羽後朝日岳

和賀岳

羽後朝日岳

焼石岳

和賀岳

焼石岳


みちのく一人旅

羽後朝日岳、和賀岳、焼石岳

 

平成23年8月13日、14日、15

 

はじめに

広くなだらかで女性的、あるいは控えめで優しくお淑やか、または清々しくて汚れがなく爽やか…。東北の山々を言葉で例えるならこんな感じでしょうか。

その山容はアルプス山脈あたりとはまったくの異質であり、また同じ東北地方にある飯豊や朝日でさえも私的にはあそこまで清らかさや優しさを感じ取ることはできません。

母なる大地を連想させる東北の山々は、どこか切なくて、懐かしくて、そしてどこまでも美しい。

訪れるほどにその深い優しさに抱かれ、まるで母親の懐で眠るような安心感に包まれる、すべての俗世から逃れて童心に帰ることができる東北の山々。

今年の盆休みは久しぶりに、そんな憧れの地を訪れてきました。

 

お墓参りもしない罰当たりな私は812日の夕方、会社の就業時間終了とともに秋田県に向かいました。国道7号線は夜ということもあって空いており、秋田県の本荘市から国道105号線に入り、大仙市まで北上。

道の駅なかせんというところまで約5時間、ここで睡眠をとることにしました。

 

813日 羽後朝日岳

道の駅から登山口まで約1時間、抱返り渓谷を過ぎ、田沢湖の方へ向かいます。田沢湖といえば近くの山で連想するのは秋田駒ヶ岳ですよね。秋田駒から乳頭山を経由し、裏岩手縦走路で結ばれる八幡平や岩手山といった名山の数々。それらの山々とは田沢湖を挟んで対峙する羽後朝日岳や和賀岳擁する真昼山地。

人々で賑わう華やかな秋田駒や岩手山、観光地の八幡平。それらの山々とは対照的に静かで地味な真昼山地は東北の山の象徴とも言えるべき山々が聳えており、ある意味もっとも東北らしい山域といえるのではないでしょうか。

 

そんな真昼山地の中でも、北に位置する羽後朝日岳は登山道がなく登頂困難で、キングオブ地味といった感じです。麓には田沢湖の観光施設や向かい側に聳える秋田駒があまりにも華やかすぎて、尚更のこと羽後朝日岳には儚さを感じます。

稜線部は大変に美しい草原で覆われ、楽園と言われており、マイナー12名山にも名を連ねていて知る人ぞ知る名山でもあるのです。

この羽後朝日岳には小説にもなった偉大な瘤熊の言い伝えがあるそうです。

瘤熊とは羽後朝日岳やその付近の山に生息する大きな熊で、山の主とも言われていたそうですが、誰も姿を見たことが無く、足跡が普通の熊の二倍以上あり、猟師が必至で探し続けていたそうですが、昭和50年頃からその足跡が見られなくなり、どこかでひっそりと死んでしまったのではないかということだそうです。

 

さて、そんな登山道の無い羽後朝日岳は沢を遡行するか、藪を漕いで登頂するかしかありません。

登頂には部名垂沢を遡行するのが一般的とされており、始めて登る山に冒険するつもりはありません、その一般的な部名垂沢を遡行と下山ルートで利用しました。

 

服装はというと、いくら簡単な沢とはいえ高価な登山用の物はもったいないですし、とにかく濡れてもいいスタイルで行くことにしました。※というか私は高価な登山服を持っていません。

皆さんポリエステル100%の作業ズボンを履く人が多く居られるようです、確かに私もそのスタイルは沢ばかりでなく登山でも使用します。作業着は特に藪歩きで威力を発揮します。

体操ズボンは濡れると重くなって垂れ下がり、尻が出て、その柔らかい尻にアブが群がるので沢には不向きです。尻ばかりならまだしも前の方にも群がると大変なことに…。

ただ、あのジャージ生地は非常に快適なので何か良い方法がないか思案した結果、ここ近年は野球のズボンを採用しております。上着には千円もした速乾Tシャツです。

足元もさすがに沢を遡行するので滑らないように登山靴は採用せず、地下足袋にワラジといった沢の典型的(古典的)なスタイルで、斬新なフェルト底の沢靴は使用しませんでした。

 

部名垂沢の最初は広い河原を歩きます、水量は非常に少ない沢でゴーロ帯が延々と続きます。ダムを67ヶ所くらい越えると、川幅が狭まってきて、まだまだしばらくゴーロ帯を歩くとやがて沢は二股に分かれます。ここまでは足を濡らさずに歩けます。

 

二股は右の方が水量があり、本流のように感じるのですが、分かれたところからすぐに滝が連続しており、巻き道も無い。登るには支障はなさそうですが、帰ることを考えるとここは無理なのではないだろうか?滝を三つくらい越えて様子を伺うが、やはり下るのは厳しい「おかしいなー、どう見ても本流はこちらだよなあー」。藪に入りドンゴロ(イタドリ)に掴まりながら、何とか一旦二股まで下ってみた。

 

水量の少ない左側の方は相変わらずゴーロ帯が続いており、少しそのゴーロ帯も登ってみることにしました。しばらくゴロゴロ石の階段を登ると最初の滝が現れ、巻き道は無いが、ロープが垂れ下がっている。非常に頼りない今にもちぎれそうなトラロープだが、人の痕跡があり、こちらが本流と確信できた。

ロープは下りに使うもので、登りは滝を直接登る。ここから滝をいくつか越えるがすべてロープか巻き道があり、下るのにも支障はなさそうです。

登りはすべて滝を直接登るが、さして難しい滝は無く、簡単に源流まで登り詰めることができました。

源流からは灌木帯の間を縫うように、油断すると見失いそうなささやかな踏み跡がついており、しばらく急な斜面を登ると草原広がる稜線に出ます。

稜線に出ても踏み跡は大変に薄いもので、歩きにくい反面、勝手に道刈をするような心無い人がいない、皆で自然を保護しようとする動きが感じられ、嬉しくなりました。

もちろん山頂には自分しかいない、広がる草原、お花畑にしばらく寝転がり、幸せな時間を過ごして、下山しました。

下山には登りより時間が掛かってしまいました。しかも地下足袋は足底が薄く、ゴーロ帯を歩いている時は非常に痛くて大変でした。

 

下山後、田沢湖芸術村というところで風呂と晩飯を済ませ、道の駅なかせんに戻りました。

途中のコンビニで買ってきたビールを飲んで、早々に寝ようとしますが暑くてグッスリ眠れません、それに登山口で車の中に入ってきていた虻がブンブン飛んでいてうるさい、さらに地下足袋でゴーロ帯を下ったせいで足裏が痛くてどうにも寝付けない。

車中には一体虻は何匹いるのだろう?虻が一匹虻が二匹虻が三匹・・・、数えているうちにいつのまにか寝てしまっていたようです。

 

814日 和賀岳

和賀岳は真昼山地の最高峰で、二百名山に選出されていながら、昭文社の登山地図に和賀岳は無く、大変に美しい名山のわりに、訪れる人も少なく、ここも地味な印象のある山です。

私は以前、秋の紅葉の頃にこの山に登ったことがあり、訪れるのは今日が二回目です。

 

眠い目をこすりながら、さらに痛む足裏をさすりながら道の駅を出発。真木渓谷の奥にある登山口の甘露水まで車で約30分。昨日の羽後朝日岳と同様、非常に道が悪い。その悪路をしばらく進むと甘露水手前に立派な山小屋があり、車はここまででした。以前に訪れた時は甘露水まで車は入れたのに…。

 

なんでも途中に通過する薬師岳の先の薬師平というところに避難小屋建設の話があったそうですが、自然保護のため地元民や山岳会が反対して取りやめになったと聞きました。これに私は感動しました。

避難小屋を建設すれば、登山者が増え、山が荒れることは簡単に想像できます。

しかも今はまだ登山ブームと言えると思いますが、いつかブームが去れば小屋を利用する人が減り、結局避難小屋は負の遺産として残ってしまい、それはバブルの頃のスキー場建設を思い起こします。

自分自身も業者として山小屋の修繕工事等を施工しながら「果たしてこれで良いのだろうか?」山小屋が壊れていくのは山が自然に返ろうとしているのだから、そのまま朽ちていくのが本来の姿なのではないか、実はいつも自問自答しながら作業をしております。

登山道を整備したり山小屋を修理するということは人間の勝手な都合であり、山にとっては迷惑なことではないのだろうか?

人が入れば登山道が傷み、そのまま整備しないでいれば傷みがどんどん進むので、どうしても登山道の整備が必要になってくるのでしょうけど…、難しい。

できればのことですが、不便でしょうけど、できるだけ人の手を加えずに自然のまま山に接するのが本来の登山者としてのあるべき姿のような気がします。

先日も人に感謝されながらも、相反する問題を考えながら門内小屋のガラスを修理してきたばかりです。

この登山口付近に建設された山小屋は薬師平に建設する予定だった物なのでしょうか?

 

和賀岳の語源はアイヌの言葉で、ワッカ(清い水)から来ているのだそうです。縄文時代の頃、東北地方一帯は蝦夷の人々が住んでいて、やがて日本が大和朝廷になる頃、蝦夷の人々はそれとは別の独立国家を築き上げ、その独立国家のひとつに和我という国があったそうです。岩手県側麓の沢内村には蝦夷の縄文土器が多く出土しているそうです。

蝦夷とはアイヌのことを言い、岩手県付近にはハヤチネ等のアイヌ語の地名が多く存在しているようです。

 

甘露水から少しの区間は急登ですが、それも最初だけ。ジメジメ鬱蒼とした樹林帯の中のそれほど急でもない斜面を登ります。やがて倉方というところに出て、標高約1100m程度で早くも亜高山帯の様相に変わります。新潟県の山では考えられない低い森林限界です、これらを日本海からの季節風の影響を大きく受ける風衝草原というのだそうですが、和賀山塊は新潟県の山々以上に日本海の季節風が厳しいところなのかもしれません。

 

薬師如来が祀ってある薬師岳までくると、ようやく和賀岳が見えるようになりますが、驚くほど遠い。和賀岳は以前は阿弥陀岳と呼ばれており、登山道はこの薬師岳までしかなく、和賀岳はここから遥拝されていたとされています。ここからの先の登山道は近年に切り開かれたものなのだそうです。

薬師岳手前から素晴らしいお花畑の中を歩くようになり、このお花畑が延々と和賀岳山頂まで続きます。なんだか小さな飯豊を歩いているような感じです。

前回、訪れた時は紅葉が美しく、今回はお花畑が素晴らしい。良い山はいつ来ても良い!

 

草原に囲まれながら、いくつかの小さなピークを越え山頂に到着。今日は天気のいい日曜日、それなのに山頂には私一人。昨日の羽後朝日岳同様、みちのくの素晴らしい山を独り占めにすることができました。

 

下山後は奥羽山荘で温泉に入り、次の焼石岳に向かいました。

道の駅なかせんから道の駅十文字というところまで約1時間半、今晩の寝床はここです。またしても早々にビールを飲んで寝るも、やはり暑くて眠れない。それに今日は登山靴を履いて山に登ったので、今度は足裏の水虫が痒くなっていて、痛みと痒みで大変です。そして車中には虻がブンブン。虻が一匹虻が二匹虻が三匹・・・zzzzzzz。

 

815日 焼石岳

眠い目をこすりながら、さらに足裏をさすっては掻きながら東成瀬登山口まで40分くらい。

登山口に到着すると、単独の若い女性登山者が準備をしているところでした。

東京から来たというその女性、この盆休みの間にいくつかの東北の名山を登っているのだという。

 

旅は道づれ、若い女性ということもあり何かあったら心配ですし、私が近くに居ながら、もし山で悪い虫にでもつかれたら大変、申し訳がたちません。私の脳裏には山で変な虫につかれ・・・、「お父さん、どうか娘さんを私にください!」、「お前のようなどこのどいつか分からない馬のクソにうちの娘はやれん!お前のような奴にうちの大事な娘をやるくらいなら、俺がいく!」なんていった会話が浮かんできます。という訳でそんなことにならないように、私が一緒に登ることにしました。

 

いろいろお話をしていると、このお方は山の歴史や山名由来に随分と興味があるようで、飯豊の山名由来について説明したり、山岳信仰について説明したりしながら歩きました。

しかし「飯豊って何でいいとよって書いていいでって言うの?」と聞かれたときには、私も答えられませんでした。疑問を持つことはいいことです、山の楽しみ方は非常に奥が深く、ただ単に歩いて景色を見て楽しむことはもちろん、植生や地質、あるいは歴史等まずは疑問を持つことが大事で、それから山の楽しみ方は無限に広がるものだと思います。

 

さて、この焼石岳の歴史に関しては、和賀岳の項でも書きましたが、この一帯は蝦夷の人々が住んでいて独立国家を築き上げていたとされています。国家を統一しようとした坂上田村磨が焼石岳近くの胆沢というところに胆沢城を築き、蝦夷征伐を企てたとされています。

一度、坂上田村磨に征伐された蝦夷の住民でしたが、その後再び藤原と名乗り、独立国家を築き上げ、金を採掘し平泉文化を創ったとされています。

この平泉文化の中心である中尊寺や毛越寺など遺跡群や庭園は、つい先日世界文化遺産に登録されたことは皆さんも御存知のことかと思います。

 

焼石岳は植生や山の形を見ると、それほど日本海気候の影響を強く受けてないと思われ、山脈の形成も火山の噴火によるもので、明らかに真昼山地とは違う山容をしております。

登山道は登ったり下ったり、高度が稼げず、山頂までかなりの距離を歩かなければなりません。楽な山だと思って行くと以外と大変な苦労をします。

しかし焼石岳といえば花の山、中腹から池糖を織り交ぜたお花畑が広がり、素晴らしい楽園へ変わります。焼石岳は小さな連峰で、本峰の他に東焼石岳、経塚山、南本内岳、天竺山、横岳、三界山等の峰々で形成されています。

そして約2時間ちょいで登頂、丸くて広い山頂で少し休憩後下山。

 

車に戻ると、車中に入っていたアブが暑さのためグッタリしています。一緒に登った彼女にそのことを言うと「パチンコ屋の駐車場でお母さんに置き去りにされている子供のようね」と彼女は言っておりました。エアコンで車中を冷やすと虻はいくらか元気になったようですが脱水症状の回復の兆しは見られません。

 

ジュネス栗駒というところで温泉に入り、国道13号線へ。町に入ると窓を開け虻を開放してあげました。三ヶ所の山に生息していた虻が一堂に会し、急に町に繰り出したものですから虻本人たちもさぞかし驚いていることでしょう。

 

帰り道は国道13号線を利用してきましたが、酒田に出て7号線を利用した方がいくらか早いようです。国道13号線は信号が多いので渋滞しやすいと思いました。でも今回は渋滞で車が停まるたびに足裏の水虫を掻くことができたので、有利に物事を進めることができました。

 

終わりに

三日間ともまずまずの晴天に恵まれ、みちのく山を十分に楽しんでくることができました。

天気予報は毎日、雨か曇りだったのに…、天気予報は三日ともすべて外れました。

 

みちのくの山は本当に素晴らしい!今回行ってきた山もまた行きたいし、それ以外にも行きたい山はたくさんあり、どうしようかと思っているところです。

 

帰宅後、早々に墓参りへ行き、墓前で手を合わせながら「すいません遅くなりました、お参りにきました」と御先祖様にお詫びをいいます。

以前、地盤がゆるんで墓が不等沈下を起こし、傾いてしまった時に体調不良になり、傾きを修理するまで、体調不良が治らなかったことがありました。また何かあると怖いので、丁重に詫びの言葉を言うと「罰として水虫を発症させてやったよ」とお墓から聞こえてきたような気がしました。