藤七の池付近から飯豊稜線
藤七の池から二つ峰
藤七の池のお花畑
平成26年度の門内小屋管理人
平成26年9月6日~7日
父親曰く
「うちには引きこもりの息子がいて、その引きこもりが原因で最近は親子の関係が悪くなっている。」
「そこで親子関係を修復したいと思い、息子を誘って一緒に山へ登ることにしました。」
「飯豊の大自然にふれ、大らかな景色を眺めればきっと引きこもりが治まり、また昔のように仲の良い親子関係を築き上げることができるでしょう。」
場所は飯豊の梶川尾根、息子の方は20才、ほぼ登山経験が無い初心者である。
それにしても、こともあろうか何もこんな大変なところを選ばなければいいのに・・・。
8月22日、二人は登山道を飯豊の稜線に向かって歩いているのでありました。
そして案の定、この暑いさなかどこまでも続く急な登りに二人は疲れ果て、やがて機嫌が悪くなり、とうとう耐え切れなくなった二人は喧嘩をはじめてしまった。
修復どころかどんどん険悪になっていく親子関係。
離れ離れで歩く二人の姿、その心もどんどん離れていってしまいます。
ようやく稜線近くまで到達するも、やがて山慣れていない息子の方が疲労からなのか、ちょっとした油断が原因なのか、右足を痛めてしまった。
片足を引きずり、痛みをこらえなんとか門内小屋まで到着。
息子が「足が痛くてもう一歩も歩けません、救助のヘリを呼んで下さい。」
そう言って門内小屋の管理人さんに救助を求めます。
すると今度は「親父のせいで大変なことになってしまったよ。」
父親の気持を知ってか知らずか体の疲れと足の痛みでつのった怒りの矛先を父親に向け始めるのでした。
「こんなところに連れてきた親父が全部悪いんだ。」
相変わらず悪態をつく息子。
生憎、その日は山にガスがかかっていてヘリは飛ぶことができず、険悪な雰囲気のまま二人は門内小屋で一夜を過ごす。
翌日もガスは晴れず、二人は救助のヘリを待った。
午後になるとガスは晴れ、ようやくヘリがやってきました。
しかし門内小屋周辺ではヘリが着陸できないので、ギルダ原まで息子を運ばなければなりません。
息子は体重が75kgの巨漢であり、ちょっととは言え門内岳を越えてギルダ原まで運ぶことはとても大変なことであります。
そんな彼らを見かねた私は「ここは私がひとつ息子さんを運んでさしあげましょう。」
私は巨漢の息子を背負おうとしましたが、まるで岩のように持ち上らない。
必死の思いで担ぎ上げ、ギルダ原目指して進みましたが、門内岳の登り途中で耐えきれなくなり、息子を降ろしてしまいました。
すると父親が意を決したように息子に近寄り「俺がおぶるよ。」そう言って息子をひょいっと背負い、歩き始めました。
この時、息子はどう思ったであろう?
子供の頃にさんざんおんぶしてもらった親父の背中に20才にもなって、またおんぶされるとは・・・。
きっと父親は疲れ切っていたに違いない、それでも大事な息子を助けようと必死なのだ。
いまにも倒れそうになりながらも死にもの狂いで歩く父親。
やがてレスキューの人たちがヘリから降りてきておんぶを交代したが、それまでふて腐れていた息子の顔が父親に背負われてからは穏やかな表情になっていたように私には見えました。
やがて息子は無事にヘリで搬送され病院へ向かい、父親もすぐに下山を始め、息子の後を追いました。
その後の連絡により、県立新発田病院に収容された息子のもとに父親も無事に到着し、再会を果たすことができたということです。
きっと二人は仲直りしたに違いない、いや以前よりも絆が深まったに違いない。
父親の背中越しから見えた息子のあの穏やかな顔を見た時に私はそう確信しました。
登山とは本当に素晴らしい、山の魅力は人の心をも変えることができるのですね。
きっとあの親子は飯豊のあの素晴らしい景観を見る余裕などなかったはずです、山に登って景色を眺め、穏やかな気持ちになったのではなく、辛く苦しい登りを二人で分かち合い、トラブルを経てその末に絆が深まったのではないでしょうか?
山は奥が深いものですね、魅力は景観だけではない、そう思わせる親子の一幕がこの夏の飯豊でありました。
この話は当時、小屋番をしていた高桑信一さんと食べようと思って村上牛をお土産に持って門内小屋を訪れた時にたまたま遭遇した出来事であり、会話の細かい内容は結構勝手に私が想像して書いておりますので、どうかその辺は勘弁してください。
この夏、飯豊には多くの人が訪れ、この大自然の中で人々に感動を与え、またそれぞれ訪れた人たちにはそれぞれのドラマが生まれたことでしょう。
今回も山でのトラブルを経て親子愛が復活し、まるでテレビドラマを見ているような気持ちにさせられ、山とは人と人が繋がる素晴らしいところだということを再実感させられました。
ところで、高桑さんと食べた村上牛はとても美味しかったです、あれだけ高価な物なのですから、それは当たり前のことなのでしょうけれど・・・。
高桑さんと牛肉を食べているとき私はあることを思いつきました。
私が小屋番をする9月6日に若い女性が来たら管理棟に招き入れ、村上牛を一緒に食べよう、そうしたら絶対に仲良くなれる!
我ながらですが、とても素晴らしいアイデアをひらめいておりました。
9月に入っても残暑が厳しく、夏が涼しかった分ここにきてなかなか夏は終わりません。
私の勤務する会社は事務員がエアコンをがんがんに効かせております。
エアコン嫌いな私は、事務員が退社した後にこっそりエアコン運転を暖房運転に切り替えておきました。
翌朝、出勤すると事務員が無造作にスイッチを入れるのを確認したところで、私は逃げるように事務所を出ました。
その後、どうなったかは私の知る由ではありません。
さて、そんな暑い日が続く中、やがて私の小屋番の日がやってきました。
9月6日、かねてからの計画通り私はザックに村上牛を入れ、梶川尾根の長く急な登りに大汗をかきながら苦労して門内小屋へと向かっておりました。
昼前に門内小屋に到着するとすでに4人の宿泊者がおられました。
その後も次々と登山者が訪れ、この日は宿泊棟に16人の方が泊まるといった、この時期としては賑やかな門内小屋になりました。
宿泊者に若い女性グループはいません、単独の若い女性も訪れることはありませんでした。
しかし、その必要はありません、だってこの日は知り合いの女性がわざわざ門内小屋を訪ねてきてくれたのですから。
そして、もちろん村上牛を一緒に食べながら夜は更けてゆくのでありました。
翌日、何事もなく朝を迎えた私は登山客を送り出すと早々に小屋とトイレの掃除を終え、門内岳からも良く目立つ鋭鋒の二つ峰へと向かいました。
昨晩、管理棟で一緒だった女性も、もちろん一緒です。
彼女は大変な大ベテランなので厳しい二つ峰までのルートですが、安心して誘うことができます。
我々は果てしなく続く自分の背丈よりも高い笹薮をかき分け、どこまでも藪の中を突き進んで行くと、急に目の前が開け、藤七の池の畔に出ます。
二つ峰の麓にひっそりと雪解け水を湛える藤七の池は別天地であり、いまでは数が少なくなった桃源郷であります。
私たちは藤七の池の畔に立ち、疲れた心を癒し、暫しもの思いにふけるのでした。
そして再び藪を進み、最後の岩場を越えて二つ峰に登頂。
まるでマッターホルンを思わせるような姿形の二つ峰は昔と変わらず原始のままでありました。
再び藪を戻り門内小屋に着いてトイレを除いてみると、早くも随分と汚れているではありませんか、今日の朝せっかく掃除をしたばかりなのに、がっかりです。
しかも自転車もまったく漕いでいないようでした。
心無い登山者が増えたものです、皆さんで使う物は最低限のマナーは守ってほしいです。
9月以降になると管理人は週末しか常駐しなくなるので、この先不安になりました。
仕方なく私は再びトイレを掃除し、昼食を済ませて下山。
今年の管理人業務は無事に終了しました。
今年の飯豊は雑誌やテレビの影響からか、非常に多くの人が訪れているようです。
冒頭で書いた親子は骨折程度で済んだようですが、死亡事故も多発しているような状況であります。
登山とはあくまで趣味であり、すべてが自己責任のもとでおこなわなければなりません。
私の様な一管理人が言うべきことではないのかもしれませんが、あまりにも不用意に山を訪れる人が増えているように思います。
ツアー登山をはじめとした他人力で登る人はもとより、アイゼン歩行などの経験が無い人がいきなり石転び沢に入渓する、なんて人も多くおられたようですし、どう見ても初心者と思える人がダイグラ尾根に挑戦して案の定酷い目にあったりしているようで、とにかく山のことをろくに調べもせずに訪れる方をよく目にするようになりました。
飯豊につけられた登山道を登山道と呼ぶならば、日本アルプスあたりの登山道は高速道路に匹敵する道であると言えるのではないでしょうか。
日本三大雪渓などと呼ばれているところは石転び雪渓に比べて明らかに規模は小さいですし、それにダイグラ尾根にしても「日本三大なんとか」といった文言につられて安易に訪れる方々が後を絶たないようですが、黒戸尾根や早月尾根などよりもはるかに厳しい尾根だと訪れた方は皆そう言います。
余計なおせっかいではありますが、登山は危険を伴う趣味であり、時には命まで奪ってしまうということを忘れてはいけないと思います。
この夏は例年にないほどの、特に県外からの登山客が多く訪れた飯豊、その分事故が多発し、そのごく一端ですが私自身も目の当たりにし、ただ検証するだけなら野次馬と変わりません、しっかりとそれらについて自分自身の教訓にしていきたいと思いました。