甲武信ヶ岳の写真


雲取山の写真


甲武信ヶ岳 2月25日

 

雲取山 2月26日

 

 

 

山沿いではそれなりの積雪となった今年の冬ですが、秋にカメムシが非常に多く飛来していたことを考えると、それほどでもなかったように思います。

 

このくらいの降雪ではカメムシの面目が保たれているのか非常に心配しているところであります。

 

いや、おそらくカメムシは悲しんでいることでしょう、去年は秋の飛来数が非常に少なく、そしてその予言通り少雪の年となったわけでありますが、今年は待ってましたとばかり勢いよく大挙のカメムシが万障お繰り合わせになった上、わざわざ遠方から飛来して来られました、それなのに一時的に特に山沿いでは大雪に見舞われることがあった程度で、これではさぞかしカメムシの皆様方は落胆しているに違いないでしょう。

 

 

 

ほとんど晴れることがない新潟の冬ですが、今年は晴れ間も時々見られ、山に登れそうな日もありました。

 

私はといえば膝の故障と言うアクシデントに見舞われ、打開策ですら見つけることができないまま夢破れ、失意と落胆にくれた正月の朝日連峰登山でしたが、下山後はしばらく痛めた膝の療養に努めておりました。

 

冬晴れの休日にもかかわらず山に登ることを控え、特に体を動かすことなく家に引きこもっているとロクなことがありません、今度は腕が痺れるようになり、おかしいと思って医者に行ったところ、首のヘルニアまでもが発覚してしまいました。

 

 

 

膝の痛みについてはただ単に疲労が原因の一過性のものにすぎなかったようでしたが、大事をとってひと月ほどの静養期間をとりました。

 

問題は腕の痺れで、これは治るのかどうか分かりません。

 

だからといっていつまでもじっとしていてもどうしようもないですし、運動不足に陥り足腰の筋肉がすっかり弱り果てる前に動かなければならないと考えました。

 

そこで徐々にまた山に登ろうと思い、まずは足慣らしをと考えたのですが、新潟は天気が悪く、しかもこの時期はどこにいっても深いラッセルがつきものとなってしまい、とても足慣らしと言うわけにいかなさそうです。

 

冬でも入山者が多く、いくら足慣らしとはいえしっかりとしたトレースが付いている五頭山や大峰山、角田山あたりにはどうしても行く気がしないですし・・・。

 

そこで今回は天気の良い関東の山に登ろうと考えたわけですが、どうせなら行ったことのない雲取山と近くの甲武信ヶ岳の2座に登ることにしました。

 

 

 

一応、どちらも深田百名山に名を連ねている山でありまして、百名山否定派をずっと語り続けている私ですが「やはりどうせ登るなら」とついつい百名山の山を選んでしまいます。

 

自分でもなんだかんだ言いながらいつのまにか影響を受けてしまっているようです。

 

 

 

甲武信ヶ岳

 

まず初日の2月25日は少しだけ高速道路から遠い甲武信ヶ岳に登ろうと登山口の西沢渓谷に向かいました。

 

関越自動車道花園ICからおよそ80キロほど、時間にして1時間半から2時間程度。

 

秩父の町を過ぎると山間集落となりコンビニどころかちょっとした店ですら見当たらなくなり買い出し等ができなくなります。

 

道中には道の駅がいくつかあったので辛うじて買い物や昼食など食べることができますが夕方以降は買い出しができず、また夕食も食べさせてくれるような食堂といったたぐいのものは秩父の町以降一切見当たりませんでした。

 

そんなことから買い物類は秩父の町を通過する前に済ませて埼玉県大滝村から雁坂トンネルを越えて山梨県三富村へと車を走らせました。

 

雁坂トンネルを過ぎるとすぐに道の駅みとみがありますが今は冬期閉鎖と言うことでトイレ以外は開いてないようです。

 

ちなみにトイレは凍結防止のため暖房が入っていてほんのり暖かくて気持ちが良い、臭いのを我慢して今晩はここで泊まろうかと真面目に考えてしまいました。

 

 

 

登山道には二日ほど前に雪が降ったということで薄らと積雪がありました。

 

おそらく盛期になると人だらけになると思われる徳ちゃん新道と名付けられたこの登山道も今は人の姿は全く見当たりません、雪上には二人分と思われる足跡が付いているだけでした。

 

徳ちゃん新道なんて個人名にちゃん付けを模した名前がちょっと気に入りませんでしたが、シーズンオフのこの時期に、まして私は初めて訪れた上、足慣らしと言うこともあったので無難なこのルートを歩かせてもらい、徳ちゃんの恩恵を受けさせていただくことにしました。

 

ちなみに私が勤務する会社の社長も通称徳ちゃんと呼ばれていて、せっかくの休日なのに仕事のことを思い起こさせられるこのルート、尚更本当のところここは歩きたくありませんでした。

 

 

 

登山道を歩いているとまず広い尾根と浅い沢、山自体の造りが大きく山体そのものも大きいといった雰囲気を感じます。

 

この広々とした尾根の疎らな樹林帯に薄い積雪があるので、もしトレースがなかったらルートを判別して進むのは少々手間がかかっていたものと思います。

 

 

 

少し登ると薄ら積もった雪の下は氷状になり、徐々に足元が滑るようになります、ほどほどとなったところでアイゼンを着用しました。

 

特に危険ヶ所が無く厳しい悪条件のようなところもなく、ただ単に足元が滑るだけだったのでこの場合は刃先が短いアイゼンが有効と考えました。

 

前爪がない分多少の注意は必要ですが、ここは6本爪アイゼンを着用することで、それほど苦も無く歩くことが出来ました。

 

先行者は12本爪を着けているようで、これでは歩きにくかったのではないかと思います。

 

 

 

半分を過ぎたあたりで一人の先行者に追いつきました、この辺りから積雪も深くなり、膝くらいまで潜るようになり、あまりに潜るのでたまらずアイゼンをワカンに切り替えました。

 

一人を追い抜いたことでトレースは一人分になりましたが、そのトレースも12本爪アイゼンからスノーシューに履き替えているようです。

 

一人分のトレースがあるとはいうものの「表面はカリッとして中はもっちもち」なんて言うと美味しそうですがで、いわゆるもなか状の二段階で潜るラッセルはとても歩きにくくて大変です。

 

 

 

後ろを振り返ると樹林帯の木々の隙間から富士山が雲を従えて聳えているのが見えます。

 

なぜだろうか?富士山が見えると嬉しくなります。

 

新潟などに住んでいると普段見慣れていないからもしかしてその嬉しさはひとしおなのでなないでしょうか。

 

山頂に行けば木々の隙間からではなくきっと綺麗な円錐形がすっかり見えるのではないかと期待しながらラッセルに励み、山頂へとようやく辿り着きました。

 

そして楽しみにしていた後方の景色を見ようと振り返ると相変わらず樹林帯に邪魔されて景色を望むことができません。

 

挙句にさっき越えてきた木賊山がはばかって富士山ですら見えなくなっているではありませんか。

 

登山道中は木賊山の一部が裸地化している部分があって僅かそこが幾分見晴らしが良くなる程度で、あとはほぼすべて見晴らしの無い樹林帯の中での歩きでした。

 

山頂に着いても展望は八ヶ岳方面が良く見えるだけで、360度の大展望とはならずちょっと残念です。

 

まあ展望が望めないことは概ね予想しておりましたけどね・・・。

 

山行自体はラッセルもあったということで体力的には結構厳しかったですが、今回は足慣らし登山だったので、それは望むところでもありました。

 

 

 

山頂で軽く昼食を済ませ往路を下山、中腹付近まで下ってくるとさっき追い抜いてきた人ではなく別の登山者とすれ違いました、ワカンなどは持っていないようでしたし、このまま山頂に行くとなるとおそらく登頂は午後3時を過ぎるものと思われます、話をすると日没を過ぎてもいいから山頂に行くとのことでした。

 

私は余計なことは言いませんでしたが、日が暮れてからの行動は遭難の入り口であろうと思いますし、今回は足元が凍っているので尚更危険だと思いました。

 

しばらく進むと今度は小学生くらいの子を連れた親子三人連れの姿があり、親は登山雑誌などで良く見かけるような今流行りのスタイルをしています

 

「こんなシーズンオフの山に子供を連れてくるなんてなんて不謹慎な親だろう、足元は凍って滑るのに危ないではないか。」人ごとは言え少々腹立たしく思えました。

 

山頂までは行かないようですが、それにしても異常に思えます。

 

また少し下ると登り途中で追い越してきた人の姿がありました、彼は時間や装備の関係上、登頂を断念されたようですが、その彼も私と同様に日没覚悟で登頂する人やこんな時期に子連れで来る人など、あまりにも不謹慎な登山者が増えたことを嘆いておりました。

 

 

 

凍結した登山道を恐る恐る下り切り、無事に西沢渓谷に下山し、途中の沢で登山靴やスパッツ、アイゼンなどを洗っていると手がはちきれそうになるほど冷たいです。

 

洗ったスパッツやアイゼンは少しするとバリバリに凍り付いておりました、こりゃどうりで寒いわけです。

 

車に戻ると暖かいトイレには寄らず、すぐに雁坂峠を越えて埼玉県に戻ってこの付近では唯一日帰り入浴ができる大滝村の道の駅へ行きました。

 

食事は夕方6時がラストオーダーということで、ここで暖かいうどんを食べ、温泉に入ってホッと一息ついて、ようやく足慣らし登山初日を終えることができました。

 

 

 

 

 

雲取山

 

昨晩は三峰神社の駐車場で車中泊をしましたが、やはり朝方になると寒くてよく眠ることができませんでした。

 

マイナス20度の寝袋も持参していたのですが、面倒だったので使いませんでした。

 

 

 

寝不足で朝食を済ませ、山頂を目指し石畳の道を歩き始めます。

 

道脇にはおびただしいほどカエデの樹液採取がされています。

 

カエデの木々の幹に穴があけられホースでポリタンクに繋がれた様は痛々しささえ覚えます、これも自然破壊の一端なのではないでしょうか?

 

しかもこんな霊験あらたかな場所でとんでもないことをしていると思います。

 

ほどなく鳥居をくぐっていよいよ山道に入ります、ここは三峰自然観察路といった名目で登山道が管理されているようです。

 

 

 

登山道を歩いていると甲武信ヶ岳同様に山体の大きさが目を引き、急な登りはないものの大きな尾根でダラダラとした登りが続きます。

 

雲一つない青空はこの時期の新潟ではとても信じられないような空模様で、気温は低いものの陽射しがあり、気持ち良く歩けます。

 

登山道にはとこどころベンチがあり霧藻ヶ峰の手前には綺麗なトイレまで設置されております。

 

鬱蒼とした樹林帯は霧藻ヶ峰で一時的に途切れますが、すぐにまた樹林帯の中へ。

 

昨日の甲武信ヶ岳といい今日の雲取山といいどこまでいっても山はオオシラビソに覆われているようです。

 

藻霧ヶ峰から大きく下るとお清平と言うところに出ます、ここから白岩岳まで長い登りとなりますが、白岩岳から先は再びまた大きな下りとなり、なかなか高度を稼ぐことができません。

 

芋の木ドッケからも下り気味でトラバース道を行きますが、ここは日当たりが悪いからなのか登山道が凍っていてアイゼンが必要です。

 

途中で廃墟となった白岩岳避難小屋と雲取ヒュッテを通過しますが、崩れ落ちそうなこの廃墟をいつまでこのままにしておくのだろうか?

 

雲取ヒュッテを過ぎるとほどなく雲取山荘がありましたが、人の気配がありません。

 

営業中ということですが、やはりシーズンオフのこの時期は大変に静かなものでした。

 

雲取山荘から最後の登りとなり、山頂付近で樹林帯はようやく途切れて登頂となります。

 

山頂まで来ると初めて富士山が視界に飛び込んできます、360度の展望とはいきませんがやっと秩父の山々を見ることが出来ました。

 

冬の雲取山ですが、甲武信ヶ岳より標高が400mも低いからなのかラッセルするほどの積雪はありませんでしたが、山が大きくて登り下りが激しいので高度差の割に体力的には結構厳しいと思いました。

 

 

 

太平洋側のこちらは天気が良くて積雪もほとんどないのですが、そういえばこちらでも秋になるとカメムシは飛来するのだろうか?

 

また、もし飛来するのであれば量的にはどうだったのだろう?

 

せっかく遠い地へと足を運んだのに・・・、もっと落ち着いて地元の人たちと触れ合ってみて初めて訪れた山のことが分かるってものでしょうに・・・、先を急いでしまうのは私の悪い癖です。

 

私にとってここは異国の地、郷に入ったらその土地のことや風土、風習、歴史について郷の人にいろいろ聞いてくればよかった、先を急ぐあまりさっさと下山し、さっさと帰宅の途についてしまいました。

 

 

 

それはそうとひとつだけ風土や風習にまつわることに触れたことを思い出しました、それは雲取山を下山後、少し車を走らせると会社があり、そこには下山工務店という文字が書かれてありました。

 

多くの登山者はこの文字を見て無事の下山を実感し、ホッとするのではないでしょうか。

 

こんな素晴らしいタイミングでの下山と言う文字の入った看板にはいたく感動しました、さすが100名山に名を連ねているだけのことはあります。

 

 

 

今回登った秩父の盟主とされる二つの山は、歴史に名を遺した登山家たちには絶賛されているようです。

 

甲武信ヶ岳は作家の高須茂氏の言葉で「奥秩父の山々のうちで最も奥秩父らしさをもった、いわば奥秩父を代表する山である」としています。また田部重吉氏は信濃川、荒川と隅田川、富士川という大河を生む山として奥秩父の渓谷と森林の美の代表としてあげているそうで「日本アルプスと秩父巡礼」では賛美の言葉で埋め尽くしているそうです。

 

山としては大きな木賊山と三宝山に挟まれ、尖ってはいるが小さなピークにしかすぎず、以前は握り拳に例えられ拳ヶ岳と呼ばれていたそうです。

 

このコブシを聞き間違ったのか「コクシ」となって新編武蔵風土記稿といった文献には国師ヶ岳と記されたそうです。

 

また原全教は「奥秩父回帰」でクシとは丘を意味する言葉で大きな山に挟まれたこの山を小丘としコクシが訛ってコブシになったと分析しているようです。

 

さらに信州では木賊山、三宝山、甲武信ヶ岳を総称して「三方山」と呼んでいたそうです。

 

そんなバラバラに呼称されていた甲武信ヶ岳ですが、小暮理太郎によるとそれらを整理したのが明治時代の農商務省の地形図担当官で、拳ヶ岳だったものが測量の段階で甲州、武蔵、信州の国境になっているところから甲武信ヶ岳の字を当てたとしています。

 

それと同時に三方山を三宝山に改め近くのピークにそれを定め、国師ヶ岳もまた別のピークに置いて整理されたのだそうです。

 

 

 

雲取山についても深田久弥は日本百名山で「三多摩が東京都に編入されて以来、この大首都はその一隅に二千メートルの高峰を持つ名誉を獲得した。煤煙とコンクリートの壁とネオンサインのみがいたずらに増えてゆく東京都に、原生林に覆われた雲取山のことは誇っていいだろう。忘れてはならないことは東京都民の生活の根源をなす水道は、この山の東面の大森林を水源地としていることである」としている。

 

奥多摩研究の宮内敏雄氏は「奥多摩山系唯一に一等三角点を有する巨峰、その盟主の名に背かぬ寛達なる展望、千波万波と押し寄せる秩父の山並みを一気に踏まえて大穹に君臨する六千六百万尺の巨壘、雲取山はありとあらゆる賛辞をもって謳われてもいい山だ」としています。

 

また小暮理太郎や原全教などの偉人達も雲取山の重厚な山姿や展望を褒め称えています。

 

 

 

雲取山の山名は新編武蔵風土記稿で「ただ雲を手に取るばかりの山なればとてかく号せり」と説明されています。

 

あるいは熊野の大雲取山からきたという説もあるそうです。

 

今回登った登山口には三峰神社が鎮座しておりますが、この三峰とは雲取山、白岩山、妙法ヶ岳の三山のことで、日本武尊が東国遠征の折にここを訪れイザナギノミコト、イザナミノミコトを祀り日本武尊を導いた山犬もお使いの神として祀られたとされています。

 

秩父周辺は山犬、いわゆるオオカミが祀られた山々が目立ちます。

 

この付近一帯には日本武尊東国遠征の記述が多く残っており、その影響が色濃い印象を受けました。

 

あるいは以前は本当にオオカミが多く生息していたのでしょうか?

 

 

 

三峰神社は現在でもパワースポットとして訪れる人は多いそうです。

 

他にも芋の木ドッケ、藻霧ヶ峰、お清平の由来については芋の木ドッケに説明看板が設置されておりましたので、ぜひ一度その説明看板を見にいってもらえればと思うのですが、ここでも簡単に説明しますと、まず芋の木ドッケについて、芋の木とはコシアブラのことをさすそうです。

 

またドッケとは突起が訛った言葉だそうで山頂を意味するとのことでした。

 

藻霧ヶ峰の藻霧とはさるおがせという植物のことを言うそうで、さるおがせと言う蔦植物が木からたれさがって藻のように霧に揺らいでいるところからといったことのようです。

 

ちなみにこのさるおがせと言う植物は漢方薬に使われているそうですし、また一説によると男の浮気性にも効き目があるということで、近所の爺様に試してみようかと思いますし、私ももう少し年をとって衰えを感じてきたら無理しないようにさるおがせを煎じて飲んでみようと思います、きっと薬効あらたかでしょう。

 

お清平とはお清の悲恋伝説からということ、あるいは経典を埋めたという二つの説があるということで、まあこれについては良く聞く話です。

 

ただお清の悲恋伝説についてはどのような内容なのかは分かりませんでした。

 

 

 

 

 

今回は大きな山でしたが2座を足慣らしをかねて関東遠征で登ってきました。

 

今年は膝や首のヘルニアでまったく山に登っていなかったということもあってなんだか非常に疲れました。

 

たかだか往復7~8時間程度の登山時間でしたが非常に長く感じましたし体力、筋力も衰えていると感じました。

 

新潟もこれから春に向かいます、シーズンに向けて始動しようと思います。

 

 

 

コースタイム

 

甲武信ヶ岳

 

道の駅駐車場 24分 登山口 1時間30分 分岐 2時間 雁坂峠分岐 45分 山頂 3時間 登山口 20分 道の駅

 

 

 

雲取山

 

三峰駐車場 1時間10分 藻霧ヶ峰 1時間50分 芋ノ木ドッケ 1時間 山頂 1時間10分 芋ノ木ドッケ 1時間30分 藻霧ヶ峰 40分 三峰駐車場