飯豊連峰 入り平尾根

西俣峰~上ノ境~入り平尾根~エブリ差岳~頼母木山~西俣峰

420日~21

 

先週、偵察してきたというよりも、何か登る気がせずに意味もなく帰ってきたという言い方が正しいような気がする入り平尾根。

「どうしてあの時帰ってしまったのだろうか?」あまりの自分の不甲斐無さに日がたつにつれ悔しい思いが大きくなり、この一週間ずっともやもやした気持ちでおりました。

東俣川の渡渉を考えるといつでも気軽に行けるようなところではないし、遅くなれば遅くなるほど渡渉は難しくなってきます。

しかし、これからの予定を考えるとこのままだと入り平尾根は来年まで持ち越すことになり、それだと一年間ずっともやもやした気持ちでいなければなりませんでした。

いろいろ考えた末、今度の土曜日は出勤の予定でしたが休暇届を出して、無理は禁物ですが、少々天気が悪くなっても向ってみることにしました。

ちなみに休暇理由は増毛相談お試し体験にしました。

 

土曜日の朝、昨日までの冷たい雨がやんで澄んだ空気の奥で飯豊連峰が姿を現しています。

奥川入の横山さんに挨拶をしようと顔を出すと、おばあちゃんが「気を付けて行ってらっしゃい」と声を掛けてくれました。

正月の飯豊山行など、私個人的に大変に御世話になっている横山さんですが、おばあちゃんはいつも私のことを心配してくれます。

 

思いもかけぬ好天に意気揚々、おばあちゃんに見送られながらまずは西俣峰に向けて早々に出発しました。

昨日からの積雪は10センチから20センチ程度、先週の積雪に比べればそれほど苦しいことはありません、長い急な西俣峰までの登りを無事に通過できました。

そして西俣峰からこの山行もいよいよ佳境へと入ります。

まずは上ノ境まで行き、東俣川へ下りますが、先週偵察しているので簡単に東俣川の渡渉点に降り立つことが出来ました。

先週は探りながら、気持ち的にも迷いがありながらの下降でしたが、二回目となる今日は強い決意を持って臨んできたということもあり、まったく問題なくスムーズに渡渉点に出ることができました。

渡渉箇所は一週間前と比べるとスノーブリッジが少々ひび割れをしていて一応慎重に渡りましたが、まだ十分にしっかりしていてほとんど危なげなかったと思います。

例年ですと渡渉点はかなり限られている時期で、冷や汗でもかきながら渡らなければならなかったことでしょうけれど、今年の異常な春の遅さにここでは助けられたと思いました。

入り平尾根の取付きヶ所は広々としていて休憩するにはもってこいのところです、尾根の出だしはしばらく藪を登ることになりそうなので、この広い河原でアイゼンを外してからついでにちょっとだけ休憩をとりました。

 

ここから登りにくいブナの藪尾根は木に掴まりながら進みますが、私自身いい加減にもう藪は慣れました。

急な藪尾根を登りきると突然目の前に雪原が広がりました。

天気は上々、ここから先はアイゼンを利かせて悠々雪原漫歩と行きたいところでしたが、尾根は広がらず、心休まるような静かなブナ林もありません。

ところどころ雪が割れ、口を開けたクレバスには新雪が積もり、深い落とし穴になって、常に足の置き所を考えながら進まなければなりませんでした。

 

こんな尾根ではもしもの時のエスケープには使いたくないと思い、この先天気が崩れても西俣尾根まで我慢して行くべきだと考えました。

ただ緩急を繰り返しながらも登り一辺倒で、だらだらした登り返し等が無いのはこの尾根の救いどころだと思います。

それだけ距離が短くて隣に派生する出と平尾根ほどではありませんが一直線に山頂に向かって伸びている、ある意味登りやすい尾根といった感じがしました。

標高1147mのピークを越えると再び尾根は藪になりました、こんな上部に来ての藪は疲れが倍増します。

藪が出ている原因は急に尾根が痩せ始めたことによるものでした。

ナイフエッジの距離は20mほどの短いものです、巾的にもこの程度であれば女川山塊のものに比べたら大広間のようです。

ナイフエッジの通過は問題ないとして、ここまできての藪はさすがに勘弁してほしいものでした。

 

その後も、雪が割れた通過しにくいところや急な雪壁をいくつか越え、出と平尾根との合流点まで到達しました。

この頃から天気は徐々に崩れ、飯豊主稜線方面は南から雪模様になってきているようです。

首からぶら下げたタオルはしなやかさを失い、凍り付いて棒のようになっています。

明日は天気が崩れると予測しておりましたが、今日はどの程度崩れるのだろうか?

4月といえども稜線上で荒れられるととんでもないことになってしまいます。

天気については日曜日の午前中くらいまでもってほしいなと思っておりましたが、そんな淡い期待も今年の異常気象では虚しいものです。

本当はエブリ差小屋で泊まる予定でしたが、先ほども書いたように万が一明日荒れた場合でもできれば入り平尾根は下りたくありません、仕方がないですが無理してでも今日中に頼母木小屋まで行くことにしました。

 

エブリ差岳に着く頃には季節外れの雪が舞い始め、4月も後半だというのに木々の枝にはまだしっかりとエビの尻尾が残っていて、さらにその上に雪が積もっておりました。

悪天に見舞われた飯豊の稜線でしたが以外に綺麗なものです。

「こんなに天気の悪い飯豊を見ることもそうそう無いだろう」今のところ視界も十分にあるので怖さは感じません。

風もなく静かに降り積もる雪、そして舞う雪の先に幻想的に聳える飯豊の峰々。

 

エブリ差岳から先、鉾立峰から大石山までのアップダウンを考えると先が思いやられましたが、深々と降りやまない雪、意外なことに誰もいない静かな飯豊を楽しみながら頼母木小屋まで辿り着くことができました。

今日の歩程は約12時間、最後の頼母木小屋への登りは今日の今までのどんな登りよりも一番苦しみながら登りました。

 

夜半に少し風が出たようですが、相変わらず音もなく一晩降り続いた雪に「山小屋で良かった」とつくづく思いました、もうちょっとで除雪に明け暮れた今年の正月飯豊の二の舞になるところでした。

 

翌朝、深いところでは50センチを超える積雪でしたが、雪が軽くて大きな苦労もせず頼母木山を越えて無事に下山することができました。

 

どう頑張ったって人は自然に勝つことはできません、荒れればそれを回避することを考えます。

無理に自然の驚異に向かって行っても痛い思いをするだけ、今回も荒れそうなら厳しい稜線は避けるようにし、天気を見ながらとりあえず頼母木小屋まで行けば何とかなるだろうと思って計画をたてました。

結果的に先週帰ってきたことが今回のような計画をたてることができ、大きな余裕を持って歩くことにつながったものだと思います。

 

確かに稜線上で自然の厳しさがその片鱗を現しましたが、それは真冬とは違った春先の易しいもので、逆にあまり見ることのない静かに降り積もる雪の中にひっそりと佇んでいる美しくも幻想的な飯豊を見ることができ、ようやく今年初めて登ることができた飯豊から歓迎されているような気持ちになりました。

 

翌日、会社に行くと「増毛はどうしたか?」と聞かれ「まだ寒いから芽が出てこない」と答えると「顔だけは黒々してきたね」と言われてしまいました。

会社休んで山に行ったのばれているのかな~?

 

コースタイム

420

奥川入荘600-西俣峰830850-上ノ境918-渡渉箇所1000-入り平尾根取付点103010501147m峰12501320-出と平尾根合流点1500-エブリ差岳1538-大石山17051710-頼母木小屋1750

 

421

頼母木小屋700-頼母木山717-西俣峰832840-奥川入荘1100

 

追記

この報告文では入り平尾根、出と平尾根という漢字をあてましたが、入山するにあたって参考にした関川渓流地図にはイリ平ノ峰、デト平ノ峰が尾根上に存在しているだけで、それもカタカナで表記されております。

ちなみに国土地理院が発行している1/25000地形図では無表記となっております。

 

このイリ平尾根とデト平尾根の間を流れるタイラミネ沢は平な峰から流れ落ちるところから名付けられたとされておりますが、この“はいる平らな峰”と“でる平らな峰”はどちらも登り一辺倒の尾根上にあり、平地のところはほとんどありません。

今回、通過したイリ平ノ峰は国土地理院の地形図で言うと1147m峰にあたるものと思いますが、確かに急な登りが終わったところにちょっとした狭い平地がありましたが、この文章でも書いたようにすぐにナイフエッジとなり、特に平らなところという雰囲気ではありませんでした。

 

参考までに、このタイラミネ沢は国土地理院地形図では長者原沢と表記されております。関川渓流地図によると藤島玄氏がこの沢から長者原の集落がよく見えるところから名付けたということです。

 

何故、イリ平、デト平という名前なのか分かりませんが、地元の機関発行地図にしか表記されていないこれらの峰々は、かつて山麓にある小国町玉川集落の人たちの狩猟場だったということで、おそらく山菜取りや狩猟をする人たちにはよく知られていた峰で、小国町の玉川や長者原それから関川村などの地元の人たちに何らかの理由があってイリ平、デト平と呼ばれていたのではないかと思います。