平成25年10月13日~14日
白馬三山
原因はよく分かっておりませんが、かれこれ10年くらい前のある日のこと、突然、何の前触れもなく私はいきなり重度の糖尿病を発症してしまい、重篤の危機に陥るほどの急激な発症のしかただったようで、あまりにも具合が悪く必死の思いで県立新発田病院に辿り着きそのまま入院。
先生には「よく生きていたものだ!」と言われるほどの血糖値は、県立新発田病院の過去の計測値記録を更新したそうで、血糖値999まで計測可能な機械で960という破格の数字をたたき出し、その記録はおそらく破られず、未だに私が最高記録保持者なのではないかと思われます。
そもそも血糖の標準値は100なのだそうで、それが300くらいになると相当悪い方になり、かなり悪化した人でもせいぜい500や600ということなのだそうで、極稀に700台の人がいるそうです。
しかしそれが960となると生きていること自体もう珍しいとのことでした。
このことは決して自慢できるような話ではありませんし、むしろ恥ずかしい話だろうと思います。
その後2週間の入院を経て、しばらく毎日4回の注射で血糖値を下げる薬を投薬しておりましたが、数か月後には飲み薬に変わり、完治することはないそうですが現在は比較的軽度の症状で薬も軽いもので済んでいるような状態にまで回復しております。
症状が良くなると県立病院から個人医院に転院させられますが、転院先の病院へ行くとそこの先生は山が大好きな人のようで待合室には山関係の本がズラッと並んでおりました。
病院には飲み薬を出してもらうために4週間おきに通院しなければなりません、しかし自覚症状のない糖尿病は薬を飲み忘れたりし、さらに不規則な食生活のため一向に症状が改善されません。
通院のたびに「薬、ちゃんと飲んで下さい!」とか「食生活が乱れているようですね!」といつも怒られ、通院のたびに「また怒られる」と思うとそれが怖いのなんのって、本来は4週おきに通院しなければならないところ2ヶ月も行かなかったりしてまた怒られ、悪循環の状況となっておりました。
そんな日々が数年間続いておりました、遅れ遅れして怒られながらも何とか恐る恐る通院を続け、お蔭で改善はされなかったものの悪化することもなく私の糖尿病生活は過ぎて行きました。
ところが10月14日、事態が急変する出来事が起こりました、奇しくも私が白馬三山を歩いているときに同じ北アルプスの穂高岳ジャンダルム付近でその先生が滑落して亡くなってしまったそうです。
知っている人が、しかも近くの山で遭難死するなんてとてもショックでした、あれほど怒られた人なのに…、残念で仕方がありません。
仕事などで自分の部下を育てようと思えば思うほど叱ってしまいますが、やる気が見られず「こいつダメだな」と思うと叱らなくなってしまいます。
怒られるうちが華と言います、私は無精者ですので喚起してくれる人がいないと通院や薬が途切れてしまいそうです、この先私の糖尿病はどうなっていくのでしょうか?
それにしても人の命など儚いものですね、山岳会の人たちは大半が私よりはるかに年配の方々ばかりです。
事故死や遭難死は勘弁してほしいものですが、それでも順番から行くと現時点で私は最後の方になります。
身近で遭難事故があると、この先何度も大事な人を見送らなければならないと考えさせられてしまい、なんだか山登りが嫌になってしまいそうです。
とにもかくにも先生のご冥福をお祈りしたいと思います。
白馬岳山行の話にうつりますが、以前に当ホームページの雪形の話のところでも書いておりますが、地元の人たちが白馬岳山腹に現れる馬の形をした残雪模様を見て代掻き作業をしたといわれており、最初は代馬岳と呼ばれていたそうですが、いつのまにか白の字があてられ白馬岳となったそうです。
しかもその残雪模様は雪が溶けて黒くなった部分が馬型になるということで、本来は黒馬であり、さらに昭和30年代に麓の地名が白馬村となり、その呼び名はハクバ村と転化されていたということですから、とんでもなく甚だしい間違った地名であるということです。
今回のルートはクラシックという言い方をすればいいのか、メインルートという呼び名がいいのか分かりませんが、要するに猿倉から短時間で登れる大雪渓を登り三山を縦走して鑓温泉を経て猿倉へと環状するルートを歩きました。
北アルプス方面の山に登る計画をするときは満杯の駐車場、登山道は長蛇の列、山小屋周辺は人でごったがえしており、トイレにも列ができ、なにをするにも時間が掛かるという感覚で計画を立てます、相手が自然と言うよりも人が相手といった感じです。
でも今回はシーズン末期ということで「人は多くなければいいな」と願いながらの入山でした。
それからいつも北アルプスに来ると思うのですが、この白馬岳に限らずこの連なった山々は街から非常に良く見え、それぞれ山頂の様子が明確に望まれます、それだけ標高の割に山が近くて浅く、麓住民にとっては身近な存在であり、山岳信仰なども盛んだっただろうし、狩猟や採掘なども盛んだったと思っておりました。
しかしいざ調べてみると信仰の歴史や採鉱などの形跡もほとんどなく、白馬岳に纏わる民話や昔話、伝説などについても大したものは見つかりませんでした。
しかし白馬山麓には数多くの民話や伝説があると聞きました、次回の機会までの課題です。
いずれにしても麓民との関わりは薄く、僅かに硫黄や薬草採取の痕跡があった程度で、白馬岳は地元民に崇拝され愛されてきた恵みの山というより登山というかたちで歴史が作られてきた山だったのではないかと思われます。
白馬岳は北アルプス入門の山などと言われているようですが、猿倉は標高が1250mということで、高度差が1700m近くあり簡単でないということが予測されます。
近くに見える浅い山だなんて思っていると大変なことになります、登山道は予想通り急な登りが山頂まで嫌と言うほど延々と続きました。
稜線部は緑が少なくザレた石ころの道となり山頂へと至ります。
昨日積もった雪が5センチほどの厚さで解けずに残っていて、稜線の気温はおそらく氷点下で、さらに冷たく強い風が吹き荒れており、晴天ではありましたが太陽の暖かさは感じられません。
冷たい風に吹かれながら凍える体でテントを張り、飛ばされないよう大きな石をいくつもテントの中に入れ、凍えた体を温めるべく山小屋ならぬホテル内部の自由休憩所に避難し、しばしストーブの前に陣取りながら一杯500円の紅茶を飲んでホッと一息つきました。
風は夜半過ぎから止んだようで静かになり、翌日はぽかぽか陽気の稜線歩きとなりました。
眩しい日差しの中を杓子岳に登り、しゃもじを伏せたような巾1mほどの稜線を進み、相変わらず緑の無い、草木がまったく無く荒涼とした歩きにくい砂利道を登りきると白馬鑓ヶ岳に辿り着きます。この白馬鑓ヶ岳は純度の高い硫黄が採れるということで、マッチの材料として硫黄は非常に高価なものであり昔は地元の人たちが命を懸けてまで採取しにきていたそうです。
山頂は気温が低いので寒くてゆっくりしていることができません、早々に下山を開始し、沢筋につけられた山と言うよりもまるで河原の中を歩いているような長い長い道のりを鑓温泉経由で猿倉へと無事に戻ることができました。
登山道は北アルプス入門と言われるだけあって岩場の通過といったところもなく、危険なところはまったくありませんでした。
時間さえあれば初心者でも十分に楽しむことができると思います。
白馬岳は北アルプスの中でも知名度は高い方で、代表格の山であろうかと思います。
とても重量感のある見事な山容に美しくもダイナミックな景観、やはりそれだけ素晴らしい山であることは間違いないと思います。
でも、そんな山の山頂手前には大きなホテルが建ち並び、大リゾート地と化してしまっていてとても残念なことにすでに山の体をなしておりません。
そう思うのはいつも国内屈指の原始の山である飯豊あたりに登っているせいなのかもしれませんが、実はこれが日本の登山界の現状なのかもしれません。
自然が味わえないというか、素朴さがないというかアルペンムードが漂わず山登りの雰囲気が薄くて、でも快適で楽しめる山遊びができるといった感覚で訪れるしかありません。
いつものように自然と対峙することができずに残念ではありましたが、それでも今回は登山者が少なく、盛期の2~3割程度の入山者数だったようです。
そんなことが分かっていながら訪れた白馬岳でしたが、確かに山そのものは素晴らしい山だと思います、せっかくこんな良い山でしかも楽しい登山ができるのに、それなのにどこか釈然としない思いで下山してきました。
追記
白馬山行から下山した翌日、今回の山行で着用した作業服を洗濯しようとポケットの中身を出していたところいつも使わない左側の後ろポケットから無くしていた保険証と診察券が出てきて驚きました。
保険証は紛失届を出して再発行の手続きをしているところでしたし、診察券はこの次の通院の時にでも再発行してもらうつもりでおりました。
見つかった診察券は別の病院のものに変わり、もう使うことはなくなるでしょうし、保険証も近々新しいものが届くと思います。
ただ、無くした保険証と診察券を見た私は「しっかりしなさい!」、「ちゃんと通院するのですよ!」とまた怒られているような気がしました。