十字峡周辺の山々その2

 

6月4日~5日

 

はじめに

一口に越後三山と言いますが、その周辺には大変に興味深い山々が連なっており、平ヶ岳に続く稜線上の山々、巻機山を経て谷川連峰を結ぶ山々等、地図を眺めていると登山道が無い空白地帯の山々が多くひしめいており、大きな魅力を感じずにはいられません。

それらは谷川連峰や尾瀬の山々と繋がっており、おそらく残雪期には縦走可能というよりも、縦走をされた方もおられるものかと思います。

私自身いつか、もし時間と体力と天候が許せるような時がくるなら、谷川連峰最西端の三国岳から平標山~谷川岳~朝日岳~巻機山~大水上山~平ヶ岳~途中回り道で赤倉岳と景鶴山へ行き、最後に至仏山へ至るといった、長大な区間を踏破してみたいものです。ざっと見積もっても最低6泊7日は要するでしょう、おそらく悪天で停滞するような日があることを見込めば8泊や9泊が必要になってくるものかと思われます。

これは決してマニアックな世界ではなく、この尾根を歩いて繋げてみたいと考える方は結構多くおられるのではないかと思われます。

 

そうなれば道のある越後三山や谷川連峰、巻機山、平ヶ岳等は面白さに欠けますが、私としてはそれらを結ぶ稜線上の道の無い山々に大きな魅力を感じており、もしそれらの山々に道があるようなら、大した魅力は感じていなかったと思います。

自己紹介でも述べているように、私は飯豊や朝日をホームグラウンドにしておりますが、この地域が稜線の空白区間のあるおかげで第3のホームグラウンドということになろうかと思います。

確かに川内山塊などは大きな空白地帯で、簡単に人を寄せ付けない本当の原始性が残る過酷な藪山と言えるのでしょうし、指向家を魅了してやまない山域だと思いますが、上信越、会越国境周辺の空白地帯の山々は川内山塊と違い、標高が高く、まったくの藪山ばかりではなく、美しさも備えているところだと思います。それに何より川内山塊は人が結構多いので、それらから自分の中では、何となくですが川内山塊が第3のホームグラウンドになれない理由になっているような気がします。

 

それにしても性懲りも無く、悪天候の影響は大きかったとは言え、前回あの大藪でネコブ山から先を敗退してきたにもかかわらず、また同じようなところへ向かい、そしてまた敗退してきた記録をお恥ずかしながら、綴ってみることにしました。

ただ一応、言い訳を先にしておきますが、今回は偵察山行の意味合いが深く、本番の山行ではありませんでした。藪や尾根の状況を見に行ったつもりでもあります。

 

再び十字峡へ

今回は登山道のある本谷山を拠点にし、下津川山と越後沢山へ、あわよくば丹後山まで抜けて十字峡に下山したいとの目論みを含めた計画での再挑戦でした。

前回は三国川ダム管理所までしか車が入れませんでしたが、あれから2週間過ぎており、今度は十字峡まで入れるだろうと思い、向かいました。しかし三国川ダム管理所を過ぎ、釣堀を過ぎた付近で通行止めのバリケードが設置されており、車はそこまででした。

十字峡まで歩くこと約20分、車道歩きは2週間前に来た時の半分に縮まりましたが、それにしても今年の開通は遅い。

ここから林道歩きになりますが、6月に入り懸念していたトラバース箇所も、もう大丈夫だろうと思っていました。

ところがやはり数箇所、嫌らしいところがありました。酷いところはアイゼンを使わなければとても通過できなさそうで、6本爪でしたが持ってきて良かったと思いました。

それにしてもこんなんじゃ簡単に人が入れなさそうで、山菜が採り放題。これにはもっと良かったなと思いました。

 

ここから本谷山までは登山道があります、しかし近くの中ノ岳や丹後山に比べると登る人がほとんどいないようで、荒れているのではないかと心配しておりましたが、これは単なる取り越し苦労で、立派な登山道がついておりました。

おそらくまったく人が入ってないのでしょう、登山道までカタクリの花で埋め尽くされており、それから名前は分かりませんが小さな白い花も登山道を埋め尽くしておりました。

しかしそれ以上に嬉しかったのは大変に多くのこしあぶらが自生していたことです、川内山塊の矢筈岳もこしあぶらは大変に多く自生しておりますが、ここは矢筈岳をはるかに凌ぐこしあぶらが大量に見られます。帰りは時間が掛かりそうだなと考えながら登りました。

それに今日は大変に暑い日で、藪ではガサガサというかニョロニョロと蠢く生き物がいるようです。今日のような日は鱗干しのためか日当たりの良い登山道に出て来て「こんにちは」と言っているようです。面倒なので無視していて良く見ていませんでしたが、おそらくシマヘビだろうと思いました。この山は鳥が少ないのでアオダイショウではないと思いますし、マムシが生息しそうな岩場も多くありません。

そう言えば以前は夏の暑い日に飯豊の稜線を歩いていると、ヤマカガシが鱗干しのため登山道に出て来て日光浴をしていたものです、昔は高山植物も多く、蛇を踏むか高山植物を踏むか迷いながら歩いたものですが、今では高山植物は大激減し、あまり話題には出ませんが、おそらく蛇も激減しているのでしょう、飯豊ではそんなふうに蛇と花を避けながら歩くことはなくなりました。

しかしこの本谷山では登山道を埋め尽くす花々と日光浴をする蛇…、昔の飯豊のような姿を見ることができ、とても嬉しく思いました。

私は嬉しく思ったのですが、蛇を見ると猛烈な勢いで逃げる人もおられます。大抵の蛇嫌いの人は蛇を見たときの逃げ足は速く、登りだと概ね100mを平均10秒から9秒前後で走っているようです。もしかしたら下りになると8秒くらいで100mを走るのではないでしょうか。(計測したことはありませんが…。)

でも蛇嫌いの方でも、安心して本谷山を訪れてください、たまたまその日は蛇が多い日だったのです、理由は最後まで読めば分かります。

 

さて本谷山手前の稜線まで登ると、左の山頂へは向かわず、右の下津川山へ向かいます。ここは群馬県との県境尾根で1900m前後の稜線が続く尾根で、踏み跡が付いているのではないかと期待をしておりましたが、見える限り踏み跡はありません。越後三山特有の笹藪に覆われ、ところどころ潅木帯になっているようです。下津川山までは稜線とはいえ飯豊のような大らかさは無く、痩せ尾根が続いております。

しばらく笹をかき分け進みますが、まったく踏み跡らしきものは出てきません。

足元は笹で見えませんが痩せ尾根で、利根川源流の斜面が切れ落ちており、よく注意して進まないとかなり危険です。

しばらく進み、下津川山までの全貌が確認できた時点で引き返しました。

笹藪と痩せ尾根のおかげで無積雪期はもちろん、残雪期でもこの区間はテン場の確保が難しそうです。

 

登山道まで戻り、とりあえず本谷山山頂を踏みました。ここから丹後山に向かう予定でしたが、この先もまったく踏み跡無し。深い笹藪で、尾根もやはり痩せぎみでした。

越後沢山は大きく切り立ち、地図で見る以上に山頂は細くなっていそうです。草原帯も見られず、テントが張れそうなところがまったく見当たりません。

越後沢山を越えて、丹後山手前のピークまで行けば、残雪上にテントが張れそうですが、この藪の状況では今日中にそこまでは無理そうです、残念ですがこのまま本谷山頂でテントを張ることにしました。

テント設営後も何度も稜線を眺め、どうしたら無積雪期に丹後山まで突破できるものかいろいろ思案し続けました。テン場さえあれば多少の時間をかけても踏破は可能ですが…。そして結局は、まず残雪期に一度歩いておくことが必要という結論になってしまいました。

 

とりあえず明日は越後沢山へ行けるところまで向かうことにし、夕食の支度にかかりました。15時を過ぎると次第に雲が下がり始め、周囲の山々は次第にガスの中に入ります。

私自身、越後三山あるいはその付近で幕営したことは何度もありますが、必ず夕方になると雲が激しく動きます。地形の関係なのか山の位置関係なのか分かりませんが、この雲の動き具合が明日の天気を占うということも分かってきております。

湿度が高いようですと、このままガスは抜けずに翌日は曇りか雨になる確率は高く、それとは逆に放射冷却で地面が冷えてその結果ガスが下がり雲海になるか、あるいは雲が消えるかすると湿度が低いということで、翌日は晴天になる可能性が高いようです。

明日、もし晴天になるのなら17時か18時くらいには雲海になるのですが、夜まで待っても雲海にならず、山頂はガスの中のままでした。

このままだと明日、越後沢山へ向かうことはやめとくべきと考え、その分は山菜採りに専念できると思いました。

そして翌日、ガスの中でテントを撤収し、早々に下山をしました。もちろん今までにないほど記録的な量のこしあぶら入りのザックを担いで…。

 

ところで、今回の山々の山名には沢、谷、川といった水が流れることを示す文字が一文字必ず入っており、沢名から山名が付けられているようで、利根川源流の山々を意識されていることが伺えます。

越後沢という川がなぜか群馬県側にありその源流の山は越後沢山ですし、本谷山も群馬県側にある本谷川の源流の山で、もちろんどちらの川も利根川の支流です。下津川という川は新潟県側の川で、三国川の支流です。よく中津川とか津川の付く地名や川の名前を耳にしますが、津とは古い言葉で船着場という意味で、今で言う港のことを言うのだそうです。ちなみに中津川とは川と川に挟まれた箇所に船着場があったということだそうです。

この下津川に関しては、おそらく材木運搬用の船着場があったことが推測されます。

この越後三山周辺の山々は荒沢岳方面では採鉱の山々が多くあるようですが、こちらの十字峡はほとんど人の出入りがなかったことがいろいろな資料には書かれているようです、しかし下津川といった山名から推測するに船着場があり、木地師や木こりの山だったのではないでしょうか?

 

登山道を下り、林道を歩いていると小さな水溜りに恋の季節を迎えたたくさんのヒキガエルの繁殖姿を見ることができました。一匹の雌をめぐり雄が争い、勝った者が雌にしがみついています。

ヒキガエルは別名ガマガエルあるいはイボガエルとも呼ばれ、耳の下に毒線があり、また体の疣からも白い液体を出し外敵から身を守るということです。

昔、よくガマの油という商品が売られておりました、それはこのガマガエルの液体が主成分だそうです。また漢方でも使われていたそうです。

そう言えば、私の知り合いにガマガエルのような人が居られます、顔ばかりでなく性格までもがガマガエルっぽい人です。その人は登山中に怪我をした人を見つけると、首筋から油を出し、その油を怪我の部分に塗ってくれる親切な人です…、なんてそんなわけありませんね。油ぎってはいますが、多分首筋から油を出さないと思うので、ガマガエルというよりウシガエルのようなお方といった方がいいのかもしれません。

ちなみにウシガエルは食用のため中国からの移入された蛙で、別名食用ガエルとも言われ、ヒキガエルとは違う蛙です。参考までに私は食用蛙を一度だけ食べたことがありますが、確かに美味でした。

そうそう、それからそのお方は鮮やかな緑色の服を着るとアマガエル、ちょっと黒ずんだ緑色の服を着るとトノサマガエル、赤い服を着るとアカガエルになることができます。

 

それにしても林道上は恋に落ちたヒキガエルが狂喜乱舞しております、この林道は正式には三国川林道とか林道三国川線という名称のようですが、私は林道ヒキガエルラインと名付けることにしました。(ガマガエルロードにするか悩んだ末。)

そしてそのヒキガエルの傍らにはヤマカガシが。「ははーん、わかった!」今まで気に留めていませんでしたが、ヤマカガシは蛙が好物で、特にヒキガエルが大好物ということです。

ガサガサニョロニョロしていたのはヤマカガシだったようです、蛙の繁殖期に合わせて一斉に出没していたようでした。

 

終わりに

結果的に今回の山行も思いどおり進むことができませんでした。ここは人跡少ない2000m級の山々が立ち並び、美しさと自然が多く残り、藪と痩せ尾根が簡単にはその扉を開けてくれません。でもそれは私の望むところで簡単に踏破できるのなら魅力は半減です。ただ歩くばかりではなく、考えさせてくれる山々。

下津川山、本谷山、越後沢山あるいは小沢岳等の巻機山へ連なる山々、あるいは大水上山から平が岳に連なる山々は私の心を魅了してやみません。しばらくは偵察山行で通うことになりそうです、「うーん、でも週末千円の高速料金が…。」誰か一緒に行きませんか?高速料金割り勘で。