令和2年11月27日

福取岳

 

この秋もいろいろと楽しい山歩きをしてまいりましたが、まったく公表しておりませんでした。

あまりにもホームページを更新していなかったので秋の山歩きのうちのひとつ、ささやかな山登りではありましたが一座だけ掲載することにしました

 

仕事の用事で津川まで来たついでに昼休みを利用して以前から気になっていた福取岳に登ってみることにしました。

国道49号線から見る福取岳は異様なほどの鋭鋒となっており、小さな山ながら岩壁を抱いたその姿は圧巻の一言に尽きます。

そんな山容を一目見て「果たして登れるのか」と思わされますが、福取集落に聳える里山であることからして、踏み跡くらいあるのではないかと考えて向かってみました。

国道49号線から福取集落に向かうとすぐに福取の一里塚という史跡があり、看板が設置されてあります。

その看板によると「江戸時代、お江戸日本橋を起点として全国の主要な道路に一里塚が作られた。一里(約四キロ)ごとに道をはさんで二つの塚(土を盛った壇)をきづき、木を植えた。旅人は一里塚を道中の目標としたり、いこいの場とした。現在のこっているのは新潟県では11っ個しかない。この一里塚は形がよく残っているものである。寛文七年(1667)に会津藩では領内に一里塚をきづいたので、そのころのものと思われる。」となっておりました。

集落に入ると福取岳が大きく見え、壮絶に屹立している岩壁の光景を間近に見ると、ついつい不安を抱かずにはいられません。

集落を過ぎて道路の末端まで行き、そこに車を停めて仕事用の作業着から山用の作業着へと着替えてから出発です。

道路を少し集落側へ戻るような形で歩き、杉林の中を適当に取り付きやすい場所から斜面に登り付きました。

落ち葉に埋もれた急斜面を滑りながらも木々に掴まりながら何とか登って行き、木々は最初の杉林からすぐに細いブナ林へと変わっていく頃、獣道のようなものがあるような気がしておりましたが、上に行くにつれて、それはいつの間にかはっきりとした踏み跡へと変わっています。

踏み跡はやがて集落から見えた岩壁のヘリを歩くように付けられていて、右側が断崖絶壁となっており、そこに急な登りと滑る足元に少し緊張させられながら進みました。

今日は仕事の合間を縫ってひっそりと山に来ているのだから落ちたりして怪我などするわけにはいきません。

やがて尾根はちょっとした岩尾根となり、そこを通過すると一本の松の木がくねくねと道を塞ぐように立ちはだかり、その幹の隙間を抜けると左からの尾根と合流する場所に出ます。

左から派生する尾根を見ると、そこにも踏み跡が続いているので下山はそちらに行ってみることにしました。

その前にまずは山頂に行かなければなりません、木々の葉が落ちていたこともあってか展望の良い尾根を山頂に向かって進んで行きます。

尾根合流点からそれまでの急な登りがなだらかになりましたが、ここからは痩せ尾根となり、相変わらず滑落に注意しながら進まなければなりません。

しかも灌木と笹がうるさくなり、つまずいて転ばないように慎重に進んで行きました。

山頂手前からはさらに灌木がうるさくなって木々をかき分けながらもどうにか山頂へ着くことができました。

山頂は狭い範囲で刈り払われており、下草が茂っておりましたが数人程度ならゆっくり休憩することができそうです。

展望は180度ほど得ることができ、北に飯豊連峰の大日岳が白く雪を湛えて聳えているのが見え、吾妻連峰や磐梯山から南会津方面の山々を見渡すことができます。

少し藪のうるさいところもありましたが、概ね踏み跡があり、天気の良い時に登るとなかなか気持ちの良い山だと思いました。

今日は縁起のいい山名の福取岳に登って福を頂くことができました。

下山は予定通り途中から左の尾根を下りてみましたが、一部痩せた岩尾根の箇所があった程度で緊張するような場所はほとんどありませんでしたが、登りに使った尾根と違い展望がなく、しかも藪が思ったより酷く、特に下の方は踏み跡すらまったくなくなっておりました。

 

コースタイム

 

車 2分 尾根取り付き場所 40分 福取岳山頂 35分 車