志無燈山

 

平成29年3月19日

 

 

 

今年の飯豊の山小屋の修理関係の打ち合わせのため新潟県庁を訪れ、工事の時期や方法などについて担当と打ち合わせをしながら「今年もまた飯豊の山小屋の工事に追われ、他の山に登りにくくなる時期があるだろうなー」なんてことを考えていました。

 

山関係の作業は厳しい条件下での作業となり、また天候も大きく作用してくるので段取りも大変です、そんなことから嬉しい反面、ある意味とても辛く厳しい仕事であります。

 

 

 

打合せが終わり県庁を出ようと玄関まで来た際、ちょうど1台のバスがやって来て数人の若い女性がバスから降りてきました。

 

「何だろう」と思っていると、一人の女性と目が合いました。

 

「どこかで見た顔だなー」と考えると、「おお!北原里英ではないか!」

 

そういえばすれ違いざまにニコニコと笑顔を振りまいていた子もいた「誰だったかなー、挨拶くらいするんだった。」

 

そう、なんと彼女たちはNGT48のメンバーでした、いやー会えて良かった、良かった!

 

 

 

「今年もまた、山の作業は大変だなー」なんて思っていた帰り際に彼女たちと対面した訳ですから「よし!山小屋の作業を頑張ろう」といった気持ちになりました。

 

 

 

さて、山仕事は早ければ4月頃からにわかに忙しくなるので、その前に他の山に行けるだけ行っておこうと考えていて、今回は旧上川村の御神楽岳前衛の山とでも言いましょうか、志無燈山というところに行ってきました。

 

 

 

しかし、この志無燈という奇妙な山名はどこからきているのでしょう?

 

山の名前は妙なものが多いのですが、この志無燈山と同じ阿賀町に聳える人品頭山とすぐ隣の川内山塊に聳える奈羅無登山は、言わば新潟県の変な山名ベストスリーなのではないかと思います。

 

そう言えば「しぶとう」と「じんぴんとう」と「ならんとう」どこか名前の響きが似ているように感じます。

 

 

 

志無燈山を直訳すると「志の無い燃え上がる炎の山」と言うことになりますが、いったいどういう意味なんでしょう?

 

山の形を燃える炎に見立てたのか、あるいは山肌の色などから山名が付けられる場合もありますが、それにしても志が無いとはいったい何なんでしょうか?

 

山名は地元の人たちが名付け、方言が盛り込まれている場合が多く有りますし、元々は違う名前だったものが転化された場合も多々見受けられます。

 

多くの書物類を読んでみましたが、手掛かりとなる風土や風習についても近くに聳える御神楽岳の影響があまりにも大きく、その傍らに小さく聳えている程度の志無燈山については何もなく、この不思議な山名を解明するような記述は何一つ見当たりませんでした。

 

 

 

登山当日、朝は冷たい雨が降っていて「今日はゆっくり家で過ごそう」そう思っていると、雨が止んで空は徐々に青空になっていきます。

 

そこで急いで支度をして阿賀町(旧上川村)の黒谷集落へと車を走らせました。

 

ところが黒谷集落にはすんなりと到着したものの、急に向かったものですから尾根に取付くためにどこへ行けばいいのか分かりません。

 

もちろん出かける前に家で地図を眺め、大よその取り付く場所を決めていたのですが、初めて訪れた集落ということもあって、そこにどうやって行けばいいのか分からず、集落の付近を行ったり来たりしておりました。

 

地形図上では林道を3キロほど歩くのですが、間違って他の林道を歩いたりして、結局志無燈山に向かう林道の入り口に立ったのは11時近くになってしまいました。

 

 

 

林道の積雪は深く、3月も中旬だというのにここのところ寒気が流れ込む日が多くて、いまだに積雪が増えているようです。

 

脛まで潜る3キロの林道歩きに辟易しながらようやく尾根の取り付き点へと到着しました。

 

これから登る山は下越の谷川岳と云われる御神楽岳の前衛峰です、いくら低山とは言えおそらく岩尾根であることが考えらえるので、ここから気を引き締めて急な雪壁に取付きました。

 

最初の急壁を登り終えると、しばらくなだらかで広い尾根が続きますが、やがて尾根は痩せ細り、ずたずたに切れ落ちた雪の隙間から岩盤が見え隠れするようになります。

 

雪が落ちた痩せ尾根には古い鉈目が確認され、どうも薄いながら踏み跡があるように感じます。

 

このことから少なくとも地元の人は何らかの理由でこの山に入っていることが確認できます。

 

 

 

少し怖い思いをしながら難所を通過し、山頂手前から再び尾根が広がるようになって、太いブナ林となり、立派な天然杉もたくさん見られるようになります。

 

そして膝まで埋まりながら急坂を登りきると、ようやく立派な天然杉が自生している山頂に着きました。

 

一応、これで登頂を果たしたと思うのですが地図を見ると三角点の位置は細長い山頂の向こう端にあるようでしたので、もう少しラッセルを頑張って、点在する天然杉の間をすり抜けて、雪の下に三角点があると思われるところへと辿り着きました。

 

 

 

天然杉とブナに囲まれた山頂の隙間からは御神楽岳が間近で見えるはずなのでしょうけれど、今日は雲の中のようです。

 

天気が回復すると思ってせっかく訪れたのになかなか天気は回復しませんでした。

 

それどころかまた雪が降ってきたので急いで下山に取り掛かり、林道に下りる頃には雪が雨に変わり、本降りとなりつつある雨と競争しながら車へと戻りました。

 

  

 

今回は無事に行くことが出来ましたが、山作業が忙しくなるまではもう少し時間があるので、もういくらか登山道の無い山へ遊びに行けそうです。

 

それからNGT48にも会いに行きたくなりました。

 

 

 

追記

 

東蒲原郡史蹟誌の中で百八燈山の記載がありました。

 

それによると中山集落の御廟山と対峙して聳える山で、以仁王が修行のためなのか山に隠棲し、百八の燈火をつけたとのことです。

 

おそらくこの百八燈がいつのまにか志無燈に転化したものと推測されます。

 

 

 

コースタイム

 

林道入り口 1:30 尾根取付 1:30 山頂 1:00 尾根取付 1:20 林道入り口