正月の朝日連峰

 

令和1年12月28日~30日

 

 

 

誰が最初に言った言葉だろう「深い飯豊、遠い朝日」。

 

新潟あたりに住んでいる山好きの大抵の人はこの言葉を耳にしたことがあるのではないかと思います。

 

確かにどちらの山も深くて遠い山であり、この二つの連峰はよく雑誌などに一緒に掲載されたり比較されたりしているのを見かけます。

 

しかし飯豊と朝日は似ているようでも実際に何度か登ってみるとまったく違う山であるということが分かります。

 

夏場では簡単に通り過ぎてしまうために気が付かないことが冬になると一歩一歩苦労して大地をというか雪上を踏みしめながら歩いているとなお一層そのことがよく分かります。

 

特に冬期入山に関してはアプローチの悪さや積雪量、天候等、また地形的に上り下りが激しくて高度を稼ぐことができない分ラッセルの区間が非常に長いなど、飯豊より朝日の方が幾分過酷のように思います。

 

私は数年前まで正月は飯豊に登っておりましたが、飯豊本山に一度登頂したあと、北股岳に二度目の登頂を果たしたのを最後に、しばし正月は飯豊連峰から離れて朝日連峰の大朝日岳を目指すようになっており、今回がその4回目となります

 

これまではあの深い雪と悪天候によって大朝日岳どころか山の入り口まで辿り着くのが精一杯、まるで歯が立たないような山行が続いておりました。

 

正月という時期は気候的にこれからどんどん悪化していく時期であり、寒気の流入が勢いを増す中、悪天候に加えて積もったばかりの雪は非常に軟質不安定となっており、年間を通して一番山に登りにくい時期であろうと思います。

 

しかし、ここ数年は暖冬と言われ、特に去年あたりから積雪が極端に減り、豪雪地帯の山々も厳冬期の入山が比較的簡単になってきたように思います。

 

それが良いものか悪いものかと言えば微妙なところでありますが、とりあえずチャンスかもしれないと考えて今回の山行に臨むこととなりました。

 

 

 

12月28日

 

早朝に民宿大原の息子さん運転する車に揺られ根子集落へと到着。

 

目の前にはいつもの半分しかない雪の壁、例年より少ない積雪に恐怖心も少し和らいだ中で大原の息子さんに見送られ、いよいよ正月の朝日山行が幕を開けました。

 

雪が少ないからといってもラッセルは例年と変わらず脛から膝といったところでしょうか、これから延々と続く林道歩きは何度歩いても体力ばかりでなく精神的にも大きく消耗するところはいつもと同じ、相変わらずです。

 

途中、何度も嫌気がさして「もう帰ろう!」と思うこともしばしば。

 

長い長い地獄の林道ラッセルに辟易しながら思うのは「俺はなんでこんな事をしているんだろう?わざわざ正月に大朝日岳に登らなくてもいいじゃないか」とか「せっかくの正月休みは暖かいところで御馳走でも食べてればいいのに、俺は馬鹿だなあ」なんてことをずっと考えております。

 

そんな風にぐだぐだしながらもどうにかこうにか日暮沢小屋まであと少しというところまでやってきました。

 

ところがここで年末の頃から違和感があった股関節が痛みだします。

 

例年10月に入ったころから正月に向けてのトレーニングといった意味合いで(本当はキノコ採り)週に4日から5日程度、高坪山とか櫛形山、鳥坂山、嶽薬師、平林要害山といった私が勤務する会社のいわゆる裏山を猛ダッシュで登っておりました。

 

おそらくそんなことで腰の疲労が原因で股関節に痛みが発症してしまったと思うのですが、去年はふくらはぎの肉離れで正月山行を断念した経緯があり、年齢からくる衰えなのか怪我が多くなっていて、我ながら情けなく思いました。

 

とりあえず痛む股関節に耐えながらどうにかこうにか日暮沢小屋に到着、なんだかんだ言いながらもここまで5時間半程度でやって来ることができました。

 

時刻はまだちょうど12時です、本来ならもう少し先に進みたいところでしたが何しろ股関節が痛みますし、長丁場だった林道歩きで肉体的にも精神的にも疲れはピークに達しておりました。

 

小屋で昼食を食べながら体調や今後の天候などいろいろ考えて、やはり今日は日暮沢小屋に泊まり、明日は軽装になって行けるとこまで行って、夕方に小屋まで戻って来るといった行程に予定変更することにしました。

 

ただ、今日はせっかく時間がまだあるので夕方まで明日のためにラッセルをしてトレースをつけておくことにしました。

 

行程が決まれば再び気持ちが逸り、早々に昼食を食べて出発、相変わらず深いラッセルに足腰が悲鳴をあげます。

 

それにしても荷物を軽くしたから何とかなるものの、フル装備だったらかなり苦戦していたことが予想されます。

 

例年に比べれば雪は少ないのでしょうけれど、それでもラッセルはあまりにも厳しかったです。

 

そして股関節をかばいながらもハナヌキ峰の登り途中までトレースをつけ、日没間際に小屋へと戻ってきました。

 

小雪がちらついて時折強い風が吹くものの天気は徐々に回復しているようで、このままトレースが消えることはなさそうです、天候を考えると明後日30日の行動は危険であり、勝負は明日と考えて股関節の回復を祈りながら寝床へと入りました。

 

静かな小屋泊まりの夜はなかなか寝付くことができません、時折吹く風のせいなのか誰もいない小屋から物音が聞こえるような気がします。

 

そういえば先日、ゴミ収集のために訪れた仕事先で、粗大ごみが積まれた中に2体の青い目をした人形がゴミの中にそっと置かれていたのを思い出しました。

 

持主に「もしかして髪の毛が伸びる人形でしょうか?」と聞いたところ「いや髪の毛が伸びることはないが増えているかもしれない」とのこと。

 

怖い反面うらやましいと思い、もしその人形が家にあったら私もあやかれるかもしれないと考え、ついついもうちょっとで人形を持ち帰ってしまうところでした。

 

そんなシーズンオフの静まりかえった山小屋ではいつになく不思議なことを考えてしまいます。

 

 

 

12月29日

 

夜明けと共に眠い目をこすりながら角が取れて少し浅くなったトレースを進んで行けば、あっという間に昨日つけたトレースの終点に到着です。

 

ここからもハナヌキ峰の肩までは苦しい登りが続きます。

 

足を置いて一度沈み、体重を掛けるとまた沈むといった中途半端な雪の硬さは2段回のラッセルとなり、これは体力的にかなり堪えます。

 

無積雪期であればそれほど苦にならない登りなのに随分と時間をかけてようやく登り終え、なんとかハナヌキ峰の肩へと到着することができました。

 

肩からハナヌキ峰までも意外と遠くて何度も繰り返す上り下りに辟易し、風で凍った雪面と吹き溜まって腰の上まである積雪を交互に繰り返しながらハナヌキ峰の山頂へと出ることができました。

 

しかしここから先、一番の難所と思われる古寺山への登りが控えており、遥か先に見える古寺山に愕然としてしまいます。

 

ハナヌキ峰から一度大きく下り最低鞍部まで来ると古寺鉱泉分岐標識の頭だけかろうじて確認できます。

 

思った通りこの最低鞍部は風の通り道となっているようでラッセルは浅めです。

 

夏に来ると静かな樹林帯といった感じなのですが、一帯の風紋を見ると荒れた時は風が吹き抜けていく場所のようです。

 

そしていよいよ長い急登が始まりますが3歩進んでは2歩下がるを繰り返します。

 

広い尾根に道迷いしそうですが、天気が良いので今日は大丈夫。

 

どんなに疲れても気持ちが折れそうになっても諦めずに根気よくとにかく上へ上へと登って行くしかありません。

 

斜面の途中で僅かに平坦地となっているところがあり、もし大朝日岳を目指すならそこをベースキャンプ地にすべきと考えて登りました。

 

古寺山は徐々に大きくなってきますが近づけば近づくほど急な斜面となり、喘ぎ喘ぎ必死で登りきるとようやく古寺山の肩へと到着することができました。

 

ここから朝日連峰の主脈が見えるようになり、振り返ると月山が間近に聳えているのですが、どこも雲に隠れて見ることができません。

 

とりあえずは古寺山まで行くと時刻はちょうど12時、ハナヌキ峰からここまで3時間もかかりました。

 

目の前には小朝日岳が聳え、右奥に大朝日岳が強風で変幻自在に変化する雲にまとわりつかれながら聳えております。

 

強い風と雲はありますが、それでもこの時期としては珍しい穏やかな一日です。

 

古寺山山頂で軽く昼食を食べながら進むか撤退するか迷いました、時間的な問題もあり、もし小朝日岳まで行くと下山時にヘッデンが必要になる可能性があります、夏山はもちろんですが、暗い冬山では夏山以上に危険度が高まり無理はできません。

 

無理は禁物ということは私自身今まで何度も冬期登山で教訓にしてきたことです。

 

随分と迷いましたが、頑張れば暗くなる前に小屋に戻れると考え、この穏やかな天気のうちに小朝日岳まで行こうということで決心し、疲れ切った体を奮い立たせ再度ラッセルに身を投じます。

 

それにしてもこれほど長い距離をラッセルしたにも関わらず高度が上がらないせいかいつまでもラッセルが終わりません。

 

尽きることのないラッセル地獄のせいで目標である大朝日岳には遠く及ばないものの小朝日岳はもうすぐ目の前です。

 

「とにかく小朝日岳だけでも山頂を踏んで帰ろう」その一心で苦しいラッセルを乗り越え、やがて小朝日岳山頂手前から雪が凍り付き、ほどなく小朝日岳山頂に立つことができました。

 

遥か彼方に聳える大朝日岳までの道のりはまだまだ果てしなく、流れる雲に霞んだその山頂を眺めながら「遠い朝日」という言葉がしみじみと頭の中を駆け巡りました。

 

時計を見ると時刻は午後2時、急いで下山しなければなりません。

 

あれほど苦労した登りも駆け足で進めばあっという間に下ることができ、やがて林道に降り立ってからは、月が早いか小屋が早いかの競争となりました。

 

そんな中、急いで林道を歩いているところに目の前をリスが横切って行きました、リスは冬眠しているはずなのに、いったいどうしたのでしょうか?

 

リスに気を取られながらも一生懸命に歩いたのですが小屋を目前にして競争は月に軍配が上がり暗闇が辺りを支配するようになります。

 

暗闇のヘッデン歩行は動植物の生態系に影響があるとの話を多方面から耳にしており、倫理的にもできることならヘッデンを使いたくありません。

 

暗闇の中で目を凝らしてみると頭上には半分より少しやせた月が淡い光を放ち、木々の間からトレースを照らしだしてくれています。

 

小屋まで残り僅か、私は目を皿のようにしながら足元のトレースを確認しながらゆっくり進み、無事5時20分に小屋へと戻ることができました。

 

そういえばあまりの厳しいラッセルに股関節の痛みをすっかり忘れており、小屋に着いて安心したとたんにまた股関節が痛くなりました。

 

今日はとても静かで穏やかな夜です、小屋の入り口から見上げた空には星が瞬き、あたりは冷たい空気と静寂に包まれております。

 

そんな中で、またもや増毛する人形を思い出し、恐怖に震えながら一夜を過ごしました。

 

 

 

12月30日

 

昨日はあまりよく眠ることはできませんでしたが、体の疲れは随分と回復しているようです。

 

今日は天気が崩れる予報なので、下山するだけというもののいつまでものんびりしているわけにはいきません。

 

早めに起床して早々に片づけをして、再び長い長い林道を歩き始めました。

 

初日のトレースはほぼ残っており、それほど苦労せずに歩くことができます。

 

林道も後半にさしかかり川岸の向こう側遠くに民家が見えるようになると、帰ってきたことを実感するとともに、この山行の終焉を悟ることとなりました。

 

そして大井沢の短い冬の日射しを遮るように雪が降り始める中、私は温泉に浸かりながら見えなくなった大井沢の山々をいつまでも眺めておりました

 

今回は小朝日岳に登頂したものの、冬山の厳しさを感じることはありませんでした。

 

確かに小朝日岳まで行くことができた喜びもありましたが、しかしそれ以上に朝日のラッセルの苦しさを痛感し、目標の大朝日岳には遥かに及ばなかった悔しさを胸に、改めて厳冬期大朝日岳登頂の難しさを強く実感しながら今年の正月登山を無事に終えました。

 

先ほどまでの苦しいラッセルも「のど元過ぎれば熱さを忘れる」と言うように、同じ厳冬期でも2月に入れば積雪は増えますが雪と天候が安定してくるのでいくらか入山しやすくなります。

 

「休みと天気が合えばその頃にまた挑戦できたらいいな」なんてことを懲りない私は民宿大原の豪勢な山菜料理を食べながら考えておりました。

 

 

 

コースタイム

 

12月28日

 

根子集落 5時間30分 日暮沢小屋

 

 

 

12月29日

 

日暮沢小屋 3時間30分 ハナヌキ峰 3時間 古寺山 1時間30分 小朝日岳 3時間20分 日暮沢小屋

 

 

 

12月30日

 

日暮沢小屋 3時間 根子集落