平成31年4月13日~14日

 

毛石山~灰ヶ岳

 

 

 

必死で山歩きをしている時にふと思う、「休日にわざわざこんなに辛い思いをしてまで、いったい何をやっているのだろう」と。

 

地図上に網羅されている尽きることのない未知なる峰々はとても魅力的で、それらの峰々に訪れることが目標となり、必死で山歩きをしているうちにいつの間にか目標達成だけのために山を登るようになっていて、いつしか楽しむことを忘れてしまっている自分に気が付きます。

 

知らず知らずのうちに自分の中で登ることを義務化しているようで、それでは楽しいはずがありません。

 

まずは楽しむことが大前提ですので、気を張らず初心に戻って楽しい山登りができるようになりたいと思い直しているところであります。

 

そんな最中に今年もまた川内の山々を訪れたいと考えておりましたが、何しろ国内屈指の大秘境である川内山塊は全国的に有名で、特に近年は名手である矢筈岳を中心に訪れる人が増加しているようです。

 

しかし地形図を見ながら周辺の山々に目を転じると、静かに佇む峰々がひしめいていて正にそこは秘境といった雰囲気となっています。

 

今回はそんな秘境の中でも人が少ないと思われる灰ヶ岳を訪れてみることにしました。

 

ルートとしてはいくつか考えられますが、門原から鉱山道を登って毛石山を越えて徐々に高度を上げていき、延々と続く長い尾根歩きの末にその頂に立つことのできるルートが一番魅力的に感じました。

 

ここは頑張れば日帰り可能かと思われましたが、地形図を見ると毛石山を過ぎたあたりから広い尾根が延びるようになり、この秘境の地でゆっくりと幕営しようと考えました。

 

何しろ楽しむことが前提なので根を詰めて歩くようなことはやめることにし、それにここ数ヶ月ほどテント装備での山歩きをしていなかったので近々訪れるゴールデンウィーク山行に備えて体を重荷に慣れさせるといった意味合いもあって今回は一泊といったことで計画しました。

 

門原から毛石山に至るルートは雪野さんが得意とするところであり、多くのアドバイスをいただいたうえに登山口まで同行してくれました。

 

彼女は毛石山でテン泊とのことで、登山口からはそれぞれ別々に登ることになりました。

 

山支度を早々に終えた私は彼女に見送られ一足先にまずは毛石山を目指します。

 

導水路を渡り、さらに水路上をしばらく歩くと毛石山と書かれた小さな看板から山道に入り、さらに小沢を横断するところにも小さな看板がぶら下がっていて、看板に導かれながら小沢の中を進んで徐々に山道へと進んで行くようになります。

 

誰が付けたのか、小さな看板が有るということは以前に毛石山まで登山道として整備されたことが伺われます。

 

かつては灰ヶ岳近くに三協鉄山という鉱山会社が採鉱をしていたようで、また道中にいくつかの鉱山会社や採鉱所があったらしく、当時の鉱山道として使われていた踏み跡が現在となっては山菜採りや登山者のための道として利用されるようなったそうです。

 

しかし今となっては整備する人がいないでしょうし、ましてや6月以降はヒルに鎖されるため山菜採りの範疇を越えた先は廃道へと辿っていくのかもしれません。

 

小沢の中に付けられた道を過ぎると鉱山所跡があり、ここから長い長いへつり道となります。

 

このへつり道は鉱山道の特徴でもあるようで、登山道のように尾根上に道を付けるのではなく最短のところに道を付けるために斜面をへつるような形になったらしいとのことです。

 

あまりよく整備されていない道なので時々分かりにくくなりますが急な斜面上に一本の杉があり、その杉を目指して進むようにと雪野さんから聞いていて、遠くからはっきりと急な雪壁上に大きな杉の木が一本生えているのが見え、それがちょうどいい指標となってくれています。

 

その杉に向かって本来は雪壁を登らなければなりませんが、それが嫌で手前の藪斜面を登って杉の大木へと至りました。

 

杉の木の下には山の神様が祀られており、私はこの山行の安全を祈願するために手を合わせました。

 

小さな祠の根元には古伊万里の一輪挿しの欠片がひとつ転がっており、それがまた何とも言えない風情を醸し出してくれています。

 

以前は鉱山就労者の安全を祈願するための道祖神だったのでしょうけれど時代の移り変わりとともに登山者や山菜採りの人たちの安全を祈願する神様へと様変わりしているように思えます。

 

そういえば入山口近くにも十二神社がありましたが、この山の神様も十二神社なのでしょうか?十二神社は山の神様を祀る神社であり、道祖神あるいは天狗様とも言われています。

 

ここから鉱山道特有のへつり道は一段と厳しさを増していきます。

 

それにしてもこの道は非常に歩きにくく、長いことこんな道を歩いていると足がどうにかなってしまいそうです。

 

斜面に沿って付けられた道は足を滑らせると谷底に滑落してしまいそうで安心して歩くことができません。

 

こんな異常な道がしばらく続き、ようやく解放されると今度は毛石山山頂に向かって急で長い登りが始まります。

 

久しぶりのテン泊装備に重い荷物はずっしりと肩に食い込みます。

 

それまで無かった雪が斜面にべっとり着いていて、暑さでグサグサになった雪面に一歩一歩ステップを刻みながらまずは毛石山山頂に登り切りました。

 

山頂はそれほど広くなく狭い範囲で雪原となっていました。

 

そんな狭い雪原を少し進むと一度大きく下り、痩せて藪尾根となった最低鞍部を慎重に進んでまた大きく登ります。

 

ここからは広い雪原となって再びアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていき、目指す灰ヶ岳が木々の間から時折見え隠れするようになりますがまだ遥か先です。

 

毛石山を越えて二つ目のピークからはアップダウンがほとんどなくなり広い雪野原を悠々進むことができますが、何しろ先日降ったばかりの雪が膝まで潜るのでここでたまらずワカンを装着して進みました。

 

この広くなだらかな山稜付近にも鉱物の採掘所があったとのことですが、ようやく春の兆しが見え始めたばかりの峰々は雪で覆われており、ワイヤーが数本見えた程度で採掘所の形跡を確認することができませんでした。

 

広い山稜部分を過ぎると尾根は時折藪を交えながら徐々に高度を下げ、やがて最低鞍部に出ます。

 

目の前には大きく聳え立った灰ヶ岳が白い三角錐となって立ちはだかり、奥には青里岳がとても大きく、名手矢筈岳に負けじとその姿を誇示しております。

 

いかにも秘境の奥深くといった感じで、標高こそ決して高くないものの、ガキガキと曲がりくねった尾根とおびただしく重なる峰々はなかなか他の山域では見ることができません。

 

最低鞍部に荷物をデポし、ここからはサブザックで灰ヶ岳に続く長い登りに向かいます。

 

荷物が軽くなった分、軽やかな足運びとなりますが、登りは急で長く、しかも部分的に藪も伴っています。

 

喘ぎながら藪尾根を越え、やがて左からの尾根と合流した付近は広々としたブナの雪原となっていて心が休まるようなところに出ます。

 

もしかしたら三協鉄山の鉱物資源採掘所はこの付近にあったのでしょうか?

 

かつては採鉱者で賑わったこの地も今となっては夢の跡、静かで穏やかな自然の風景が目の前に広がっているだけでした。

 

ここから双耳峰である灰ヶ岳の片方のピークまであと少し、意気揚々と歩き始めますが踏み抜きが多くあってとても歩きにくく、苦労しながらなんとか登り切って双耳峰のもう一方の山頂へと至ることができました。

 

この付近もまたとても伸びやかな尾根となっていて、ここから青里岳や堂ノ窪山に至る尾根はとても気持ちのいいところです。

 

一転して灰ヶ岳本峰に目を向けると、果たして行けるのかと不安になるほど一部は急な崖状になっていて雪はズタズタに割れており、すさまじい光景が目に飛び込んできます。

 

あと少しと思い恐る恐る進みながら、最後は雪庇を乗り越えて何とか灰ヶ岳山頂に立つことができました。

 

山頂は雪野原となっておりましたが雪が解ければおそらく灌木で覆われるのではないでしょうか。

 

どこまでも続く山並みが今日はとても穏やかで、優しい峰々が広がる風景は長い冬を終えてようやく川内山塊にも春が訪れはじめていることを感じさせてくれます。

 

今日のところはまだ冬と春の狭間で自然が動き出す前の様相のようでした。。

 

やっとたどり着いた灰ヶ岳山頂ですが、日没前にデポ地へ戻らなければなりません。

 

急いで下山となりますが、あの雪の割れた往路を戻る気にはなれずそのまま尾根を沢筋まで下って、雪で埋め尽くされた小沢を越えて斜面を登り返して元来た尾根へと出てショートカットに成功、そして通常の尾根を下って無事にデポ地に到着、ここで幕営となりました。

 

明日は早々に下山して、毛石山で幕営している雪野さんに追いつこうという目論見で早めの就寝としました。

 

夜は風がなく、とても静かで思いのほか暖かく、時折どこかでゴーッという雪崩の音が聞こえてきました。

 

朝はカップラーメンを食べようと予備と合わせて二つ持ってきておりましたが、ひとつは賞味期限が3年前の4月となっていたので、もう一個の方を見ると3年前の5月となっておりました。

 

腹を壊すと悪いのでとりあえず新しい方を食べるべきと考え、5月の方を食べましたがまったく問題なくとても美味しく召し上がることができました。

 

いつもの朝食はカップラーメン1個ですが、なぜかこの日は結局二つとも食べました。

 

そして急いでテントを撤収して下り始めます。

 

やがて毛石山の見えるところまで来ましたが雪野さんのテントが見えません。

 

毛石山の辺りまで来ると自分のトレースの他にたくさんの足跡が着いていて、昨日は雪野さん以外にも毛石山を訪れたパーティがあったことが分かります。

 

毛石山を越えて急な斜面を下りきると広い平坦地があってそこに幕営跡が確認され、ここで雪野さんがテントを張っていたことが分かりました。

 

それから泣く泣く歩きにくいへつり道を越えて、山の神様でようやく雪野さんに追いつくことができました。

 

ここからは花の名前を聞いたり、まだ芽吹いたばかりの山肌に山菜を確認しながら下山の途につきました。

 

地形図を眺めているとよく灰の付いた山名を目にしますが、これはどうも鉱物資源採取に関連した山名が多くあるようです。

 

時代的に鉱物採取が先か山名が先か、灰ヶ岳という名前がいつ付けられたのか分からないので、それが鉱物からきているものなのか分かりません。

 

灰ヶ岳は遠くから良く見える山で、幾重にも山々が重複している川内山塊の中でも分かりやすく目立つ山であろうかと思います、まったくの憶測ですが拝ヶ岳といった可能性もあるなと、あまり信仰の形跡がない川内の山々ですがしっかり山の神様が祀られているし、古地図を見ると鉱山道は灰ヶ岳手前のピークで途切れていて、もしかしたら手前のピークから鉱山従事者が作業の無事を祈って手を合わせていた、なんてことは考えすぎでしょうか。

 

毛石については全く分からず、毛という文字は木を表している場合が多いようですが、この毛石山に関してもそうなのか、あるいは何かの当て字なのか、それとも方言なのか、あるいは鉱物資源に関するものなのか、いずれにしても不思議な地名であると思いました。

 

名前はともかく、この秘境と言われる川内山塊の中でも特に奥深くに聳え立つ灰ヶ岳も以前は鉱物採取で賑わっていたのでしょうけれど、今となってはすべてが過去の遺産となって、山は静けさを取り戻しているようでした。

 

コースタイム

4月13日

門原 3時間40分 毛石山 5時間20分 灰ヶ岳 50分 最低鞍部テン場

4月14日

テン場 2時間40分 毛石山 3時間30分 門原