門内小屋の管理人

 

723日~24

 

はじめに

飯豊連峰の稜線上には6箇所の山小屋があり、それらはすべて避難小屋で、盛期に管理人が常駐するものの、通常は無人の山小屋です。それら山小屋は気象条件的に非常に厳しい立地条件にある上、いろいろな人が利用されるので、どうしても損傷が激しく、常にどこかが破損しているような状況にあります。

その6箇所の山小屋のうち4箇所の山小屋を新潟県が管理運営をしております。

そのうち門内小屋と頼母木小屋を胎内市が新潟県から借りており、簡単に言えば新潟県が大家さんで胎内市が観光目的で借りているということになります。ちなみに家賃は無料だそうです。

そんな門内小屋と頼母木小屋は飯豊の山小屋の中でもとりわけ老朽化が激しく、かなり壊れかけてきている山小屋です。

 

話しは飛びまして、私は普段は胎内市にある建設会社に勤務し、設計や営業という職種に就いておりますが、門内小屋と頼母木小屋が壊れたり、どこか修理が発生すると、私の勤務する建設会社で修理作業を請け負うといったかたちで修理作業が実施されるような流れになっております。

維持管理程度の破損なら胎内市が修理工事を発注し、破損が甚大で修理金額が大きくなると修理工事は新潟県が発注するような傾向にあるようです。

 

去年、私が三面小屋の外壁修理工事をした時のことですが、新潟県が主催で新潟県内の山小屋や登山道関係の修理工事等に関わっている各業者さんが集まり、山小屋修理工事の勉強ということで三面小屋の視察と検査が実施されました。

私は自分の工事した物件をいろいろな人に見られるのが自身が無く、とても嫌だったので、ある作戦をたてることにしました。

当日、登山口に到着すると皆さんは登山靴に履き替えますが、私はジョギングシューズを履きました。三面小屋までの案内は当然、私の役割です。

私は「では、皆さん案内致しますので、しっかり私についてきてください!」と一言。

ジョギングシューズの私は三面小屋まで一目散に駆け抜けます。少し進むと「もっとゆっくり行きましょうよー」という声が聞こえてきて、それが次第に「こりゃ拷問だよ!」とか「助けてくれー」という声に変わってきました。怪我や事故があるといけないですし、それに可愛そうなので、途中で一度休憩を入れましたが、ほとんど一目散でした。

小屋までは標準で2時間程度の道のりになっておりますが、結局1時間くらいで、到着しました。

案の定、到着した時点で皆さんゲッソリしております、視察や検査も粗く簡単なもので済ませることができ、私の姑息な作戦が見事に成功しました。

 

さて話は元に戻りますが、胎内市といえば飯豊の大石山~頼母木山~門内岳の区間が胎内市であり、登山道も足ノ松尾根が多くの登山者に使われております。

市の商工観光課も飯豊に力を入れており、小屋や登山道整備に一生懸命に取り組んでいます。

そんな門内小屋と頼母木小屋に今年も管理人が常駐する季節がやってきました。

小屋の管理は中条山の会が主体で行うことになっていますが、いろいろな方面から管理人を募集し、皆さんで管理業務にあたるということでした。

山小屋の修理作業にあたっていた私もその管理業務の手伝いをすることになり、私が所属する山岳会からも経験者数名が管理人として交代で門内小屋を任されることになりました。

私は平日は仕事があるので管理人として山小屋に入るのはせいぜい週末程度になります。

そこで申し訳程度ではありますが723~24日の一泊二日、一度だけ門内小屋の管理人業務をすることになりました。

 

ちなみに自慢じゃありませんが、以前に火打山の高谷池ヒュッテに宿泊した時のこと、他の宿泊客に「日本酒くださーい!」とお金を差し出されたり「焼酎ありますか?」と聞かれたり「トイレどこですか?」とも聞かれたりして、何人かの人に管理人さんに間違えられました。何故でしょう?一晩で数回も管理人さんに間違えられるなんて、不思議でなりません。もしかして私は山小屋に相当に馴染んでいるのかもしれません。

高谷池ヒュッテはカラフルな服装の若者も多く宿泊しており、その日の私の服装は作業着で、カラフルな若者に混じっての宿泊でした。

 

管理人の一夜

普段、山に行く時は楽しみにして行きます、皆さんだってそうでしょ。でも今回ばかりはいつもと勝手が違います、仕事で行くとなると気分的に楽しむ気持ちがおきないものです。

さらに門内小屋の扉のガラスが割れていて、とりあえず応急で塞いでおりましたが、今回はガラスを一枚担いで門内小屋へ向かいました。

お昼前に到着すると、すでに今夜の宿泊客が待っており、お話を聞くと仙台からこられた方々でした。

「次のお客さんはどんな人かなー」とか「誰か知り合いでもこないかなー」とか「若い女性グループのお客さんが来たら、夜は宴会に混ぜてもらおう」なんて思いながら、わくわくどきどきしながら登山客の到着を待っておりました。

そしておじいさん5人のグループが到着し、次はお兄さんが単独で到着です。15時を過ぎると次から次へと登山者が到着します。18名の宿泊者で門内小屋は賑やかになりました。

そしてそんな頃、私は管理棟で一人静かな夜を迎えておりました。

 

次の日、小屋を通過して行く昔若かったかもしれない女性客に花について聞かれるがよく分からない、私の苦手分野です。「これって○○って名前の花で、茎に特徴があるんですよねぇ?」とか「イイデリンドウって萼の数が○○でしたよねー?」とかちょっとマニアックな質問がとんでくる。困った私は「そうだと思いますよー」とか「ああ、確かそうだったかもねー」と適当に答えてしまいます。

いろいろ聞かれると困るので「今日も暑くなりますので、熱中症には十分に気を付けてくださいね」とすぐに話をそらすようにしました。

そして10時すぎに交替の石井さんが来られて、お役御免。自由の身分となりました。

 

終わりに

特に大きな問題もなく無事に一泊二日の管理人業務が終わりました。

ただ、ひとつだけ気が付いたことがありました、今年の春は雪解けが遅れ門内の水場があてになりませんでした、ほとんどの方は情報を得ていたようでしたが、門内の水をあてにして来られた方も数人居られました。

そんな水をあてにしてこられた方々の中に単独で来られた明らかに熱中症と思われる方が居られました。心なしか体は小刻みに震えているように思え、脱水症状からか手が痙攣しています。

他の宿泊者から「管理人さん、何とかしてあげなよ」という声が聞こえます。

雪があるので解かせば水が出来ますが、コンロもコッヘルもないとのこと、雪渓の下まで行けば、水を汲むことができるのですが、急な氷の斜面を下りなければならなく、そこまで行くには、とても危険です。

幸い、石転びから来られた登山客にピッケルをお借りし、登山靴に履き替えて水を汲んできてさしあげることができました。

こんな時はあまり怒り声を出さない私ですが、この時ばかりは「自分のことは自分で守れるようにすべきですよ」、「事前の水等の情報や最低限必要な道具は持参すべきです」と注意をしてしまいました。これはもちろん迷惑で言っているのではなく、山では何が起きるかわからないので、単独なら尚更のこと事前のしっかりした計画が大事なので言わせてもらいました。

翌日、彼は元気になっていたので良かったと思いましたし、ちょっとだけ水を差し出しただけなのに役に立てたと思うと私も嬉しかったです。

 

それからもうひとつ、忘れてはいけないとても重要なことに気が付きました、それは薄々感づいておりましたが、やはり飯豊は若い女性グループの登山者が少ないです。「今度は高谷池ヒュッテの管理人さんやってみたいなー!」