飯豊 デト平尾根~エブリ差岳~西俣尾根下山

 

4月9日~10日

 

 

 

空に一反木綿が飛んでいると思いきや、強風でちぎれたビニールハウスの一部が宙を舞っておりました。

 

今年の暖冬少雪の反動からなのか、春になっても天候が安定せず特に風の強い日が多いように思います。

 

デト平尾根に向かう前日、こんなに強い風では果たして行くことができるのだろうか?と心配しておりました。

 

さらに、おそらくこの冬の間にだと思いますが門内小屋の屋根が飛ばされたということを二日ほど前に聞かされており、この強風下で門内小屋の崩壊は進んでいないだろうか?そのことも少し気になっておりました。

 

門内小屋には12日から職人さんとともに視察に向かう予定です。

 

その前にデト平尾根を登ったらついでに一人で門内小屋を見てこようといった思惑で今回の山行の計画となりました。

 

 

 

数年前にイリ平尾根を歩いたとき、イリ平尾根は何とも平凡なところでいまいち面白味が無いといったのが正直な感想でした。

 

その時からすぐ隣に派生しているデト平尾根を眺めながら「やはり難しそうだ」といった思いをずっと抱いておりました。

 

多くの人は「デト平はイリ平と違って難しい」と言います。

 

確かにイリ平尾根から仰ぎ見たデト平尾根は随分と急に見え、そこに割れた雪が嫌らしく着いており、しかも尾根の上部には通過困難と思われる露岩が、多くの人が噂するデト平尾根の難しさを象徴するように早くから雪を落としてあらわになった姿をさらしておりました。

 

 

 

私自身、せっかく雪がある時期にわざわざ普通のルートを歩こうとはさらさら思わなくなってしまったという妙な中毒症状にかかってしまっている訳でありまして、イリ平尾根に平凡な感想を抱いた私にとっていつしかその難しいと噂されるデト平尾根は避けては通れないところとなってしまっておりました。

 

そこで先日まで女川から三面にかけての山々を遊びまわっていた私は、今週末は少し趣向を変えていつか行こうと思っていた飯豊のデト平尾根へと向かってみることにしたのが今回の始まりであり、門内小屋の視察はそこに付加されたものでありました。

 

 

 

デト平尾根へは奥川入荘手前の沢から上の境まで登ってから東俣川へ下るといったルートをとれば体力的にも時間的にも有利なのですが、今年に限って沢には雪が無くなっていて、沢を辿って上の境まで行くことが不可能な状況となっておりました。

 

仕方がなく西俣尾根を登って西俣峰から少し上の境側に下ってからデト平尾根に向かって東俣川へと下りて行くといったルートを取りました。

 

ところが東俣川へと下りる場所も雪が無く、特に尾根筋を使って下りるのが難しかったため雪崩に注意しながら沢筋の雪を伝って東俣川へと下りることを余儀なくされました。

 

雪が薄くなった沢の斜面を下りながら「これほど雪が無いと東俣川の渡渉に苦労するのではないか」と心配しておりましたが何のことはない、例年通り川には大きなスノーブリッジが掛っていてまったく苦労することはありませんでした。

 

あとはこの先の露岩が心配です。

 

多くの人が口々に難しいと噂するデト平尾根、そして露岩。

 

これほど雪がないと露岩の通過は難しいのではないかとその頑固な噂は私に語りかけてきます。

 

 

 

ところが渡渉点への下りの途中から見上げた尾根にはまだまだ多くの雪が残っていてそれほど雪は割れていないようで、東俣川を渡り終えた時点ですでに勝機はほぼ見えておりました。

 

意外にもデト平尾根には多くの残雪が着いており、下から見え隠れするあの露岩も脇から残雪を辿って登ることが可能に見えました。

 

 

 

東俣川の渡渉点付近からデト平尾根を眺めると難所と思われるところが4箇所ほどあるように見え、4箇所のうちの最上部が例の露岩となっております。

 

登りはじめは比較的緩やかな登りで最初の難所に辿り着きましたが、ここの急な壁状の尾根は雪がすっかり落ち、藪の中の登りで木々に掴まりながら特に苦労もなく通過することができました。

 

その後も残雪と藪歩きを交互に繰り返しながら徐々に急勾配になっていく尾根。

 

2つ目の難所は雪が大きく割れておりますが、何とか割れ目を避けるように雪の壁を登り切り通過。

 

この辺りから尾根は痩せて行き、いよいよ佳境へと入っていきます。

 

クレバスは縦に横に大きく割れて、登り勾配もさらに急になります。

 

3つ目の難所で雪の割れ目を通過するのに少し手間取りながらも辛うじて通過、そして核心部の露岩が間近に見えてきますが、やはり遠望したときと同様に脇の雪を伝ってすんなりと登れそうです。

 

標高にして約1300m、ここまでくると大木は無くなりすでに森林限界にきているようです。

 

露岩直下まで来てよく見ると灌木に覆われた露岩は大藪と言うほどのものでもなく、直登もそれほど厳しいものではなさそうでした。

 

直登するか迷いましたがやはりせっかく雪が着いているので残雪を辿って露岩の上部に出て、とりあえずホッと一息つきました。

 

心配していた強い風もほぼおさまっていて、汗ばんだ肌に心地良い風がそよそよと吹いています。

 

あとここからは飯豊特有の大らかな尾根を悠々と辿りながら青空の下、広大な景色を楽しみながら無事にエブリ差岳へと到着することができました。

 

時刻は午後3時半、少し早いと思いましたが明日は夕方まで天気は大丈夫ということもあって先を急ぐ必要もありません、今日はこのままエブリ差小屋に泊まることにしました。

 

エブリ差小屋には天気の良い土曜日なのに他に人がくる気配がありません、今晩は一人静かに山小屋生活を楽しむことができそうです。

 

4月上旬ではありますが近年は登山者が増えているので、誰も来ないのは意外に感じながらも夕陽を眺めながら暮れゆく飯豊の夕景を独り占めしておりました。

 

夕暮れ頃から再び風が強まってきて小屋からはガタガタと音が鳴り、轟々と風が音を立てながら小屋に吹付けているようでした。

 

この強風では明日の稜線歩きは大丈夫かと少し不安を感じながら私は寝袋にもぐりこみました。

 

 

 

そう言えば、強風が吹き荒れる夜、一人で山小屋に居るとある出来事を思い出してしまいます。

 

ちょうどあの日もこんな風の強い夜でした。

 

一日歩きづめで疲れきっていた私は山小屋に着くと早々に寝袋へともぐりこみました。

 

どのくらい時間がたったものか、しばらくうとうとしているとやがて山小屋の入り口が開いて男女が会話をしながら入ってきました。

 

二人は私の姿をみると気を使ったのか、小声で会話をするようになりました。

 

暗くなってからの登山客の到着にすっかり目が覚めてしまった私は寝袋から這い出し、暗がりのなか辺りを見回すと2人の登山客だと思っていたのが10人ほどの人がいて、なかには中学生くらいの子供もいるようでした。

 

「なんだ、団体客だったのか」私はそう思いながらふと時計を見ると時刻はすでに夜中の1時をまわっているではありませんか。

 

すると一人の男性が私に話し掛けてきました、「遅い時間にすいません」。

 

私は「夜中の1時を過ぎているんだから、早く晩御飯を済ませて寝てくださいね」と言いました。

 

その人は再び「すいません」、そう言うと皆さん寝袋を出して寝始めたので私は「晩御飯は食べないんですか?」と聞くと、「もう食べてきたので大丈夫です」とのことでした。

 

こんな夜中にしかも強風が吹き荒れるなか、どこで飯をたべてきたのだろうか?私は少し不思議に思いましたが疲れもあってすぐに私も寝袋にもぐりこみました

 

やがて朝になって目が覚めると小屋の中には誰も居ないではないですか!

 

あれはいったいなんだったのだろう?

 

もしかすると私が寝ている間の早朝のうちに皆さん出発したのかもしれません。

 

遅くに山小屋について早朝から出発するなんて体力のある人たちだと感心する一方でした。

 

といったような経験を私はとある山小屋で経験しているのですが、その時の夜に訪れた方たちはあまり騒がしくなく、気を使ってくれたうえに早々に寝てくれたわけです。

 

しかしそれでもやはり他に人がいると思うとつい気兼ねしてしまってゆっくり過ごすことができません。

 

山小屋はテントと違って見ず知らずの人たちと一夜を過ごすこととなり、正直なところ私はあまり得意ではありません。

 

しかし今夜のエブリ差小屋は一人静かに過ごすことができ、とても快適でした。

 

 

 

翌日、風はやや弱まったものの相変わらずの強風が吹き荒れています。

 

稜線上を飛ばされそうになりながらも必死で何とか頼母木山まで辿り着きましたがこの風では門内まで歩くのは非常に困難であります。

 

また二日後に職人さんを連れてくるのだから今回は無理せず門内小屋視察は諦めることにしました。

 

そしてそのまま西俣尾根を伝って無事に下山しました。

 

 

 

デト平尾根について、イリ平尾根を歩いた時の日記の中でも書きましたがデト平尾根やイリ平尾根は国土地理院の地形図には記載されておりません。

 

地元機関等で発行している地図などに記載されている地名は山麓の人たちの間で呼称されているものが書かれる傾向にあり、おそらくイリ平やデト平は地元の山菜取りなどの人たちから名付けられた尾根の名称ではないかと思います。

 

 

 

イリ平尾根とデト平尾根の間には長者ケ原沢が流れておりますが、この長者ケ原沢は関川渓流地図にはタイラ沢と書かれています。

 

それによるとイリ平尾根とデト平尾根が上部で交わる付近が平らな峰となっており、そこから水が流れてくるので地元ではこの沢をタイラ沢と名付たとのことです。

 

おそらく方言でタイラ沢の奥に入った側の尾根をイリ平、下流側の手前に出た側にある尾根をデト平と地元の人たちは読んでいたのではないかと思われます。

 

 

 

あれほど厳しいといった話を聞いていたデト平尾根ですが、終わってみればそれほど苦労せずに登りきることができました。

 

たまたま好条件で登ったのかもしれません、しかしそれにしてもやはり飯豊は全体的におおらかであります。

 

確かに飯豊の他の尾根に比べると急な登りの連続であり、痩せ気味の尾根でありましたが他の山域に比べるとそれほど厳しさを感じることはありませんでした。

 

ただ、いくらかドキドキハラハラするような場面もあったりして、それなりに楽しむことができたのも事実でありまして、これなら次はもっと気軽にいつかまた来てみたいと思ったことが感想であることを報告し、今回のデト平尾根の日記を終わりたいと思います。

 

 

 

追記

 

デト平尾根から下山したその二日後に門内小屋へ視察に向かいました。

 

 

 

修理方法について私一人では分からない部分が多々ありますので板金職人を伴っての山行でありました。

 

その板金屋さんは以前に御西小屋の便所やエブリ差小屋の外壁、頼母木小屋の屋根などの修理をしている人で、山小屋といった辺鄙な立地条件の作業を敬遠する職人さんが多い中、文句を言いながらも作業に来てもらえる数少ない非常に貴重な存在の職人さんであります。

 

 

 

門内小屋の状況はと言いますと、2階の窓ガラスが外れて小屋の中には雪が満タンになるほど吹き込んでおり、また屋根のトタンの一部が飛ばされておりました。

 

 

 

飯豊胎内の会の皆さんと小屋内部の除雪をし、2階の壊れた窓枠を外して板とシートで目張りをして、さらに1階の入り口を除雪して中に入れるようになり、4月13日現在で何とか辛うじて小屋を使えるようにしてきました。

 

ただし屋根の方はそう簡単に修理できるのものではなく、雨漏りをするような状況がしばらく続くと思います。

 

特に風で飛ばされた北側の山形県側半分が雨漏りをすると思います。

 

とりあえず応急処置だけでもと思うのですが、何しろ場所が場所だけに応急的にと言えども修理には多くの予算が必要ですし、時間と手間暇も随分と掛かるものと思います。

 

それだけの資材や機材を荷上げしなければなりませんし、数日にわたって電気、ガス、水道がなく不便このうえない生活を強いられながら、しかも劣悪な気象条件の中で作業をしてくださる職人さんの確保も大変です。

 

門内小屋をこのまま破棄するわけにはいきません、私としては修理について限られた条件のなかで最善の方法を模索しているところであります。

 

また、それら修理についてどなたか助言してくださる方がおられれば非常にありがたく思います。

 

登山者の皆様は不便ではあろうかと思いますが、門内小屋を使うのであればしばらくの間は我慢して使っていただければと思います。

 

 

 

そしてあれからまた風の強い日が何回かありました、門内小屋を視察した次の日曜日は爆弾低気圧が発生し、歩くことが困難なほどの強風が吹き荒れました。街では女子高生がスカートを抑えながら自転車に乗り、年配の男性が頭(かつらかな?)を抑えながら歩く姿が時々見て取れました。

 

この風で門内小屋の窓の目張りは大丈夫だろうか?屋根の破壊が進んでいないだろうか?

 

この強風下で門内小屋はどうなっているか非常に気がかりであります。

 

 

 

そしてちょうどその頃、熊本県では大きな地震が頻発していて、テレビの画面を通して崩壊した家屋や家を失った人たちを見るたびに胸が痛みます。

 

熊本県の様子をテレビで見ていると門内小屋の修理などどうでもいいような気になってきます。

 

こんな時に不謹慎であろうかと思います、しかしながら別次元の問題として門内小屋は守るべきであろうと思います。

 

私は私なりに早めに修理ができるように模索を続けていくつもりであります。

 

 

 

また、熊本の震災については早く余震がおさまって、この先早々に復興が進んでいくことを願います。

 

 

 

コースタイム

 

奥川入荘6:30―西俣峰8:40―東俣川渡渉点9:50―エブリ差岳15:30―エブリ差小屋15:35

 

 

 

エブリ差小屋7:00―頼母木山9:10―西俣峰11:00~11:30―奥川入荘12:30