平成30年4月14日
川内山塊 奈羅無登山
奈羅無登山は川内山塊の一角に聳える、特に目立たない小さな山であるにもかかわらず、この山の名前を知っている人は多く居られるように思います。
おそらく妙な名前の山といった理由で有名になっているのではないでしょうか。
越後山岳第弐号の中で村松町出身の笠原藤七氏が川内地名考を寄稿されており、その中の一部を抜粋すると「この地図の上に漂う軍人臭―それは地名の用字の上に現れている」としており、奈羅無登山というこの変な山名は陸地測量部が地図上に当て字で表記したことからこれに定着してしまったとのことが書かれています。
確かにカタカナでナラント山と表記されるより奈羅無登山で表記された方が強く印象に残るのではないかと感じます。
いずれにしてもナラントという山名はどういった意味で名付けられたのでしょう?
他にこの川内地名考の中で書かれていることは、川内の名の知れた熊打ちに聞いてみたところ「ナラント山の西斜面は熊狩りに行ってはナラントコだから、そのような名前が生まれたのではなかろうか」と話しておられたそうですが、笠原氏は「何となくこじつけの様な気がする」とのことです。
私自身、この変な名前の山にはいつか行ってみようと思っていたのですが、ガキガキと切り立って複雑に蛇行する尾根と険しく聳える峰々が連続し、近くに聳える割にその山頂に立てるまでにはかなりの遠回りをしなければならず、果てしない距離を歩かせられることから訪れる機会がなかなか巡ってこないところでした。
藪山の先駆者である羽田さんは著書のなかで「行ってはならん山だったのか」と副題をつけておられましたが、私にとっては「行かなければならん山」として、いつまでも心の中にあった山でありました。
今年は早くから悪場峠まで道路が開通したということで余分な車道歩きを回避することができて助かりました、というか、その分寝坊することができて良かったです。。
その悪場峠は私自身ちょうど10年ぶりに訪れるので、あの山道の中のどこが悪場峠なのか、そしてどこから山に入っていけばいいのか分かるものか、また悪場峠から水無平を越えて木六山に至るまでは地形図を見ても判然とせず、私にとって、そこの部分が今回の山行の中で一番の不安要素でした。
車は早出川ダムへ向かう県道を衣岩から右に折れ、峠道へとさしかかります。
昔、訪れた時の記憶を辿りながらも何となくですが、ここが悪場峠だと思える場所に到着しました。
車から降りて周囲を見渡すと雪の斜面に辛うじて確認できる足跡を見つけ、無事に悪場峠を見つけられたということを確信できました。
ここは標識類が何もないところにくわえ、あたりは雪に覆われていて、どこをどう登って行けばいいのか分からず、地形図を見ても破線が書かれていないうえ、出だしの地形は複雑なので、非常に分かりにくいところであります。
悪場峠の登り口付近にあった足跡もすぐに無くなりますが適当に上に向かって歩きながらうろうろしていると、ようやく雪の切れ目から姿を現した登山道を見つけることができ、とりあえず一安心して進むことができました。
登山道に沿って歩きにくいへつり道を進むと、ほどなく広い水無平へ出ます。
ここは雪に覆われているので道が分からなくなってしまいますが、適当に進んで向かい側の急斜面を登って、尾根上に出るしかないと考えて進んでいきました。
ただし急斜面のどこを登ればいいのかは概ね見当が付いていたので、藪であろうがとにかく見当をつけていたあたりを適当に登っていき、尾根上に出て山頂方面に向かえば、思った通り再び登山道を見つけることができました。
もし急斜面のどこを登ればいいのか見当が付けられないようだと大きく道を踏み外してしまう可能性があり、面倒なことになるように思います。
あとは普通に登山道に沿って比較的平坦な道を進めば、最後に急斜面を登って木六山に出ることができます。
木六山から奈羅無登山はすぐ近くに見えるのですが中杉川を迂回するために大きく遠回りをしなければなりません。
最初の通過点である木六山は展望もまずまずでそれなりに良い山であると思うのに、なぜか訪れる人が少ないようです。
確かにヒルがいるようなので時期を選ばなければなりませんが、この時期はもっと賑わっても良さそうに思います。
この木六山は古くから登山道が整備されている山で、古いガイド本を見ても木六山は掲載されております。
ただ残念なことに新潟の山旅というガイド本を久しぶりに本棚の奥から出してきて見てみると「グシの峰までは登山やハイキングとしての魅力があるが、そこから先、木六山は登山の対象に乏しい山」と書かれておりました。
この古くから整備されてきた登山道は、以前は山菜採りや炭焼に利用されてきた古道だそうで、今は登山道として利用されるようになったそうです。
そんな古から利用されてきた道を進んでいくと、道沿いには待ちわびた春を楽しむかのようにイワウチワとカタクリが咲き乱れ、七郎平山などの峰々を大きく登り下りをいくつか繰り返しながら銀次郎山まで辿り着きました。
ここから古道と別れていよいよ核心部へと突入するわけでありますが、道が無い方がかえって自由に歩けて好都合のような気がします。
まずは銀次郎山から急斜面を下りますが、ここでアイゼンを着け山頂の少し手前あたりから壁状の雪面をおそるおそる下りました。
下りきるとしばらくは平坦な雪堤を歩くことができます。
行き先には二つの山頂が見え、手前の山頂が赤犬と名付けられたところで、奥の山頂が中杉山のようです。
赤犬にはまず一度下って登り返すことになりますが、広いブナが生い茂るところで、ホッと安堵するようなところであります。
なぜ地元人はここを赤犬と呼ぶのか分かりませんが、山で犬の地名が使われているところの多くはオオカミが関連している場合が多いようです。
しかし昔の人の話を聞くと、日本が戦時中の食糧難の時に犬を食べていたといい、中でも赤い犬が美味しかったと聞きます。
まさかこの地名はそんな美味しい赤犬からきているわけではないのかもしれませんが、そんなことを考えると、どうもここはあまり好きになれません。
そんな広い穏やかな赤犬でホッとするも長く留まる気になれず、すぐ隣の中杉山へと向かいますが、再び大きく下りそして大きく登り返すことになり、しかも藪尾根となっております。
尾根上は薄い踏み跡が付いているので何とかなりますが、ところどころは濃い藪となっておりました。
苦労してようやく中杉山の山頂に辿り着くと、そこは雪に覆われておりましたが、山頂を少し通過したあたりからまたしても大きく下り、しかもこれまた大藪の斜面となっております。
下りきると心細い雪堤を拾って何とか歩くことができましたが、尾根上は天然杉の大木が隙間なくびっしりと覆っていて、もし雪堤がなかったらかなりの苦労を強いられていたものと思われます。
中杉山から下りきってしまえば、最低鞍部からはいくらかの藪歩きもありましたが、意外と苦労することなく雪堤と藪を繰り返しながらも手前に聳える峰を越え、遠かった奈羅無登山へと到着することができました。
広く細長い山頂は展望も良好で、粟ヶ岳方面が針葉樹などにより良く見えなかった以外は日本平山がすぐ隣に大きく聳え、五剣谷岳や奥に矢筈岳の姿も見えております。
ここでしばらく休憩しますが、帰りの長い道のりを考えると気が重くなります。
早々に休憩をきりあげて、なかなか訪れることができない奈羅無登山の山頂を惜しみながら果てしなく長い道のりを引き返し、無事に悪場峠へと戻ることができました。
日帰りでどうにかこうにか行ってくることができましたが、これは中杉山から先が雪堤を多く拾って歩けたからであり、もし雪堤が落ちて無くなっていたら、あの薄い踏み跡では日帰りすることは難しいのではないかと感じました。
日本国内有数の秘境と云われる川内山塊に聳える峰々はそれぞれが個性的に聳え、その中でも奈羅無登山は名前もさることながら、小さいながらも他の峰々に負けまいと己を主張するかのように、空に向かって聳える秀麗な山であると、今回訪れて感じました。
コースタイム
悪場峠 1時間45分 木六山 2時間 銀次郎山 55分 中杉山 1時間15分 奈羅無登山 1時間20分 中杉山 1時間20分 銀次郎山 1時間45分 木六山 1時間15分 悪場峠