エブリ差避難小屋外壁修繕工事
先日、エブリ差岳避難小屋の修繕工事が無事に終わり、下山してまいりました。
しかし小屋の周囲には工事で使用した機材や発生した資材等の荷下げ品が放置されている状態です。
本来は早々にそれらを荷下げするつもりでしたが、この梅雨空のなか天候が少しでも曇っているとヘリは飛んでくれません。
また、せっかく晴天なのにヘリが他の仕事で空きがなかったりして、なかなか思うようにいかない状況が続いております。
そもそもなぜエブリ差岳避難小屋の修繕工事が実施されたのか?
そしてどの部分をどのようにして修繕工事をしたのか?
まずはこのことについて簡単に説明しておきます。
飯豊連峰の稜線部に新潟県が建てた山小屋というのは御西小屋、門内小屋、頼母木小屋、エブリ差小屋の4棟があります。
各小屋はそれぞれ地元地先の市町村が新潟県から借りて管理している状況であり、言わば大家さんが新潟県で最寄りの市町村が住人ということになります。
この構図というのは飯豊連峰に限らず新潟県が大家さんの山小屋は上中下越の各山域に存在し、それぞれの最寄りの市町村が借りているわけですから、かなりの数の山小屋があることになります。(県所有の避難小屋ではなく民営の営業山小屋も僅かですがあります。)
特に稜線にある山小屋は過酷な環境下の立地条件にあるため傷みは激しく、どの山小屋もかなり疲弊してきている状況にあります。
小さな修理については住人であるそれぞれの市町村が実施し、大きな修理になると大家さんである新潟県が実施するという定義になっているようです。
当然、修理すれば修理費が掛かります。しかし新潟県もそれぞれの市町村も同様に予算がなく、要は山小屋修理にまわすお金がなかなか捻出されないのが実情のようです。
だから小屋がちょっとくらい壊れたからといって簡単に修理してくれるものでもありません。必要に応じ、傷み具合の大きさ等を考慮し最優先順位を決めて順次修理の要望に応えていくといった次第のようです。
エブリ差岳避難小屋については15年前に新築されており、近年は雨漏り等が確認されるようになってきていたそうです。
雨漏りの原因はいろいろ考えられますが、外壁が腐って一部が崩れ落ちており、さらに柱や梁も腐れてきていることが原因と考えられ「このままではエブリ差岳避難小屋が潰れてしまう、早急の手当てが必要」と認定され今回の修繕工事へと至ることになったのだと思います。
今回は修繕工事ということで柱と梁の腐れた部分を補強し、外壁を張り替えるといった工事内容でした。
エブリ差岳避難小屋を借りている最寄りの市町村は関川村というところで、この修繕工事に関してはかなり前から県に陳情していたと聞きます。
実際、私個人的にもこのエブリ差岳避難小屋修繕の話は3年くらい前から話は聞いておりました。
私自身、業者としてそれぞれの小屋を調べていると、どの山小屋も早急に何らかの手当てが必要なものばかりです。
これは飯豊連峰の山小屋に限ったことではなく、数多くある新潟県所有の山小屋の大半がそのような状況下にあるのではないかと、私が心配していても仕方がないことではありますが、気になるところであります。
それでは工事についての日記に移ります。
本来は全ての工事工程が終わったら書こうと思っていた日記ですが、ホームページ的にも更新がしばらく途絶えてしまっていることもあり、3週間も前のことですが、途中段階として日記を書いてみることにしました。
工事の専門的な内容はともかくとして、工事に纏わるエピソードや苦労したことなどを真面目に書こうと思っていたのに、漫談みたいな内容になってしまいました。
6月14日、胎内市により門内小屋と頼母木小屋の荷揚げが実施されました。
荷揚げとは、小屋で販売している飲み物類や常駐する山小屋管理人さんの食料品等の資材やその他小屋を管理運営するうえでの必要な資機材をヘリコプターで各小屋に運び、収納する作業のことをいいます。
その胎内市の荷揚げ日に合わせて、同ヘリコプターを使ってエブリ差岳避難小屋工事の機材や資材も運び揚げました。
そしてそのまま私と職人の板金屋さん、大工さん、それから私の所属する山岳会のメンバーで塗装工事を担当してくれる新井田さんの4人もヘリに乗ってエブリ差岳避難小屋まで行きました。
私自身、これまで何度もヘリに乗っておりますが、地上から飛び上がる際には怖くて、いつも座席の上にある手摺にしがみついてしまいます。
手摺をしっかり握ってさえいればいつヘリが墜落しても大丈夫なような気がしないでもありません。
座席に座ること5分、汗ひとつかかずにいきなり飯豊の稜線に行けるということは、贅沢なことを言うようですが調子が狂うことも確かです。
慣れていないこともあってか、急激に気温が下がり、環境の変化に体がついていけません。
とにもかくにも無事にエブリ差避難小屋に降り立った私たちは、この日から約1週間程度の期間、泊まり込みで工事を完成させなければなりません。
いくら山が好きだとはいえ文明社会からかけ離れた世界で、明かりはヘッデン、ガスは登山用コンロ、水道はポリタンクの水のみ。
テレビを見ることができず、風呂に入ることもできず、休日にちょっと町に買い物に行くこともできない、とんでもない僻地にまるで島流しの刑にでもあってしまったような気持ちで我々一行は作業に取り掛かることになりました。
正直、毎日通うことも考えました。私の家から小屋まで行きで4時間から5時間、帰りは3時間から4時間程度だと思うので可能と言えば可能です。
ただ毎日続けるとなると足腰と体力が…、とうことで諦めて素直に島流しの刑に従うことになりました。
職人の皆さんは早く帰りたい一心で作業を進めました。
毎日4時に起床し、5時に作業に取り掛かかって夕方は7時まで働きました。
どんなに雨が降ろうが風が吹こうが早く帰りたいと思う気持ちがどんどん作業をはかどらせました。
塗装職人の新井田さんは2泊で作業が終了し、板金屋さんと大工さんと私の3人での共同生活が始まりました。
ところでちょっと余談ですが塗装職人の新井田さんの姿が一時的に見えなくなっていたような気がしているのですが、まさか北俣岳まで行ったりするわけがないですしねえ…、まあ私の気のせいかな。
職人の皆さんは大変に真面目な働き者で、人間的にも素直で優しい人たちでありましたが、ひとつだけとても困ることがありました。
大工さんは酒が好きで毎日晩酌をし、お蔭でいつも夜中に2回ほどトイレに起きます。
静かにトイレに行ってくれればいいのに、いつもヘッデンをどこかに置き忘れ、暗闇の中、資材や道具につまずきながら、いつも「イテッ!」と言いながら積上げておいた資材はガラガラと崩れ、時には玄関で転んでいるようです。
朝になると資材が散乱していて、ある日などは寝る前に「明日の朝食だよ」と言って大工さんから離れた場所に置いておいたカップラーメンが玄関のあたりに転がっていたりするような有様で、とにかく夜中は喧しくてゆっくり眠ることができないでおりました。
しかし山での仕事はもちろん良いことも多くあります。苦労せずヘリで稜線に行けること、そして好きな山で仕事ができること等は当たり前のことなのですが、最大のメリットを白状しますが、これは内緒にしておりここだけの話ということで…。
私はいつも山での仕事があると自分の食料はもちろん、職人さんの食料も日数分準備します。今回もアルファ米30食、レトルト食品30食、ラーメン、カップラーメンもそれぞれ30食ほど準備をしました、もちろんこれらは工事の経費から捻出されます。
ここまでは特別なことではない普通の話ですが、ここからがポイントです。
どうしても食料やガスといった命に関わるものは少し多めに準備するのですが、どうしても余ってしまいます。
会社に持ち帰っても仕方がない物ですし、これらは苦労してくれた職人さんと私でいつも分けております。
それからさらに…、実は私が自分の個人山行のために買い貯めておいたアルファ米やレトルト食品類の賞味期限が迫ってきており、今回の工事で新たに買い揃えた食料品と一緒に私の賞味期限間近の(とっくの昔に過ぎている物を含む、というか大半がとっくに過ぎている)食料品も荷揚げしておき、先に職人さんにそれを食べてもらうことで私の貯蔵庫はリフレッシュされることになります。
このことを親しい人に話すと「貴方は山に関しては偏差値が高いのね」と褒められました。
それからさらに私事ではありますが、山での生活は気温が低いうえ風呂に入ることができないせいなのか、嬉しいことに髪の毛がドンドン増えていきます。
コッヘルに水を汲んで自分の顔を写してみると、驚いたことにおそらく20年くらい若返っているようです。これはおそらく高山という厳しい環境に私の頭髪が順応しているものと思われます。
エブリ差岳周辺は携帯の電波状況が悪く、地上との連絡がうまくとることができません。
山頂付近へ行っても、小屋の2階をうろちょろしても電波は通じません。
大石山まで行くと電波が入るということを知っていたので、少し鉾立峰方向に下ってみました、するとほんの一角、1m四方程度の区間で棒が三本立つところがありました。
会社に電話をしてみると「あー、そういえば台風が来てるよー」と電話口で事務員が言っていた。「でも田中さんなら山に慣れているから別にいいでしょ」と言って電話を切られてしまった。
工事は職人さんの努力により大変に順調に進んでおりましたが、運の悪いことに台風がどうやら日本列島を直撃するようです。
職人さんと相談をし「とにかく台風が来る前に作業を終わらせましょう」ということになり作業のピッチをさらに早め、そして無事に台風の風が吹き荒れる直前ですべての作業を終了することができました。
少々の後片付けは残ったものの、台風通過時は小屋の中で平穏に過ごすことが出来ました、とは言っても外は物凄い風が吹き荒れています。
トイレに行こうと思っても外に出ることができません。
あの風の強さは正月の飯豊の比ではありません、あの強風に比べたら正月の飯豊は爽やかな微風です。それほどあの台風の風は私が今まで体験したことがないくらい凄まじいものでした。
外に出ることができず、隣の棟の便所に行くのはとても無理、まさか小屋の中でするわけにもいかず、漏れそうなオシッコを必死で耐え、限界ギリギリなんとか台風をやり過ごすことができました。
そして翌日下山。あまった食料をたくさんザックに詰め込み嬉しく思いながら帰ってきました。
そして久しぶりの風呂に入って頭を2回洗いました。するとどうでしょう!見る見るうちに髪の毛が抜け、元の数量に戻ってしまいました。
おそらく高山植物と同様で私の髪の毛は下界では育つことは無理なようです。
そして、あれから3週間。梅雨空のお蔭で荷下げがなかなか決まらずエブリ差小屋周囲には機材が置きっぱなしになっております。
訪れた登山者の方々には大変にお見苦しい思いをさせてしまっているかと思います。早く天候を見ながら荷を下げてしまいたいと思っている次第です。
そうそう、それから工事の内容についてですが2階出入り口用の梯子が雪で曲がっており「ついでに修理してさしあげよう」と思いましたが、かえってイビツな形に歪んでしまうので曲がったままにしておきました。
その代り、余った資材を使ってベンチを作りました。本職の大工さんが作ったベンチです、座り心地もすこぶる良いので、小屋の前にでも備え付け、是非くつろいでいただき、登山の疲れを癒すのに役立ててほしいものと思っております。
経年劣化はしていくものの、簡単に風で飛ばされるような物でもなく、足元の腐食についてもかなり長い年数は大丈夫な材質の木材で作りました。
またクレオソートを塗るなり、表面に焼け目を入れるなりすると、腐食は避けられます。「機会があったらやりに行けるといいなー」なんて思ったりもしておりますが…。
そのベンチ、私たちが下山するとき小屋とトイレの間に置いたままにしてきましたので、誰か気が付いた方が居られましたら、そこから出してやってもらえるとありがたく思います。
今後、飯豊の山小屋修繕は御西小屋に焦点が移行していきそうな様相です。
ここで詳しく書くことはできませんが、とりあえず窓ガラスが割れているということなので、その修理と大日岳の標柱設置が当面の私の作業として残っております。
また仕事で山に行けるということは感無量。とても嬉しくもありますが、反面悲しくもある次第でございます。
追記
工事期間中に悠峰山の会の方々がエブリ差岳避難小屋を訪れ、我々工事関係者に差し入れをしてくださいました。とても有難かったです、ここにあらためてお礼を申し上げます。
悠峰山の会の方々は下越山岳会のホームページを見て工事のことは知っていたとのことでした。おそらく前回、エブリ差岳という題名で私の書いた文章を読んでくださったのだろうと思います。
あとで思ったことですがその文章はAKBの総選挙のこととか、確か余計なことをたくさん書きすぎてしまっていた日記だったように思います。
余計なことを書いてすいませんでした、誰が読んでくれているかわかりません、世界中に公表されている日記なのでやはり真面目に書かなければいけないなと反省しているところでございます。