令和3年1月31日

太古原山~笠峰

 

日本列島に襲来した大寒波により今年の正月は目標としていた大朝日岳に登るどころか麓に立つことさえできず、あまりの降雪に山に行くどころか下界でさえ出歩くことが困難なほどの状況となってしまいました。

建設業に勤務する私はというと、嫌と言うほど除雪に明け暮れさせられておりました。

数か月も前から入念に準備をし、いよいよという時に寒波襲来、さすがにここまで荒れた天候が続くのであれば諦めもつくというものですが、こんな時に山に登って途中敗退なんて人の話もちらほらと耳にし、それまた異常だなと思いました。

冬山といえば不測の事態が起きやすく、それは遭難事故に直結しやすいわけですから、やはりあまりに荒れた天候の時は山行を見送らなければならないと思います。

私はと言えば、山に行けなかったからとは言え意気消沈する暇もなく、とにかくライフラインを維持するために必死で来る日も来る日も除雪に追われる毎日を過ごしておりました。

こう毎日が除雪の生活ではいい加減嫌になってしまうので、寒波の隙間にやって来る天気の良い日には息抜きと健康維持のために山に登るようにしておりました。

そんな中、以前に雪野さんから「いつか太古原山に行こう」と誘われており、大雪が降ったあとに少し落ち着いた、ちょうどいいころ合いを見計らってからそんなリクエストにお応えする運びとなったわけでありますが、雪野さん曰くその先の笠峰というところまで縦走したいとのことでした。

確かに太古原山だけだとあっという間に終わってしまうのですが太古原山から先は低山特有の複雑な地形となっており、大雪が降ったからとはいえ藪も出ているだろうし、不可能ではなさそうですが随分と歩きにくいことが予測されました。

それから最終目的地の笠峰がこれまた国土地理院の地形図に記載されておらず、それがどこなのかよく分かりません。

笠峰とは地形図の483.7mのピークを言うようですが、そもそも笠峰と言う山名はどこからやって来たものなのでしょう?地元辺りでそう呼ばれているのでしょうか?

私は辺鄙な山ばかり登っておりますが、今回はそんな辺鄙な山の中でも特別辺鄙な山であり、言わばキングオブ辺鄙といったところであります。

まあ何だかんだ言ってても仕方がない、とにもかくにも行ってみようということで前日までの寒波がようやく落ち着いた日曜日の朝に雪野さんと二人、登山口へと向かいました。

目的地まで近づいてくると太古原山は小さく、山と言うよりも丘のように見えます、故にはっきりしない尾根と沢筋で形成されているように見え、複雑極まりないといった雰囲気が漂っております。

ところで少し話が逸れてしまいますが、実は私は昔バンドをやっていてギタリストでした。

こんな話をしてもなかなか信じていただけないかもしれませんが、私は生粋のミュージシャンであり、今はハゲですが昔はロン毛でした。

当時はより高度な音楽を求めていくつかのバンドを転々としておりましたが、そのうちのひとつのバンドはBzのコピーを主としてやっておりました。

そんないっぱしのミュージシャンだった私が今回訪れた太古原山を遠くから見た時、その丘のような佇まいに私の頭の中にはすぐにBzの「今夜月が見える丘に」のフレーズが浮かんできました。

高柳集落へと到着した時点では昨日まで居座った寒波の名残なのかちらほらと雪が降り続いております。

月ではなく太陽が見える丘であってほしい、そう願いながらこのあと晴れてくるという天気予報に期待して寒空の下、雪が降りやまぬ太古原山に向かって、登山口であるお寺へと向かいました。

そしてお寺に着くと住職さんに一声かけてから出発しました。

最初は山の斜面に建てられたお墓の間を縫うように進んで行きますが、途中でお地蔵様が雪の中から頭だけ出しながら寒そうに佇んでおります。

お地蔵様は道祖神と同じと云われており、お寺に行かずともよく道端とかに祀られ、いつも我々を見守ってくれている馴染み深い菩薩様です、私はお地蔵様の雪を少しどけてから山行の安全を願って手を合わせました。

そして進もうとすると、さらにその隣に雪を被ったお地蔵様が居られます、私は再び手を合わせて山行の安全を願いつつ雪をどけると、それはお地蔵様ではなく単なる切り株でした。

その後もいくつか間違って切り株に山行の安全を願いながら太古原山に続く斜面を登っていきました。

杉藪の中を緩やかな斜面に足首程度のラッセルで進んで行くと、ほどなく灌木と杉に覆われた広い太古原山の山頂に到着しました。

山頂周辺は藪となっていて、ここから景色を望むことはできません、休憩することなく次の笠峰に向けて出発しました。

これからいよいよ複雑地形の始まりです、間違えると面倒なので尾根が派生している箇所ではいちいち地図を見るようにしました。

藪は大雪のお陰でそれほど酷くありません、やっかいな蔦類も見られないようです。

ラッセルは徐々に深くなり、脛くらいまで潜るようになっておりましたが、まあまあ何とか快適に歩ける範囲です。

そうこうするうちに雪野さんから「歌うたって」と声が掛かりました。

いよいよその時がやってきました、私はあえて「今夜月の見える丘へ」は歌いません、実は昨日除雪をしながらミーシャのアイノカタチを練習しました。

ミーシャの歌い方は西城秀樹の歌い方に似ていると思って私は練習しました、そんな私の綺麗な歌声を聞いて雪野さんは度肝を抜かすのではないかと考えておりました。

私が歌を歌っていると下界から人の声が聞こえてきます、ここは山と言っても集落から随分と近いところです、近所のお父さんであろう人が何か言っているようですが、もしかしたら私の歌につられて同じようにアイノカタチを歌っているのではないかと思いました。

天気も徐々に青空の密度が増してくる中、そうこうするうちに尾根を横断するように忽然と林道が現れ、それはまるで複雑地形を縫うように延びており、どこからきてどこまで延びているのか分かりませんが、高柳集落と小乙集落を結ぶ峠道のような感じでつけられていました。

やがて複雑地形が終わり、尾根がはっきりしてくると高柳集落から延びる鉄塔巡視路とぶつかります。

この巡視路を辿って鉄塔まで行き、さらに深くなったラッセルに苦労しながらも緩い斜面を登り切って、木々の無い笠峰へと到着することができました。

笠峰はどういったわけか木が生えておらず360度の大展望を得ることができます。

本来は見えるであろう粟ヶ岳やそこに続く峰々はまだ黒い雲に覆われておりましたが、天気が良ければ素晴らしい景色を見ることができそうなところでした。

ただ山頂まで来ると風があってあまりにも寒くて短時間しかいることができませんでした。

いくらか下ったところで風が弱まる場所を探して昼食を食べ、下山は鉄塔巡視路を下って高柳集落へと下山しました。

そして集落内を1時間以上歩いて車まで戻りました。

今回の山行ではカメラを出さずじまいだったので写真が無く、雪野さんが撮った写真を数枚もらって掲載に至りました。

それにしても、ほとんどが単独行ということで自分自身が写っている写真など見ることがありません

今回は自分自身が歩いている姿が写った貴重な写真を見ることができました。

 

コースタイム

 

お寺 20分 太古原山 3時間40分 笠峰 2時間(昼食休憩1時間程度含む) 高柳集落 1時間30分 車