飯豊連峰縦走作業登山

 

重力に逆らい必死で上を目指す、苦労に苦労を重ね大汗をかきながらやっとの思いで到達した山頂はいつも登山者の喜びで満ち溢れており、山頂に立ったときの嬉しさは登山の最大の醍醐味であるということは私が言うまでもありません。

山頂は多くの人が至福の思いに浸る華やかな憩の場所なのであると思います。

 

飯豊の最高峰である大日岳に始めて登ったのは22年前、私自身が登山を始めてから2回目に登った山です。

まだ登山初心者の私は山の良さなどまったくわからず、山の楽しさも経験したことがなく、ただ当時入会していた山岳会の先輩に誘われるがまま梅雨真っ盛りの土砂降りの雨とガスで景色がまったく見えない中、ひたすら大日岳の山頂を目指しました。

あの長く苦しい御幣松尾根を登りきり、苦労の末にようやく辿り着いた果てにあった物はボロボロに朽ち果てた一本の標柱だけ、ガスでまったく視界が利かない中ポツンとそれはありました。

これが飯豊の最高峰の姿であり、ただ単に標高が高いだけで山頂はみすぼらしい標柱が一本のみ。

当時まだ初心者だった私でもあまりにもその殺風景な山頂に驚き、悪天ということもありましたが喜びに浸ることができず早々に下山したことを22年過ぎた今でも記憶の片隅にはっきりと残っております。

 

飯豊連峰最高峰と言われるにはあまりにも不釣り合いな標柱と山頂の情景。

ただでさえ登頂が厳しい飯豊連峰の中でも大日岳登頂は一際厳しいところです。孤高に聳える大日岳、苦労の末にその頂きを踏むことができた時に、大日如来様より喜びという大きな御褒美を授けられた登山者たちの傍らには何か山頂を示す物が必要なのではないかと、今思うに22年間ずっと違和感を抱いたままでいたような気がしております。

 

今回は大日岳標柱設置作業をメインに御西小屋での作業少々とそのまま飯豊縦走をしてきたことについての日記を書きました。

 

 

720日 弥平四郎~飯豊本山~御西小屋

先日、ようやく朳差岳避難小屋修繕工事が終わり、いよいよ長年の夢であった大日岳の標柱設置を残すのみとなりました。

 

それから御西小屋の以前の管理人である松葉さんから御西小屋のトイレの窓ガラスが割れているから修理にきてほしいことと、以前に工事したときの資材が多く残っているので回収してほしいとの連絡を受けておりました。

その窓ガラスの寸法を調べなければならなかったり資材の状況を調べる必要があり、前々から御西小屋に行きたいと思っていたところでした。

 

登山口は弥平四郎、日帰りで御西小屋へ行けるルートは川入コースか大日杉コースか弥平四郎コース、あるいは石転びから至るコースなど多彩にあります。

入山口はどこでも良かったのですが、その日の気分で久しぶりということもあり、弥平四郎を行くことにしました。

 

天気は上々、暑すぎず適度な気候は大変に歩きやすい日となりました。

飯豊登拝路のメインルートは川入ですが、弥平四郎も祓川といったかつての登拝路を偲ばせる地名からのスタートとなります。

川入ルートに比べると人が少なく登山道の整備もそれほどされておりません。

特に歩きにくいわけでもなく、飯豊らしい登りが延々と疣岩山手前まで続きます。

特に鏡山からのルート合流点手前の急な登りはすでに樹林帯を抜けており、太陽の日差しが後頭部に降り注ぐ辛い登りとなりました。

疣岩山から切合小屋の間は登り下りを繰り返す、いくら歩いてもなかなか高度を稼ぐことができない部分となっています。

切合小屋の水で喉を潤し一息つけば、ここから草履塚や御前坂の苦しい登りもありますが、一投足で本山小屋に出ます。

そしてニッコウキスゲやヒメサユリなどの花々に彩られながら本山山頂に立ちました。

しばし休憩後「さて出発」と思った時になんと下越山岳会の矢沢さんがやってきたではありませんか、そういえば草履塚付近から後ろを振り返ると凄いスピードで追いかけてくる人が見えていました。

珍しくお互い山頂での記念撮影をして「時刻はまだ10時だし御西小屋まで一緒に行きましょう!」と誘ったのですが矢沢さんは「もう年だから…」と言って下山して行かれました。

 

広くおおらかな本山から御西まで写真を撮りながら進み、小屋まで辿り着くと今日の小屋番である斉藤さんと新潟山岳会のひらっぺが待っておりました。

私は2時間ほどかかって一通りの作業を済ませ、ここでもまたひらっぺと記念撮影をし、帰路につきました。

今日の稜線は爽やかで気持ち良く、快適に帰路を歩いていると前から黒崎山岳会のいっちゃんがやってくるではありませんか。

今までパソコン上でのやり取りはあったものの初めてお会いするいっちゃんは当然のごとく初めて会った気がせず、とにかくいっぱい喋る方で、賑やかで気さくで楽しく、そしてとても美しい方のような気がしないでもありません。

とにもかくにもまたどこかの山でゆっくりお会いしたいなと思いつつ、今日は記念撮影だけをし、別れを惜しみつつ断腸の思いでその場をあとにしました。

 

私はいつも誰とも会わないような、できるだけ人の居ないようなルートをとったり歩いたりするようにしております。

変わっていると言われればそれまでですが、山とはそんなところだと私は思っていて、だからいつもは知り合いに会うことなどほとんど無いのですが、今回に関してたまにはこんなこともいいなって思いました。

そんなわけで旅は道ずれということもありますし、滅多にないこと、せっかくなので大日杉分岐までひらっぺと御一緒させていただき、いろいろ世間話に華を咲かせ、お蔭で長い道中も苦にならず歩くことができました。

 

それから今日は記念撮影が多い日でした、おそらく10年分くらい記念撮影をしたような気がします。

 

 

727日~29日 大日岳~御西岳~北股岳~大石山~足の松尾根

今年はあまり天気に恵まれていない年で、ここ最近も梅雨明け宣言をしたというのに雨模様の毎日。

不思議と天候に恵まれない年が数年おき周期であるように思います。

 

じっと晴れる日を待ち続ける日々。

そしてとうとうその日がやってきました、727日いよいよ大日岳標柱の建て替えです。

 

朝、足の松尾根取付きヶ所まで車を乗り入れ中日本航空の方が迎えに来てくれる。

ここから新潟空港まで送ってもらい、空港からダイレクトに大日岳まで飛んでもらう、とんでもない至れり尽くせりのVIP登山だ!

御西小屋の原口さんに電話すると、稜線部の視界は良好、御西小屋周囲にテントは張られてなく、安全にヘリの発着ができそうだという状況を教えていただく。

天気はどこまでも快晴、逸る気持ちを抑えながらヘリに乗り込む。

新潟平野の上空を飛び、五頭連峰よりも高く、蒜場山、烏帽子山の肩をかすめ眼前に一際大きく聳える壁を乗り越え大日岳山頂に一旦着陸、すぐに御西小屋へ向かい標柱をヘリに乗せ再び大日岳山頂へ着陸。

そして道具を準備し、いよいよ建て替えの作業を始まめした。

長年、御西小屋浄化槽の上でシートに包まり眠っていた標柱を外に出す。

無事に陽の目を見ることができ「これからはよろしく頼むよ」と声を掛けました。

 

心配していた古い標柱の引き抜き作業は簡単に済み、同穴に設置しようにも花崗岩は脆くなっていたので新たに少し掘りなおし、そこに新しい標柱を設置しました。そしてその後の安定状態をしばらく見張り番することにしました。

標柱を新設して一番乗りで訪れた登山者はなんと中条山の会の方々、知り合いの面々の皆さんに褒めていただきました。

その後も次から次へと訪れる登山者の方々、多くの人が触ってもビクともしない。

安定しているようでしたが、まだちょっと不安。

夕方に近づくにつれ風が強くなってきました、もし倒れたり斜めになったりすると、すべて私の責任です。

一応、今晩一晩だけでも子守をしてあげようと決め、明日の朝まで標柱の見張り番をする覚悟を決めました。

夕暮れ近くなると訪れる人もようやく途絶え、ちょっと暇つぶしに御西小屋まで遊びに行き、再び大日岳に戻る。

大日岳に着く頃には原口さん、羽田さんから御馳走していただいたビールの酔いは醒め、しっかりと夕ご飯を食べて、寝袋カバーとフライシートにくるまり、標柱の横で添い寝をしました。標柱はまるで私の赤ちゃんのようです。

今年は熊が多いようで、特に西大日岳付近は熊の通り道とされているようです。でも大日岳山頂は夜明けから日没まで人の往来が途絶えないので夜中でも熊は警戒して近寄りません、安心して眠れます、なんて本当のところ分かりませんが…。

 

夜中、風は強まり山頂はガスに包まれ、お蔭で御来光は見ることができず、早朝からの登山者も現れませんでした。

7時頃にようやく一人目の登山者が現れたのを皮切りに多くの登山者が訪れ、新しくなった標柱の横で登頂を喜んで行きました。

 

一晩標柱の子守をし、状態を見届けた私はいつまでもここに居ても仕方がないので、とりあえず御西小屋へ向かうことにしました。標柱設置に伴い発生したゴミや器具を背負うと30kg以上ありそう、久しぶりの大荷物に大変に苦労しながらやっと御西小屋へ着きました。

小屋では再び原口さんと羽田さんが出迎えてくれ、ガラスを修理してからもしばらく二人と一緒にいましたが、次から次へとやってくる登山客にてんてこ舞い、この日の御西小屋は満員御礼、去年は風評被害で登山者が激減しましたが、何だったんだろう?

それにしてもこれだけ多くの登山者が訪れるところ、小屋内部のトイレが壊れており、外付けトイレも崩壊寸前の状況です、早く改善されることを願うばかり。

御西小屋は新潟県管轄の避難小屋、私も業者として登山者として新潟県と打開策を協議していきたいと思っております。

 

トイレのことでいろいろ思案していると、羽田さんが玉ねぎを干しはじめました。

「そういえば私も下山したらすぐに梅を干さなくっちゃ」ここは車の排気ガスがなく空気が綺麗なので野菜を干すにはうってつけの場所です。「私もここで梅を干してみたいなー」なんて羽田さんを羨ましく思いました。

梅は最低でも33晩干さなければなりません、私の場合は仕方がないから会社に梅を持って行って干します。

干した梅は約23時間おきくらいにひっくり返してまんべんなく陽の光を当てなければなりません、会社の駐車場で梅を干していると遠くで社長が見ています。「こりゃまずいな」と思いながらそっと梅から離れ、隠れて社長を観察していると、私の梅のところへ行き速やかに梅をひっくり返す作業を始めました、私が近づくと何食わぬ顔をして遠くへ歩いて行ってしまいます。

梅は私が居ない間に勝手にひっくり返され、管理されているようです。

うーん、でもいつかは御西小屋あるいはギルダ原辺りの日当たりの良さそうなところで梅を干してみたいものです。

 

御西小屋には手伝ったりしながら13時頃までおりましたが、どうにもこうにも天気が良くなりません、このまま泊まろうかどうするかいろいろ迷いましたが門内小屋まで向かうことにしました。

御西小屋を発つ直前に、今ほど大日岳から戻ってきたという登山者の方から、新しい標柱は真っ直ぐ立派に立っていることを教えていただき、少し安心して重い荷物を背負って今日の宿泊場所である門内小屋へと向かいました。

門内小屋の管理人は高桑さん、事前に連絡しておいたので安心です。

 

天気が良ければ爽やかな稜線部分もガスで覆われていたのでは楽しさも半減、せっかくニッコウキスゲが真っ盛りなのに、今年の最悪の天気を恨めしく思い、さらに重い荷物に苦しみながら忍耐登山でまずは梅花皮小屋まで辿り着きました。

管理人の関さんにはいつもビールを御馳走になっているので、今回は先手必勝、顔を見るなりすぐに菊水ふな口一番搾りを差し出すと、関さんもすぐにアサヒスーパードライを差し出して対抗してくる、さらに門内小屋の高桑さんに「田中さんが行くからビールを冷やしておいてください」と電話をする。

うーん、やっぱり関さんには敵わない、とりあえず門内小屋での前哨戦ということで先に梅花皮小屋関さんのビールをいただきました。

 

重い荷物のため北俣岳の登りで関さんのビールは汗となって流れ、高桑さんのビールに向け準備は万端整いつつありました。

今年の元旦に登って以来の北俣岳山頂に立つと、あの時の記憶が蘇ります。「よくもまあこんなところ正月に一人で来たもんだよ」カメラが凍り付き写真が撮れなかったので、また正月に今度は写真を撮りに来なければなりません。

「また来るの面倒くさいなあー」なんて思いながら北俣山頂をあとにし、あるところは自然の日本庭園、あるところは花々咲き乱れるギルダ原を通過し、ちょうどいい時間に門内小屋へと着き、高桑さんと亀山さんの息子さんに歓迎をしていただきました。

 

高桑さんといえば有名な作家であり(あんまり書くと高桑さんに怒られますが…。)またそんな方と飲めるなんて大変に光栄なことだと思っておりましたし…、「いろいろ山の話を聞けるなあ」なんて思って楽しみにしておりましたが…、詳しくここでは書けませんが、結局また私がベラベラと一晩中山以外の余計な話をして夜は更けていってしまうのでありました。

 

翌朝、荷物を整理すると少し荷物が減り、いくらか軽くなった荷で足の松尾根を下山するも、下山に伴って急激に気温が上がり体はバテバテとなり、地獄のような思いをしながら下山してきました。

やはり登りに楽をするものではありませんね、登山は苦労して登ってからこそ気持ちにも体にも良いようであります。

 

終わりに

大日岳はただ単に標高が高いだけでなく山容は大きくとても立派な山です。

飯豊連峰を遠くから眺めているとなだらかな飯豊本山と比べると、大日岳は一際大きくそして高く、その大きな男性的な山容はいつも堂々と聳えていて、飯豊のどの山頂よりも威厳に満ちています。

西に薬師如来様の薬師岳、東に阿弥陀如来様の御西岳を従えて中央に鎮座する大日如来様の大日岳は、登頂したときの雰囲気は特別で、飯豊のどの山頂よりも神々しくも感じるところです。

たまたま飯豊本山に奥の院と社務所が設けられ、本山と呼ばれるところが脚光を浴び、本山のみが百名山に選ばれてしまっている現実につくづく大日岳は不遇の山だと思わされます。

そんな大日岳は新潟県固有の国土であり、半分は新発田市であります。

飯豊の最高峰の山頂はせめて山頂らしい山頂であってほしい、地元新発田市民の私としてはそう願っておりました。

 

飯豊には必要以上に人工物はあってはならない、そんな意見を良く耳にします。

もしかしたら大日岳の山頂には御粗末な標柱一本の方が飯豊らしくて良いのではないかと自問自答しました。

標柱を設置するときに「これでいいのですよね?」と大日如来様に聞いてみるがもちろん無言のまま。

確かに必要以上の華やかさなど不要ですが、せめてちゃんとした標柱くらいはあってほしい、そして多くの人に標柱の傍らで登頂を喜んでほしいと願い、私程度の者が勝手ながら作業を実行させていただきました。きっと大日様も喜んでくれていると思っております。

 

それから今回の標柱設置に関して多くの方々に御指導、御教授していただきました、私だけの力ではありません。そんな方たちに心からお礼を申し上げます。

 

私はしばらく定期的に標柱を点検しに行くことが当面の義務だと思っております、もし例えば傾いているとか何か気が付いたことがありましたら連絡頂ければと思います。