海谷山塊 昼闇山(ひるくらやま)
平成29年4月2日
山で人と喋ったり、話を聞いたりしたのは随分と久しぶりでした。
まさか昼闇山で人に会うなんて・・・。
静かな山を寵愛し、いつも人を避けるようにして山に登っていた私ですが、今回ばかりはマニアな山で会った人たちだけに話が合い、様々なことを聞いて、そして話すことが出来ました。
それもこれも作業服を着ていたお蔭だったように思います。
出発は土曜日の夜でした、新発田を出る頃は小雨が降っていましたが焼山温泉に着く頃にはみぞれになっていて「この天気では明日の昼闇山は難しいかな」なんて考えながら車の中で眠りに着きました。
翌朝、薄明るくなると同時に焼山温泉の駐車場には数台の車がやって来ていて、すでに山に登る準備をしているようでした。
その物音に目が覚め、「う~ん」と伸びをして体を起こしながら周囲を見渡すとなんと雲一つない晴天となっているではありませんか!
慌てて起き上がり、私も準備に取り掛かります。
朝方は相当冷え込んだらしく昨日のみぞれが作った水溜りが凍り付いています。
普段は素手の私も、あまりの冷たさに軍手を着けて出発しました。
軍手はもう5年くらい同じものを何度も洗って使っているのでゴムは伸び切り生地もボロボロで薄くなり、ビロビロの状態になっているにもかかわらず保温性は非常に良好です。
確かこれは会社の倉庫で拾った軍手で、それも別々に拾ったものでしたので左右がそれぞれ違うものとなっております。
軍手の話が出たのでついでということでほんの少しだけ話が逸れますが、とにかく軍手は素晴らしい!
以前、正月に飯豊本山を登った時も本山小屋までは今日着用している軍手でした。
正確には分かりませんが、多分気温はマイナス10度くらいだったと思います。軍手は当時からビロビロでしたが特に手が冷たいという感じはありませんでした。
さすがに本山小屋から保温手袋に替えましたが、その時にかなり低温化でも軍手は暖かいということが証明されたのです。
話を元に戻します、今は廃業となっているスキー場から朽ち果てたリフトの支柱の脇を通り、先に延びている林道へと進みます。
先行者はスノーシューを着けているようですが、雪は凍っているので私はツボ足で林道を進み、林道の終点でスノーシューを着けました。
林道終点からは暫しスギ林の中を歩くようになり、ほどなく雪で埋まった沢を渡ります、このあたりが地図上に明記されている昼闇谷という場所のようです。
固雪に薄く付けられたトレースから先行者は二人組のようでしたが昼闇谷を渡り終えたあたりからそのトレースと別れ、私は別ルートで山頂を目指すことにしました。
天気が良いのでどこでも見渡せ、ルート取りも容易です。
昼闇山は尾根も沢筋も広くなっていて、一見どこでも登れそうですがルートを間違えると稜線手前で岩壁にぶつかり進めなくなってしまいます。
登るにつれ傾斜は急になり昨日の積雪がラッセルとなって行く手を阻むようになります。
表面は凍っているのに中はパウダースノーの状態で体重をかけるとズボッと脛まで潜り、しかもサラサラパウダースノーのお蔭でズリズリと一歩一歩滑り落ちるような始末です。
大変に体力を必要とするラッセルに息も絶え絶えになっているとラッキーなことに右側から一度離れ離れになった先ほどの先行者のトレースが合流してきました。
藁をも掴む思いでそのトレースに一度は乗っかりましたが、何故だか面白くありません。
すぐにラッセルから外れ、脇を歩きますが非常に疲れます。
素直にラッセルを使えばいいものを「俺は何て馬鹿なことをやっているんだろう」と思い、再びラッセルに乗るも何だか釈然とせず、またしてもラッセルから離れる、そんなことを繰り返しながら進んでいき、やがて稜線へと出ることができました。
稜線のからの景色は非常に素晴らしく、海谷の山々や妙高、北アルプスの山々がどこまでも見渡せ、眼下には日本海が広がります。
しかしこの先も稜線漫歩とはいかず、雪庇の踏み抜きに神経をすり減らしながら、さらに膝まで潜る雪に四苦八苦しながらの前進が続きます。
少しでも多くの達成感を得るために先行者のトレースはできるだけ使わないようにしましたが、それでも山頂手前の急な登りはあまりにも苦しくて、ついつい使ってしまいました。
辛く苦しい登りもようやく通過し、歩きにくい雪質に地獄のような思いをしながらようやく山頂まで辿り着くと二人の人が記念撮影をしていました。
私はラッセルの御礼を言うと、一人の年配の方が「どこから来たんだ」と聞いてきたので「新発田からです」と答えると「チッ新発田からか、俺は新潟だよ、新発田から来るやつ多いよな」と何だか喧嘩腰で話をします。
山を登る人は私も含めて変わり者や偏屈者が多いと思うのですが、ここで会った人はその典型のようです。
私はあまりかかわらないようにしようと思いながらも「普段は飯豊界隈ばかり登っていて山小屋の管理人もしているんです、ところでこの辺の山は新発田より新潟からの人が多いんじゃないですか」と言いました。
その二人組は早々に下山を始めるようでしたが、往路下山ではなく周回をするようで「お前も来るか?」と言うので、トレースの御礼にせめて下山だけでもトレース返しをしようと思い、あまり喋らなければいいだろうと考え、なんだかんだ言って結局一緒に下山することになりました。
それにしてもようやく山頂に着いたのにすぐに下りるのはもったいない、写真くらい撮ってから下りようと思い「先に行ってください」と言うと「一緒じゃねえと危ねえだろう」と言われました。
私はその言葉を無視して少しの間でしたが登頂の喜びを味わうため山頂に留まり、写真を撮ってから下山を始めると、その二人は少し下ったところで私を待っていました。
そして「あんたもしかして田中さんじゃないか?」と聞いてきたので「その通り田中です、でもなんで分かりましたか?」との問いに「管理人と作業服」との答えが返ってきて、さらに「なんだ、あんただったか、まさかこんなところで会うなんてなあ」とそれまでのとげとげしい態度が急変し、非常にフレンドリーな態度となりました。
世間は狭いもので彼らは他の人を介して私の噂を聞いたりしていたようで、またこのHPも見てくれているようでした。
それ以降は下りながら登山道の無いようなマニア向けの山の話題にはことかかず、私としては登山が趣味の人にでも理解してもらえないような滅多にできない話をすることが出来、楽しく下山することが出来ました。
私自身、ここ近年はいつも一人の山行が続いておりました、一人どころかまして山で人に会うことも稀な山行ばかり続けておりました。
「一人は気楽だ」と強がっているものの、時にはあまりにも孤独で、その孤独さに押し潰されそうになることも正直なところありました。
それでも「一人を貫こう」と思って頑張ってきたつもりでしたが、今回はラッセルに助けられ、そして思わぬマニアックな山の話ができて、確かに達成感はいつもより少なめだったものの、こんな山登りもたまには良いと思いました。
それもこれも作業服を着ていたからであって、やはり作業服は素敵なものだと今日は改めて実感することが出来ました。
そうそう、これからは軍手も是非アピールしていこうと思います
下りながら、山裾を見渡すと数名のスキーヤーの姿が見えます。
昼闇山はスキーのメッカということですが、彼らは登頂が目的でなくスキーが目的なので、稜線以降の通過困難な場所は避け、適当なところまで登ったら滑走を始めているようです。
中には山頂まで来るスキーヤーもいるそうですが、今日の登頂者はどうやら我々3名だけのようでした。
それにしても今回のラッセルは雪質が悪かったということもあり、非常に疲れました。
そもそも昼闇山は海谷山塊の中では標高が一番高く、高低差が1400m以上もあり、飯豊並みとなっております。
どうりで辛いわけですが、飯豊と違うのは山が浅い分登り下りが少なく、その分距離が短くなり、その代わり急登が続くといった感じでした。
初めて訪れるところは気象や尾根の勝手が分からないということもあって、洗礼を受けてしまいとても苦労する場合が多いのですが、今回は先行者がいたことによって精神的にも体力的にもラッキーな山行となりました。
それから初めて訪れた昼闇山で私が感じたことを参考までに・・・、この山はスキーヤーに人気の山であり、シーズン中の休日は沢筋に少なからずスキーヤーが入山しているようです。
今回はスキーヤーが辿る沢筋に近いルートを選択したわけですが、登山者である以上は沢筋ではなく尾根筋を歩けば良かったと思いました。
時期的に今回はまだ雪が落ち着いて無く厳しい山行となりましたが、本来であれば雪が落ち着いた時期に昼闇谷を渡らず真っ直ぐ尾根を直登して山頂に至るといったルートを登るべきであろうと思いました。
そんなことでいつかまたここを訪れたいと思います。
昼闇山について・・・、
海谷山塊と言えば全国的に見ても名の通った山塊であり、その峻厳な山容は登行意欲を湧き立てられずにはいられません。
駒ヶ岳や鋸岳など登山道の有る山々はもちろん多くの記録、記述が残されていますし、登山道の無い阿弥陀岳や烏帽子岳でさえ少ないものの必ずと言っていいほど村史や風土誌あるいは山岳書といった類の書物に記述を見つけることができ、歴史や山麓に住む人たちとの関わりを感じます。
しかしそんな海谷の山々の中で昼闇山と鉢山に関してまったくといっていいほど記述を見つけることができません。
妙高連山にほど近く聳える海谷山塊の昼闇山は標高こそ海谷の山々の中では断トツトップとなっておりますが、近くの妙高連山があまりにも高すぎるうえ、急峻な岩場と奇岩で構成された海谷の山々の中では比較的穏やかな山容となっており、ちょうど妙高と海谷の間に挟まれ、目立たない不遇の山となっているように思えます。
そんな中で唯一「雨飾山と海谷山塊」という本に昼闇山について“ひるくらやま”の“くら”は山頂付近に岩場があるところからきているとのことが書かれておりました。
また麓集落の人は残雪を利用して昼闇山の山頂付近まで山菜取りに入るといった記述が同書にあります。
それから約150年前に切り開かれたとされる糸魚川の早川から昼闇山と鉢山の鞍部を通って長野の小谷温泉を結ぶ湯治道、六左衛門古道について詳細な記述がありました。
この件に関してここでは書きませんが、現在でも六左衛門古道ツアーが実施されているようです。
前述した“ひるくらやま”の“くら”は山頂付近の岩場からきているという記述についてですが、それだと“ひる”の意味が分かりません。
ひるとはニンニクのことを言い、山ニンニクが多く自生するということも考えられますが、この場合はそうではないような気がします。
これはまったくの憶測ですが山麓には昼闇谷という少し狭まった谷が地形図上に明記されております。
そこはおそらく昼でも闇のように暗いというところから名付けられたと推測できますが、そこから山名が“ひるやみやま”あるいは“ひるくらやま”になったのではないかと考えました。
コースタイム(休憩時間含む)
焼山温泉 3時間40分 稜線 1時間30分 山頂 3時間10分 焼山温泉