11月6日~7日の写真
11月6日~7日の写真
11月13日 障子ヶ岳の写真
正月の朝日連峰 偵察登山
平成28年11月6日~7日 日暮沢~大朝日岳~竜門山~日暮沢
平成28年11月13日 障子ヶ岳
久しぶりの登山日記の更新となりますが、早いもので去年から挑戦し始めた正月の朝日連峰山行が迫っている時期となりました。
現在はと言うと休日は意識的に厳しい山に登るようにし、平日は仕事を抜け出しては神社の境内に続く階段を何往復もし、あるいは近所の山を数往復登るなど、年末に向けてトレーニングに追われる日々を続けております。
思いっきりこれでもかと言うほどむちゃくちゃに体を酷使し、体は疲れ切っているものの何とかこれを乗り越えなければ厳冬期の朝日連峰に臨むことは難しいと考えているところです。
今年もいろいろなことがありました。
例えば今年の年頭に一年の目標を色紙に書いて、それを額に入れていつでも目の届くところに置いておいたのだが、それを目にした皆さんからは必ず無理だと言われました。
色紙には増毛と書いたのだが、多くの人はすでに手遅れと言います。
あるいは奥の差し歯が取れたことがあって歯医者にみてもらったところ「もう無理です、治りません」と言われた。
歯が無くなるということは動物的な観点から生きるという意味において致命傷となります。
それから他にも山で漆の木に掴まっていたら漆の樹液が手に付き皮膚がかぶれてしまったこともありました。
今まではどんなに漆の汁が付いてもかぶれるなんてことはなかったのに・・・。
余談ではありますが、私は皮膚が丈夫で、漆汁など皮膚炎を起すようなものがどんなに付いてもかぶれることはありませんでした。
そこである時、どこまで大丈夫なものか実験しようと思い、漆の枝を折ってその樹液で腕にバカと書き、これを毎日同じ場所に繰り返しバカと書き続けると、とうとう一週間後に腕がバカの字にかぶれ、そのバカのかぶれは数ヶ月も続いたなんてことがありました。
いやはやそれにしても漆のかぶれはもの凄く痒いものでした、本当にバカなことをしたものです。
漆に負けたり、増毛の件や歯のことなどいろいろ考えると自分では自覚していないのですが、やはり年齢と共に体は弱体化してきているものと思われます。
さて、そんな年老いた体にムチ打って正月に朝日連峰を目指そうとしているわけですが、今年は去年の経験から日暮沢小屋に荷上げをすることにしました。
狐穴小屋管理人のあだっつぁんに頼んで日暮沢の志田さんに了承して頂き、西川山岳会の佐藤さんにも連絡をいれ、そして11月6日に一斗缶二つを小屋に備えました。
荷上げ品のスタイルは飯豊の時と同じ、正月山行の無事と成功を祈り真心を込めて「田中のもの」、「これおれの」と一斗缶に書きました。
朝日連峰の主稜線は日に日に白さを増しており、荷上げを済ませたあとはその美しさに誘われるようにそのまま白くなった大朝日岳目指して偵察という目的も兼ねて向かいました。
完全にシーズンが過ぎ去った朝日連峰は訪れる人はなく、静かな山で新雪を踏みしめながら大自然を満喫できることの醍醐味は格別であり、またキノコが採り放題といったところもこの時期の楽しみであろうかと思います。
日暮沢小屋を過ぎ、葉の落ちた木々を丹念に眺めながら進むとさっそく朽ち落ちたツキヨタケと入れ替わるようにムキタケが自生しており、その足元には立派なナメコが群生しております。
下山は竜門を周るかもしれないので重くはなりますが見つけたキノコは採取するようにしました。
標高1200m付近から雪を踏むようになり、古寺山に着く頃に多いところでは脛あたりまで足がもぐるようになりました。
少しでも雪があると歩行は困難になります、さらに登るにしたがって風は強まり主稜線は黒いガスに覆われております。
天気予報だと曇りのち晴れとなっているようですが天気の回復にはまだまだ時間がかかりそうです。
このままだと今日は大朝日小屋で泊まり、明日の天気を見て竜門を周るか判断した方が良さそうです。
小朝日岳を通過するときは春先に訪れた時と同様に積雪が深くなると非常に難所になると感じました。
ゆっくり登ったので体力的には余裕がありました、まったくといっていいほど疲れていません、日ごろのトレーニングの成果だなと思っていたのも束の間、どうしたことか銀玉水を過ぎたあたりから足が攣る症状が現れはじめました。
確かに風と気温の低下で随分と冷えこんでおりましたが、まさかこんな程度で足が攣るとは情けない!自分でも知らず知らずのうちに足腰は疲労していたのでしょう。
痛む足を引きずりながら騙し騙しなんとか大朝日小屋に到着するも、自分自身に対して腹立たしい思いでいっぱいです。
普段から楽をしているからこんなことになるのです、こんなことでは正月に朝日連峰なんて来られるわけがない!
時間は昼を少し回ったばかりでしたが強風とガス、そしてラッセルで先に進むことはとても困難のようです、やはりこの日はこのまま大朝日小屋で泊まるべきと判断しました。
翌日、窓から外を見ると素晴らしい景色が目の前に広がっております、初心者じゃあるまいし御来光を見る必要などなかったのですが、朝日で赤く染まった主稜線の峰々を眺めたくて日の出前に大朝日岳山頂に登りました。
なかなかお目にかかることができない新雪を纏った朝日連峰の主稜線はとても素晴らしく、雲海とともに赤く輝く峰々をこの目に焼き付けて大朝日小屋に戻るといつの間にか2時間も経っていたことに気が付きました。
そして竜門岳を周って再びキノコを採りながら日暮沢へと下山しました。
今回の偵察山行で足の筋肉の衰えが発覚しました、本来の偵察山行ではテン場や難所を確認するなどが目的となるのですが、思いもかけず自分自身の足腰の弱体化を確認することになりました。
いずれにしても、このままでは正月に朝日連峰に登ることができないということが判明した偵察山行でありました。
それから一週間後、再び私は朝日連峰へと足を踏み入れておりました。
早々に雪深くなるこの地でどうしてもラッセルの経験を積んでおきたいと考え、日帰りではありますが前衛峰である障子ヶ岳を目指しました。
麓集落の大井沢は早くも10センチほどの積雪がありトレーニングにはおあつらえ向きです。
すでに白くなった奥深い登山道には地元キノコ採りの人が入った形跡もないようです。
登頂が目的ではないのですが、こんな天気の良い日にできれば障子ヶ岳の山頂を踏みたいと思えば自然とピッチも上がります。
雪の登山道を必死で登るのですが、当然のことながら標高が高くなるにつれ雪の厚みは増していきます。
先日の偵察山行で足腰の弱体が判明したことでトレーニングとしては格好の場となりましたが、大人気ない私はむきになって雪を漕いで進みます。
やがて足腰は悲鳴をあげ、体はバテバテになりながらもようやく障子ヶ岳手前に聳える大きな紫ナデという変な名前の山頂まで辿り着きました。
なぜ紫なのか分かりませんが、雪崩のところをよく「山がなでつく」と言いますが、ナデはそこからきていると言われています。
尾根はここから赤御堂山や石御堂山に別れます。
この付近から障子ヶ岳の屏風のような岩肌が目の前に大きく見えるようになり、陽の光に照らされて白く輝いています。
歩きにくい雪道にクタクタに疲れながらその屏風目指して前へと進んでいると目の前に迫ってきた屏風の岩肌に突然一陣の風が吹き、見る見るうちに黒い雲が湧きたつと一瞬のうちに青い空に暗雲が垂れこみ山々を包み込み始めます。
天気的にもそうですが、時間的にも今日は撤退した方がよさそうです。
障子ヶ岳最後の急登を登りきらずにとぼとぼと下山をし、最後は迫りくる黒雲と競争をしながらキノコを採取して無事に大井沢へと戻りました。
結局、今日もまた残念な結果となりました、たかだかこれしきの雪で疲弊しているようではどうにもなりません。
荷物は日帰りの重さでしかなかったわけですし積雪にしてもせいぜい30センチ程度、本来なら涼しい顔で障子ヶ岳の山頂に立ち、風のようにさっそうと大井沢へ戻ってくるくらいでなければどうしようもありません。
この2度の山行で自分自身のていたらくさが明るみとなりました。
一生懸命に体を作って臨まなければ酷いことになってしまうと心配しているところです。
朝日連峰の正月山行は去年から始まったばかりで、そう簡単に達成できるものではありません。
天国と地獄が同居する厳冬期の山々ですが、その年の雪の状態や天候によって大きく明暗が分かれます。
しかしそれ以前に大荷物を背負って深く長いラッセルとあの異常なほど荒れ狂う冷たい暴風に耐えられるように体を鍛えておかなければ、いつか山行日程がどんなに好条件に恵まれた日にあたったとしても目標の達成は望まれないものと思います。