平成31年3月3日
一難場山~蒲原山~箙岳
私の勤務する会社では毎年3月の第一土曜日に健康診断を実施しております。
その健康診断でバリウムを飲むのが憂鬱で、しかも私の場合はどういう訳なのかバリウムの出が悪く、去年は通常の倍の量の下剤を飲んでもよく出ませんでした。
そこで今年は通常の4倍の量の下剤を飲んでみたところ、今度はまるでダムが決壊した大河のごとく轟々と音を立てて激しく流れ出るようになり、とても大変なことになりました。
翌日は糸魚川の木地屋集落から箙岳に行く予定ですが、長丁場なので体力的に結構キツイことが予測されますが、こんなに果てしなく流れ落ちる濁流のような腹具合に大丈夫なのかとても心配でした。
しかも林道の通過には苦手なスキーを使うつもりですが、普段使わないような筋肉を使うので余計なところにも力が入ってしまい漏らしてしまうのではないかと気が気ではないまま、登山がスタートしました。
朝は非常に冷え込んだらしく、道路の濡れているところは凍結しており、林道のスキー歩きも沈み込むことなく快調に進みました。
スキー歩行は快調でありましたが、私の腹具合も快調に出そうで、抑えるのに一苦労です。
ただ、いくら順調に進むといってもスキーに不慣れな私の場合は明らかに歩いた方が数倍速く、疲れもまったく違います。
放射冷却で冷え込んでいるにもかかわらず大汗をかきながら、ようやく予定していた林道の渡渉点に到着しました。
このままスキーで進むか迷いましたが、やはりスキーはここまでで、ここで登山靴に履き替えることにしました。
今までスキーなど滅多に使うことがなかった私がこの先の一難場山までの登りをスキーで向かうのは無謀であろうと自己判断しました。
渡渉は2箇所ありますが登山靴に履き替えたので容易く通過することができました。
相変わらず雪は凍っていてツボ足のまま歩くことができ、しばらく気温が上がるまでワカンを着ける必要はありませんでした。
川を渡りまずは目の前に聳える一難場山を目指しますが、ブナ中心のナラが混じる疎らな樹林帯の広々とした河岸段丘を一直線に進んで行きます。
最初は緩やかだった勾配は徐々に急になり、稜線手前辺りからはかなりの急斜面となりますが、広い斜面のためにその急さ加減がわかりにくく、知らず知らずのうちに体力が奪われていくような感覚です。
途中、スキーで登っている人を追い越しましたが、かなり苦労して急斜面と格闘しているように見え、登山靴にして良かったとつくづく思いました。
とにかく歩きやすいところを選んで上へ上へと登りきると、やがて稜線に達し、ここからは快適な尾根歩きとなります。
灰色だった空模様も徐々に青さが増していき、気温の上昇に伴いここでワカンを着けなければならなくなりました。
行く先、すぐ目の前には一難場山が見え、その奥に木々の間から北アルプス北端の峰々が見え隠れしております。
グランドのような広い台地の上に高さ5mくらい、巾3mほどの帯状の尾根がポッコリ飛び出していてそれが数百メートルもの区間続いており、その帯の一番高いところが一難場山の山頂のようでした。
山頂から振り返ると岩峰の明星山とセメント採掘のため山肌が削られた黒姫山の姿が印象的です。
向かう先には平ヶ岳を思わせるような姿かたちをした蒲原山が見え、その奥に箙岳がほんの僅かだけ頭を出しています。
木々の間からは朝日岳や雪倉岳、小蓮華山あたりでしょうか、それから黒負山あたりの山並みが大きく見えます。
無数にあったスキーのトレースもここまでで、この先は自分だけの足跡を刻みながら進んで行きます。
蒲原山、箙岳へと続く稜線は広大な湿地帯となっていて、その景観はまるで尾瀬、あるは苗場山あたりを思わせる風情となっております。
蒲原という地名は全国にあるそうですが、中でも新潟県に多いそうで、蒲原郡という地名からして特に中部から北部にかけての地名だと思われます。
しかしここは新潟県の上越、しかも最南端に近い辺りで蒲原という地名が存在していることに下越在住の私としては親近感を感じます。
そもそも蒲とはガマと読み、湿地に自生する草の種類で、よく沼地などに葦と混同されるように生えている草のことを言います。
以前の新潟県北部は大きな潟が占めていたそうで、その潟だったところを干拓して造成されて現在の土地になったとのことで、当時は広大な蒲原だったのではないかと推測されます。
そんなどこまでも広くて田んぼのような景観は蒲原といった名前に相応しいと感じながら、緩やかにうねる尾根を進んで行きました。
蒲原山の山頂に至るにはあまりに広くて地図をよく見なければ今日のような視界の利く日でも分かりにくいです。
ここは山というより原っぱといっても良さそうなところで、檜類が疎らに点在する程度の山稜は見晴らしもよく、間近に迫った箙岳が大きくなり、北アルプス最北端の峰々も存在感を増してきており、さらに妙高連山が遠くに見えるようになります。
そんな見事な景観の中、湿地帯の残雪に新雪が20㎝ほど積もった大平原の上を最終目標である箙岳に向かって進んで行きました。
やがて蒲原山あたりからどこからともなく再び現れたスキーのトレースに少しがっかりしながら、距離はあるものの登り下りが少ない分、疲労をあまり感じることなく歩くことができました。
長い距離を歩かなければならないということでほとんど休憩することなく、知らず知らずのうちに根を詰めて歩いてしまっていて、ここで山を楽しんでいないことに気が付きました。
こんないい天気にせっかくの景色、ゆっくり楽しみながら歩くことを心がけるようにしたのも束の間、目の前には箙岳へ至る岩壁が迫っていました。
雪はしっかり着いているものの、あまりにも急な斜面は一見するととても登れなさそうな感じに見えます。
今日のところは大丈夫そうなのですが、そのうち雪崩も発生しそうに思います。
真正面から尾根を登りきることはやめておこうと考え、右側の緩やかな尾根に乗って、そこから山頂を目指そうと判断し大きくトラバースを始めました。
どんどん上がる気温に足元の雪は腐れはじめ、延々と続くトラバースに一歩一歩ステップを刻みながらようやく右尾根の上に出ることができ、尾根を登りきると再び尾瀬のような景観となって緩やかに波打つ尾根の先へと進んで行けば無事に箙岳の山頂へと立つことができました。
360度大展望の山頂は意外と狭くて3m四方程度しかありません。
箙とはエビラと読み、矢を差し入れて腰に付ける箱形の容納具のことをいうのだそうですが、これは山の形が箙形をしているということから名付けられたのでしょうか?
あるいは謡曲で箙の梅という修羅道の苦しさを謡ったものがあるそうですが、修羅道とは仏教に関連する言葉で、悪趣六道のひとつであり、もしかしたら箙とはそのような宗教的な思想の意味合いをもった山名ということも考えられます。
いずれにしても春の日差しが眩しい平和な日に、こんな穏やかな山に来ることができて、とても楽しい一日となりました。
北アルプス近くにひっそりと聳える目立たない峰々は訪れる人はほとんどなく、とても静かな山でした。
それからすっかり忘れておりましたが、箙岳の山頂では途中のスーパーで買ったメープルメロンパンを一つ食べ、ノンアルコールカクテルを一缶飲みましたが、それが良くなかったのか下山時に腹が痛くなり、下剤の効き目を痛感しながらどうにかこうにか車へと辿り着きました。
来年から下剤の飲む量は3倍程度に抑えようと思います。
コースタイム
木地屋集落 1時間 渡渉点 1時間10分 一難場山 40分 蒲原山 1時間35分 箙岳 2時間20分 渡渉点 30分 木地屋集落