天狗の庭と火打山
火打山山頂から焼山
八海山
9月の山行は楽しい普通山行
9月16日~17日 火打山~焼山
9月22日 八海山
9月30日 俎倉山
どういう訳か山仲間と一緒に過ごす時間というのは通常の友達と一緒にいるときよりも数倍楽しく感じてしまうものです。
趣味を共有しているということもあるのでしょうけれど、おそらくそれ以外にも苦労に苦労を重ね必死の思いでようやく辿り着いた山頂であの重労働の末に見ることができる景色は大きな感動を呼び起こし、そんな気持ちを共感できるのは山仲間だけであり、大きな親近感が湧いてくるからなのではと思います。
山岳協会なども講習会等の行事を頻繁に実施しているようで、だいたい必ず講習会後には親睦会が開かれており多くの方々が交流されているようです。
講習会も親睦会がメインなのではと思うようなものがほとんどのように感じているのは私だけでしょうか?
もっとも講習を受講しても自分自身が本気を出して一生懸命に勉強し、その後も反復して練習しないとすぐに忘れるものがほとんどですし、そもそも100回机上で勉強するより1回山へ登った方がはるかに勉強になるものだと思います。
やはり人の多く集まるようなところに行き、登山を趣味としている多くの人たちとふれあうことが講習会の素晴らしいところなのではないかと、私は思っております。
ところがここでも何度も書いているように私は人が大勢集まるようなところは非常に苦手で、山に関してもいつも単独行動で、できるだけ人の少ないところばかり選んで行くようにしております。
藪歩き専門の人はよく知っていると思うのですが、特に藪歩きは個人差が大きく、人数が多ければ多いほど早い人と遅い人の差が出ます。
だから藪尾根を歩くときは皆さん単独で行動する人が多いようです。
単独で山へ行くのは癖になってしまうようで、いつもついつい一人の気楽で自由な我がまま登山をするようになってしまっております。
さらに私の場合、人との接触もつい意識的に避けてしまって、そのせいもあってか極端に山仲間は少ないように我ながら思います。
そもそも山に登って自然の中に溶け込んでいたいと常々思っているので正直なところ山では人にあまり興味を抱くことはありません。
「仲間なんかいつでもできる」と「尾瀬へ行くのと同じで年をとってから仲間なんか作ればいいさ」といつも思っておりました。
ただ少ないながらも仲間と呼べる人が私にもいます。そんな数少ない私の仲間は広く浅いような付き合いではありません。
いつも単独行動の私ですが9月はそんな数少ない友達と一緒に山へ登る機会に恵まれました。
人と一緒なのでいつものような馬鹿みたいな山行とはならず、普通の山行だったと思いますので、その普通の3回分をまとめて日記にしてみました。
第一話 火打山~焼山
9月に入ると花の季節が終わり、秋の雰囲気が漂いはじめます。
稜線上の草花あるいは木々は徐々に色付きますが紅葉の季節にはまだ早く、せっかく連休が多いのにこの時期は少々の空白期間となってしまいます。
ただそんなこともあっていつも人で溢れているような人気の山でも人の賑わいが一時的に落ち着く時期でもあります。
「さてさて、今年の9月の連休はどこに行こうかなー」なんて考えていたら「火打山から焼山まで歩こうと思うので一緒にどう?」と女性の友達からお誘いの連絡がありました。
その人と一緒に山へ行くのは1年ぶりくらいになるでしょうか、そのお方はとても美しい女性で、そりゃそんな女性から誘われるなんてそんな嬉しいことはありません、二つ返事でお誘いをお受けすることにいたしました。
妙高山周辺の火打山あるいは焼山といった頚城の山々は私が登山を始めたばかりの初期の頃に多くの思い出が詰まったところで、私が最も好きな山塊のひとつでもあります。
そんなこともあって妙高山から火打山、焼山を経て金山、雨飾山までの縦走路は何度か歩いており、この辺のルートの概要は把握しておりました。
下山する焼山の杉の沢橋に私の車を置いておき、彼女の車で笹ヶ峰の火打山登山口へと向かいました。
一時的に人が少なくなる時期とは言え、登山口駐車場はすでにほぼ満杯です。
昔、この大きな駐車場はガラガラだったのに、今は凄い人です。
そんな人ごみの中、岳樺ではなく白樺の樹木が美しい登り口をぞろぞろと歩き始めました。
高谷池ヒュッテ間近になると白馬岳方面の山々が見えてくるようになり、北アルプス特有の緑の少ない白い岩肌が印象的です。
そして間もなくひょっこりと高谷池ヒュッテが目の前に現れます。
以前、このヒュッテに泊まったとき数人の登山者にヒュッテの従業員に間違われたことがありました。
「すいません、ビールくださーい!」とか「今日、予約してある○○です。」とか「管理人さん、トイレはどこですか?」などなど。
こんなに間違われるなんて私はこの美しい火打山にかなり馴染んでいるのではないでしょうか?
ちなみにその日、私は作業着姿で宿泊しておりました。
ヒュッテ前のベンチで一息入れ、火打山山頂を目指します。
少し木々の葉が色づき始めた高谷池あるいは天狗の庭は本当に素晴らしい!何度きても綺麗なところです。
ただ人が多いことと、木道が伸びてそれによりしっかりと登山道が管理されているところが山らしくなくなっているように思え、とても残念に思います。
山頂でしばし休憩し、焼山を目指します。
活火山の焼山からは噴煙が上がりそのすぐ隣に聳える火打石を連想させる火打山…、まあ名付けた方は良く考えたものですね。
火打山からの急斜面をくだりながら「テン場はどこにしようか」あれこれ考えながら進みます。
やはり何度も歩いているところなので気持ち的に楽で、いろいろな案が自分の頭の中を駆け巡ります。
焼山を越えた富士見平あたりにテントを張る方が多いようですが、そこは一張程度しか張れません。先行者がいるとダメです。
「ならばちょっと手前の泊岩前にも一張くらいのテントなら設営可能だし、思い切って焼山山頂にでも張ろうか」なんてことを考えながら、焼山の登りに取り掛かりました。
それにしてもこの焼山の登りは大変に急です。円錐形の焼山はどこから見ても急斜面になっており、とても辛い登りとなっております。
どうにかこうにか急斜面を登りきるとお釜があり、お釜の中に残雪が見えます。
9月の残雪は貴重です、私は迷わず「あのお釜にテントを張ろうではないか」と彼女に打診します。「ビール冷やせるね」私がそう言うと彼女は大賛成、焼山山頂直下のお釜の中を今日の泊場とすることになりました。
夜は冷えたビールと彼女が準備してくれたすき焼きで話に花を咲かせ、楽しい夜となりました。
夜半あたりから台風の影響で強風が吹き荒れておりましたが、四方を囲まれているお釜の中は強い風もいくらか緩和され、まずまずの快適な夜を過ごすことができました。
翌日は富士見平まで強風に煽られながらも無事に下り、富士見平からは終始だらだらとした緩い下りが続き、杉の沢橋に着きました。
彼女とは再会の約束をして、家路へと向かいました。
第二話 八海山
最近、ちょっとお気に入りの女性がおりまして…、どこがどうお気に入りなのかというと、とにかく波長が合うとでも言いましょうか、うまく言えませんが考えていることとかが私と非常に似かよっているようなところがあるように思え、話をしていると共感する部分が多くあります。
それから山を歩いていても体力があるうえ通過困難なところでもいとも簡単に越えてしまう、いい意味で女性らしくないところが好感を抱かずにはいられません。
以前から彼女は「八海山に登りたい」言っていたので誘ってみました。
彼女はいつも誘うと喜んで来てくれます、今回も迷わずすぐに返事をくださいました。
その人と一緒に山へ行くのは3週間ぶりくらいになるでしょうか、そのお方はとても美しい女性で、そりゃそんな女性と一緒に山へ行くなんてそんな嬉しいことはありません、二つ返事でお誘い申し上げさせていただきました。
もちろんルートは屏風道を登り八つ峰を通って新開道を下るという、クラシックなルートです。
私は体のバランスが悪く、岩場等の登りはそれほど得意ではありません、しかし屏風道のような一般ルートならまったく問題なし。
まだ暗いうちに屏風道登山口に着きあれこれ山の話をしているとあっという間に時間が過ぎ、周囲は明るくなってまいりました。
屏風道の岩場はしっかりと鎖が付けられ安全に登山者が登られるように配慮されておりますが、私は登山道のない藪山を多く登っているせいか鎖やロープを握ることにどうしても抵抗を感じてしまいます。
ちょっと余談話になりますが、おそらく藪山を登る人なら皆さん感じていることと思いますし、逆に藪山を登らない人には分からないことかもしれませんが、とにかく人工物の世話になりたくないとでも申し上げればいいのでしょうか、クライミングなどの登攀は万が一のためハーネスを着用しロープやその他カラビナなどの画期的な人工物を利用しで安全を確保する、うまく言えませんが言わば近代的なスポーツといった感じがしますが、藪を歩く場合はすべて自然の中で自然の物に頼って登る、要するに木の枝や根っこに掴まって蔦や弦がロープあるいはカラビナの代わりになり、自分自身がすっかり自然の中に溶け込んで山に登っているような感覚でいられるところが私は魅力を感じているところ
なのであります。
まあそんなわけで当日は鎖やロープを一度も握ることなく千本檜小屋まで登りました。
それにしてもただ淡々と登山道を歩くのと違ってここは飽きません。
それに彼女も軽やかにひょうひょうと私の後をついてきます。
八つ峰では嫌々鎖を握りしめ最後の大日岳で昼となり暫しの休憩。
八海山の八つ峰は麓からも非常に目立つ岩峰が連なっていて、昔の修験者はこの岩場を鎖なしで登り下りしていたのでしょうか?
2年前にここを訪れたときは白装束に身を包んだ人たちが多く居られましたが、ロープウェイを使って千本檜小屋まで来ただけで八つ峰さえも通過してなかったようです。
八海山の開山は1794年に修験者である普寛とその弟子の泰覧によって屏風道が切り開かれ、山頂に八海大明神を祀られたのが最初だとされているそうです。八海大明神とは本地が薬師如来ということです。
かつては女人禁制の山で、途中に女人堂があり女性はそこまでしか来ることができなかったそうです。
普寛は秩父の御岳山で修行を積み八海山を開山し、木曽御岳山の王滝口に八海神社を建立したとされていて、この三つの山は親戚の山ということになります。
八海山は越後三山のひとつに数えられますが、百名山には入っておりません。しかし百名山に登録されている越後駒ヶ岳よりも一般人には知名度が高く、百名山の知名度凌ぐほど強い山岳信仰により名前が知れ渡っている山なのだということに驚かされます。
山名についてはいろいろな多くの説があり、かつて山中に八つの池があるところからきているという説や地蔵岳、不動岳、七曜岳、剣ヶ峰、白河岳、釈迦岳、王丈ヶ岳、大日岳の八つの峰からきているという説と、ほかに入道岳があり八つの峡から八峡山が八海山になったという説、あるいは山々が階段状になっていて八階山が八海山になったという説、さらに仏教の八ヶ条である八戒から山名がきているという説など山名由来については非常に多くあるようです。
ところで八海山の知名度を高めているもう一つの理由として清酒があります、今は簡単に手に入れることができますが、以前は大変に入手困難な幻の酒でした。
私が20代半ばの頃に六日町の山の会の方々とキャンプ場で宴会をしたことがありました。当時その入手困難だった八海山を六日町の方々が持参してきており、私はその幻の酒をがぶ飲みしてしまい、随分と酔っ払って大暴れしてしまったようです。
私にはまったく記憶がないのですが、次の日男性陣から「お前!憶えておけよ!」とか「昨夜はよくもやってくれたなー」とか怒られたり罵声を浴びせられたり、女性陣からは「昨日言ったことは本当なのか?」とか「私でもいいのか?」とかいろいろ聞かれたり問い詰められたりしましたが、結局原因が分からずというか怖くて調べないようにしておりました。
お蔭で無事、今となっては知る術はなく何が何だかさっぱり訳が分からない状態のまま現在に至っております。
そうそう、話はもとに戻りまして…、ここは岩場を怖がるか怖がらないかでまったくコースタイムが異なってきます。昭文社の地図に書いてあるコースタイムはもちろん岩場を怖がる人向けに書いてあるということは言うまでもありません。
そして屏風道よりも長く感じる新開道を下り、無事に下山しました。
彼女とはまた山へ行く約束をして家路へと向かいました。
第三話 俎倉山
俎倉山は新発田市に聳える、下越の富士ともいわれている端正な形をした山で、新発田市民の間では古くから登られてきた山です。
しかし上記の山々と比べると新発田市のローカルな山であり、知らない人も多く居られようかと存じます。
言わば新発田市の里山とでも言いましょうか、自分自身の感覚からすれば二王子岳くらいまでは里山であり、私はそんな里山には滅多に登るようなことはありません。
どうせなら飯豊や朝日に行きたいと思うのが人の心であり心情であり世の常であろうかと思います。
そんな折、仕事で御幣松尾根を登り大日岳を通過し、御西小屋の便所のガラスのコーキング作業を9月30日に予定しておりました。
ところが今年は非常に台風の多い年で、その週末も台風上陸が懸念されておりました。
台風の進路や上陸時期が流動的で天候的にははっきり分からないような状況でありましたが、万が一を考えて前日のうちに中止を決断してしまいました。
しかし日曜の朝、目が覚め窓を開けると辺りは大変に清々しい秋の空気に包まれており、上空を見渡せば青い空が一面に広がっているではありませんか!
年に数回こんな日があります、それにしても悔しいものです。
気を取り直して、あれこれ思案していると私が所属している山岳会の新人の女性が俎倉山に登りたいと言っているのを思い出し、誘ってみることにしました。彼女は登山初心者で、ほんの少しですが難易度の高い山を登る会員の皆さんには馴染むことができず、会の皆さんも時々登りやすい初心者向けの山を計画して誘ってあげればいいのに、誰も誘おうとせず初心者の新人は益々馴染みにくいままでいるようです。
優しい私は彼女をとても不便に思い、時々誘っては山へ行くようにしておりました。
そのお方はとても美しい女性で、そりゃそんな女性と一緒に山へ行くなんてそんな嬉しいことはありません、二つ返事でお誘い申し上げさせていただきました。
とまあそんなひょんなことから我々はいざ俎倉山へと向かいました。
登山口に向かっていると正面に荒々しい岸壁が見えてきます、平たく垂直に切り立った岩はまるで俎板のようだということで俎倉山と名付けられたそうです。
この山は新発田市から非常に近く手軽に登れるところが魅力的です。
現にこの日、私は朝起きてから着替えるのが面倒で寝巻姿のまま山に登りました、それほど気軽に訪れることができる近所の山であります。
五頭山と違って人が少なく、山頂の北にある双耳峰の天狗の庭からの景色は雄大でとても良い山だと思いました。
山頂は狭いので少しダム側の方へ無理やり彼女を連れて踏み跡を下るとちょっとした平地があり昼の休憩には最適でした。
そこでチキンライスとソーセージを調理して昼食タイムとなりました。
いつも持って来る厚手のピクニックシートがあればお昼寝ができたのに、今回は荷物がかなりかさ張るので持ってこなかったことを大変に後悔し、今回の山行の反省点として挙げておかなければなりません。
登りはゆっくり登っても2時間、下りは1時間30分ってところでしょうか。
下山はキノコを採りながらゆっくりと下りました。
彼女からは「もっとゆっくり歩いてよ!」とか「さっさと下りないで!」といった苦情の嵐を背に受けつつも私の片手には数本のホンシメジがしっかりと握られておりました。