朝日連峰
朝日鉱泉~御影森山~平岩山~大朝日岳~小朝日岳~鳥原山~朝日鉱泉
7月17日~18日
はじめに
この山行は私が所属する下越山岳会主催のものです。会山行と称して月に1~2回程度、実施されている山行です。
ひとつの会山行には一人の担当者が割り当てられるのですが、今回のこの山行は私が担当した会山行でした。
私のような馬鹿者で愚か者でならず者で怠け者で不届き者でくせ者で慌て者で小心者でお調子者で変わり者で化け物でゲテ物が果たして担当などという大それたことができるものか我ながら心配しておりました、実際に至らない点も多々あったかと思いますが、素晴らしい好天にも恵まれ、なんとか無事に終えることができました。
私自身、レベルの高い登山がやりたくて下越山岳会に入会しました。そして初めて参加した会山行は正月の飯豊でした、そして初めて担当したのも正月の飯豊でした。
私はまるで正月の飯豊の申し子、正月に飯豊に行くためだけに生まれてきたと言ってもいいような存在です。なんてそんなことはありませんが、レベルの高い登山をしたかった私としては、うってつけであり大変に恵まれた巡り合わせでした。
しかし正月の飯豊は私たち登山者を簡単に受け入れてくれず、幾度の挑戦も退けられ、非常に厳しい登山ということを実感させられました。
ようやく今年の1月2日に飯豊本山の登頂に成功できましたが、それはたまたまあの強風が無かったから登頂できたのであり、実力で登頂できたとは思っておりません。
まだまだ経験が浅い私がこんなことを言うのも何ですが、厳冬期の飯豊は自分自身の登山史上、圧倒的に厳しくて難しい山行です。登頂できるかどうかは別としても、この厳しい登山を経験するということは、自身の知識や技術の向上、それから精神面で大きく成長できるものであると思います。そしてそれは他の山行にも大きく役立つことになっております。今の私は正月の飯豊を体験してきたからこそ、少しくらいの厳しい山行でも耐えられると自負している次第です。
そんな正月の飯豊ですが、厳しいということ、また日程的にも正月中ということでそれぞれ皆さんいろいろな問題があり、年々参加者が減る一方で、メンバーの確保が難しくなってきており、今年は中止にして、とりあえず様子を見てみることにしました。
それに精鋭がいなくなったことも事実で、厳しい登山は回避されがちの傾向にあることも確かだと思います。だから会主催といっても参加者が私一人だけになりそうなので、不本意ではありましたが、それなら会から離れて個人で挑戦してみたいという思いもあり、中止にしたということも事実でした。
いろいろな登山の本や文献を読むと、そこには下越山岳会の精鋭たちの記録が書かれているものもあり、私はそんな精鋭たちに憧れ下越山岳会に入会しました。以前の正月山行は参加者が大勢で、かなり盛大に催していたと聞きました。今となっては羨ましい限りです。それから数年が過ぎ、そんな当時の精鋭たちも諸事情により、また年齢的なこともあるのでしょうか、姿を見せる機会が減り、私としてはとても寂しく思っています。
しかし口説いてばかりいても仕方がないことですし、もしかしたら「我々は昔の人なんだから頼ろうとしてはいけないよ」という先輩たちの自立を促す警鐘かもしれません。いずれにしても正月の飯豊が復活できるよう私は私で頑張るしかないと思います。
というわけで、またいつものようにすっかり本題から外れてしまいましたが、そんな訳で正月の飯豊山行の担当を降りた私は、自分の庭でもある朝日連峰の山行を担当することになりました。
今回、参加されたメンバーの役割分担として現会長の佐久間さんに記録係をお願いしました。佐久間さんは下山後早々に報告文を作成し、山岳会のホームページに掲載していただきました。拝見させていただくと、多くの写真を使い、大変に見やすい報告文に仕上げてくださっております。正直、会のホームページは私のホームページとは違い容量が大きくて羨ましい。「まあ私の場合はヤフーの無料ホームページで作成したものだから…、仕方ないか。」
佐久間さんの明快な文章により山行報告がなされているので、私は簡潔にというか、例によって関係のないことを多く書いてしまいがちですが、私のホームページにも一応掲載したいので、書いてみることにしました。
私の文章はすぐに話しが逸れ、肝心なことはついつい書き忘れてしまうので、詳しい山の報告に関しては下越山岳会ホームページの会山行報告を参照してもらえればよろしいかと思います。
山行報告
新発田市民の我々にとって朝日連峰は近いようで遠い山です、飯豊のように手軽に行ける山ではありません。しかし私は朝日連峰に長年に渡り随分と通っており、自分で言うのも何ですが、当会の中でも朝日連峰に関しては詳しい方だと思います。
以前の朝日連峰は晴天の休日でも、ほとんど人の姿は見られませんでした。しかし登山ブームに入ると山小屋の改築工事をおこない、飯豊に比べると短時間で稜線に至るルートがあるので、そこを使う入山者が増加し、ツアー登山の姿も非常に多く見られるようになりました。
現在の朝日連峰は人で溢れ、山小屋はゆっくりと宿泊できるような施設ではなくなりました。一晩、ゆっくり休むのではなく、疲れがたまるような宿泊になってしまいます。
私自身、何度もここを訪れている都合上、それらの状況はすべて把握しておりました。7月から10月中旬頃までの期間、山小屋宿泊は避けた方が良いことは分かりきったことでした。自然保護のためテントを禁止にした代わりに山小屋を改築した措置が人の増加を招いてしまいかえって自然破壊が進んでいる、とても残念なことだと思います。
そんな人の多い朝日連峰もルートの選択によっては、静かな山行を楽しむことができます。
今回選んだルートはそんな静かな朝日連峰を、そしてそこで原始の姿を見たいと思って選んだルートです。山頂まで長く辛い登りが続く厳しい道のりですが、その分静かで、景観的にも素晴らしいところでした。
朝日連峰は荒川を挟んで飯豊と対峙しており、山容は非常に似かよっておりますが、今回辿った御影森山や平岩山を歩いてみて、微妙に飯豊と違うと感じられた方も居られるのではないかと思います。うまく言えませんが荒川を挟んで北側と南側では微妙に違っており、二王子岳、蒜場山グループと鷲ヶ巣山、光兎山グループの違いを御理解いただけたのではないかと思います。
さて今回、登りで通過した御影森山と平岩山についてですが、飯豊は信仰の山、朝日は狩猟の山というイメージをお持ちの方が多く居られると思いますが、東北地方にはその昔、葉山信仰というものがありました。葉山とは端山と言い、端っこの山という意味です。人が死ぬと魂はまずその端っこの山に登り、しばらくここで体を慣らし、そして一番の高みである主峰に登るというように考えられていた信仰です。
森の付くところも葉山と同様の意味で、今回のルートには葉山は含まれておりませんが、御影森山が含まれております。東北地方には森の付く山名が多くありますが、皆さんお気づきでしょうか、一番の高みである主峰に森の付く山名はありません。実はこの森とは葉山と同様に一番の高みに行く前に、まずは森へ行き、体を慣らして、あるいは修行を積んで、その後に一番の高みのいわゆる主峰に行くものと考えられていたようです。まだ漢字が日本に伝わる以前の、葉山信仰よりもずっと古い、太古の頃の信仰のようで、当時、人は一番高いところを“やま”と呼び、その下の少し高いところを“もり”と呼んでいたということです。
この御影森山は花崗岩質の山で、花崗岩とは磨くと御影石になるという岩です。御影森山では目立たない花崗岩ですが、平岩山は歩いていると花崗岩がごろごろしていることに気が付きます。平岩山は名前の通り岩が露出している平坦なピークです。
無事に大朝日岳に登頂し、山小屋に到着すると予想通り登山者で小屋周辺はごったがえしておりました。小屋の中をちょっと覗いてみると戦々恐々、恐ろしい!びっしりと人が重なり合っており、あれじゃ眠れないどころか、体を休めることすらできないであろう、大変だ!
夕暮れ時、素晴らしい夕日に包まれながら暮れゆく朝日連峰で、ゆっくりとした時間を楽しみました。それにしてもあれほど暑かった一日が夕闇と共に涼しくなり、上着なしではとてもいられないほどでした。最近、私は上信越の山々に足繁く通っておりますが、朝日連峰は大変に涼しくて本当に爽やかです。上信越の山々の灼熱地獄とは大違いでした。
翌日は皆で昇る朝日を見て、山と渓谷の雑誌撮影のモデルになり「これで私もアイドルの仲間入り」と喜びながら下山を始めました。「それにしてもスーツを着て行けば良かった!失敗!」、「せめてカツラを被っていれば…。」今になってもまだいろいろと悔やんでおります。そう言えば来週末に当会に雑誌岳人が取材に来るということで、その時こそは正装で写真に写らなければなりません。山で写る写真に紋付袴姿はちょっと大袈裟かな?やはりスーツにネクタイ姿が最適でしょうか?誰か教えてください。
帰りのルートは小朝日岳を通り、鳥原山経由で朝日鉱泉に戻ります。下山ルートもだらだらと長く、朝日連峰の奥深さを感じての下山路でした。
朝日連峰には鳥の付く地名が鳥原山と大鳥池のふたつがあります、この鳥とは本来はタオリ(多折)と言い、川が屈折しながら流れているところの地名を言うのだそうです。差し詰め大鳥池とはこの大鳥池から流れ出る大鳥川は大多折といった蛇行する川の様からきているようですし、鳥原は名前の通り原っぱに蛇行する川が流れている山ということになるのでしょう。
終わりに
今回は初めて、正月の飯豊以外の会山行を担当しました。そして天気にも恵まれ、素晴らしい朝日連峰で会の皆さんと非常に楽しく遊んでくることができました。大変に上出来な山行でした。
しかし、いつかまた伝統の一大行事である正月の飯豊山行の復活を実現させたいと思っています。やはり私は正月の飯豊に担当として行きたい、飯豊の他に正月の朝日連峰もやりたいと思っています。
いつか復活する日を夢見て、それまでに自分自身もっともっと力をつけて、安心して皆さんを連れて行けるようになりたいと思います。
偶然にもたまたまこれを読まれているそこの貴方、正月に一緒に飯豊に行きませんか?
天気次第ですが厳冬期の飯豊は本当にこの世の物とは思えないほど凄く綺麗です。限られた人しか見ることができない白銀の世界を一緒に見に行きませんか?
私がしっかりと計画を立てますし、段取りもします。行けるかどうかは貴方の気持ち次第です。「人に連れて行ってもらおう」なんていう気持ちだと登頂はとても無理です。一緒に頑張りましょうよ!
男女は問いませんし、体力とかも関係ありません、気持ちが重要です。是非、行きたい方は私宛てでもいいし、下越山岳会でもいいので御一報ください。