1030日 正月飯豊の荷上げ

西俣峰~大ドミ上部付近まで

 

私自身、最近よく思うことがあります。

例えば…、今年の2月に藪山ネットの皆さんと今年の干支にちなんだ山で、梅花皮荘の真向かいにある兎ダナイという山を登った時のこと、ラッセルの先頭は私が最初に歩かせていただきましたが、藪山ネット皆さんは非常に体力のある方々ばかりなので、ノソノソとラッセルをしていると皆さんに迷惑がかかると思い、必至で歩きました。

後ろも見ずにただ一生懸命歩いていると、遠く後方から「ちょっと待ったー!」と声が掛かりました。振り返ると誰も居なくなっていて「あれっ」と思い、引き返したところ皆さん休憩をしていて「いやー、歩くのが早いなー」とか「とてもついていけないよー」と皆さんに言われました。私は特に体力があるわけでも早く歩けるわけでもなく、ただ必至で歩いていただけでした。

皆さんからは「さすが下越山岳会だ!」と誉められました。

そして昼食時に雪でテーブルと椅子を作り、楽しく宴会をしている時も私の被っているミッキーマウスの帽子を見て「下越山岳会の人たちって皆さんそんな帽子被ってるのー?」って聞かれました。もちろんミッキーの帽子なんて被るのは私くらいです。

※ちなみに私の一番お気に入りはドナルドダックの帽子で、ツバの部分が口ばしになっており、その口ばしを押すと、ガァー!ガァー!と音が出ます。もちろん下越の人でその帽子を被って山に登る人も現時点では見たことがありません。

 

それ以外にも飯豊で大きなゴミを拾ってきた時も「さすが下越山岳会だ!」と人に言われ、穴だらけのボロボロの軍手をして山に登った時も「下越山岳会らしいなー!」と言われ、とにかく私にはいつも山岳会の名前がついてまわります。

しかしそのわりに穴のあいた靴下を履いていた時は「下越山岳会らしい」とは言われませんでした。何か少し理不尽な気も…。

 

少し話がそれますが、Tシャツについて多くの登山者は速乾性のある、または防臭性のあるような数千円もする物を着用して登山をしておられるようですが、私はシンプルに100円ショップのTシャツをいつも着用して登っております。傷んでも汚れても苦になりませんし、それに結構快適で乾く早さも速乾性の物とあまり大差ないと思っております。襟はビロビロと伸びたまま着ていますが、それもやっぱり下越らしいのでしょうか?誰か御教授願います。

 

話を元に戻して、いずれにしても「さすが田中だ」あるいは「田中らしいな」と言ってくれる方は誰一人としておりません。

今回も一人で正月の飯豊に挑戦することを人に話すと「下越やるなー!」って言われました。

 

私自身は大変にわがままな人間であり、山岳会に入会しているにも関わらず、たまたまですが会の行事や山行にはほとんど参加してなくて、大半の山行はほとんどが単独行で、結果的には会にまったく貢献してない状況にあろうものと思います。

それなのに、そんな我道を行ってしまっているにも関わらず、私の背中にはいつも下越山岳会の看板がぶら下がってしまっているようです。

 

新潟県内の小さなローカル山岳会ではあるものの、下越山岳会は大変に大きな実績と伝統のある会で、私の行動にそんな下越山岳会が常にひきあいに出されるということは少し心外ではあるものの、大変に光栄なことだと思います。

ただ、自分自身はまったく意識してなくとも、良しも悪しきも私の行動が山岳会に何かしらの影響が出てしまう可能性もあるのですから、軽率な行動は慎まなければならないなど、その辺はまた辛いところでもあり、そんな中、単独で正月に飯豊を目指すということは、果たしてこのままでいいものか、あれこれ考えこんでしまいます。

 

私が説明するまでもなく、皆さんも知っておられることでしょうけど、厳冬期の飯豊は大変に難しく大きな危険を伴うものです。

私自身、厳冬期の飯豊は何度か経験しており、あの厳しさは良く分かっているつもりですし、今回も決して安易な気持ちで目指そうとしているわけではありません。

ちょっとした間違いや判断ミスは死に直結するおそれがあるので、念入りな行動や装備の計画を今回もしっかりとたてました。

でも、もし何かあった場合は下越の看板に泥を塗ってしまうので、その点は非常に悩みました。

 

話は変わり、荷上げとはなんなのか、ちょっと説明します。

正月の飯豊に登るには三泊や四泊もの日程が必要で、厳冬期であるが故に食料以外でも装備は多くなり、当然重量も嵩み、そんな荷物を担いで腰までのラッセルはあまりにも辛く、目的達成が非常に困難なものになります。それを少しでも軽減するために、レトルト食品や乾物等の食料を一斗缶に詰め、今のうちにその一斗缶をテン場付近の木に縛り付けてくる作業のことを言います。

その場合、積雪を考えて地上から3m程度の樹上に適当な固定しやすい木、枝を選び、風雪に飛ばされないよう、紐や縄でしっかりと固定する必要があります。

ということは、それを実行するにはあらかじめしっかりとした行動計画を立て、そして安全なテン場を決めて、そこに荷上げをしなければなりません。

今の時期と正月では、まったくの別世界です、どこら辺に安全にテントが張れてとか、どこに荷上げをしたらいいものなのかの判断は大変に難しいものだと思います、経験をしたことがある人でないと、この作業は無理です。

 

荷上げ品は西俣峰に一泊分入った半缶をひとつ、大ドミのちょっと先付近に三泊分で一斗缶ひとつと半缶ひとつ、合計で一斗缶ふたつ分にもなりました。それを100リッターのザックに詰めて荷上げを実行してまいりました。

それにしても、一斗缶ふたつ詰めてもまだ余裕がある100リッターのザックは無敵です。

80リッター程度のザックでは一斗缶ひとつがやっと入る程度なのに…。

 

本来なら一斗缶には下越山岳会田中と書いて荷上げするのですが、意識的に下越山岳会の名前は伏せ、自分の名前だけ書きました。

 

一斗缶ふたつで分で約16kg、それに簡単な日帰り装備が詰められたザックを担ぎ、今にも降りだしそうな中、西俣尾根の急登を登りました。

 

西俣峰手前あたりから倒木にナメコが見えるようになりますが、キノコは凄く重いので、帰りに採取することにしてまずは荷上げの作業を終わらせることを優先しました。 

 

西俣峰に半缶をデポし、無事に最終目的である大ドミに着きました。あれほど多く密集しているブナの木でも、2年前にデポした木はしっかりと覚えているものです。

(去年の正月の飯豊は別ルートで行ったので、このルートの荷上げは2年ぶり。)

そしてその2年前とまったく同じ木に、下越の大先輩である坂場さんがスリングを上手く足場に使って木に登ったのとそれもまったく同じように自分もスリングを使って木に登り、荷上げ品をデポしました。

 

この時に気が付きましたが、自分自身は下越では登山経験が15年以上たってから入会したので、あまり山に関しては多くを教わる必要はないと思っておりました。

登山を教わりたいというか、単独での登頂は難しいような山やルートへ行きたいというのが入会目的だったように思えます。

坂場さんのような非常にレベルの高い登山をされる方が下越に居られるのも以前から知っていたし、確かに下越に入会しなければ正月の飯豊は経験することはなかったかもしれません。

そして何より2年前の荷上げを参考にし、坂場さんとまったく同じようにしている自分がここにいるのですから、紛れもなく知らず知らずのうちにいろいろ教わっていることには間違いはありません。

私は生意気にも単独で正月の飯豊を目指そうとしておりますが、それはすべて下越山岳会の諸先輩たちが居られたからこそ目指せるようになったことも事実であります。

しかし会の看板に泥を塗ることはできません、最低限でも五体満足で下山をすること、登頂よりも安全を最優先するという、当たり前のことですが、それを念頭において綿密な計画と状況判断をしながら、挑戦してきたいと思っております。

 

伝統ある山岳会の伝統ある行事、正月の飯豊。

今年は私個人の単独山行になってしまうかもしれませんが、そのスタイルはおそらく現在、私に引き継がれていて、それは絶やすわけにいかないと思っております。できるものならこの先も後輩たちに連綿と引き継がれていってほしいものだと心から願います。

 

さて、いよいよまたあの苦しくて、怖い正月の飯豊が近づいてまいりました、今から考えただけで気が滅入ってしまいます。

しかしもうすでに賽は投げられました、必ずあの苦しさの先には素晴らしいものが待っているに違いありません、そのために精一杯頑張ろうと思います。

登山は基本、楽しむものだと思っておりますが、正月の飯豊に関してだけは、挑戦だと思っております。

 

帰りはナメコ、ブナハリタケ、クリタケを採取し、下山後に計ったらキノコだけで18kgもあり、私の山行の場合は特に春と秋に良くあることなのですが、今回も行きより帰りの方の荷物が重い山行になってしまいました。