令和4年3月5日
若橅山630m
バブルの頃にオープンし、かつては多くのスキーヤーで賑わったわかぶな高原スキー場はスキー人口の減少や近年の少雪により赤字体質が続いていたところ、とうとう閉鎖をすることが決まり、私の周りでは残念がる人が多くおられます。
スキー場が営業しているころ、若橅山へはわかぶな高原スキー場が営業を終了する春先にゲレンデを伝って登っている人がたくさんおられたようです。ゲレンデや施設は個人の土地とのことで、スキー場は借地をして営業をしていたということですので、閉鎖したとはいえ個人の土地なので無断で入山するのも気が引けます。そこで私は最終集落の沼から林道を大里峠方面に向かい、三角点の有る258.2m峰を過ぎたところの尾根から取り付いてみようと考え、行ってみました。今回もまた雪野さんが一緒です、なんでも若い頃に随分とわかぶな高原スキー場に遊びに来ていたとのことで、そこに聳える若橅山にはぜひ登りたいと考えていたそうです。
このルートは以前にも登ろうとしたことがありましたが、大雪が降ったあとに無理を承知で、しかも朝起きが苦手な私は、せっかくの休日だし朝寝をしてからゆっくり登ったのが間違いだったようでふわふわの雪は膝まで埋まり2キロ程度の林道歩きに随分と時間を割いてしまい、しかも尾根に取り付いてからも地形図を見た限りでは分からない急斜面や岩場があって、その時は途中で時間切れとなってしまいました。したがって今回は2度目の挑戦ということになります。
3月に入って真冬が終わり春の様相となった関川村も雪が締まり始めており林道の通過時間は以前の半分以下で済みましたが、気温が上がって緩んできた雪面は足を乗せると少し沈んで、そこに体重を掛けるとまた沈むといった2段重ねのラッセルとなり、これは非常に疲れます。沼集落から2キロほど苦労しながら尾根の取付き点へと到着しました。
林道をもう少し先まで進むと畑鉱山跡があり、かつては畑集落があったそうです、雪が解けるとかなりの悪路であるもののどうにか車両を乗り入れることができ、鉱山や集落跡を確認することができます。集落は昭和42年に移転したとのことですが随分と山奥に集落があったものだと驚いてしまいます。
尾根の出だしは細くて急な斜面となっており後続の雪野さんのことも考えてステップをつけるようにしましたが、上手く機能していたものかは分かりません。最初の急斜面を這いあがっても相変わらず尾根は痩せたままで雪庇に注意しながらしばらく進むとようやく尾根が広がりますがすぐに垂直に近い岩場が現われます。以前に来た時は岩場を直登しましたが、今回は雪が解けて岩が露出しており木に掴まりながらどうにか登れそうでしたが右側を巻いても行けそうだったので今日はそちらに進んでみました。すると後ろから雪野さんが「おーい、なんでそっちに行くんだよ?」と声を掛けてきましたが「ちゃんとステップをつけるから大丈夫だ」と言って、ちょっと怖いトラバースをさっさと進んで行きました。岩場を巻いて通過し、急な壁を登りきると400m付近でちょっとした広場に出ました、この広場は非常に景色が良く女川流域の山々や飯豊連峰のエブリ差岳や本山を眺めることができます。ここで小休止をしてから杉林の中、広くてなだらかな尾根を進んで鉄塔と合流しました、鉄塔周辺も広くて景色の良いところとなっていて、休憩するには良いところとなっております。この鉄塔を越えるといよいよ山頂に向けて最後の登りとなります。杉林から綺麗なブナ林へと様相は変わり、辺りはいかにも若橅の木々といった雰囲気の中を歩くようになります。そんな気持ちの良い登りの中をぐんぐんと高度を上げていき、そして360度の大展望となった山頂へと到着することができました。目の前には飯豊連峰が大きく聳え、遠くには朝日連峰の連なりが見えます。今日は昼前から天候が崩れるとのことで雨が降り始める前に下山してしまいたいところですが、あまりにも気持ちの良い山頂についついゆっくりしてしまいます。素晴らしい大展望に加え心地よい陽射しが「ゆっくりしていきなよ」と言っているようで、まるで悪魔のささやきのように私たちに降り注ぎます。昼には早いから少し休んだだけで下山しようと話をしていたのに、食事はしなかったものの結局デザートを食べたり「しょっぺのうんめね」とか言いながらポテトチップスを食べたりして、なんだかんだしながら1時間近く山頂にいました。絶えず空模様を気にしながら下り、車が見えるころには雲が空を覆いつくしポツリポツリとあたりはじめました。車に到着し登山靴を履き替えて車に乗り込んで一息つくと同時に雨は本降りとなってウインドウガラスを濡らし始めました。
コースタイム
沼集落 1時間 尾根取付き箇所 2時間 若橅山山頂 1時間 尾根取付き箇所 50分 沼集落