阿弥陀山
烏帽子岳
海谷名山紀行
平成30年4月21日 阿弥陀山
平成30年4月22日 烏帽子岳
阿弥陀山紀行
越後の山旅の中で藤島玄氏は「海谷山塊は川内山塊によく似ている。両方とも比較的鉄道とバスの便が近いにもかかわらず、死角というか盲点というか一種の暗黒地域をなしている不遇の山々だ。」と記述されています。
海谷山塊を西と東に分ける海谷渓谷は両岸が切れ立っていて、まさしくV字谷と言う言葉が相応しいところであり、周囲は奇岩、奇峰がところ狭しと連なっていて、川内山塊を秘境とするならそれに対し海谷山塊は辺境といった佇まいであろうかと思われます。
そんな険しい海谷山塊を象徴する山と言えば、なんと言っても阿弥陀山と烏帽子岳になろうかと思います。
この二つの峰がなかったら海谷山塊の魅力は半減すると思うくらい圧倒的な威圧感をもって海谷の東側の地に聳えています。
特に遠くから見て「何だあの山は!」と誰もが感じる針峰状の阿弥陀山は鬼の角のような形状をしており、あの天に向かって伸びる二本の角を見ているとマッターホルンなどという形容では生易しく感じるくらいです。
そんな阿弥陀山ではありますが、見た目の形状ばかりでなく登山道が整備されていないなどといったこととなれば、当然登ってみたいと思われる方も多くおられるものと思います。
そんなこともあって、数は少ないもののいくつかの登山データーが存在しており、入山者が一番多いと思われる海谷高地から阿弥陀沢を登って山頂に至る、いわゆるオーソドックスなルートで登ってみることにしました。
まだ春浅い海谷山峡パークで準備をしているとリスが目の前をうろちょろと動き回っています。
今日は4月だというのに気温が25度くらいまで上がる予想です。
山麓は新緑の淡い緑と山桜の薄いピンクで色づき始め、リスが春の陽気に誘われるようにめまぐるしく行動を始めているようです。
この海谷もようやく冬から目覚めて山笑う季節に入ったことを感じます。
私もこんな春の陽気の中で「ゆっくりとした一日を過ごしたい」なんて思うのですが、これから登る阿弥陀山の厳しさを思うと、呑気に春を満喫することなどとてもできません。
阿弥陀様の持つ力のひとつに光明無量というものがあり、この世の誰にでも同じように光が降り注ぐという意味だそうですが、私は阿弥陀山に向かって「どうか無事に登頂できますように、どうか私にも光を当ててください」と唱えてから出発しました。
しかし私に光が当たると頭に反射して眩しくなり、阿弥陀様が幻惑されると悪いので、手ぬぐいを被って歩きます。
春の陽射しが眩しい中、意気揚々とはいかず、海谷山峡パークを出てすぐにいきなり核心部へと突入です。
大方の予想はついていたのですが、海谷山峡パークから海谷高地までの区間は雪で覆われた斜面を延々トラバースしなければなりません。
尾根通しでないのでルートも非常に分かりにくく、僅かな痕跡を拾いながら固く締まった雪に側面からステップを切って少しずつ進んでいくしか手立てはありませんでした。
何度もルートを見失いながら、急斜面に何度も足をとられながらも、2時間ほどかかってようやく海谷高地と呼ばれる海川河川敷へと辿り着きました。
ここから阿弥陀沢を登って山頂を目指すことになりますが、ここまで来れば8割方登ってしまったようなものだと思いました。
あとは何の変哲もない雪渓を登りきれば山頂です。
阿弥陀沢は飯豊の石転び沢をコンパクトにしたような感じではあるのですが、規模は比較にならないほど小さく、狭い雪渓は木の枝や屑、土砂等でゴミゴミしており、さらにこの狭い雪渓で雪崩が起きれば巻き込まれてしまう可能性が高いと感じたので、それには十分に注意して登りました。
斜度としては上部の一番急な部分が石転び沢の平均的な斜度と同等程度だと思い、私はバカにして短時間で登れるだろうと高をくくっておりました。
ところが、気温が上がって雪崩の心配が増すばかりでなく、この時期は体が暑さに慣れていないということもあってどんどん体力が奪われ、しかも海谷高地までのトラバースに足が疲れていて、思うように進むことができません。
そんな苦しい条件の中、雪渓の中ほどでちょうどおあつらえ向きに冷たい水が取れる場所があって、それにはとても助かりました、阿弥陀様が救いの手を差し伸べてくれたようです。
結局のところ、なんだかんだしながら雪渓を登りきるまで2時間もかかってしまいました。
さすがに海谷山塊の盟主である阿弥陀山はそう簡単に登頂させてくれません、雪渓上部にようやく到着して、あと少しと思ったらまだまだ遥か先に山頂が聳えているのが見えます。
しかも藪と岩、不安定な痩せ尾根の雪渓歩きが山頂まで続いておりました。
心細い雪渓を拾いながらも山頂手前で雪渓は切れ、かなり薄い踏み跡の藪を越え、蟻の戸渡りと岩場を越え、そして最後に再び藪を越えて阿弥陀様の石像が待つ山頂へと出ることができました、山頂の極手前だけが明瞭に刈り払われています。
非常に狭い岩稜の山頂は草木が無く、360度の大展望はどこを見ても切り立った岩壁となっており、ここからはどこも行けないのではないかと思うほど、まるで八方ふさがりのようになっています。
妙高連山が目の前に雪を湛えて大きく聳え、双耳峰の阿弥陀山のもう一つの山頂と烏帽子岳が怖ろしいまでの岩峰となって間近に聳えておりました。
阿弥陀山について、雨飾山と海谷山塊という本によると、麓の砂場集落に善正寺、早川谷には日光寺、笹倉には六万坊という寺があり、阿弥陀山はこれらの山麓の山岳信仰から名付けられたのではないかとのことです。
また、越後百山の中では山頂の石仏は日光寺のものと聞いたとのことが書かれており、以前は信仰登山をしていたとのことです。
薄い踏み跡はそんな山岳信仰をする人たちによってつけられたものなのかもしれません。
また、昭和57年発刊の新潟の山旅で、あるいは平成13年発刊の越後百山の中で、阿弥陀山の山頂には二体の石仏が祀られているとされていますが、山頂には一体の石仏しか見当たりません。
どちらの本にも一体は古びてボロボロになっていると書かれているので、この数年の間に朽ちて無くなってしまったのかもしれません。
ただ、ろうそく立は四つ残っており、一体の石仏の前に置かれておりました。
いずれにしても私は山頂に鎮座する阿弥陀如来様の石像に手を合わせ、無事に登頂できた御礼と下山の無事を祈り、山頂を後にしました。
帰りは道迷いを何度もして、それに雪面トラバースに不慣れな筋肉を酷使したせいか、足をひきつりながらも何とか無事に海谷山峡パークへと戻る事が出来ました。
烏帽子岳紀行
阿弥陀山に登ってきたその翌日に烏帽子岳に登ろうという目論見でありましたが、海谷高地までの歩きにくい雪のトラバースに足腰は疲労していて、僅か一晩では疲れがとれず、起床した時点ですでに体がぐったりしております。
大したことがないと思いながら登った阿弥陀山だったのに、身体は思った以上に疲労していたようです。
烏帽子岳への入山口はいろいろ考えられますが、アプローチが悪い分どれもが長く、地図上では必ずどこかで急な崖状のところを越えて行かなければならなくなっております。
今回、選んだルートは谷根林道からになりますが、林道上は雪解けが進んでおり、去年の秋に偵察に訪れた時と同じところまで車を乗り入れることができました。
この先、林道はまだまだ奥まで延びておりますが土砂崩れが発生していて雪が解けていたとしても車はここまでしか入れません。
1時間半ほど雪の残る林道を進むと辺りは開け、杉の植林地のようなところに出て、林道の形跡はここで途切れておりました。
右手を見るとなだらかな尾根が延びて、その先に高い山々が聳えているのが見え、これから進むべき方向を示唆してくれます。
広々とした植林地をその尾根に向かって適当に進みますが、この時私はすでにバテてしまっていて頻繁に休憩をとっており、これでは登頂は難しいかもしれない、行けるところまで行こうといった考えで進むしかありませんでした。
休憩するたびに眠くなり、やがて歩くのが面倒になってきて、しまいにこのまま寝てしまえばさぞかし楽だろうと思うようになる。
「烏帽子岳は今度にしよう」そう思いかけるも、また来るとなると高速料金やガソリン代がかかるので、それを考えると自然と重い腰がいくらか軽くなりました。
植林地を過ぎ、尾根に乗っても広い雪原歩きを保ったまま進んでいくことができ、疲れた体に優しい尾根が続きました。
目の前には1250m峰が大きく聳えおり、まずはそこを目指して進みます。
それにしてもここはあまりにも広い尾根となっており、今日のような見通しの利く日は良いのですが、ガスられると面倒なことになるのではないでしょうか。
1250m峰の登り手前にさしかかった時、どこからか水の流れる音が聞こえてきます。
どうやら雪渓の下に沢があるようで、雪渓が切れているところから冷たく美味しい水を取ることができ、一口含んでみるととても甘い味がして、季節外れの真夏のような気温に渇いた喉が癒されます。
1250m峰附近まで来るとようやく烏帽子岳が見えるようになり、手前に1350m峰が丸く大きく聳えており、相変わらず広い雪原が続いています。
地図を見ると1350m峰の登りは等高線が混んでいて、果たして登れるものか心配していたところでしたが、それほどでもありませんでした。
ただし、その奥に見える烏帽子岳は山頂手前が垂直な雪の壁になっていて、そこを越えられるかどうかが気になります。
1350m峰までの急な登りに苦労しながらも何とか山頂に立つと、ここで初めて烏帽子岳の全貌が明らかになります。
今まで広かった尾根はとうとうここで終わりです。
1350m峰からは藪の痩せ尾根となって、それが山頂直下の雪の壁まで続きます、そして最後にその雪の壁を登りきると山頂の肩に出るといった具合でした。
ここまで思いもかけず広いなだらかな雪原歩きは疲労していた体にとても優しく、お蔭でもう少しで山頂といったところまでやって来ることができました、それだけでも御の字です。
海谷烏帽子といえば海谷の中でも難しい山のひとつとしてその名が知られており、まさかこのまま広い雪原歩きで終わるはずなどなく、厳しい箇所があるということは想定しておりましたが、そんなところが最後の最後にありました。
せっかくここまで来たのだから山頂を踏んで帰りたいと思うのですが、果たして目の前に見えるあの壁を登ることができるのか、行ってみなければ分かりません。
踏み跡がすっかり消えてしまった藪を進みながら、どこをどう通って登ろうか思案しながら少しずつ歩を進め雪壁の直下まで辿り着きました。
直下から今にも雪崩れそうに斜面に薄く付いている雪の隙間を良く見てみると、道が現れ、トラロープまでもが垂れ下がっているのが見えます。
トラロープは使わなくても登れますが、道が出てきたのには凄く助かりました。
一番の急な部分は木に掴まりながら登り切り、途中から雪の壁にステップを切りながら慎重に登りますが、結構な落差があって上がれば上がるほど怖さは増していきます。
ここを越えれば山頂だと思い、私は再び高速料金とガソリン代を考えることにしました。
ガソリンは高騰の一途を辿る、こんなご時世にまた来たくないと思うと、体は自然と必死になり、今までの疲れはどこにいったのか自分でも驚くほど一生懸命に斜面を登り切って、あっという間に烏帽子岳の肩へと登りきることができました。
肩からは小さな岩峰が鋸状になって山頂に続いているのが見え、以前は鋸岳と云われていたそうですが、この景色を見るとなるほどと思います。
そして、あとは灌木繁る岩稜の踏み跡を辿って山頂に出ることができました。細長く狭い山頂は、赤黒い岩が二つボコボコと飛び出していて、ちょっと斜めなので尻が少し痛くなりましたが、疲れた身体を休ませるにはちょうど良かったです。
岩に腰を掛けながらホッとすると同時に「今度はもっと気楽に登れる山に行こう」、思わず私の口からそんな言葉が出てきました。
しかし、確かに身体は疲れ果てておりましたが、国内有数の辺境である海谷の盟主に二日続けて登ることができ、私の心は満足感と充実感に満ちておりました。
山頂からは海谷山塊の岩峰群とそれに対比するようにおおらかで大きな頚城連山等、この特異な景観は他の山域では見ることができません。
私はそう簡単に来ることができない山頂から、しばらく360度の大展望を楽しみました。
そして、雪の壁を慎重に下って、1350m峰から下はガスってなくても下りではルートが分からなくなりそうな広い尾根で、消えかけたトレースを探りながら道迷いに細心の注意を払って、無事に下山することができました。
コースタイム
阿弥陀山
海谷山峡パーク 2時間 阿弥陀沢出会 2時間 沢上部 1時間 阿弥陀山山頂 45分 沢上部 45分 阿弥陀沢出会 2時間30分 海谷山峡パーク
烏帽子岳
林道車 1時間30分 林道終点 2時間30分 1250m峰 1時間30分 烏帽子岳山頂 1時間10分 1250m峰 1時間 林道終点 1時間 林道車