灼熱のダイグラ尾根

ダイグラ尾根~飯豊本山~大日岳~西大日岳~石転び下山

 

86日~7

 

飯豊連峰のメインである本山には、直登できるコースが4箇所ありますが、どれも長大で厳しく辛いコースばかりです。

その中でも比較的楽だと思われるのは大日杉口と弥平四郎口ということになると思いますが、それでも登頂に至るまでは破格の厳しさがあり、川入口に至っては距離が長く、延々と続く登りを克服しなければなりません。ただ、飯豊のメインルートだけあって、比較的に登山道の整備状況が良好と言った感じがします。

 

ではダイグラ尾根に関してですが、飯豊山荘を基点に丸森尾根や梶川尾根、あるいは石転び沢を併用し周回できる便利さがありますし、道中の見晴らしが良く、しかも他のルートのような草履塚や一王子、本山小屋といったピークを通過せず一気に山頂へ突き上げる爽快さがあります。

とは言っても飯豊随一の長丁場の尾根で、あれだけ距離があるのに途中に避難小屋は存在せず、登り下りの起伏の激しい尾根で、体力的には非常に厳しい上、水場も下の方に長坂清水が1ヶ所あるのみで、暑い時期は避けて通りたいところでもあります。

日本に存在する一般的に公開されている登山道の中では、ヘタすりゃ日本一厳しい登山道と言っても決して言いすぎではないのではと思います。

 

以前のことになりますが、私の所属している山岳会が毎年7月に飯豊清掃登山を実施しておりました。私はその行事には参加したことはありませんが、確かダイグラ尾根をやった年も何回かあったと思いました。

私は「なんでこのクソ暑い時期にダイグラ尾根なんかやるのだろ。」と思っていたような記憶があります。

確かによく考えてみると私自身は今までここはすべて秋に歩いておりました。

しかし何を血迷ったのか良く分かりません、今回は何故かこの尾根を選んでしまいました。

 

私自身も久しぶりのダイグラ尾根で、記憶以外のデーターはまったく無い状態で、ダイグラ尾根を再認識しておきたいという気持ちと、今の自分はこの尾根を登るのにどれくらいの時間を要するのか試してみたかったという気持ちから、ここを選んだような気がします。

以前は確か秋での日帰り装備だと5時間ちょい程度で飯豊本山に登頂していたと思います、一泊装備でも6時間か7時間程度の行程だったような気がしました。今回は盛夏で一泊装備なので7時間程度の予定でおりました。

昼過ぎに本山を超え、夕方までには大日岳を通り過ぎ、西大日岳に到着、野宿できればと考えておりました。

 

登山道は桧山沢に掛かる吊橋からいきなり急な登りになります。

途中にある長坂清水は冷たい水が湧き出ており、一時的にではありますが元気を取り戻すことができました。

長く続いた急な登りも千本峰の標識で一段落しますが、今度は岩場の急な登り下りを繰り返すようになります。

 

この岩場はいつ来てもマムシの多いところで、マムシは動きが鈍くて何度も踏みそうになります、登山靴のような硬い靴で踏んでしまうと、場合によっては死にいたる時もあるので慎重に歩を進めます。

他の蛇に比べるとマムシは動きが鈍いだけではなく、肉体的に大変に弱い蛇で、肌や内臓あるいは筋力や瞬発力も劣っているため、壊れ物を触るようにいたわりながら接しなければなりません。

 

そういえば、私は以前にマムシの葬儀で会社を休んだことがあります、その時のことを思い出してしまいました。

 

回想・・・

マムシを瓶に入れて焼酎に漬ける、いわゆるマムシ酒を造っていた時、焼酎は一気に注がずに、毎日少しずつ足していく。そうすることによってマムシが苦しみ、より多くの毒を焼酎の中に吐き出し、それにより良質の酒が出来上がる。いずれ瓶の中の焼酎がいっぱいになると同時に瓶の中のマムシは息絶える。

その毎日少しずつ焼酎を入れる作業を実家に頼んでやってもらっていた。マムシが死んだら瓶から早く取り出さないと中で腐れてしまう。マムシが死んだら実家から電話がくることになっていた。そしていよいよ瓶の中のマムシが息絶えた時に、約束通り実家から会社に電話が掛かってきて、「マムシが死んだよ」と言われ「そうか、死んだか」と言って電話を切った。するとそれを聞いていた事務員が「誰が死んだの?」と聞くので、私は「前に世話になった知り合いがね…」って答えると「なんで死んだの?」とまた聞いてくるので「良く分からないけど、ノイローゼ気味だったみたいだよ。最後はアルコール漬けの毎日だったみたいだ」と答えた。さらに私は「神経質なのか痩せてヒョロヒョロした体型だったなあ、とにかく明日は葬儀で休まなくっちゃ」と言って、まんまと翌日、会社を休んで朝日連峰へ向かいました。

・・・ということがありました。

 

ところで実は今回の山行も会社には門内小屋の窓ガラスを修理するといって山へ来ていました、門内小屋の窓ガラスはとうの昔に修理済みです。

 

それにしても今日も猛烈に暑い、嘘をついて仕事と偽り山に来たものだから罰でもあたったのか、猛烈なこの暑さで元気がでません、バテてしまったのでしょうか?眠気と吐き気を催し、とても苦しい、いつものように歩くことができません。吐き気以外は熱中症の症状ではないので、単なるバテだろうと思います。

千本峰を過ぎ、宝珠山の肩を越えた辺りでとうとう眠気が限界になり、陽射しを避けるため、藪に体を突っ込み居眠りを始めてしまいました。

多分30分以上は眠っていたと思います、いくらか回復し、歩き始めますが、今度は追い討ちをかけるように、宝珠山はノコギリの歯の上を歩いているような登り下りを繰り返します。そして宝珠山の何番目かのピークでまた居眠りをしてしまいました。

十分に眠り、また少し元気を取り戻すと、本山へ向けて最後の長い坂を登り始めました。この辺からようやく風が出てきて涼しくなり、疲れ果てボロボロになった体でしたが、何とか歩けようになってきました。

 

そして予定より1時間以上遅れて、本山に到着。年齢からなのか、体力が落ちたものだと考えさせられました、ちょっと悔しかったです。

まだ時間的には日没前に西大日岳には行けそうです、気温も下がりしっかり歩けるようになっているので、予定通り向かうことにしました。

 

まずは最初のポイント御西小屋を目指します。

昨日、御西小屋管理人の松葉さんから電話が掛かってきて「トイレが壊れて限界だ、見てほしい」と言われていた。

御西小屋に到着するも、松葉さんに先を急ぐ旨を伝えて、トイレは明日また良く見させてもらうことにし、西大日岳に向かい始めました。

ところが!私の背中に向かって「ビール飲んで行きなよ」。松葉さんの一言は私のカラカラに乾いた体にグサリと突き刺さりました。自分でもここまで疲れきっている時にビールを飲むと、本日の行動はそこで終了、動けなくなることくらい分かっていました。

この灼熱地獄の中でビールという甘味な誘惑の言葉は、今の私にとって媚薬のようなものです、残雪で冷えたビールを想像すると、それは私の心に強く響き渡り、心は乱れ大きく揺れ動きます、大変に辛い!今回の山行では一番の我慢のしどころでした。しかし、自分で言うのも何ですが、私は普段から切磋琢磨しており、大変に我慢強い人間です、少々これしきのことで簡単に決心を変えるような訳にはいきません!

 

「プハァッ、うーん美味い!」冷たいビールで喉を潤しながら、無事に御西小屋で松葉さんと酒を酌み交わしながらトイレ談義に華を咲かせ、「西大日には明日の朝早く向かえばいいよ」と言われ、「ああ、そうしよう」。自分の中であっさりと予定を変更する結論が出ました。

 

今年の飯豊は放射能汚染を懸念する人々に敬遠され、登山者が大変少ないようです。

御西小屋の宿泊者は少人数で、大変に快適に眠ることができました。

 

翌日、早朝に大日岳に向かい、そのまま西大日岳に行きました。大日岳~西大日岳間の踏み跡は一部を除いてほとんど明瞭で、8割方が草原のお花畑で、あまり人が入ってなく大変に美しい草原帯でした。

今回は何故、西大日岳を目指したかというと、実は大日岳に標柱を設置するのに、ヘリポートを模索するためのものでもありました。

 

西大日岳に着き、山頂からすぐ隣の薬師岳を見ると踏み跡は無く、距離は短いのですがそこまで行くには時間が掛かりそうで今回は諦めました。

それから途中で何だか黒い塊が大急ぎで笹薮の中を逃げて行くのが見えました、大日~西大日間は熊がよく出没するところだそうです。

 

御西小屋に戻り、松葉さんに挨拶とビールの御礼をし、さらに目的である壊れかけの便所の視察をして御西小屋を後にしました。

※御西小屋の外のトイレはおそらく来年は使用不可になると思います。多分、この冬の積雪に耐えることができないと思います。おつりのある、あの懐かしい便所ももう見納めになるかもしれません。

 

今日はこれから北股岳を通過し門内小屋に立ち寄らなければなりません、今日は下越山岳会の笹川さんが門内小屋の管理人を勤めております。「ビールでも御馳走してもらおっと」なんて考えながら門内に向かいます。歩きながら「ああ、そうだ!頼母木小屋の管理人は坂上健さんだ。ちょっと足を延ばして、坂上さんにもビールをおごってもらおう」、夢は無限に広がります。

 

稜線歩きでもやはり暑いので、門内小屋に着く前に梅花皮小屋の冷たい水が恋しくなってきます。梅花皮小屋に到着し、水を汲んでいると管理人の関さんが「よう!ビールでも飲んでくか?」と言ってきた。せっかくなので関さんのビールも頂きたい。しかしここで飲んでしまうと、腰が落ち着いてしまうかも知れない「我慢しなくっちゃ」先ほども御西小屋のところで書いたばかりですが、私は屈強な精神力の持ち主です、門内小屋まで我慢することにしました。

 

そして再び「プハァッ美味い!」。結局、関さんから冷たいビールを御馳走になり、暫しの休憩、「うーん、生きかえる」。

「門内まで行かなくて、石転びを下山すれば」と関さんに言われましたが、アイゼンもピッケルも持ってきてない。関さんは「あんたなら大丈夫だよ、靴もしっかりしているし…」と言う。

私自身も6月の石転び雪渓が雪で埋め尽くされている時にでも、何度かアイゼン、ピッケルなしで石転びを登り下りしたことがあるので自身はありました。帰宅が早まることはいいことです。結局、石転び沢を下山しました。もし滑り落ちたとしても危険はないし、逆に滑れば下山が益々早まる。上部はすでに夏道が出ており、道の真ん中に休憩している人がいて危険でした。石転びというくらいだから上から落石の危険があります、ましてや人が下山通過しているその真下での休憩は避けてほしいものです。

中腹から雪渓歩きが始まり、寒いくらいの心地良い風が吹き降ろしてきます。

すれ違う人が私を何度も見ています「あの人アイゼン付けてない、おかしいよ」って聞こえてきました。

 

久しぶりに辛く、苦しい山行も無事にフィナーレを迎える運びとなりましたが、とにかく疲れました。それは暑さから来るものなのか、年齢から来るものなのかは分かりません。

それから、その苦しさから逃れるために大幅な予定の変更も多くしてしまった山行でもありました。

ここでちょっと言い訳ですが、予定の変更はあったものの、自分自身はちゃんと先を読み、行き当たりばったり的に行動をしていたのではありません。別に鍛錬のために山に来ているのではないし、楽しさを最優先すべきと考えて予定を変更したにすぎません、必要なピークもすべて行きましたしね…、ってやっぱ言い訳かな?

 

ただ、門内小屋で笹川さんから、頼母木小屋で坂上さんからビールをおごってもらえなかったことが、大きな心残りとなりました。

 

来年は日本酒をたくさん持参し、松葉さん、関さん、そしてその時は誰が当番の日か分かりませんが門内小屋の管理人と頼母木小屋の管理人さんに酒とビールを交換する飲兵衛の山旅をやってみたいと思いました。

 

※ちなみに私は飲兵衛ではありません、と言うよりも酒はかなり弱い方です。

 

コースタイム

飯豊山荘 35分 吊橋 1時間29分 長坂清水 1時間12分 休場の峰 3時間7分(その内睡眠30分くらい) 宝珠山 1時間59分(その内睡眠30分くらい) 飯豊本山 50分 御西岳 50分 大日岳 25分 西大日岳 30分 大日岳 45分 御西岳 2時間20分 梅花皮小屋 3時間10分 温身平 16分 飯豊山荘