朝日連峰 大朝日岳
平成27年12月31日~平成28年1月2日
作業場の鉄板をはいでみると地面と鉄板の狭い隙間に冬眠をしていた青大将が驚いてにょろにょろと動き出す。
毎年、冬になると作業場に敷いてある鉄板と地面の隙間には青大将が入り込んで冬眠をしているようで、いつもの年なら冬眠中の青大将は固まってまったく動かないのに今年の暖かい気候のせいで青大将も熟睡できないでいるらしい。
田んぼの畔では季節を勘違いしたフキノトウが小さく芽吹いている。
暖冬によりまったく雪が降らず、そのお蔭で除雪といった作業が省け、通勤も楽だし、気温が高いので布団から出るのもそう辛くはない、ストーブの灯油代も抑えられ、洗濯物は早く乾くし、さらに季節外れのフキノトウが食べられ、おまけに青大将も元気だ!っていうかもしかして睡眠不足なのかな・・・?
それ以外にもこんなに暖かいと生活が非常に楽チンとなり、とにかく暖冬は良いことばかりだと思っておりました。
それに何よりも今年の正月は飯豊から離れて大朝日岳を目指したのですが、朝日連峰は非常にアプローチが悪く、どこのルートをとっても集落からの林道歩きが長いことがネックでありましたが、それがこの少雪によって林道に車を乗り入れることが可能になるかもしれないなどといった浅はかなことを考えておりました。
今回は厳冬期に初めて臨む朝日連峰、すべてが一からのスタートとなります。
今まで正月は徹底して飯豊の西俣ルートに挑んでいたわけですが、あのルートは会の先輩たちが何度も入山していて、他にも少数ながら入山者があって記録も多く残されているところでした。
しかし今回臨んだ朝日連峰は厳冬期の入山者はほとんどいないようですし、記録もほぼ皆無のようですし、自分自身では3月に日暮沢コースから大朝日岳~竜門岳を歩いている程度です。
入山者がいないとか記録がないといったところは私の望むところではあるのですが・・・。
初めてということは楽しみでありましたが、その以上に未知の世界は怖ろしくもありました。
随分と昔のことになりますが、私自身朝日連峰に通い始めたばかりの頃はスノーブリッジから落ちたり、雪崩に遭遇したりなど肝を冷やすような場面に何度も直面しました。
朝日連峰には簡単に人受け入れてもらえず、何度も通って山に精通してから初めて受け入れてもらえるところだということは肌で感じているところです。
厳冬期の入山は初めてということの他にそんなことも重なって年末が近づくにつれ恐怖心は増幅していき、やがて心のどこかからは「そんなに怖いのならやめようか」とか「もっと気楽な山に切り替えよう」といった素敵で甘味な悪魔の囁きが聞こえてきました。
私はそれを振り払うように計画と準備を進めながらも苦悩と葛藤の毎日を送っておりました。
そんな中、入山日が押し迫り天気図とにらめっこをする日々が続き、気候は冬ではなくまるで秋の空のように安定せず、めまぐるしく変わる週刊天気予報に一喜一憂しており、確かに気温は高いのですがそれにしても天気はあまり期待できないようです。
空は例年通り相変わらずの鉛色、雪にかわって雨が毎日のように降っております、「まあこの季節だししょうがない、こんなものだ」。
そんな悪天が続く日々の中、僅かに1月1日か2日あたりにいくらか良くなるかもしれないといった可能性を見出して今回の日程を決めました。
12月30日
車は狐穴小屋管理人のあだっつぁんから紹介してもらった大井沢の民宿オオハラに置かせてもらいます。
今日はこのままオオハラに泊まって、翌朝に出発します。
オオハラに行く前に根子集落まで偵察に行くと積雪は80センチほどありましたが、これは例年の2割か3割程度らしいです。
オオハラのお父さん、お母さんには快く迎え入れてもらい大量の料理を振舞っていただきました。
キノコと山菜を中心にした料理はとても美味しくて種類と数が凄い!
大小の皿に盛られた様々な料理が25皿も出てきて、これじゃ皿洗いが大変だ!
お父さん、お母さんから熊の話やら山菜の話などたくさんの山の話を教えてもらいながらの夕食となりましたが、聞いてみるとやはりこの時期に朝日連峰に登るという人は珍しいそうで、今までも稀にいたそうですがやはり皆さん大変だったようで、中には下山予定日を過ぎても帰らず、探しに行ったなどということもあったそうで、改めて冬の朝日連峰の厳しさを教えて頂きました。
私も「おめーさん、本当に行くのかね?」と何度も聞かれました。
長い時間をかけて大量の料理を頂いた私は大きくなった腹をかかえて、明日からの山行に備え早めの床につきました。
さあ、すでに賽は投げられたのです、あとは行くしかありません!
12月31日
この日、私は延々と続く日暮沢林道のラッセルに辟易しておりました。
こんな時は一人の辛さが特に身に沁みます。
「ラッセルを交代してくれる人がいたらなー」苦しさのあまり歩きながら弱音ばかり吐いてしまう。
自ら好きこのんで単独登山をしているのに・・・。
さらに「林道に雪が無かったらすごく楽なのに、雪のバカ!」とか「そもそも林道が無ければいいのだ!林道のバカ!」などと仕舞いには悪態をつきながら日暮沢小屋へと進んで行きました。
やがてようやく日暮沢小屋が見え、なんとここまで6時間以上もかかって到着です。
時間的には中途半端でありましたがあまりにも疲れたので今日はこのまま日暮沢小屋で泊まることにしました。
ただし林道はここで終わりではありません、尾根取付きまではまだしばらく林道と平坦な道が続きます。
小屋から尾根の取り付きヶ所までは結構な距離があるうえ、沢を越えるような悪場があったりして、雪があるとなかなか苦労を強いられるということは以前に歩いた時に承知しておりました。
そこで今日はまだ時間があるので休憩したら小屋に荷物を置いて空身でトレースをつけるといった作戦をとることにしました。
今日は曇り空でこのまま明日の朝まで降雪はなさそうということを目論んでの作戦でした。
結局、この日は夕方4時過ぎまでトレースをつけましたが、尾根の取り付き点のだいぶ手前、竜門滝の辺りまでしかトレースをつけることができませんでした。
夜はテントではなく小屋なので雪や風の影響が無く、静かで安心して過ごせましたが、やはり小屋泊の一夜は寒かったです。
「でも暖冬なのだからいつもよりマシなんだろうな」なんてことを考えながらなかなか寝付くことができずにめでたく新年を迎えました。
1月1日
当初、1日か2日あたりに日本列島は移動性高気圧に覆われるといった祈りにも似た希望的観測を持っていたのですが、やはりそれは単なる淡い願いでしかなかったようです。
移動性高気圧は西にずれた模様で、日暮沢周辺は風が強まって時折吹雪いておりました。
もしテント泊だったら1度か2度ほど除雪しなければならなかったと思います。
この天気ではどうしようもありません、明日以降も芳しくないようですし今日は予定を急遽変更して、行けるところまで行って日暮沢小屋に戻ることにしました。
ただし今回の山行は次回に繋がるような目安にならなければなりません。
気象条件などは毎年変わるので一概に言えたことではありませんが、それでも適当に進むのではなくしっかりと自分なりに記録を取りながら、次回からのことを考えてフル装備の重荷を背負って進むことにしました。
昨日つけておいたトレースは辛うじてまだ残っています。
しめしめと思いながらも尾根までの遠い道のりに大変に苦労しました。
そして約2時間半後、ようやく尾根へと辿り着きました。
これでやっと入り口です、昨日のトレースがあったから早く尾根の登り口に着きましたが、登山を始めるまでに通常は1日半くらいの行程を見込まなければならないようです。
視界は30m程しかなく暖冬とは言えさすがにここまで来るといつもの厳冬期の山の姿になっております。
最初の登りは急斜面と強風により雪が風で飛ばされて浅めのラッセルとなり順調に歩を進めることができましたが、それも束の間すぐに朝日連峰特有の広い斜面となり、地獄のラッセルとなりました。
深い雪に苦しむも尾根歩きは林道歩きよりもマシです。
なぜか疲れ方がまったく違います。
私は始めて厳冬期に辿る日暮沢の尾根を楽しんでおりました。
今、自分が辿っているところはまったくの未知の世界。
情報が無いところを自分自身で道を切り開いていくのはとても楽しいものです。
美しいブナ林に純白無垢に降り積もった雪、誰も居ない朝日連峰に私は一人自然の中に溶け込んで一体化していたに違いありません。
辺りは強風が吹き荒れ、その中に佇むブナの木々。
荒涼とした大地に聞こえてくるのは荒れ狂った風の音のみ、見えるものはすべて自然の驚異だけ。
それなのにそこにいるとなぜか心が休まるような気がして、帰りたくないといった衝動に駆られておりました。
山行前は恐怖心が湧いてきてとても辛かったのに・・・、不思議なものですね、それとも私はどこかおかしいのでしょうか?
しかし時間です、帰らなければなりません。
このまま進んでテントに泊まることも可能でありましたが、なにしろ今後の天気が期待できない以上は無理せず、いくらか迷いましたが私の心の中にある帰りたいという気持ちが強かったようで、今回はここまでということで引き返すことにしました。
位置としてはハナヌキ峰の少し手前まで到達しており、次回山行計画の目途もこれでたちました。
下山を始める前に名残惜しもうと時刻もお昼時12時半ということで、少しだけ昼食を食べようとザックから豆菓子を出しましたが、なんとそれはピスタチオで殻が付いているから食べるのが大変です。
厚手のゴム手袋ではうまく殻が剥けないので仕方がなくチョコレートをかじったところ歯が折れるのではないかと思うほどカチンカチンに固くなっていて、これまたよく食べることができませんでした。
私は山ではあまり食べなくても大丈夫なのですが、何も食べないと体に負担が大きいような気がし、せっかく今回は食べるように心がけたのに結局ほとんど食べることができませんでした。
下山を始める前に何とか携帯も通じるようですし心配をかけないよう暴風雪の中、かじかんだ手で下越山岳会の佐久間さんにだけ状況を連絡して、下山は別な尾根を辿って日暮沢小屋へと戻りました。
日暮沢小屋に戻ると何か食べようと食料の入った袋をザックから取り出しました。
小屋は窓に雪囲いの目張りがされていて内部は暗いので私は手探りで袋の中の食料を口の中に放り込むとそれはさっきの殻付きピスタチオで、それをつい不用意にかじってしまい、口の中ではバキバキッと音がして歯が折れるのではないかと思うほど痛かったです。
日暮沢小屋周辺には歯医者などなさそうです、歯は折れていませんでしたがもうちょっとで大変なことになるところでした。
「危ない、危ない」さすが朝日連峰!新参者は試されます、こんなところでも朝日連峰の脅威に直面するところでした。
1月2日
朝、小屋から顔を出すと雨が降っています。
今日はこの雨の中、また延々と続く林道をラッセルするのかと思うとうんざりしてしまいます。
ところが何と31日に歩いた自分のトレースが残っているではありませんか!
そのお蔭で2時間程で根子集落に着くことができました。
とにもかくにも今回の山行を皮切りに私の正月朝日山行が始まりました。
天候に見切りをつけ早々に下山したことはちょっと軟弱だったような気もする山行結果ではありました。
「体力的にも精神的にもだんだん弱くなっているのかなー」なんてことを考えてしまいます。
もちろん無理は禁物ですが、次回は体も心もしっかり鍛え直して臨まなければならないと思っているところです。
朝日連峰は飯豊連峰といつも比較されており、標高の高さや山域の規模などからいつも飯豊の次といったような扱いをされる傾向があるようです。
また飯豊と朝日は景観が非常に似かよっておりますが、何度も足を運んでいると朝日には飯豊を凌ぐ素晴らしいところがたくさんあることに気が付きます。
それは朝日連峰に何度も通って精通した人でなければ分からないことであると思います。
私はこれまで厳冬期の飯豊に何度も通い、その素晴らしさにようやく触れることが出来ました。
これからは何度も厳冬期の朝日連峰に通って受け入れられたいと思っております。