光兎山、頭布山

 

平成26年4月9日

 

 

 

私は会社の事務員とは非常に仲が悪く、事務員は私にお茶を入れてくれません。

 

そこで私はいつも愛用のリラックマ水筒にお茶を入れて会社に持って行きます。

 

 

 

そうこうするうちにローソンのパンを買ってシールを集めるとリラックマのどんぶりがもらえるという企画がはじまりました。

 

そこで私は毎日せっせとローソンのパンを食べてシールを集めました。

 

それにしてもパンばかり食べていると太るというか、腹が出てきて困ります。

 

腹を小さくするためにどこかの山に行かなければならないと考え、頭布山へ行くことにしました。

 

なぜ頭布山かというと頭布山と光兎山との間にある最低鞍部はカンニャ越えと言われており、そこは熊の目撃例が多く発生しているところであるようです。

 

リラックマは熊ですし、このことから私はすぐにカンニャ越えを思い出し、そして頭布山へ向かおうという気にさせられました。

 

 

 

頭布山といえばこのホームページを開設して最初の登山日記を書いた記念すべき山です、そして26年度最初の登山日記もこの頭布山から始まる運びととなりました。

 

もともと頭布山は私が登山道の無い山へ登るようになったきっかけの山であります。

 

前回の登山日記の中でも書きましたが、もう二十数年も前の話になりますが私がモンテローザという山岳会に在籍中している時、大先輩にあたる方で当時は下越山岳会に在籍していた小林ひろしさんが「頭布山に行こうよ、光兎山より標高が高いんだよ」と言ってきたのがそもそもの始まりでした。

 

 

 

関川村女川地区の山といえば光兎山であり、すぐ隣に聳える頭布山については知らない人も随分とおられるのではないかと思います

 

光兎山については私が言うまでもなく、有名な名峰であり古くから多くの登山者に登られてきた山であります。

 

 

 

例えば新発田市には二王子岳、隣の阿賀野市には五頭山などといったようにそれぞれの地域には地元の山として親しまれてきた山々があろうかと思うのですが、それぞれ山は神様であり、麓民から崇められてきたという古くからの風習があります。

 

私の実家では近くに聳える二王子岳のことを「にのじ様」と呼んでおり、私も子供の頃から「にのじ様」と聞かされていたので、未だに二王子岳のことを「にのじ様」と言う習慣が抜けておらず、これは山岳信仰の名残でもあろうかと思います。

 

 

 

関川村の女川地区では光兎山が山岳信仰の対象の山であり、立派な鋭鋒は麓から非常によく目立ち、登山という観点からすると標高の割に健脚向けの厳しい山で、非常に長い登山道を登り下りしてようやく登頂できるという山でありますが、結構人気のある山です。

 

そんな光兎山は、もともと鎌倉時代から室町時代にかけて修験者が厳しい修行をおこなっていた山だったそうで、宮前集落には光兎神社があり阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、大日如来、観音菩薩が祀られているそうです。

 

光兎山の開山は西暦861年の慈覚大師が先ほどの四体の仏像を奉納したときであるとされています。

 

 

 

光兎山は戦前まで女人禁制だったとのことですが、その掟に背いてこの山に登った女性が天罰にあって石になったとされる姥石が登山道の途中にあります。

 

山岳信仰は大変に厚かった山であり、つい最近まで登拝が行なわれていたそうです。

 

秋になると餅を撒き、この撒かれた餅を村の男衆が精進潔斎をして担いで登り、山頂の祠に餅を供えたということです。

 

供えた餅はおさがりとしていただき、山中に自生するつげの枝を御札代わりに折取って下山したそうです。

 

下山後におさがりの餅は小さく切って笹の葉に包んで、山に行かなった家に配り皆でいただくという風習があったとされています。

 

 

 

そんな麓民から親しまれ崇められてきた光兎山は前述した新発田市で言う二王子岳のような存在であり、また女川地区の盟主の山であり最高峰の山であると思っておりました。

 

 

 

しかし小林さんから頭布山に誘われて頭布山は光兎山より高いと教えら、地図を見たときに山は奥が深いものだと、その時に初めて感じたように記憶しております。

 

それは頭布山が女川流域の山々の中では最高峰であるということはもちろんでしたが、周囲に多くの山々がひしめいており、妙な名前の山なども多くあって、それは当時、登山を始めたばかりの私にとって非常に興味がそそられることになりました。

 

 

 

それ以来、いろいろな方面の地図を見ては「どんなところなのだろう?どうすればそこに行けるのだろうか?」とか「何でこんな山名なのだろう?」とか「誰がいつ名付けたのだろう?」などと言ったことを考えるようになりました。

 

しかし山菜取りから登山に移行した私は「山は登山道を歩いて登る」といった概念がすっかりとうえつけられてしまい、そこから抜け出せずいた私は、興味はあるものの行く機会に恵まれることはなく、小林さんから誘われた頭布山も「登山道の無いところなんか登れるわけがない」などと思って、その時は断ってしまいました。

 

 

 

大抵の有名な山々には登山道が付けられていて、そもそも登山道のあるところなどそれを辿れば簡単に行けるわけで、いつしかそれが面白くもなんともないように思えるようになり登山道が有ること自体に疑問を覚えるようになっておりました。

 

登山道も人工物の一つであると考えると「自然の中に人工物があって、ただ単にそこを歩かされているだけなのだ」あるいは「自然の中なのだから登山道が有ることが間違いなのではないか」そんなことを考えながら山を登るようになっていたと思います。

 

それ以来、一度は誘われたものの断ってしまった頭布山ですが、ずっと気になっておりました。

 

 

 

月日が経つに従い、飯豊や朝日周辺のいわゆるバリエーションルートと言われているところをいろいろ登るようになり、矢筈岳擁する川内山塊にも何度か足を運びました。

 

しかし頭布山に関してはどこから入っても距離が長くルートの選択が難しいうえ、悪場の連続が見込まれ、入山者も著しく少ないのでデータもほとんどなく、簡単に向かうことができずにおりました。

 

僅かに入ってくる情報はどれも定かではなく錯綜してよく分かりません。

 

かなり昔のことでありますが、とにかく行ってみなければ分からないような状況だったので、少し難儀ではありましたが光兎山越えルートから頭布山へ向かおうとしたことがありました。

 

その時は下頭布と言われているピークで引き返してきたのですが、この山域特有の急斜面やナイフエッジの悪場を体験してくることができました。

 

 

 

それから数年後、別ルートを模索して田麦峠から頭布山に無事登頂し、ホームページの登山日記第一回目を見事に飾ることとなったわけです。

 

しかし別ルートから無事に登頂したというものの、以前に途中で引き返した光兎山越えルートがいつまでも私の頭の中に残ってしまったのは当然のことです。

 

自分のなかでこのルートがくすぶり続けていたことと、リラックマのどんぶりから相乗効果が生まれ、いやがおうなしに藪山歩きのルーツでもある頭布山へと私の足はいざなわれるということになりました。

 

 

 

4月9日は平日でありますが、晴天なので仕事をさぼって頭布山に登ることにしました。

 

頭布山に登るにはその前に光兎山に登らなくてはなりません、先ほども書いたように光兎山は行程が長く体力的にもきつい山であります。

 

朝寝坊な私は少しでも長く寝ていたいので時間短縮のためとそれから体力温存も兼ねて田麦集落奥のヨドソ尾根を伝って登ろうと考えました。

 

ヨドソ尾根は数年前に亀山さんから話を聞き、積雪期に一度登っていましたが春先に登るのは初めてで、藪の状態が少々気にかかりましたがどう考えても距離が短いので、思い切って敢行してみることにしました。

 

行ってみて実際のところ思った通りヨドソ尾根は下の方で8割方藪化していました、しかし部分的ではありますが途切れ途切れに不明瞭に薄らと踏み跡があるところもありましたし、藪も密藪というほどではありません、お蔭でそれほど苦労せずに光兎山に登ることができ、これには非常に助かりました。

 

光兎山からの下りは非常に急なうえ少し下ったあたりに大きな石があり、この石が滑落を誘発し、事故多発地帯の原因となっているようです。

 

数年前にここを歩いた時は左側を巻いているので、今回も同様に左側を巻きました、やはり確かにちょっと怖いです。藪を掴んで石の横を下りてから不安定にズタズタに切れ落ちた雪の上を綱渡りの状態で巻いていきます。

 

この石を巻くには右側でも左側でもどちらでもよさそうですが、いずれにしてもこのルート中で一番の難所だと思います。

 

その後も転ぶと止まらなさそうな、さらにクレバスだらけの急斜面は最低鞍部まで続き、へっぴり腰になりながら恐る恐る慎重に下りました。

 

最低鞍部には今しがた歩いたばかりと思われる熊の足跡が藤沢川方向に付いていて、近くに熊がいると思って周囲を探しましたが見つけることができませんでした。

 

 

 

ここからは下頭布と言われる次のピークまで歩きにくい藪と雪が混在する急斜面を木に掴まりながら汗をかきかきようやく登りきって、一息つきながら山頂までのルートを見上げてみると中頭布までは藪と嫌らしい痩せ尾根が連続しており、見た感じうんざりしてしまいます。

 

しかし歩いてみると何のことはない、踏み跡が出てきて簡単に中頭布まで到達、ここからあとは広い安堵感のあるブナの尾根を悠々と奥頭布を通過して無事に山頂へと至りました。

 

素晴らしい晴天で山頂からは飯豊や朝日連峰が良く見えます、しかし大きく張り出した雪庇が邪魔で、シラブ峰といった県境尾根方面を見ることができません。

 

それに晴天なのはありがたいのですが、今日は仕事をさぼって来ているので日焼けして帰ると山に行ったのがばれて社長に怒られるので日焼け止めを2回も塗ってから山頂をあとにしました。

 

再び最低鞍部まで来ると、さらに新しい熊の足跡が二つも付いていて驚きました、それなのにどんなに周りを見渡しても熊の姿はありません、どこに隠れているものなのでしょうか?

 

 

 

熊は諦め、光兎山の急斜面をへとへとになりながら登り切り、そしてヨドソ尾根から無事に下山しました。

 

あとで不思議に思ったことは登りの時間と下りの時間がまったく一緒でした、どうしてなのか?それは未だ謎のままです。

 

 

 

ずきんとは漢字で書くと頭巾となりますが、この山は頭布山という漢字が当てられています。

 

下越山岳会の会報でも私の山行報告のタイトルが間違って頭巾山になっていたくらいですから、普通は頭巾なのだと思います。

 

なぜ頭布の字が当てられているのか、このことはいつも不思議に思っておりました。

 

ところが去年すぐ横にある県境尾根の最高峰シラブ峰に登った時に、シラブ峰は漢字を当てると白布峰となり、頭布山はシラブ峰より頭一つ分標高が高いので頭布山という字が当てられたのだろうということにようやく気が付きました。

 

 

 

山から下りた後、少しだけ会社に行かなければなりません、でも日焼け止めを多く塗ったお蔭で日焼けはそれほどしていないように思います。

 

ところがそのせいで日焼け止めが顔に白くこびり付いていて、気づかずにそのまま会社に行ってしまいました。

 

 

 

コースタイム

 

田麦集落 2時間30分 光兎山 3時間30分 頭布山 3時間30分 光兎山 2時間30分 田麦集落