唐松岳

24日~5

 

私が唐松岳に行く理由

ここ最近、山でラッセルばかりしていたせいか、足が太くなってきたような気がします。今度の週末は天気が良さそうなのですが、山へ行ってラッセルをするとまた足が太くなってしまうので、ラッセルをしなくてもいいような山に行こうと考えておりました。

 

連日、日本海側は雪が降り続いており、除雪に明け暮れる毎日となっております。というわけでラッセル回避のためには雪の少ない地域の山へ遥々遠征に行かなければならなくなります。

そんな折、連日の除雪作業で疲れきっているところ、除雪中に足を滑らせて転んでしまい、膝と手を怪我してしまいました。

さらに翌日、痛む膝と手をかばいながら、会社近くの老人ホームの駐車場をスタッフの若い娘さんが除雪していたので、私は喜んで手伝ってあげておりました。本来は地域住民の皆さんに均等に除雪のお手伝いをしなければならなかったのですが、何故だか私はその若い娘さんのところばかり手伝っておりました。多分、たまたま偶然です。ちなみにほかの除雪のお手伝いするところはおじいさんかおばあさんばかりです。

私は痛む膝と手のことなどすっかり忘れ、調子に乗って除雪の雪をスノーダンプで運搬していたところ、スノーダンプと雪もろとも大きな側溝に落ちてしまいました。

冷たい水で尻がずぶ濡れになった上に強く打ち付けて、さらにそれが原因なのかわかりませんが、痔になってしまいました。除雪のお陰で踏んだり蹴ったりです。

 

膝はともかく手が痛むのでストックが握れません。それから痔も痛むので内またでしか歩くことができず、やはりこの週末は絶対にラッセル回避の山を選ばなければならなくなりました。

この冬、行こうと思っていた山はいくつかあり、その候補の中で一番積雪がまだましな山はおそらく北アルプスの唐松岳だろうと判断し、この週末はそこに決定しました。

本来はテントを持って行くつもりでしたが、テントの床面はいくら断熱してもこの時期はどうしても冷えるので痔には良くありません。軟弱かと思いましたが、土曜日に八方池山荘に泊まって日曜日に唐松岳に登る計画をたてました。

 

ここで唐松岳を訪れる前に、少し山のことを調べてみました。山名の由来は分かりませんでしたが、この付近には多くの伝説の物語があることが分かりました。

昔、唐松岳付近には巨人が住んでいて、山で木こりの作業をして暮らしていたとうことです、その巨人がある日近くにあった唐松を引っこ抜いて投げたとき、その唐松の落ちたところが今の唐松岳の山頂で、それが唐松岳の山名由来という伝説を見つけました。

それから唐松岳の富山県側に祖母谷と祖父谷という地名がありますが、これにも地名にまつわる話がありました。

昔、唐松岳の麓に夫婦が住んでいました。夫は山回り役という仕事をしていて里の人たちからもとても評判のいい人だった、妻は長者家に生まれたとても気位が高い人のうえに大変に嫉妬深い人だった。ある日、夫があまりにも嫉妬深い妻に嫌気がさし、我慢できずに逃げ出すことにした。ある激しい雨の晩「こんな日はなにがあるか判らないからちょっと一回りしてくる」といって家を出た。しばらくして妻が夫の帰りの遅いことをおかしく思い、荷物を持って出たことに気が付いた。「私から逃げる気だ」と夫のあとを追いかけた。逃げた夫は広い川原に出た。そこから道は左右に別れており、夫は夢中で右の沢へ逃げ、追いかけてきた妻は左の沢へ入って行った。結局、二人とも暗く険しい山道で足を踏み外し、命を落とした。それから夫の逃げた右の沢を祖父谷(じじだに)、妻が追いかけていった左の沢を祖母谷(ばばだに)と呼ぶようになった。ということです。

 

山行報告

24

今日はゴンドラとリフトを乗り継いで、八方池山荘まで行くだけなので山登りはありません。

糸魚川ICを過ぎて、長野県に向うとどんどん雪が少なくなってきます。

糸魚川付近では雪の壁が3mもありましたが、白馬村に着く頃にはあの雪の壁がまったくなくなってしまいました。「しめしめ、こりゃラッセルは大した事がないな。聞いていたとおり長野県は雪が少ないようだ」。

ゴンドラ乗り場に近づくと1日の駐車料金は千円ですが、少し離れた駐車場は15百円になります。15百円のお土産屋さんの駐車場に車を停めさせていただき、ゴンドラ乗り場に向かって歩き始めます。10分ほどでゴンドラ乗り場に着きますが、周りはスキーかスノボーの客ばかり、登山の格好をしているのは私しかいません。しかもみんな着飾っているのに私は作業服に軍手、ポーチの変わりに釘袋といって大工さんが腰からぶら下げているあの腰袋を私も同じように腰からぶら下げております。なんだかちょっと浮いているようで恥ずかしい。

ゴンドラに乗る頃から大きな粒の雪が降り始めてきて、あまりにも凄まじい降りかたのためスキー客は皆撤退を始めました。

そんな大粒の雪の中、雪まみれになりながらようやく八方池山荘に到着し、山荘の方と話しをしながら、窓からずっと降りしきる雪を眺めておりました。

山荘の方曰く「今年は少雪でスキー場のオープンが例年よりずっと遅かった、しかしここ3日間くらいで一気に積もったよ」ということ。「明日の唐松岳登山はラッセルが大変で、登頂は難しそう、この雪じゃ行く人は誰もいないかもしれませんよー」ということで、ラッセル回避どころか、せっかくここまで来たのに登山不可能の可能性もでてきてしまった。

凍りつく窓から見える外の景色は恨めしい。半ば明日の登山は諦め加減で眠りにつきました。

 

25

一応、早めに起きて外に出てみる。雪はまだ降っているが視界は昨日より回復している。

朝食をゆっくり食べ、薄明るくなってから再び外に出てみると、昨日の厚い雲はなくなり天候は回復の兆しをみせている。

「まあ行けるところまで行ってみよう」と考えながら準備をしていると、他の泊まり客が「えっ!行くんですか?」と驚いた表情で聞いてきた。「はい、せっかくですから行けるところまで行きますよー」と答え、他の登山客の視線を背に、延々と続く腰までのラッセルの格闘の幕開けがはじまりました。

 

歩けど歩けど進まぬラッセルにもがき苦しみ「あれーこんなはずじゃなかったのにー」と思いながら、極力風当たりの強いような、積雪の薄いところを歩くようにしました。

少し進むと公衆便所がありますが雪に埋もれて屋根しか見えません。かれこれ15年くらい前の1月に来たときはこの付近で幕営をしたが、その時と比べると格段に積雪が多い。今、改めて良く眺めてみると、この小さな公衆便所では風除けにはならない。ここは風が吹けば吹きっさらしになるので、今の私ならここを幕営地として選びません。

次回またいつか来る時のために幕営適地を探しながら登ります。

 

便所を過ぎた辺りからいくらかラッセルは浅くなり、ようやく順調に進みはじめます。ガスも少しずつ晴れてきて、右に白馬三山や不帰のキレットが見え始め、左に鹿島槍ヶ岳と五竜岳が見えてきました。

 

八方池の辺りまで来ると完全にガスは晴れ、青空になりました。しかし振り返っても人の姿は確認できません。天気は良くなり、せっかく私がトレースをつけているのに八方池山荘に宿泊していた皆さんはどうしたのでしょう?

 

テン場にするならば八方池付近が少しは適地のような気がします。下ノ樺というところにも左側に小さなテントが一張くらい張れそうな好適地がありましたが、意外にもあとは好条件となるテン場を見つけることができませんでした。

 

下ノ樺辺りから腰までのラッセルがまた始まります、必至でもがくも一向に進みません。あまりの苦しさに「早く誰かこないかなー」なんて考えながら振り返りますが、相変わらず人の姿は見えません。ようやく風当たりの強いところまで出ると地面が出てきて一息つきますが、すぐにまた腰までのラッセルに。

見渡す限り延々と続くラッセル地獄に登頂は難しい時間になってきました。帰りのゴンドラの時間を考えると12時くらいで引き返さなければなりません、せめて稜線まで出たいと思いながら必至で進みます。

やっと稜線が近くに見えるところまできましたが、歩けど歩けど近づきません。振り返ると遥か下の方に人の姿が数名見られます、早く追いついてもらってラッセルを交替してもらおうと思いましたが、待てど暮らせど追いついてきません。

仕方がないから、しばらく自分で進んでみると、進めば進むほど後続の登山者との距離が離れているようで、待っているわけにはいかないようです。

 

結局、稜線の少し手前くらいからラッセルは終わり、大きな岩を乗越えて稜線上に出ました。時間はちょうど12時、唐松岳山頂まであと僅か、迷わず山頂目指して進みました。

最後の凍結した氷の尾根を登りきり、1218分唐松岳山頂に立つことができました。

山頂まではアイゼンを着けることなく来られたということは、それだけ雪が多かったのでしょう、それからあの厳しいラッセルをすべて一人でやり通したことは大きな意味があると思います。人と協力しあうのは必要なことですが、一人でやり通すことはとても大事なことで、大きな自信にもなりましたし、苦労して登頂した喜びばかりではなく次回の山行にも必ず役立つことになります。あとは痔が悪化しなければ完璧です。

 

山頂にはゴンドラの時間が気になるので15分しか留まらずに下山を始めました。しばらく戻って稜線を少し過ぎた辺りで後続の登山者の人たちとすれ違いましたが、八方池山荘に宿泊した人たちではありません。5人くらいの若い人たちでしたが、何度もトレースの御礼を言われ「一人で凄い根性ですねー」とか「早くてとても追いつけませんでしたよー」とか・・・、いっぱい褒められました。

私は飯豊で根性を鍛えております、飯豊の厳しさは北アルプスの比ではありません、感じる寒さや過酷さは全然違います。

「厳冬期の唐松岳なんて赤子の手をひねるより簡単よう、わっはっはっはー」と答えてやりました・・・、というのは冗談でありまして、唐松岳は冬になると登山雑誌に頻繁に紹介されている山で、厳冬期登山の登竜門的な扱いをされている山です。確かにゴンドラとリフトがあるので比較的登りやすいと言えるでしょう。しかし今回のあの強烈なラッセルは飯豊級でしたし、急登はそれほどないものの山頂までは結構な距離があります。それに標高が2700m近くもあるので気温もそれなりに低く、凍傷等に注意しなければなりません。

決して簡単に登れるような山ではないと感じながら、八方池山荘まで下山し、ようやく一息つくことができました。

山荘の方に「他の宿泊の方たちは登らなかったのですか?」と聞いたところ、「深い積雪のため皆さん途中までしか行きませんでした」とのことでした、「あら、もったいない」。

 

「下山は一本目のリフトの部分だけゲレンデの隅っこを歩いてもいいよ」ということなので、スキー客やスノボー客に混じってゲレンデを歩いてみた。少し恥ずかしいと思いながら歩いているとスノボー客の若い娘さんに「こんにちはー、どこまで行ってきたんですかー?」と聞かれたので「山に登ってきたんだよ」と答えると「唐松岳ですかー?いいなー私も行ってみたい」なんて言われました。

「いやーゲレンデって歩いてみるものですねー」昔と違って結構登山者は人気があるようです。ほんの15分ほどゲレンデを歩いただけでしたが、その間に数人の若い女性客に話かけられました。

それにしても私は作業着に軍手、釘袋スタイルでした。北アルプスでもそんな飯豊スタイルに人気があるということを証明できた山行になり、大変に嬉しくもあり、楽しくもあった唐松岳登山でした。

是非、皆さんも私と同じスタイルで北アルプスに行ってみてください。ただし腰袋はチャックで閉じられるものでないと中身を落としてしまいますので、気をつけて。でも、もしかしてファッションの小道具として腰袋に金槌や釘抜きを入れるとオシャレになるかもしれませんね。

 

追記

下山した翌日、唐松岳の山行日記を書こうと思っておりましたが、すぐに書くことが出来なくなりました。理由は、正月に行った北股岳を雑誌岳人が取り上げてくれるということで、12日までに報告文を提出しなければなりません。このホームページで掲載した文章では余計なことが多く書かれているうえ文字数は2万文字を越えているのに対し、岳人に掲載される文字数は30003500文字ということです。雑誌掲載用の文章を新たに書き下ろした方が手っ取り早いと考え、唐松岳の山行日記はあとまわしにして、まずは岳人用の文章を書くことを優先することにしました。そんなことでまた唐松岳の山行日記の掲載は遅くなってしまいました。

 

そして私の報告文は岳人クロニクルというコーナーに無事に掲載される運びとなりました。

雑誌に掲載されれば、日本全国の多くの人たちに読んでいただくことになるのは当然のこと。余計なことを書いちゃいけないわけで、また物事を憶測で書いたり、あまり自分の気持ちや心情を書かないよう、とにかく淡々と客観的に書かなければならいことに気をつけて書くようにしました。

ところがいざ書き始めると真面目な文章を書くことがとても窮屈に感じてしまい、少し書き始めたところで「やっぱあの極寒強風トイレの話は外せないな」とか「正月の飯豊には関係ないかもしれないけど、前に書いたゴキブリの話を書いてみたらいいかも」なんてことを考え、あげくには「正月の飯豊の写真がないから代わりに私の顔写真を送ろうかな」とかそんなことを思いながら書いておりました。

しかし結局、書き上げた文章を何度も読み返しては書き直して、出来上がった文章はなんだかまるで登山に行ってきたことを書いたような報告文になってしまいました。

 

そんな私の報告文、315日発売の4月号に掲載されるということなので、良かったら読んでみてください。買うとお金がかかるので本屋さんで立ち読みでもしてくださいね。

 

見事、これで私も華麗に雑誌デビューを果たすことになりました。

今度は映画デビューを果たしたいと思っている次第でございます、さしあたって岳2でのデビューを目論んでおります。

 

コースタイム

糸魚川IC 約1時間 八方尾根スキー場 約1時間 八方尾根山荘

八方尾根山荘 40分 公衆便所 3時間50分 稜線 18分 唐松岳山頂 15分 稜線 1時間40分 公衆便所 20分 八方尾根山荘