月山の写真

大朝日岳付近の写真

これも月山の写真

寒江山付近の写真


夜と朝  月山と朝日連峰

月山 85日と13

朝日連峰 82526

 

 

最近、物忘れが激しくなってきており、加齢によって徐々に脳細胞が死んでしまっているのではないかと心配している今日この頃です。

正直、私の頭は外見に問題があり、特に髪の毛が大変です。

じゃあせめて中身くらいは人並みでいたいと思っていたところだったのに、最近は物事を思い出せなくなったり、すぐに忘れたりするようになっております。

今回も8月に二回も月山に行ったので日記でも書こうかと思っていたら、良く考えてみると、そういえばホームページ名が静かな山へということをすっかり忘れておりました。

 

月山についてはどう考えても静かな山とは言えません…、それどころかスキー場あり、神社あり、山々の美しい風景ありで、おそらく山形県でも随一の大観光地になっているようなところで、シーズン中はいつも登山者や観光客で大変に賑わっている山です。

まあ朝日連峰と抱き合わせならいいだろうと思ったことと、コースによっては静かな山旅ができるということで、今回の日記を書いてみました。

 

1章 月山

月山は信仰の山としての歴史は古く、今から約1400年前に崇峻天皇の皇子である蜂子の命によって開山されたと、どの本を読んでもそう書いてあります。

出羽三山と称される月山、湯殿山、羽黒山ではかつて多くの修験道が厳しい修行を積んでいたところで、現在でも信仰登山が盛んに行われており観光の一環として三山掛けをする観光客の姿も多く見受けられます。

 

羽黒山は東北地方の葉山信仰である葉と黒森山信仰の黒が合わさって羽黒山となったとされております。

湯殿山に関しては本来は山ではなく月山の渓谷にある巨大な岩から湯が沸きだしていてそれを御神体としていたのがいつのまにか近くに聳える仙人岳を湯殿山と呼ぶようになったということです。

 

月山山頂の月山神社には夜の国の支配神とされている月読の命(つくよみのみこと)が祀られております。

月読の命は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、須佐之男の命(すさのおのみこと)の三兄弟の一人であり、この三兄弟は三貴子とも呼ばれ神々の世界では重要な存在となっております。

 

日本書紀の神話によると、イザナギの神とイザナミの神が契を結んで日本国や数多くの神々を産んだあと、イザナギの神が黄泉の国から帰ってきて禊をしたときに左の目を洗ったら天照大御神が産まれ、右の目を洗ったら月読の命が産まれ、鼻を洗ったら須佐之男の命が産まれたそうです。

 

暴れん坊でわがままな須佐之男の命は神の世界である高天原を追い出され、出雲の国へ逃げてやがて出雲大社を作り、そして天照大御神が親神と言われる太陽神に任命されました。

月読の命は天照大御神の命令によって穀物神である保食神を訪ねました、すると保食神は口から山海の食物を出し月読の命を歓迎したそうです。

ところが月読の命はそれを汚らわしいと思って保食神を殺害してしまい、それを知った天照大御神は「あなたは悪い神である。二度と顔を見たくない」と激怒したそうです。

天照大御神は太陽の神様なので、それから月読の命は月の神になり太陽と交代で姿を現すようになったとされております。

 

 

月山は出羽三山の主峰でありますが連峰を形成しているのではなく単独の、いわゆる独立峰であり、最上川を挟んで同じ独立峰である鳥海山と対峙するように聳えております。山裾が非常に長く伸びておりお椀を伏せたような広くなだらかな山容には多くの池塘とお花畑が訪れた人たちを歓迎してくれます。

車道は8合目まで延びており登山はもちろんですが、観光をも対象とした山となっているようです。

登山者に交じって即席の白装束に身を包んだ大勢の観光客が観光ガイドに導かれ、あるいは家族連れなど多くの人たちが広くおおらかな景色と咲き乱れる花々を楽しんでおられます。

 

そんな観光地化されている月山でありますが、数ある日本国内の山々の中でも最も日本海近くに聳える山の一つであり、日本海気候の影響を大きく受けていて、冬は豪雪に見舞われ、年間を通しても晴れる日は少なく気象条件としては大変に厳しい山の一つであると思います。

盛期には人で賑わっておりますが、シーズン外となると自然の猛威に覆われていてとても簡単に近づくことができない山となっています。

 

気象条件が厳しければ厳しいほど山は美しさを増す傾向にありハイキング気分で登れる月山でありますが高山の景観を持ち、草原と池塘が広がる月山はとても美しく、登山対象として人気が高い鳥海山よりも個人的に私は月山の方が好きです。

 

そんな月山には8月に二回訪れる機会がありました。

二回とも手向街道と言われる先のレストハウス側から登りました。

登山口の標高は1400m近くあるので駐車場に降り立つとすでに高山植物が咲き乱れています。

しかし残念なのは高山植物よりも下界の花々が多く咲いており、人の往来の多さを物語っております。

車を止めたところにはクローバーが咲き乱れていて観光客の靴に種が付着してきたものが自生したものだと思われ、やがてこれら下界で咲くクローバーなどの植物が高山植物帯に侵入していくことになるのでしょうか?もしそうだとしたらこれも環境破壊の一つなのだろうと思います。

 

登山道はレストハウス裏手から人ごみの中、木道を歩き始めますが、なだらかな地形に池塘群、そして多くの花々が素晴らしい。

急な登りはほとんどなく、木道は最初だけで、岩がごろごろしている登山道をゆっくり登ればやがて山頂神社に着きます。

月山の山頂はこの神社の中にあり、参拝料500円を払って中に入れますが、撮影禁止で、山頂での記念写真ができないことと、神社敷地内ということでどこが山頂なのかよく分かりません。

山自体はせっかく綺麗なところなのに、登山者の皆さんは口々に残念がっておりました。

尚、シーズン外に訪れると無料で山頂神社敷地内に入ることができます。

山頂神社のすぐわきには大休憩所がありますが、休憩料金200円がかかります。

 

今回は楽なコースをハイキング気分で訪れましたがあの美しい草原と池塘を静かに満喫するならば山裾が長く懐深い月山には長大な念仏が原からいつか一泊で登りたいと考えております。

 

月山は名前の通り夜を支配している山です、日帰りではもったいない。

月の光に照らし出される池塘や草原、きっと美しさは格別でしょう。

そして月光に映し出される月山をぜひ見に行きたいと思っております。

 

 

2章 朝日連峰

今年は飯豊の工事関係が忙しく、私自身もうひとつのホームグラウンドである朝日連峰へなかなか行く機会がありませんでした。

あまりにも顔を出さないものだから、狐穴の管理人あだちゃんやその弟子の伊藤晶子ちゃんからも心配のメールが届いておりました。

体はまったく大丈夫なのだが、なにしろ朝日へ行く時間がとれない、やっと815日に日帰りで向かうも途中で雨に降られてしまい雷様が怖いのでヘソを隠しながらその場ですぐに下山…、となかなかあだちゃんに会うことができないでおりました。

そしてお盆も過ぎた825日、猛烈に残暑が厳しい折り、ようやく朝日連峰へと向かう日がやってきました。

       

コースはいろいろ迷いましたが、この夏は初の朝日連峰ということでスタンダードに日暮沢から入山することにしました。

相変わらず日暮沢の林道は途中で通行止め、約30分程度林道を歩きます。

日暮沢の小屋からそのまま大朝日岳を目指します。

林道の通行止めということもあってか、人が異常に少なく私としては嬉しい限りです。

茸も乳茸が登山道沿いに多く発生しております。乳茸は皆さん馬鹿にして踏んずけて歩いているようですが、結構ダシがとれる美味しい茸です。関東方面では非常に高値で売られているようです、なんて言いながら私も踏んずけながら歩いておりましたが…。

そうこうするするうちに乳茸に交じってとんび舞茸が出ております、これは踏んじゃいけない茸で、本来の舞茸に比べれば格は下がりますが、道の駅等ではかなり高額で販売されている茸です。

大変に香りが良くダシもよく出て味自体も美味しい茸です。

 

とんび舞茸は本物と違い、楢の木ではなくブナの木に発生するようです。

成長すると肉質が固くなり、まるで木の皮でも食べているようになります。

白い茸ですが採取後に黒く変色し、特に真っ黒になったものは固くなるように思います。

道の駅などではよくトビ茸等の名前で売られていますが、大きいものより幼菌が安くて美味しいです。

とんび舞茸はとんびが羽を広げた姿に似ているところから名付けられたということですが、よくしたもので舞茸よりも格下のとんび舞茸は鷲や鷹にはなれなかったようですね。

 

環境庁曰く、山菜は植物保護のため採取禁止だが茸については植物じゃないので採取してもいいということです。

ということで夜のおかずにちょうど柔らかい食べごろの物をいくつか胸を張って堂々と大きな顔で採取して、また少し重くなったザックを背負いまずは大朝日岳へと進みました。

 

私が上に登るにつれ時間とともに太陽も昇り、夏の日差しが私の薄い頭を攻撃してきます。

地獄のような暑さを耐え抜き稜線までなんとか出るとようやく風が涼しくなります。

昼近くになると稜線はガスにまかれるようになり遠くでは雷鳴が聞こえ、朝日連峰もまだまだ真夏の気候のようです。

 

西朝日岳の石の上に寝転がり、うとうとしているとあっという間に時間が過ぎてしまい1時間後に目覚めたときはホシガラスが一匹、私を馬鹿にしながら甲高い声を出して飛び去っていきました。

 

時間がたつにつれ濃くなるガスと遠くで聞こえる雷鳴、夕方になるとガスが下がり再び青空が戻るだろうと考えてゆっくり歩を進めておりました。

朝日連峰の中で私が一番好きな寒江山付近までくるとさっきまで遠くで聞こえていた雷鳴がいきなり目の前で鳴り響き、周囲には稲妻が走りました。

そして大粒の雨、雨具を着なければならないが落雷を避けるため身を低くしていなければなりません、面倒な体勢で雨具を着てじっと雷が去るのを待ち続け、

そして狐穴小屋に着く頃には大きな虹が私を出迎えてくれました。

 

あだちゃんとの久しぶりの再会に喜び、とんび舞茸を差し出すとさらに喜び、小屋の泊り客の中に芸能人のみなみらんぼうさんがいてさらに喜びました。

そういえば山関係の本を読むと時々みなみらんぼうさんの名前を目にします、今回も読売新聞の取材で朝日連峰を訪れているとのことでした。

 

さっそくとんび舞茸を肴に宴会がはじまりました。

みなみらんぼうさんとは今度山へ一緒に行きましょうということで名刺交換をさせていただきました。

 

翌日、らんぼうさんが出発するのを見届けてから私は以東岳へ向かいました、昨日少し飲みすぎたのか痔が出てきてガニマタで歩きます。

 

以東岳に続く稜線は夏の名残の花々が青空に揺れて綺麗で、あらためて朝日連峰の美しさを実感します。

最近はどの山も笹薮の比率が増えその分草原帯が減少しておりますが、朝日の稜線は笹薮が少なく草原帯が多く残ったままです。

以東岳の山頂から狐穴小屋に戻り、昨日雨にやられた北寒江山、寒江山、南寒江山の三つのピークに再び訪れました。

ここは朝日連峰のなかでも一番草原が綺麗なところだと思います。

特に爽やかな南寒江山の山頂ではまた昼寝がしたくなってしまいました。

 

そして竜門山からとんび舞茸を探しながら下山、不思議なことに茸は探すと見つからないものです。

 

ここでちょっと余談話を…。第1章で月山の信仰についていろいろ述べましたが、朝日連峰にも月山と同様に修験道が修行を積んでいた頃があったそうです。近くの山で修行を積んでいるとどうしても覇権争いがおきてしまうらしく、ここでも月山の出羽修験者と朝日修験者との間で宗教対立が起き、最終的に朝日の修験道が負けてしまい、山中に祀られていた神仏が朝日川に破棄されたという歴史があるのだそうです。

私が思うに朝日連峰は朝日のあたる山、あるいは朝日が昇る山から朝日連峰と名付けられたとされておりますが、本当のところ月山に対抗して名付けられたのではないかと推測しています。

 

もともとは今の祝瓶山が大朝日岳と言われていて朝日権現が祀られていたということですが、鳥原山に神仏が移され、近くに聳える山を大朝日岳と呼ぶようになり、それが今の大朝日岳ということなのだそうです。

 

出羽との宗教対立に敗れた朝日連峰はそれ以降、狩猟の山としてあるいは鉱山の山として栄えることとなったそうです。

昔の地図を見ると確かに以東岳近くには金堀という地名があるように、朝日連峰一帯では金の採掘が行なわれていたそうで祝瓶山の山名も実は金の採掘からきているのですが、その山名由来についてはいつか祝瓶山を訪れた時にでも御説明することにしましょう。

 

 

無事に下山したものの、痔の痛みをこらえながら家路へ向かいました。

下山後には数名の人に無事下山の連絡をします、たまには若者風なメールを送ろうと思い「痔ナウ」と皆さんに御一報さしあげました。

 

追記

そういえば狐穴小屋管理人のあだちゃんを改めてあだっつぁんと呼ぶようにとほうぼうから指導されておりました。次回から気を付けたいと思います。