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横松山、だすけ峰

 

今は亡き私のばあちゃんが孫にひらがなを教えているときの光景。

ノートには鹿の絵が書いてあり、その下にマスが二つ、本来はそこに「しか」と書き込まなければならないのですが、訛りの酷いばあちゃんは「ああ、これすかだよ」といいながらマスに「すか」と書き込んでおりました。

ばあちゃんと私の息子の微笑ましいひとこまです、今は二人とも私の近くにおりません。

 

さて山の話に移ります。

今回行って来たふたつの山、横松山はまあいいとして、だすけ峰とはいったいなんでしょう?

「だすけ」とは新潟弁で「だから」という意味です。

私が東京で学生時代を過ごしていたとき、友達との会話の中で「だからさあ」と言わずに「だすけさあ」と言っておりました、私は新潟弁の訛り丸出しで東京での学生時代を過ごしていたのであります。

そんな折、学園祭で私が古着屋を出店しようとして店名をどうしようか友達に相談してみると「そりゃあ“メンズだすけ”に決まってんだろ」と満場一致で決まり、はれて学園祭で“メンズだすけ”を無事に出店することができました。

商品の中にはジーンズの尻部分に白いマジックで大きく“だすけ”と書いたりして出品しました。

これは私が東京で過ごした青春時代の微笑ましいひとこまです。

 

私が新潟に戻ってきて最初に入会した山岳会はモンテローザという山岳会です。

そのモンテローザは新発田市の管理する公共の建物の中で週に一度例会を開催しておりました。

他にも華道、茶道、料理教室、書道教室、ペン習字、テニス教室など多くの講座、教室が建物の中で実施されておりました。

それら受講者のためにモンテローザの例会部屋の一角で私は喫茶店をやってみることにしました。これは各講座の受講生にその日の受講終了後に気軽にお茶でも飲んでいってほしいこととモンテローザを宣伝しようという両方の思惑がありました。

喫茶店オープンにあたり、受講生の皆様に店名を募りました。もちろん私は“喫茶だすけ”を推薦しましたが、残念ながらそんな訛りの店名は却下され、違う店名で喫茶店を営業することになってしまいました。

私が社会人山岳会に在籍し、最初に挫折感を味わったひとこまです。

 

では今度は本当に山の話に入ります。

新潟県には手つかずの大きな未開発地帯として川内山塊という一帯があります。

中でも矢筈岳は川内山塊主峰として、マイナー名山として大人気の山であります。

確かにこの山域は山が深く、簡単に入山することができません。もちろん登山道は無く、藪に覆われ、尾根は複雑に入れ込んでいて、広い未開発地帯のためその核心部にまで達することはかなりの経験や技量が必要であると思います。

しかしそれが故に全国的にも知名度が高い未開発地帯である川内山塊にマニアはこぞって足を運び、矢筈岳を中心に登る人が跡を絶たないといった状況になりつつあるようです。

そういえば以前、私が矢筈岳に登った時は先行者の物と思われるゴミが大量に放置されておりました。残念ながら人が多く入山するということはどうしても山が荒れることに繋がってしまい、それらの光景を目にするとせっかくの川内山塊の魅力も半減してしまいます。

 

そして、その川内山塊よりも北に目を向けると、飯豊連峰と朝日連峰に挟まれた僅かな部分に未開発地帯で女川山塊というところがあります。

規模は小さく、ほとんど注目されていない山域ですが、だからこそ世論から見離され、入山者は稀な女川山塊こそ手つかずの大自然が残っている山域であり、私にとってはこの女川山塊のほうが今や川内山塊よりもはるかに魅力的な山域なのであります。

 

女川山塊を形成する峰々には唯一登山道がある盟主光兎山や最高峰の頭布山、隠れた登山道がある湯蔵山、荒々しく聳える県境尾根上のシラブ峰や蕨峠などといった山々が連なっており、これら登頂の難しさは川内山塊をはるかに上回るものだと思います。

今回行って来た横松山とだすけ峰はそんな女川山塊の中でも中心的な場所に位置しており、人跡稀な女川山塊の奥深く、どこまでも静かに、そしてひっそりと聳えている山なのであります。

 

私自身この横松山に登るのは二回目となります、以前に訪れた時は丸山大橋を拠点に湯蔵山経由で周回ルートを辿りました。

今回は聞出集落から登り、八つ口集落へ下山するルートをとることにしました。

 

それにしても聞出とはおかしな集落名ですね、一般的に出の付く地名は本村があってそこから出た分家のような集落というところから名付けられたところが多いそうです。

その聞出集落の左手に林道が延びていて、その林道をしばらく辿って適当な尾根に取り付くことにしました。

あとは忠実に尾根を辿っていくだけです。比較的のびやかな広い素晴らしいブナで埋め尽くされた尾根はとても静かで、誰も居ないこんなところを歩くのは「自然の中に溶け込んでいるなー」って感じがしてとても楽しく思います。

 

やがて丸山大橋からの尾根に合流します、ここからとんでもない痩せ尾根が連続するようになります。

この一帯は広くのびやかな飯豊や朝日に挟まれているというのに、どういうわけか痩せ尾根が多く支配しており通過に困難を極めます。

そして最大の難所であるマッターホルン状のピークが現れました、前回はかなり苦労して通過しましたが、今回も前回と何ら変わりません。

雪の壁を怖る怖る登り越えるのですが、その後も痩せ尾根の連続で横松山の少し手前まで緊張は続きました。

そして最後の斜面を登り、横松山頂にたどり着くことができました。

山頂からは僅かに金丸集落の一部が見える程度で下界はほとんど見ることができません。

越後金丸駅の上には蛇崩山がその名の通り蛇がのたうちまわっているような尾根に崖崩れが見られます。この蛇崩と言う地名は各地にあるそうですが、これはまさに地形を表す言葉なのだそうです。

 

以前、この横松山を訪れたとき松の木があるか特に横の辺りをよく探しましたが見つけることができず、今回もやはりブナの木で山頂は埋め尽くされております。

そういえば小用を足そうとチャックを開けたら疲れと寒さで私のあれがとても小さくなっており、探すのに一苦労したことを思い出しました。

やっと探し当てたところは下着の横だったことをよく覚えております、小さくてまるで松ぼっくりのようになったあれを引っ張り出したときに横松山の名前の理由をひらめくことができたのでした。

そしてそのすぐ隣にだすけ峰、これは冒頭で書いた、私が喫茶だすけを営業できなかったことで悔しい思いを晴らしたいと、この横松山よりも眺めのいい山頂に長年の恨み辛みの結晶を残したいと以前来たときからずっと思っていたのでした。したがってこのだすけ峰の名付け親は私なのです。

勝手に名前を付けてしまい関川村の皆さん、どうもすいません。

 

下山は横松山から八つ口集落に向かいます。

八つ口集落のテレビ電波塔の建っているピークを経由し金丸大橋の脇へと無事に下山することができました

この八つ口とは八方口という意味から来ているそうで、どこからでも入れる集落という意味なのだそうですが、日本神話に出てくる神の国を支配する最高神であるアマテラスオオミカミの兄弟の一人、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治したときの場所がこの八つ口集落という伝説がここにはあるのだそうです。そういえば確かにすぐ近くに蛇崩山がありますしね…。

 

とにもかくにも聞出集落から登り、無事に八つ口集落に下山した私は、聞出集落に戻るために国道113号線を1時間歩かなければなりません。

藪を歩いて泥だらけになった姿でザックを背負い、おまけにズボンの尻の部分には白いマジックで“だすけ”と書いてあり、とても恥ずかしい思いをしながらとぼとぼと国道を歩き、聞出集落に停めておいた自分の車に戻ったときは恥ずかしさのため肉体疲労よりも精神的な疲労を感じておりました。

 

コースタイム

聞出集落 4時間 横松山 7分 だすけ峰 7分 横松山 2時間30分 八つ口集落 1時間 聞出集落