ山であり、もちろん賛否両論はあることと思います。

ただ、百名山というブランドは大変に分かりやすく、目標の目安となっていることは間違いが無さそうです。

百名山ブームとなってからは深田久弥さんを慕う人たちは多く居られると思いますが、しかしその素姓はあまり良くなかったことを方々で目にしたり、聞いたりします。

 

私自身は百名山にはまったく興味が無く、深田久弥さんについては深田さんにまつわることが書かれた本をチラリと本屋さんで立ち読みしたことがある程度でした。

そこに書かれていた内容はというと、作家である深田さんが書いた小説は大変に好評な作品がありましたが、それらは実はすべて妻が書いた物を書き写していたということ、時々は自分でも作品を書いたが、それはすべて駄作だったこと。

そして無類の女好きだったそうで、その妻が病で床に伏しているというのに他の女性のところに通って、そして妊娠までさせてしまった。

怒った妻は深田さんの作品は実は妻である自分が書いたものだということを暴露してしまい、深田さんの作家としての評価はがた落ちしてしまったこと。

しかし、それから数年後に起死回生の日本百名山を発表してから作家としての地位を取り戻した。

などということが書かれておりました。

おそらくこれらについてはどこにでも同じようなことが書かれているようなので深田さんを慕っている方はとうに周知されていることでしょう。

 

私的には深田さんには特に興味や思い入れなどはまったくありません。

私事で申し訳ありませんが、個人的にはやはり孤高の人、加藤文太郎さんが好きです。

私は単独行が多いので思い入れがあるのかもしれませんが、そればかりではなく誠実で質実剛健、ひたすら山に取り組む姿勢は硬派そのものといった感じがして、そのあたりに凄く惹かれてしまいます。

 

そろそろ本題に入ります。

528日 二王子岳

先日、二王子岳山頂避難小屋の窓ガラスを修理するための前段として528日に職人さんを連れて二王子岳を訪れてまいりました。

この日はとても暑くて大変な一日となりましたが、私はさっさと登ってさっさと帰りたかったので、我慢してやや早めに歩きました。

山に不慣れな職人さんを無理やり私のペースに合わせて歩かせ、日に焼けた顔は赤くなり、さらにブヨに刺されながら、それでも山頂から見える景色に喜び、さらに下山時には膝が痛くなり泣きながら足を引きずっていたようですが、無理やり山の良さに感激していただいて二王子視察登山を無事に終了させることができました。

そういえばいま思うに職人さんは何だかぼろぼろだったような気がします。

でも最後は「また登りたい」と言わされていた…、いや言っておりました。

とても良かったです、これをきっかけに山を好きになってくれるといいな、なんて思います。

 

65日~6日 飯豊連峰 頼母木小屋と御西小屋-

次に山小屋修繕のために訪れたのは飯豊連峰の頼母木小屋と御西小屋です。

これはさすがに日帰りでは無理なので、一泊二日で予定をたてました。

この山行で同行していただいた職人さんは、去年エブリ差小屋を工事したときと同じ職人さんで、趣味でマタギをやっている方なので、ある程度は安心してついてきていただくことができます。

しかし職人さんにバテられては困るので荷物は可能な限り私が持ち上げなければなりません。

一泊二日の食料を二人分、アイゼンも二人分、それ以外に工具類を持ち上がらなければならないので、作業登山はある意味地獄の山行となります。

食料品が重いのは当たり前ですが、それは徐々に軽くなってくるわけであります。しかし普段の山行では持っていくことがまず無い工具類はいつまでも同じ重量のままでずっしりと肩に食い込んできます。

65日、今日は丸森尾根を登って頼母木小屋まで行き、外壁を修理した後に梅花皮小屋まで行って泊まる予定にしております。

今日はとても暑いので重荷が一層辛く感じてしまいます。

以前はこの程度の重さならへっちゃらだったのに…、年々体力が落ちていることが自分でも分かります。

でもこんなことではいけないのです、頑張って若返らなければなりません、特に髪の毛が…。

 

とにもかくにも必死で地神北峰まで辿り着きましたが、いつも以上に疲労困憊の状態でした。

稜線は山桜がたけなわでしたし、ハクサンイチゲもそろそろ咲き始め、白いハクサンイチゲに混ざって紫色のハクサンコザクラもいい感じで咲き始めておりました。

しかし我ながら花の名前を良く憶えたものです。

私は花にはそれほど固執することがなく、名前も覚えようとはしなかったのですが知らず知らずのうちに勝手に憶えてしまっているようです。

最初の頃などは、よく公園や空き地などにクローバーの中で咲いている白い花、ひのつめ草とハクサンイチゲの区別さえつかなかったくらいですから、私としては大変な進歩です。

ただ、その代り山菜は昔からよく知っていました、高山植物は食べることができないですからね、いざという時のために山菜を憶えておいた方が便利なのに…。

 

頼母木小屋には昼少し前にようやく辿り着きました。重荷に喘いでやっと辿り着いた頼母木小屋、ちょっと休憩してからと思いきや、真面目な職人さんはすぐに作業を始めます。

私もゆっくり休むことができずに昼食も早々に切り上げ、渋々剥がれた外壁の修理を手伝いました。

修理しながら小屋の周りをあれこれ調べると窓ガラスが割れ、倉庫のドアノブも壊れておりました。

今回のこのような異常な壊れ方は、おそらく4月頃に多くの寒気が流れ込んだとき竜巻のようなものが飯豊周辺で発生したのではないかと考えられます。

 

修理には3時間ほどかかって、これから梅花皮小屋へと向かいます。

門内小屋通過時に管理棟からビールを2本頂いてザックにしまい、さらに重くなった荷物に苦しみながらも、夕方から吹き始めた爽やかな風で北俣岳はいくぶん涼しくなり、山頂から夕日を眺めながら美味しい水が出ている梅花皮小屋へと到着しました。

職人さんはかなり疲れていたのか、早々に夕食をすませ、私のことなど構わずさっさと眠ってしまいました。

 

翌日、我々はこれから次の目的地である御西小屋へと向かいます。

昨日の夕方から吹き始めた風も日が昇るにつれ弱くなっていき、御手洗の池辺りまでさしかかった頃には、昨日の暑さが再び戻ってきました。

それでも何とかよれよれと歩きながら、御西小屋に着いて一通り仕事を終えて、飯豊本山、そして大日杉へと無事に下山しました。

 

それにしても今回は疲れました、山小屋修繕記その1ではくさいぐら尾根を登り辛い思いをしてしまいましたが、それにくらべて今回は通常ルートなので少々荷物が重くても大丈夫だろうと思っておりましたが、とんでもない過酷な作業登山となってしまいました。

作業登山はこれからどんどん佳境に入って行きますが、どうなることでしょう?

最初は「私は大丈夫、職人さんが心配だ」と思っておりましたが、私の方が心配です。

鍛えなおさなければならないと感じた今回の登山でした。

 

話は変わりまして…、ところで皆さん、高桑信一さん著、釣り人社発行の山小屋からの贈り物という本は読まれたでしょうか?

去年、高桑さんが飯豊の門内小屋の管理人を務めてくださったときのことが日記形式で書かれており、そこには私のことも多く書かれておりました。

そのことについて、前回の飯豊山小屋修繕記その1で高桑さんとの直接対決の場面直前まで書いたところで仕事が忙しくなり、そこで中断しておりました。

その続きです。

固唾を飲んで見守る聴聞客、私は震える足で中央に進み、皆さんに向かって「こんばんは飯豊のジゴロです。」と挨拶をしました。

今日は高桑さんに何を話そうか、しかし良く考えてみると話すことはそれほどない。

そこで前回は高桑さんに女性の口説き方をアドバイスしましたが、今回は聴聞客の皆さんに女性の口説き方をアドバイスしようと考えての会場入りでした。

 

高桑さんや亀山さんをはじめとした今日の皆さんは飯豊胎内の会管理人組合の方たちの中でも特に強者ばかりが勢ぞろい、しかも皆さん私よりも20歳近くも年上の方たちばかり、「こうなったらもうやぶれかぶれ、なんでもかんでも喋ってしまえ!」。

ぞろっと目の前に座っておられる大先輩たちを前に私の女性の口説き方講座が始まりました。

 

まさか名の知れた凄い登山家が集まった中で、私が彼らに女性の口説き方を指南する場面があるなんて、まったくとんでもない話なのです。

自分でももう何を言っているのか分からないほど恥ずかしくて穴にあったらすぐにでも入りたいほどの衝動に駆られながらも私の講義はどんどん進んでいくのでありました。

 

皆さん最初はおそらく呆気にとられておられたかと思いますが、アルコールを飲みながらということもあり、それが笑いに変わり、やがて大爆笑の渦へと変わっていきました。

結局、大変に楽しい飲み会となりましたが、ひょっとしたら皆さんにとっては有意義な講座だったかもしれません。

 

私はここでも皆さんに笑われてしまいましたが、これでいいのです。

偏屈者で欠陥人間の私は人にほとんど興味がありません。

だから高桑さんの本を読まれた人たちに私がどこかで笑い者になっていても、馬鹿にされていてもまったく構わないと思っております。

もしそれが元で私の周りの人たち、特に女性の友達などが離れて行ってしまったとしたら、それはとても残念なことですが仕方がないと思います。

ただその場合は嫌な思いをさせてしまった可能性があるので、その点については謝らなければなりません。

 

特に言い訳や弁解などする気もさらさらありませんし、ほんの僅かですが高桑さんの執筆に協力できたことは光栄ですし、それを読んで笑ってくれたり、楽しんでくれる人が居られたらさらに光栄に思います。

 

冒頭で深田さんのことを書きましたが、私の知っているところでは山男には女好きが多いようです。

私の周囲にもそう思えるような方が結構多く居られますし、また何故か皆さんモテるんですよね。

私としては人に軟派な野郎だと思われても、あるいは変わり者と思われても構いません、山に登れたらそれでいいのです。

山に対して硬派で誠実でそして謙虚でありたい、あの孤高の人のように質実剛健を貫いた山登りをしたいと常々思っているところでございます。