平成29年3月11日

 

高井峠

 

 

 

「日本の山を数えてみた」という本を読んだら、日本全国で山の数が一番多い県は北海道を除いて、なんと意外にも新潟県が一番ということで、また隣県である山形県や福島県、長野県なども山の多い県では上位に入っているようです。

 

そんな山国である新潟県と周囲の県境には、かつて人々が山越えをして往来するためにいくつもの峠道があったものと思われます。

 

それらの道も道路の発展と共に役目を終え、現在は廃道になってしまったものが大半であろうと思います。

 

また河原へ下りる釣り道や山菜採り道などとして現在でも姿を変えながら役割を果たしているものもあるようです。

 

 

 

今回、訪れた高井峠は「越後、佐渡の峠道」という本の中では村と村を結ぶ重要な道だったとのことですが、資料を探しても見つけることはできませんでした。

 

同書の中では「荒川集落の造林小屋脇から入る」となっているので小荒集落と荒川集落を結ぶ道として使われていたもの、あるいはもしかすると小荒集落から万治峠を経て実川と荒川の二つの集落を結ぶための道だったと思われます。

 

いずれにしても主だった資料が無いということは、おそらく集落の人たちが行き来していた程度の道だったのではないかと思われます。

 

 

 

すぐ近くにある万治峠については人の往来が多く、活気のあったということで、いろいろな書籍から調べることができましたので、少しここに要点のみ書こうと思います。

 

 

 

かつては会津領だった東蒲原郡は明治19年5月10日に廃藩置県の果てに新潟県に編入され、新潟県東蒲原郡となったとのこと。

 

万治峠は荒沢集落と実川集落を結ぶ道であり、実川集落は五十嵐氏が平成14年まで住んでいて、冬期は五泉市の自宅に住み、雪解けを待って春から秋まで実川で生活をしていたのだが、雪下ろし作業が困難となり、平成14年に五十嵐邸を旧鹿瀬町に寄贈して以降、住民は零となった。現在の五十嵐さんは五十嵐邸の管理人として無積雪期のみ実川で過ごしているとのことです。

 

この万治峠は江戸時代の万治年間に作られた道と言うことでその名前が付けられたとのことですが、この実川に至る道はかつて多くの人々が往来していたそうです。

 

新編会津風土記では「府上の西北に当り、行程十二里、家数二十八件、ならびき幽僻の地にて」と書かれております。

 

いわゆる当時の避暑地として人気があったと思われる実川には多くの俳人や墨客が訪れて五十嵐家に逗留したとのことで、国の重要文化財となった五十嵐家にはおびただしい数の書画が残されているとのことです。

 

特に万治峠にある句碑「わするなよ万治峠のほととぎす 芋銭子」は小川芋銭という江戸時代の有名な俳人の句ということで昭和37年8月10日に芋銭の孫にあたる人によって万治峠に建てられそうです。

 

 

 

以上、会津の峠及び新編会津風土記より抜粋しました。

 

 

 

 

 

登り口は小荒集落の入り口にある慰霊碑から尾根に取付くことにしました。

 

ここの尾根が以前の高井峠へと通じていた道なのかは不明です。

 

石碑の裏手から急坂を登るとほどなくかつての変電所の取水施設に出ます。

 

今は使われなくなった取水施設の柵を越えて尾根を登りますが、薄い踏み跡があるような気がします。

 

尾根は終始痩せておりますが危険なほどではありません。

 

それよりも雪が脛から膝くらいまで埋まるうえに、重く湿っているので非常に疲れる歩行となりました。

 

木々は細い針葉樹と雑木が混成している尾根で、あまり美しいものではありません。

 

しかも蔦が多く、密藪に苦労するといったほどではありませんが、四方に張り出す蔦は邪魔でした。

 

雪の尾根にはやっぱりブナ林が似合うと思いますし、それに何よりブナの木は綺麗です。

 

途中で林道が出てきて少々がっかりさせられながらも、いつまでも続く痩せ気味の尾根を進むとやがて飯豊の大日岳や烏帽子山方面が良く見えるようになります。

 

そして最後の急登となりますが、長い登りで足場も悪くなかなか山頂が近づかず少々手こずりましたが、やがて雪庇が大きく発達した山頂へと無事に至ることが出来ました。

 

それにしても高井峠の見晴らしは非常に素晴らしい、峠とはいうもののここはひとつの山頂であり、大日岳を中心とした飯豊の東部の峰々がすぐ目の前に広がります。

 

展望は積雪があったということもあるのでしょうけれど、飯豊以外にも周囲の山々を広く見渡すことができました。

 

尾根は痩せ尾根で植生もいまひとつ乏しくて結構つまらなかったのですが、高井峠の見晴らしはいろいろな藪山を登っている中でもピカ一でした。

 

今日は春の陽気で顔が日に焼けそうです、帽子を被っていると頭だけ日に焼けずツートンカラーの顔になってしまいます。

 

そこで帽子を脱ぎます、すると私の毛の少ない頭も日に当たってピカ一になりました。

 

 

 

こんな晴天の日にあの白く輝く飯豊の景観を間近で見ていると「今日の飯豊は天国のような景色が広がっているんだろうなあ」と「何で俺はあそこに行かないで、こんな登山道の無いところにきているんだろう?」、自問自答と冒険登山への葛藤が始まります。

 

本当に愚かなものでして、これはいくら葛藤してもどうしようもない、そもそも承知の上ここに来ているわけだし、それにもちろん私は登山道の無い山には好きで登っているわけであって、来たくて来ているわけです。

 

純白の飯豊は散々行ったし、たくさん楽しませてもらったわけであり、今度は未知なる山々に想いを馳せているわけですから・・・。

 

 

 

このまま往路を引き返すのも面白味が無いと思い、大石山経由で周回も考えましたが今回は雪質が重くて大変でしたので、時間的には十分に回れるもののこの先の上り下りの多そうな尾根を考えると無理せず、いつか大石山側から周回しようと考え、今回は往路下山ということにしました。

 

  

 

高井峠のような廃道になったとはいえ歴史のあるところを訪れることはとても楽しいものです。

 

前述したように、この周辺では高井峠以外にも万治峠をはじめとした幾条もの峠道が作られていて、細々とではあったが集落と集落を結ぶ道として人々に使われていた形跡が残されているようです。

 

今回、訪れた高井峠はそんな幾条もあった峠道のひとつであって、その名残として地形図に今でもその名を刻んでいるのではないかと思われます。

 

 

 

有名人が多く辿ったとされる万治峠には今でも稀にその趣向、趣旨の人が訪れているようで径形もしっかり残っているのに対して、完全に廃道化してしまった高井峠は歴史に埋もれた古の峠として名前のみが地形図上にその証しを記すだけとなりました。

 

 

 

 

 

有名な名山とされる山に登ってその素晴らしさを満喫することは登山者にとっての最大の目的であろうと思います。

 

もちろん私もそれには憧れますし、付近に聳える数々の名山には何度も訪れていくつもの想い出を作りました。

 

そしてそれら名山の陰に隠れて多くの山々がひしめき合っている新潟県。

 

地形図には人知れずひっそりと聳える山々が無数にあり、私の冒険心をくすぐってやみません。

 

時には藪の中に身を投じて冒険することも楽しいですし、今回のように歴史を偲びながらの山歩きもまた楽しいものだと思います。

 

 

 

コースタイム

 

小荒集落 3:30 山頂 2:40 小荒集落