令和4年4月1日~4月3日

日本平~五兵衛小屋~中の又山1069.8m~裏の山912.8m

日本国内随一の秘境として人気の高い川内山塊と背中合わせのように峰々の連なりを見せる下田山塊は人の多い川内山塊と違って静かに佇んでおり、そのどれもが川内の峰々に負けず劣らず個性的な山容となっているように思います。

そんな下田山塊と川内山塊を結ぶ渡り廊下の中間付近に裏の山という簡素な名前の山があり、そこを訪れようとすれば必ず下田か川内のどちらかの山塊を越えて行かなければならず、マニアの間では登頂を叶えるにはかなり厄介な山といった存在であろうと思います。川内にしろ下田にしろ、痩せ細った尾根がガキガキと複雑な山襞を形成しており、残雪期ともなれば不安定な雪庇や深いクレバスに覆われ、無積雪期となれば激しい藪と岩場に支配されるようになり、その要塞の一番奥にこじんまりと小さく裏の山は聳えております。標高は912mしかなく、奇しくも新潟県民憩いの山である五頭山と同じとなっており、山における険しさと標高はいかに比例しないということが顕著に思い知らされるところでもあります。

 そんな裏の山を訪れるには最低二泊必要であり、私は数年前からチャンスを伺っていたところでしたが、ようやく土日と晴れ間が重なり、そこにもう一日休暇をとって裏の山へと向かうことができました。

 昨日の夜まで降っていた雨が止んで日本列島には寒気が流入しており、この時期としては珍しく小雪がちらつく中、大谷ダムに車を停めて長い車道を歩き始めました。以前、大谷集落は紙の製造が盛んなところであり、五十嵐川の河岸段丘は紙の原料となる楮の木が多く栽培されていたそうです、また最奥の大江集落は良質のマンガンが採取される大江満俺鉱山で一時は賑わっていた集落だったそうですが、時代の流れとともに衰退し、現在はどちらの集落も大谷ダム建設に伴い移転し、集落の一部はダムの底に沈んでしまいましたが車道脇にはその多くの面影が見られ、当時の隆盛を偲びながら歩かざるにはいられないところです。

この長い車道歩きには毎回辟易させられるので今回は少しでも辛さを和らげるためにスノーシューで歩きましたが、木の芽沢を過ぎて道巾が狭くなるとところどころ雪崩ている場所があっており、デブリとなったトラバース状の林道を進まされる羽目となりました。

今回のスノーシューはTSLを使用しましたが固い雪面にトラバースや、ちょっとした坂道にさしかかると物凄く滑り怖いほどです、林道のような平坦な道だと思ってのTSLでしたが、やはり大変でした。

それにしても今まで雪崩で林道が埋め尽くされるようなことはありませんでした、今年はいかに多くの雪が残っていることが歩き始めの時点で判明し、これから先が思いやられます。カワクルミ沢の雨量観測所まではいつもは2時間もかからずに到着するのですが、雪のせいなのか体力が落ちたからなのか分かりませんが2時間半もかかってようやく到着し、ここでスノーシューを外して雨量観測所の下にそっと隠して、ここからツボ足でカワクルミ沢上流に向かって杉林の中を進んで行きました。カワクルミ沢の渡渉点へははっきりとした道筋は覚えてないのですが何故かいつもスムーズに着くことができます、今回も何となく歩いていたのですがいつもと同じように自然とカワクルミ沢へと降り立ち、いつの間にか昨日の雨で増水したカワクルミ沢の渡渉点を探しておりました。そしていつもより上流側に歩いて無事に渡渉を終えて、本来ならもうしばらくカワクルミ沢沿いに付けられた踏み跡を上流側に歩いてから尾根に取り付くのですが、今はどこでも歩けるので、雪で埋まった斜面を上へ上へとまっすぐに登りました。急な斜面を登りきると尾根上に出て、徐々に斜面は広がり歩きやすくなった登りを喘ぎ喘ぎ我慢しながら大きな日本平へと到着しました。

 時折、小雪がちらつく中、頬に冷たい風があたると気持ちが良いと感じるほど日本平の登りは長く辛く感じました。その名が示す通り広くて平和な雰囲気の日本平からは壮絶な下田の山並みが見え、いつまでも春の訪れの兆しが見えず、より一層の厳しさを感じます。ここから先は五兵衛小屋まで痩せ尾根が続きます、踏み跡はしっかり付いておりますが、この雪ではどうなっているか分かりません、すっかり雪に埋め尽くされた日本平の様相を眺めながら一抹の不安を抱いておりました。痩せ尾根に邪魔な灌木を避けながら進んでいると案の定、尾根上には不安定な雪がナイフエッジを形成しております。バランスを崩さないよう、またナイフエッジの崩落に注意しながら進んでいると今度はおびただしいほどのクレバスが稲妻の如く雪面に走っております。標高が1000mにも満たない山域なのにまるで飯豊連峰のクレバスみたいに深くて、底が見えないほどで、こんなところ落ちたら絶対に上がれません、それにいつもは藪だった垂直の岩の登り下りも今回は薄く雪が付いていてステップを刻むために強く蹴り込めば崩落しそうだし、ステップをつけなければ滑落しそうで、恐る恐る神経をすり減らしながら進まざるを得ませんでした。そして最後の雪で埋め尽くされた苦しい斜面を登り終え、いつもより1時間以上も余計に時間をかけて五兵衛小屋へと到着し、ようやく一息付くことができました。

以前はここまで峠道があったとのことで、その名残のお陰からなのか比較的明瞭な踏み跡が付いています、藤島玄氏による越後の山旅の中でこの道は只見と越後を結ぶ裏道と書かれていて、五兵衛小屋から赤崩沢沿いに付けられたこの道は実際のところ番所を通らない脱税のためのいわゆる抜け道であったのではないかとの説もあるようです。そんな抜け道を利用していた旅人が休憩するための峠の茶屋がこの五兵衛小屋という妙な山名の場所にあったのかもしれません。

さて、ようやく五兵衛小屋へと到着し、「ここから先は随分と歩きやすくなるはず」と思いながら遠くに見える中の又山を眺め、拭いきれない不安を胸に抱きながら雪原状となった尾根を進んで行きました。「あれ、ここってこんなに広い雪原だったっけ?」なんて思いながらふと横を見ると小さなグランドキャニオンを見ているような岩峰が見え、いつもはあの岩峰を右側に巻いて行くのだが、あまりにも積雪が多くて通過するまで気が付きませんでした。岩峰を通過後も時々ナイフにはなるものの、ほぼ危険個所がないまま中の又山の登りとなり、強風吹き荒れる中の又山山頂にたどり着くも、山頂でテントを張るには風が強すぎるので10分ほど戻ったところの窪地で今夜は幕営することにしました。

夜が更けるとともに風は静かなになりましたがフライシートをカサカサと這うように雪が滑り落ちる音が不気味に聞こえ、これは疲れた身体を癒す子守唄とはならず、益々不安ばかりが募る夜となってしまいました。寒さと不穏な雪のメロディーによってなかなか寝付けず、夜更けに水を飲もうと水筒を口に運ぶも中身が凍り付いて水が出てきませんでした。

翌朝、朝食を食べ終えて明るくなった頃にテントから顔を出すとまだ陽射しが届ききっていない空は薄い群青色をしており、東の空は赤みが射してきていて、今日の晴れが約束されました。今日は裏の山のアタック日ですので俄然やる気が出てきました。逸る気持ちとこの先の不安を抱えながらいよいよ二日目がスタートとなりました。

中の又山の山頂まで来ると我が同志である毛無山の禿げ頭が朝日に照らし出されて勇壮に聳え神々しく輝いています。少し話が逸れますが、私がいつも通っている床屋さんに行くと毎回同じように店員さんから「60才以上の方はシニア割が適用されますよ。」と説明され「いやまだ60才になっていません」という会話を50才になったばかりの頃から行くたびに言われ続け、50代半ばとなった現在までそれが続いております。気持ちも身体も若いつもりでいるのですが、髪の毛が少ないと老けて見られるものだと中の又山を訪れ、目の前に大きく聳える毛無山を目にるたびに床屋さんを思い出しながら涙してしまう次第です。そして肝心の裏の山といえば目の前に聳えているはずなのに未だどれなのか分かりません、周辺を見渡すと痩せ尾根がくねくねと曲がりくねり、白い雪と黒い藪とで白黒のコントラストが出来上がり、その中に見事に紛れ込むようにささやかに聳える裏の山はまるで昆虫が擬態をしているかのようにどこにあるのか分かりません。多くの急峻な尾根が幾重にも折り重なり、どこをどう登って山頂に着くのか、近いところまで来ているというのに、本当に裏の山は目立たない謎多きところです。

広い中の又山を過ぎるとすぐにまた尾根は痩せ細り、素直に尾根上を歩くことが困難となります、藪を避けるように雪の付いた斜面をトラバースしながら木々の間を縫って進みますが、これが歩きにくくて大変です、トラバース斜面に足首をひねりながら進む区間が結構長くて、足が痛くてどうにかなるんじゃないかと思う頃、ようやく毛無山との分岐点に到着。この分岐峰は少し広くなっていて休憩するにはちょうどいいところとなっております。ここから毛無山に続く尾根には雪堤が多く残っており非常に歩きやすいスカイラインとなっているのに対して裏の山に続く尾根は痩せ細った岩尾根となっていて、地図では分かりにくいのですが急な崖状の登り下りをいくつも通過していかなければならなそうです。地図をよく眺めて山座同定をしてやっと裏の山がどれなのか分かり、これから辿って行く尾根を眺めると「もう帰ろうか」と思ってしまうほど厳しい岩と藪の痩せ尾根が目の前に展開しておりました。まずはすぐ隣の915m峰に向かいますが笹の中から踏み跡のようなものがあります、これは気のせいかもしれませんが少なくとも獣道程度のものはあるように思えます。それにしても相変わらず歩きにくいトラバースが続き、ようやく雪が大きく割れてブロック状となった雪に埋め尽くされた915m峰に到着しました。山頂から大きく下りますが、まっすぐに尾根を伝うことができず山頂を一度通り過ぎてから大っく回り込んでブロック雪崩の隙間を縫いながら急な鞍部への下りへとさしかかりましたが、やはりこの下りと最低鞍部付近が一番の核心部でした。恐ろしいまでの急な下りはアイゼンとピッケルを使って一歩一歩後ろ向きでステップを切りながら下りました。気温は上がり昨晩積もった新雪が柔らかくなってアイゼンの裏側にくっ付いて団子状になり、危険度はさらに増しました。そして鞍部に近づくと雪が無くなり痩せた岩尾根の上を歩くことになります。狭い隙間でどうにかアイゼンを外してピッケルを収納してから灌木に掴まりどうにか急で痩せた岩尾根を下り切りました。帰りはここを登らなければならいと思うとうんざりしてしまいますが、来てしまったものは仕方がない、もう進むしかありません。鞍部からもまだしばらく灌木に覆われた岩の藪尾根は続いています。しばらく急な岩場に厳しい藪の痩せた尾根を登って772m峰までくるとようやく雪堤が拾えるようになり、固かった雪面も気温の上昇とともに今は柔らかくなってきていて、ここから先は急な登りが少し緩むようなのでアイゼンは着けずにそのまま登り続け、藪と雪堤を交互に繰り返しながら最後は雪に覆われた狭い山頂に立つことができました。周りが高い山で囲まれているので景色はどうかと思っていたのですが、意外と見晴らしが良く、周囲の山々はもちろん遠く越後三山方面まで見えます。中の又山や駒形山、矢筈岳は大きく見え360度の展望を楽しむことができました。

それにしても裏の山というシンプルな名前はいったい誰が名付けたのでしょう?確かに川内から見ても下田から見てもここは裏山にあたるところです。日本国内の山は大半が残雪を利用したら登れると云われる中、国内屈指の秘境と云われる川内よりもさらに奥に聳える秘境中の秘境に聳える裏の山は残雪を利用してもなかなか簡単に訪れることはできない裏山だと思いました。

コースタイム

4月1日、大谷ダム 2時間30分 カワクルミ沢 2時間30分 日本平 3時間30分 五兵衛小屋 2時間30分 中の又山

4月2日、中の又山 5時間 裏の山 4時間50分 中の又山

4月3日、中の又山 2時間10分 五兵衛小屋 2時間15分 日本平 1時間30分 カワクルミ沢 2時間10分 大谷ダム