門内小屋管理人
9月7日~8日
残暑が厳しい折、涼を求めるべく「赤いヤッケの男」という本を読んでみました。
その内容はというと…、
初冬の北アルプスへ単独で向かい、猛吹雪の中ようやく避難小屋まで辿り着いた。
早々に小屋で夕食を済ませ、寝袋に入っていると小屋の外で足音がして徐々に小屋に近づいてくる。
その足音は小屋の入り口の前まできて、そして小屋のドアが開き、赤いヤッケを着た男が小屋に入るなり力尽きた様にドッと倒れこんだ。
外は相変わらず猛吹雪、小屋を目指し夕刻に必死で歩いてきたようです。
私は「大丈夫か!」と言いながら赤いヤッケの男に向かって叫んだが返事がありません。
近寄ってみると呼吸をしておらず、すでに息絶えているようでした。
幸いこの山小屋からは携帯電話が通じたので麓の警察と連絡をとることができました。
遺体は小屋の隅に寝かせて備え付けの毛布を掛けました。
「やれやれ、それにしても今晩は遺体と一緒に過ごさなければならなくなってしまったよ、明日の朝一番で下山しよう」そう思いながら寝袋に包まって眠れないまま朝を迎えました。
翌朝、朝食など食べる気にもなれず仏さんに手を合わせ、早々に山小屋を出発しました。
ところがどういうわけか体が重くて思うように歩くことができません。
「寝不足がたたったのだろうか?」、「夕方までに下山できないと大変なことになる」そう思って必死で歩きますが、なかなか先に進みません。
それでも疲れ切った体にムチ打ってなんとかギリギリ麓の景色が間近に見えるところまで下りてくると、地元の捜索隊の人たちがそこで待っているようでした。
私はそのまま気が遠くなりその場に倒れてしまい、薄れゆく意識の中で「よくやった!担いできてくれてありがとう!」と言う捜索隊の人の声が聞こえてきた。
数時間後、目が覚めてからあのとき麓で待機していた捜索隊員から聞いた話では私が赤いヤッケを着た男の遺体を背負って下ってきたというのです、そして遺体は無事に収容されたとのことでした。
内容を思い出しながら書きましたが、大筋こんな内容だったと思います
この話以外にも、山で体験した怖い話が何篇か書かれていて、いつもテントを担いで辺鄙な山へ単独で向かう私にとってはあまり読みたくないような本でありました。
私は霊感などまったく無く、お化けや幽霊など信じずバカバカしいと思っているくらいです。
それなのにこんな本をついつい読んでしまいました、これらは私にとって未知の世界であり自分でも知らないうちに興味を持ってしまっているのでしょう。
そういえば良く考えてみると今週末は飯豊の門内小屋に管理人として入るのだけれど天気予報は雨になっている「もしかしたら訪れる人は誰も居ないのではないだろうか、雨の門内小屋管理棟で一人過ごす夜は怖いなあ」。
本の影響から私は柄にもなくそんなことを思うようになっておりました。
先ほど私は幽霊は信じないと書きましたが、雨がしとしと降る中で一人ぼっちの山小屋のことを考えると気持ちが良いものではありません。
それから幽霊こそ信じませんが、狐には以前に化かされたことがあるので信じています。
警戒心が強くてなかなか人前には出てこない狐ですが、私は今まで数回程度山で狐に遭遇していて、そのうち何度かは化かされているような気がします。
特に吾妻連峰の狐には驚かされました。
確か今から6、7年くらい前の話です。
吾妻連峰を縦走しているとき家形山付近にさしかかったところで私の遥か前方にピンクの上着を着て赤いカラフルな山スカートを履いている若い女性の姿が見えました。
その女性は疲れているのか足元がふらついていて、やっと歩いているような感じがしたので、私は駆けより後ろから「御嬢さん、お疲れのようですね。荷物でも持ってさしあげましょうか。」と声を掛けました。
そして追い越し際に女性の顔を見ると、それは若い女性ではなく明らかに70代、いやもしかすると80代をとうに過ぎているかもしれないくらの風貌の女性でした。
顔は日焼け止めを塗り真っ白になっていてまるで山姥のようで、手には出刃包丁を持っているかも知れないと思うと捕って食われそうな気がして、慌ててその場から逃げながら「くそっ後ろ姿に騙された!」そんなことを考えているときのこと、私のすぐ横の繁みから大きな狐が現れたのです。
こんな昼間に狐が現れるなんて不思議でしたが、その時はじめて私はさっきの若い格好をした年取った女性はこの狐が化けていたということを悟ったわけです。
人が大勢集まるような人気の山へ行くと多くの登山客の中にそんな女性を見かける時がよくありますが、もしかして中には狐が化けているといった場合もあるのではないでしょうか。
さてさて、今回はそんな怖いといった不安を抱えながら管理人業務のために門内小屋へと向かいますが先に頼母木小屋へ用事があって向かいました。
登った登山道は門小屋と頼母木小屋の稜線中間付近に出る丸森尾根です
梶川尾根と対をなすようにつけられたこの尾根は急登の連続となっておりますが、その分距離が短いので個人的には梶川尾根よりも私は好きです。
今にも降り出しそうな空を見上げながらせめて門内小屋に着くまで降らないでほしいと思いながらまずは頼母木小屋に着きました。
頼母木小屋の管理人は石山さんで、ビールを一杯頂きながら世間話に華が咲いてしまい1時間以上も居座ってしまいました。
ちょっとゆっくりしすぎて雨が心配になってきましたが案の定、扇の地紙付近でポツリポツリあたりはじめ、門内小屋の直前で大降りとなり、門内小屋最後の登り坂は駆け足で登らされるはめとなりました。
それでも何とかあまり濡れずに門内小屋管理棟に駆け込むことができました。
そして私とほぼ同時に二人の宿泊客がやってきて今日は一人ではないということで少しホッとしました。
しかもビール2本と日本酒まで買っていただきました。
管理棟に入るとネズミ取りに三匹ものネズミが掛っているではありませんか、ネズミは飯豊に生息する動物たちの食物連鎖では重要な生き物で、ネズミはオコジョなど可愛い生き物の餌となっているので、ある意味とても大切な動物だろうと思います。
それから私が好きな作家の一人である山本素石さんの記述によればネズミは狐が大好物で特にネズミの天ぷらは狐にとってはどうしても食べずにはいられない物だということです。
山でネズミの天ぷらを作っていると匂いにつられて必ず狐がやってきます。
ネズミの天ぷらを揚げているところに「ネズ天一万円」の張り紙を出しておくと、狐は人に化け、葉っぱをお金に変えて「売ってくれと」言いながらやって来るそうです。
人間の目からはどう見てもそれは本物の一万円札にしか見えませんが、「こんな葉っぱでは売れない、ちゃんとしたお金を持ってきなさい」そう言うと狐はすごすごと帰ってしまい、少しするとまた葉っぱの一万円札を持ってきては同じことを繰り返すのだそうです。
それを何回か繰り返すと、狐はどこから調達してきたのかやがて本物の札を持って来るのだそうです。
「ちゃんとしたお金を持ってきなさい」とこちらが言うと狐はすごすごと帰らずに「これ、ちゃんとしたお金だよ」と答えるのだそうで、それが本物のお金だという合図になるということです。
これなかなか良い話だと思いませんか?今回、私は天ぷら粉と油を持ってきてなかったので残念ですが諦めましたが、皆さんは今度やってみてはいかがでしょう。
さて本題に戻ります。
「あとはもう宿泊者は来ないだろうな」なんて考えながらうたた寝をしていたところ、いきなり管理棟のドアの向こう側から「二人です、宿泊お願いします」さらに「ビール4本ください」と声が聞こえてきた。
というわけで今宵、門内小屋の宿泊者は総勢4名、今まで私が管理人をした中では一番の少人数ではありましたが、今年の場合は悪天候の影響からなのか飯豊を訪れる人が異常なほど少なかったので、こんな悪天候でも4人も宿泊してくれるなんて上出来だと思いました。
でも私の夢は若い女性の団体がたくさん泊まりに来て「素敵な管理人さーん、一緒に飲みましょうよー」とか言われながら門内小屋で楽しく宴をすることでして、それにはまったく程遠い話ですね。
それにしても飯豊は若い女性が極端に少ない山です、地味で素朴な飯豊であってほしいと願う私としてはある意味いい傾向だと思うのですが、せめて私が管理人しているときだけでも若い女性で門内小屋がいっぱいになってほしいものです、他の人が管理人の時は年配の人でいっぱいになるといいですね。
先日、山ガールの専門雑誌ランドネが飯豊に取材に来たと聞きました、飯豊はランドネのような雑誌に紹介されるような山ではないのですが、とりあえず若い女性も少しは飯豊に興味を持ってくれるきっかけになればいいと思います。
「まあ今日はこの天気だ、仕方がない、それでも何とか4人も宿泊してくれた。」
本来、いつもは夕刻になると宿泊客と一緒に日本海に沈む夕日を眺めながらいろいろな会話や山座同定を楽しむところですが、今日は昼過ぎから降り始めた雨は強さを増す一方で、とても外に出る気にはなれませんでした。
しとしと降る雨、退屈な飯豊の夜、するとどうしても赤いヤッケの男の話や狐の話を思い出し、怖くなってしまいます。
私は余計なことは考えないようにして、夢である門内小屋が若い女性客で溢れることだけ考えるようにしたら、楽しく深い眠りに着くことができました。
翌朝、雨と風の音で現実に引き戻された私は「今回は寂しい管理人だった」と思いながら宿泊者の出発を見送っておりました。
小屋とトイレの掃除を終わらせて私も小屋を出発。
管理人という業務を任されたうえに雨降る寂しい飯豊ではありましたがそれでも自然の中で過ごした一晩は心を幻想の世界へと浸らせてくれたようで少しずつ遠ざかる稜線、梶川尾根を下りながら徐々に現実へと回帰していく気持ちに虚しさを覚えながら樹林帯の中へと入っていきました。
今回の山行はこれで終わり明日から忙しい毎日がまた始まります、そろそろ仕事のことを考え始めるころ、一人の女性とすれ違いました。
「こんにちは」と挨拶を交わしたあと「おやっ!」と思った瞬間、知り合いだということに気が付きました。
彼女は登山経験が豊富な大ベテランだということは山での堂々した行動や仕草、余裕ある歩き方を見てすぐにそれはわかり、私の目にはその姿がとても格好良くて素敵に見えました。
私のホームページを読んでいてくれたそうで、私が門内小屋に管理人で入る日にわざわざ訪ねてきてくれたということでした。
今回の管理人業務はとても寂しいと思っておりましたが、最後にこんなサプライズが待っているとは思ってもいませんでした。
それこそ狐につままれたようですが、こんな騙され方ならいくら騙されても構いません。
彼女と出くわした場所は五郎清水の少し上あたり、せっかくここまで来たのだから視界はそれほど悪くないし雨も小降りなので「せめて稜線まで行きましょう!」ということで再び上へと一緒に歩きました。
そしてこのまま門内岳山頂まで行き、門内小屋で昼食を食べて丸森尾根をまわって下山したところで今回の管理人業務を無事に終えることができました。
今年は仕事の都合上、ほとんど飯豊しか登っておらず、今回も管理人業務としての山行でした。
作業で飯豊を訪れるのは今年これが最後になると思います。
でも今度はもうすぐ正月の飯豊の時期がやってくるのでそろそろ準備を始めなければなりません。
私がこの世で最も怖いと思うのは正月の飯豊で、幽霊や狐などは正月の飯豊に比べたらとても可愛いものです。
今年の正月は狐に騙されたように晴れてほしいものです、正月の飯豊でネズミの天ぷらでも揚げて、狐が来たら「雪と風が止み、空を青くしてくれたら、これ食べていいよ」って言ってみようかな。
ああ、でもそれって騙されているわけだから気が付いたら猛吹雪だったなんてこともあり得ます、いくら狐でも自然現象を動かすことは無理でしょうから、それじゃあ遭難してしまいますね。
では来年の門内小屋管理人の時にネズミの天ぷらを揚げて、狐に「門内小屋を若い女性客でいっぱいにしたら食べていいよ」って言ってみよう。
うーん、でも結局それだって騙されていて、もしかしたら若い女性ではなく80歳をとうに過ぎた山姥のような方たちで小屋がいっぱいになっているのかもしれませんね、あー恐ろしや恐ろしや。